ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

君の名は。・・・物語のもつ力について

2016-10-29 22:44:50 | 映画


 「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

というのは、私の世代の「君の名は」の冒頭の台詞です。
1952年から始まった菊田一夫脚本のNHKの連続ラジオドラマ。放送時間中は、日本中の銭湯が空になったという逸話もあり、幼かった私もよく覚えています。

でも、今回の「君の名は。」は、忘れまいとしてもいつのまにか忘れてしまう「君の名」のお話。
新海誠監督のアニメーションフィルムです。

新海誠作品でこれまで私が見たのは、
「ほしのこえ」「秒速5センチメートル」「雲のむこう、約束の場所」「言の葉の庭」です。

遠くへのあこがれ、伝わらないもどかしさ、根拠のない確信、未熟さゆえの葛藤・・
そうした青春の想いが随所に散りばめられていて、きれいで魅力的な作品群ですが、同時に、何なのかよくわからないけど、何かが足りない。
今回の「君の名は。」にも同じことが言えます。


(以下、ストーリーのネタバレになります)

映画の出だしは、よくある学園ドラマ。
東京の高校生タキ少年(私は最後までタキは苗字だとばかり思いこんでいましたが、彼の名前は立花瀧)と、飛騨の山奥に住んでいる少女ミツハ(宮水三葉)がある日突然入れ替わってしまう、言ってみれば現代版「とりかえばや物語」です。
ただし、入れ替わるのはいつも夢の中で、目が覚めると、入れ替わっていた間の記憶が消えていく・・
なんだ、よくある青春ドラマじゃん、と思って見ていました。

ところが、
ある日を境に入れ替わりが途絶えるのです。
そこで、タキは、どこかの山奥に住んでいるミツハに会いに行くことにします。

でも、場所もわからなければ実際の名前もよくわからない。
夢の中で入れ替わっていた時のあやふやな記憶をたよりに、タキはバイト仲間と一緒に軽い気持ちで出かけていくのですが、
現地に来てみて、初めて、タキはある重大な事柄に気づくのです。

ミツハの住んでいた村は、三年前の隕石の落下で壊滅していたのでした。
村人数百人が犠牲となり、ミツハも巻き込まれて亡くなっていました。

つまり、タキとミツハの間には三年という時間のギャップがあったのです。
「イルマーレ」みたいな話ですね。

で、タキは何とかしてミツハを助けたいと思います。
ここに、その村に昔から伝わる伝承が重要な役割をはたします。

組み紐。
タキとミツハを結ぶ赤い糸は、組み紐なのでした。
ミツハのお婆さんの話では、
「結び」というのは、時間の結び目でもある。
時を行き来するのも「結び」だというのですね。

かくして、タキはタイムリープして再びミツハと入れ替わり、村の人たちを助けるために奔走します。

最後に、ようやく出会った二人は、せめてお互いの名前だけは忘れまいと必死になるのですが、
悲しいかな、忘れてしまいます。

(思い出そうとして忘れられない・・忘れようとして思い出せない・・いや、忘れまいとして思い出せない・・・)

ま、最後はハッピーエンドなのですが。



ここからは、映画についての考察です)

先日書いた「シン・ゴジラ」と合わせて、この2本の映画のメガヒットぶりはとにかくすごい。
「シン・ゴジラ」の興行収入70億円突破、観客動員数420万人突破。
「君の名は。」に至っては、興収150億円突破、動員数1184万人突破。
(いずれもまだ上映中)というメガヒットです。

なぜこんなにヒットするのだろうと思ったときに、まず浮かんだのが、3・11でした。
どちらの作品も、日本が被った巨大災害を象徴的に描いている、といっても間違いではないと思います。(もちろん他の要素もたくさんありますが)

私たちは、あの事件に深く傷ついているのですね。
その傷はまだ癒えず、何とかして立ち直りたいと思いながらも、まだ立ち直れずにいる。
若い人たちほど敏感にそれを感じていると思います。
だからこそ、
「シン・ゴジラ」や「君の名は。」に救いを見出そうと劇場に足を運ぶのでしょう。

