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ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

日本語は難しい(3)「が」と「は」

2025-04-06 20:12:02 | 日本語

「侍タイムスリッパー」の終盤にこんな台詞があります。

「今日がその日ではない」

これは映画「トップガン・マーベリック」の台詞

「これからは無人機の時代だ。
 君たちパイロットは絶滅する」
「そうかもしれません。
 でも、今日じゃない

を引用したものだと言われています。

時代劇は将来廃るかもしれない、でも今日がその日ではない、

と高坂新左衛門は言います。

そして最後に、風見恭一郎に彼女を誘えよと促されて、再び、

「今日がその日ではない」と言って立ち去ります。

これ、私はずっと「今日その日ではない」だと思っていましたが、字幕付きで観たら、

「今日その日ではない」

となっています。

この「が」と「は」はどう違うのか?

外国人に日本語を教える時、私はこう説明します。

「が」「は」の違いは、

言いたいことが、前にあるか後ろにあるかの違いです。

「今日その日ではない」という文章は、「が」の前の「今日」が言いたいことです。

つまり、時代劇はいつか廃るけど、それは「今日」ではない。

「が」は格助詞で主語を表します。

  私行く。あいつ犯人だ。これその証拠だ。

「私」「あいつ」「これ」が言いたいことです。

一方、

「今日その日ではない」は、「は」の後の「その日ではない」が言いたいことです。

「は」はとりたて助詞といって、英語でいうと「as for」や「about」に相当する、トピックを表す助詞です。

  寿司嫌いだ。あいつ敵だ。これシロだ。

「嫌いだ」「敵だ」「シロだ」が言いたいことですね。

なので、私はこの台詞を今日はその日ではない」だと思っていたのですが、監督は「今日じゃないを強調したかったのでしょう。

では例題です。

①「これは鴨ではない」と ②「これが鴨ではない」はどう違うか?

①は、この鳥は鴨じゃないよ

②は、これが鴨南蛮なわけないだろッ。

あ、ちょっと違うか・・

ぜひ皆さんも、日本語の「が」と「は」に注意してみてください。

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日本語は難しい(2)短縮形

2025-03-29 14:48:42 | 日本語

前回は二重否定の話でしたが、

今日は、最近気になっている短縮形について書きたいと思います。

テレビやYouTubeを見ていると、若い人たちがこう言っているのをよく聞きます。

 むずい (むずかしいの短縮形)

ちょっと前まではあまり聞かなかったのですが、最近はけっこう有名人まで使うようになってきました。 

外国人に教える日本語文法だと「むずかしい」は「イ形容詞」になります。

形容詞は二種類あって、「イ形容詞」と「ナ形容詞」

イ形容詞は 明るい、暗い、高い、広い、美しい などイで終わる形容詞です。

ただし「きれい」はナ形容詞です。きれいな花、きれいな空気 などのようにナをつけて形容するので。通常の日本語文法では形容動詞ですね。

「むずかしい」はイ形容詞です。

イ形容詞の活用形は、

むずかしい、むずかしくない、むずかしかった、むずかしくなかった

となります。

これが「むずい」になると、

むずい、むずくない、むずかった、むずくなかった

と活用することになります。

むずい、は時々聞くけど、むずくない、はあまり聞かない気がする(私だけか?)。

ちなみに、

「むずい」にちょっと似てるけど、意味が全く違う「ちがう」があります。

「ちがう」は動詞なので活用は、

ちがう、ちがわない、ちがいます、ちがえば、ちがって・・

となりますが、最近は以下のような活用形をよく聞きます。

ちがう、ちがくない、ちがかった、ちがくなかった

「ちがう」のイ形容詞型活用とでもいえばいいか。

誤用ですが、若い人たちはけっこう使ってますね。

イ形容詞の短縮形、むずい が通用するなら、以下の言葉も短縮形で使われるようになるのかしらん。

 はずかしい→はずい(これは時々聞きます)

 なつかしい→なつい

 もどかしい→もどい

 いそがしい→いそい

 なげかわしい→なげかい 

 あほらしい→あほい

なんか、あほい話だなあ。そうそう、

 きもちわるい→きもい

もよく聞きますね。

スマホを使うようになって言葉の短縮化が進んだのか?