タイムリープものの青春映画なら、何といっても
「時をかける少女」(細田守監督作品)が秀逸です。
「君の名は。」はあの映画を超えられない、と私は思います。
でも、人々の共感という点から見ると、超えたのかもしれない。

「時をかける少女」の頃は、たとえ未来に暗い影が待ち受けていても、それはまだ切迫する現実ではなかった。
少女は前を向いて、ひたすら未来に向かって走っていくことができたのです。
でも、
「君の名は。」では、すでにそうした暗い未来が現実のものとして、リアルに想像できるところに来てしまった。
そういう場所に私たちは立っている。
その違いはとても大きいと思います。

私たちはまだ、受けた傷の深さにさえ気づかずにいるのだと思います。
だから、無意識のうちにあのときを再現し、追体験して、再生するために苦悩しているのです。
それが、「シン・ゴジラ」や「君の名は。」のヒットなのだと思います。

この国は、言ってみれば、まだ非常時なのですね。
まだまだ再生からはほど遠いところにいます。
深手を負い、傷の癒えるあてもなくさまよっているのが、今の私たちなのだと思います。

心に欠落を抱えたまま、何か心を満たしてくれるもの、
今のままでいてもいいよと、そっと背中を押してくれるもの、
特に若い人たちには、そうしたものが必要なのに、大人はそれを与えることが出来ずにいます。大人たちも深く傷ついているからです。

思い出そうとしても思い出せない、大事な人の名前・・
それは、とりもなおさず、
忘れようとしても忘れることのできない、大きな痛手・・
を思い起こさせます。
これは、その物語なのです。
私たちが回復するためには、もっともっと多くの物語が必要です。
物語の力が必要なのだと思います。

次にやってくるのはどんな物語だろうか・・
楽しみでもあり、ちょっと怖くもある。
そんな気がします。

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「シン・ゴジラ」を見てきた!

2016-10-25 13:47:56 | 映画



ついにというか、ようやくというか、
「シン・ゴジラ」を見てきました!

いやあ、予想よりはるかに面白かったです!
もっと早く見にいけばよかった。
できれば、満員の劇場で見たかったなあ。こういうのはやっぱり満員の劇場で見ないとね。

一番初めの「ゴジラ」(1954年)へのオマージュがこめられていて、
しかも新しい。

「ゴジラ」映画の基本を押さえつつ、なおかつ斬新で面白い。
延々と続く官僚たちの、アーデモナイ、コーデモナイの議論もスピード感があり、皮肉たっぷりで、かなり笑えて、スッタモンダしているうちに、ゴジラがどんどん進化しちゃって、どうにも手の付けようがなくなるあたり・・
福島の原発事故であたふたして、発表が二転三転していた当時を思い出します。
あんなことやってんのね、日本政府って・・

音楽もいいです。
特に後半、伊福部昭のあのメロディー 「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ・・」と歌われたゴジラ行進曲が使われ、ゴジラ出現のときの音楽も当時のままで、

おお、これぞゴジラ!
と感動しました。

ゴジラにはやっぱりあの音楽じゃないとね。

一方で、やはり「エヴァンゲリオン」らしさもあって、
進化するゴジラの形態の異様さはまさにエヴァだし、
使徒が次々と襲ってくるのを見て、これって台風じゃないの、と思った私ですが、
ゴジラにも自然災害の要素がたっぷり込められていて、
東日本大震災をはじめとして大災害に見舞われ続けてきた日本ならではの作品だなあと思いました。

そして、先日も書きましたが、この映画には・・
 「愛してるよ」
 「私も愛してるわ・・」
が一切ない。

最初から最後まで、政治家、官僚、学者、記者・・どこぞの組織に属している男たち(女性もいますがたった二人)の話に終始します。
彼らの家族や恋人といった個人的な背景や感情はほとんど描かれません。
いっそのこと、潔い。