(ネットによると1970年代にはすでに「むずい」はあったようですが)

短縮形は他にも、

「名詞+であるかのように」を「名詞+かのように」

と、「である」を省いて使うのもよく聞くようになりました。

「彼女はまるで女優であるかのように優雅に歩く」という文章を、

「彼女はまるで女優かのように優雅に歩く」となります。

「まるで火の海になったかのように、あたり一面真っ赤だった」は

「まるで火の海かのように、あたり一面真っ赤だった」となります。

これ、私の世代ではものすごく違和感があるのですが、若い人たちはそうでもないようで、いつのまにか

「名詞+かのように」が普通に使われるようになってきています。

言葉は変化するものなので、時代の移り変わりと共に変わっていくのは自然なのですが、

古い世代はなかなか新しい表現になじめなくてね、

日本語がどんどん、

あほい(あほみたいな)言葉になりつつあるようで、なげかい(なげかわしい)ことだと思う今日この頃です。

(今回のタイトルも「日本語はむずい」のほうが伝わるのかしらん)

 

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日本語は難しい(1)二重否定

2025-03-08 11:45:35 | 日本語

私は日本語教師なので外国人に日本語を教えています。

JLPTという日本語能力試験に向けたテキストにこういう質問があります。

「事故の責任は君にあるといわざるをえない」

という文章は、

①君に責任がある。②君に責任はない。

のどちらか?

これが、外国人にはえらく難しいようです。

「あるといわざるをえない」

「ある」は肯定。「ない」は否定。

なので、答えは②の「君に責任はない」だ、というのです。

そこで私は「いわざる」は「言わない」だと説明します。

つまり「言わないわけにはいかない」という意味で、

「言わない」「いかない」の二重否定なので、「君に責任がある」が正しい答えだと。

生徒は「えー、だったら最初から『君に責任がある』て言えばいいじゃん」と言います。

(この「いいじゃん」も実は「いいではないか」の省略形なので「ない」という否定が含まれているのですが・・)

また、こういう文章もあります。

「今回ほど断られるのが怖いと思うことはない」

これも「怖い」と思うのか、思わないのか。

生徒は「思わない」と答えます。

だって、「思うことはない」とあるのだから「思わない」でしょう?

またこういうのもあります。

「心がはればれとするとは言えないのではないか」

これは「心がはればれとする」のか「はればれとしない」のか?

生徒は「はればれとする」と答えます。

だって、「言えない」「ないか」で二重否定になるので、答えは「はればれとする」だと。

日本語って本当に厄介です。

文法を説明したところで(強調構文だとか、二重否定に見えるけどちょっと違うのだとか、英語にも似たような表現があるでしょうとか)でも、すんなりとは受け止めてもらえません。

「ない」があるのに、なんで「ある」になるのか。

逆に「ある」があるのに、なんで「ない」になるのか。

日本人は日常的に使っているので、説明しようとするとかえって混乱します。

そういうものだから、そうなのだ。

結局そういうしかない。

まあ、言葉って結局習慣なのですね。

英語だって似たようなものです。

YouTubeで私が好きな動画を挙げておきます。

言語って、理屈じゃ説明できない理不尽なことが多いよねえ、

と思わなくもない日々を送っていなくもない、日本語教師です。

 

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「ゆる言語ラジオ」にハマる

2021-11-20 13:05:00 | 日本語

これ、教えっちゃおうかな~

最近私がハマっているYouTubeは、DaiGo でもなく、ひろゆきでもなく、

「ゆる言語ラジオ」

なのです!

たとえばこれとか↓

母語はどこまで人に影響を与えるのか?方向感覚は?【第二言語習得論2】#75

左右を持たず、東西南北でのみ位置を示す言語があるそうです。それを使う民族はその分我々よりも位置感覚が優れていたりするのでしょうか?いつもより...

youtube#video

 

日本語教師をしているので、基本的に言葉が好きです。

これ見つけて、なになに、と覗いてみたのが運の尽き。

何しろ「ピダハン語」やら「サピア・ウォーフの仮説」やら、

私の大好きなテーマが次々登場して、もうね、ずっと見続けちゃいます。

言葉に興味がある人は絶対ハマると思う。

大昔、高校生だった頃、大学に行けたら言語学か心理学をやりたいと思っていました。

残念ながら大学には行かせてもらえなかったのですが、
(後に自力で夜学に行ったけど学部は選べなかった)

高校生の頃って、自分が好きなものを、けっこう鋭敏に知っているような気がします。

そして、幾つになっても好きなものは変わらない。

というわけで、

今更ですが、

言語学って面白いよね、とハマっているわけです。

私の説明より実際に見てもらったほうがいいので、

興味のある人はぜひ、この番組を覗いてみてくださいまし。

(これ、秘密にしておきたかったのよね。だって自慢できそうな蘊蓄満載なのだもの)