やっぱりねえ、と思いました。
日本人は、何か事が起きたとき、誰かが、どこかの大きな組織や偉い人たちが、守ってくれると思っているのですね。
だからとても従順だし、規則も守るし、いざとなれば黙って死にもするのですね。
そして、ゴジラのような荒ぶる神をあがめたりもするのです。

ハリウッド映画の、あきらめずに最後まで戦いぬくぞ!
といったしぶとさや執念深さはなく、どこか諦念を秘めた執念のような気がします。
誰かを守るために命をかけて、というよりはむしろ自分の仕事だから最後まで全うする、という感覚でしょうか。
地道にまっとうに自分の仕事を最後までやり遂げるといった感じかな。
日本のサラリーマンだなあと思いました。

あのずらりと並んだ大勢の官僚たちの均一性、誰が誰だか見分けがつかないあたり、
実にうまいなあと思いました。

最後のシーンに登場するゴジラのシッポには何か意味があるのでしょうか?
また、ゴジラの上陸ルート、
初代のゴジラはアメリカのB29の爆撃ルートをたどったそうですが、
今回も何か意味があるのでしょうか?
気になるところです。

まだ見てない人はぜひ劇場で見ましょうね。
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「フリンジ」のファイナルシーズンを見て、家族の物語について考察する

2016-10-23 19:30:06 | 映画


前回の続きです。

ハリウッド映画、あるいはアメリカのドラマが、なぜにいつも家族の物語なのか、についてでした。
エイリアンにしても、壮大なSF作品にしても、一つの家族、あるいはカップルの物語に収斂する傾向があるのはなぜなのか?

「愛してるよ」
「私も愛してるわ・・」
 というアレですね。

一つの答えとして、世界は決して安全なところではない、という基本的な前提があるからではないかと思います。

彼らにとって一番身近で大切な家族や恋人の存在が、実は常に危機にさらされている、というのが彼らの基本的なスタンスなのではないかと思うのです。
だからこそ、家族や恋人をどう守るのかが最重要課題になってくるし、それに沿った物語もできるのですね。

それに引き換え、日本の映画やドラマというのは、組織や集団が主体になっている気がします。
家族の物語であっても、彼らがどこに所属するかが大事だったりするんですね。
なぜなら、日本人は、集団によって守られているから。
必ずしも世界が危うい場所だと思う必要はない。
誰かが守ってくれるはず・・
たとえば、日本政府、会社組織、学校の集団、村、親戚、家族などが。
(幻想だったりするのですが)

「アメリカ人はステーキの後に床屋の話をする」(9月22日の記事)でも書きましたが、
アメリカ人は個人が主体、日本人はトピックが主体、というのもそうした違いからくるのかもしれません。
アメリカ人(に限らないけど西欧社会全般)は個人から発想し、日本人は集団から発想するようです。

したがって、日本人は「空気を読む」ことが重要になるのでしょう。
個人ではなく、集団が主体なので、その集団の中でみんながどう行動するか、常に「空気」を読んで行動しないと仲間外れにされるからです。
「村八分」にされると、日本では生きていけなくなる、そういう歴史があったからです。

私は、父が転勤族だったこともあり、子どもの頃から引越ばかりしていました。
一か所に定住することがなかったのです。
従って、あるところでいじめられてもまたすぐに引っ越すので大事に至らずにすんだのですね。
(引っ越しですべて解決とはいきませんが)
だから村八分の話を聞いたとき、なぜ引っ越さないんだろう、と不思議に思いました。

たしかに新しい土地になじむのはそう簡単ではないかもしれません。
特に日本の風土の中では。
よそ者や少数派に不寛容であるにもかかわらず、一見優しそうに見えたりもするので、
本当の危険が見えにくいからです。
見えないものに対峙するのは難しい。

それとなく遠まわしに言ったり、ほのめかしたりして、それでも伝わらないときは真綿で首を絞めるようにして締め上げていく。
気がついたらにっちもさっちもいかなくなっている・・
こんな恐ろしい社会は他にはあまりないのではないかと思います。
(ちょっとオーバーな表現のような気もしないでもないのですが、でも実際そういう目にあった人はけっこういると思うので・・)

だから、ハリウッド映画のように、わかりやすい敵、わかりやすい脅威、わかりやすい戦いに魅力を感じるのかもしれません。
ま、あれはあれで、ちょっとやり過ぎ感もありますが。

私は今でも集団が苦手です。
(たとえ引っ越しても集団はついてまわりますから)
基本的に一人で部屋にこもって本を読んだり映画を見たりするのが好きです。
なぜなら、
一人でいれば、安全だから。
世界は基本的に危うい場所だから、他人と一緒にいるのは少し怖い。

基本的に危うい世界の中で、大事な家族や恋人をどう守るか、というハリウッド映画のテーマは、だからとてもシンプルでわかりやすいのですね。

それにしても、あんたたち、あまりに利己的で独善的じゃないの? とも思います。
エイリアンや敵だからといって、むやみやたらに撃ちまくるのはどうかと思うよ。
彼らだって、誰かの恋人や家族だろうに・・


話を「フリンジ」に戻します。
シーズン5では驚くべきことが次々と起きます。
オリビアとピーターの娘も登場し、また、あのセプテンバーも重要人物として登場してくるのですね。
セプテンバーには驚かされました。
ハンサムで、ちょっと陰のある魅力的な俳優ですね。
遡って見てみると、監視人たち(特にセプテンバー)は至る所に登場しています。
ピーターたちの監視人への挑戦も、よくあるアクションリベンジものではなく、
考え抜かれたものでした。

なるほどねえ。

でも、あの時間軸のオリビアとピーターたちはどうなっちゃうんだろう?
それに、セプテンバーのいない世界でピーターは果たして生き残れるの?
パラレルワールドでは何が進行していたの?
疑問も多々あります。

映画化の噂もあるみたいなので、
ぜひ、映画化してほしいと思います。

さて、全部見終えてしまったけれど、第一話からもう一度見直してみようかな。
どうやら、松果体の劣化は避けられないようです。
せめて、英語脳を鍛えてがんばるとしますか。
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スカイプ導入騒動、そして「フリンジ」のファイナルシーズンなど

2016-10-20 14:07:43 | 映画



さて、また一週間が過ぎてしまいました。
この間、私はスカイプを導入しようとして、例によって悪戦苦闘の日々を送っておりました。
なぜスカイプを導入しようとしたのかというと、英語のオンラインレッスンを再受講しようとしたのですね。
オンラインレッスンは、数年前にも受講したことがあり、その際はノートPCのスカイプで受講していました。
当然、今回も、ノートPCのスカイプを使うつもりで、申し込みも終わり、さて、最初のレベルチェックテストを受けようとしたその瞬間、
なんと、我がノートPCがクラッシュして、うんともすんとも言わなくなってしまったのです。
オーマイガッ!!
たった数分前まで動いていたPCです。ちょっと蓋を閉めただけだったのに、それでもうお釈迦に!!

ウソだろっ
ねえ、何とか言ってよ、
まだ生きてるよね・・
何度もPCに話しかけるも応答はなし。
以来、ノートPCは黙したまま語らず。

というわけで、すでに申し込みもしてしまったので、急遽、ビックカメラに行ってウェブカメラを購入、デスクトップPCにスカイプを導入しようとしたのですが、これがねえ、
もう、ホントに、わからない!!
スカイプの説明って、なんであんなにわかりにくいの??
わざと意地悪してるとしか思えない!!