というわけで、YouTubeの紹介でした。

 

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日本語教師として・・(3)

2020-09-21 17:43:11 | 日本語

先日「ニュー・システムによる日本語」を紹介しましたが、

これを開発した海老原峰子氏は数学者でもあります。

つまり、ロジカルな思考回路をもっている人だと思われます。

だからこそ、このメソッドはシンプルで論理的でなおかつ実用的に作られています。

でも、世の中のすべての人にロジカルな方法がいいとは限らない、

ということが、一人の生徒の発言でわかりました。

「それって数学みたいだね。でも、僕は数学が苦手なので、よく理解できないんだ」

言語の獲得方法というのは、人によってずいぶん違うものだと教えているとよくわかります。

JLPTでは5級(初級)のWさんの日本語は実に流暢で、日常会話は難なくこなせます。イントネーションも日本人と変わらない。それなのにJLPT4級のテストは不合格でした。

JLPTだけでは日本語能力を判定できない、ということがわかります。

(でも企業で要求されるのはJLPT2級合格です)

言語獲得のポイントはリスニング力ではないか、と私は思っています。

相手が何を言っているのか理解できないと答えられませんから。

簡単なことですが、案外見過ごされがちです。皆、必死になって、どう言おうか、どう表現しようか、文法はこれでいいだろうか、と考えますが、その前に、

相手の言っていることをちゃんと理解できるかどうか、がとても大事。

とにかく日本語に慣れ親しんでほしいと、口をすっぱくして言いますが、なかなか難しいようです。

特に日本語の日常会話は表現方法が多様で、「みんなの日本語」のようなテキストで勉強した人にはついていけないようです。

それに、日本語と英語では脳の働き方も違うらしい。

フィリピンのセブ島の英語学校に2回短期留学したことがあります。

一度目は2週間、二度目は1か月。

最初に入った英語学校は韓国人の経営する学校で、日本人の生徒は少なく、ほとんどが韓国や台湾から来た人たちでした。

従って生徒同士で話すときも英語のみ。

たった2週間でしたが、日本語からすっかり離れて英語だけで暮らしていると、いつのまにか英語で考えるようになります。英語脳になってきたのを感じました。

一方、1か月を過ごした英語学校の方は、日本人が経営する学校で生徒はほとんどが日本人。授業の合間に生徒同士で会話するときは、当然日本語になります。

1か月いたけれど、私の英語は大して上達しなかった。

英語学校では日本語を使ってはいけない、と痛感しました。

そして、必要に迫られるという事はとても大事だと実感しました。

部屋のエアコンの調子が悪くてフロントに掛け合わなくてはいけなかったとき、私の頭はフル稼働で英語をひねり出したのでした。

どうしても伝えたいことがあること、何とかしてコミュニケーションを取ろうとすること、それが言語獲得の近道かもしれません。

メソッドも大事ですが、言語環境はもっと大事。

NOVAに通っていたとき、日本人の英語の先生がこう言っていました。

「朝起きるとラジオをつけて英語のニュースを聞きます。昼間も、できるだけ日本語が耳にはいらないよう工夫して暮らしています」

英語の先生ですらそうなんだ、と感心しました。

言語を獲得し、それを維持するにはそれなりの努力が必要だということを教えられました。

日本にいる外国人は、日本語の環境の中にいるのですから、これ以上言語獲得に適した場所はないわけです。

でも、皆こう言います。

「だって、日本人は外人とみると英語で話しかけてくるんだもの・・」

しかも、職業が英語の先生だったりすると、ついつい英語に頼ってしまいがちです。

私の生徒たちは様々な国から来ているので、母国語も様々ですが、皆とても流暢に英語を話します。なので、やはりどうしても英語が混ざりこみます。

私の日本語レッスンでは、英語、日本語、それぞれの母国語が飛び交い、スペイン語ではこう、ドイツ語ではこういうのよ、と教えてもらったりして、とても楽しいです。

本当は英語を使わないで、日本語だけで教える方がいいのでしょう。でも、英語ができると便利なのは確かです。

これから日本語教師の資格を取ろうと考えている方、ぜひ歳だからとあきらめずに挑戦してみてください。

いくつになっても、遅すぎることはありません。

日本にいながら世界じゅうの人たちと接してそれぞれの文化を学べる、こんなにいい仕事はありません。

何より楽しいんです!

(まだ間に合うにゃ)

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