マイクロソフトアカウントって何??
スカイプ名って何??
マイクロソフトアカウントとスカイプ名と本名とどこでどう使いわける??
なんで電話番号を記入したのにエラーになる??
国際電話番号って何??
その電話番号はすでに使われているので、別の番号を記入せよって、別の番号なんてもってないし・・
調べれば調べるほど、更なる迷路に迷い込んでいくのですね、これが。

仕方なく、最初のレッスンは、i-Phoneで行ったのですが、
なまじi-Phoneを持っていたため、ここでまた混乱が起きて、
オンラインの先生もどちらにかけたらいいかわからず、
しかも、オンラインのほうでも、無料レッスンと有料レッスンは窓口が別という事情もあって、
混乱がさらなる混乱を招くこととなり、
てんやわんやのうちに一週間が過ぎたのでした。

ほんと、ぐったり。

ようやく、スカイプも無事導入でき、レッスンも何とか受けられるようになりました。
レアジョブの先生たちのフィリピンなまりがなつかしい。
おお、そうそう、このなまりよねえ・・
というわけで、毎日オンラインレッスンを受けて、英語上達するぞ、と思っています。

やっぱり英語は日々の努力が欠かせません。
一週間に一度だけではどんどん劣化していくのですね。
脳の劣化も激しいので、せめて英語でも詰め込んで脳の劣化を防ぎたいと、むなしい努力を続けております。

やっぱ年なんだよねえ。
しみじみ思いますが、
でも、そう決めてかかるのもよくないので、
年のせいじゃなくて努力が足りないんだ、と思うことにしています。

レアジョブの先生はけっこう玉石混交なのですが、
いい先生に巡り合うと、本当に嬉しくなります。
でも、人気のある先生のレッスンはなかなか取れなかったりします。
NOVAも同じですが。



さて、話はころっと変わりますが、
ついに、「フリンジ」のファイナルシーズンを最後まで見てしまいました。

全100話を見てしまったことになります。
ドラマ漬けの日々でした。
こんな風にテレビやドラマばかり見ていると、脳の松果体が劣化するのだそうです。
語学脳も劣化し、松果体も劣化しと、劣化のオンパレードで、行き着く先は認知症か?
と危うい感じではあるのですが、
これが、面白くてやめられない。

「フリンジ」のファイナルシーズン(シーズン5)はこれまでとはかなり違って、非常にエモーショナルでドラマチックです。
なんか「スターウォーズ」を見てるみたい。
それもそのはず、JJ・エイブラムスは新しい「スターウォーズ」シリーズの監督もしているんですね。
(新しいスターウォーズ、私は好きじゃないけど)

それにしても、彼らの作るドラマというのは、なぜに、こういつも家族の物語なのでしょうか?

「スターウォーズ」がスカイウォーカー家の家族史であったように「フリンジ」もビショップ家の物語といっても過言じゃありません。
最後まで見るとよくわかります。

というところで、
長くなりそうなので、今日はこの辺で。
続きはまた別の日に・・

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膀胱炎その後と「The Path」など

2016-10-14 10:47:04 | 日記
7月末に発症した膀胱炎ですが、ようやく回復してきました。

これまで、抗菌剤のクラビット500を延べ32日、その後、クラビット250に切り替えて29日ほど飲み続けてきました。約二か月間抗菌剤漬けでした。
なぜなら、2週間ほど飲み続けて、症状も治まったのでもう大丈夫だろうと思ってやめると、二日ほどでまた発症、というのを繰り返してきたからです。

数年前も、膀胱炎が完治するのに一か月半かかったことがありますが、今回はさらに長びきました。
エンブレルというリウマチ薬を使用しているのと、ステロイドをまだ少し飲んでいるため、細菌感染に弱くなっているようです。全体的に免疫力が落ちている気がします。

とはいえ、こんな状態でも治るんだなあ・・というのがちょっと嬉しい発見です。

クラビットをやめてから10日が経ちましたが、今のところ発症はしていません。でも、まだ完全ではないので無理はできないし、ビールなんか飲んじゃったりした日にゃあ、たちまち再発間違いなし、という雰囲気なので、まだまだ完治とまではいきません。
ああ、たまにはビール飲みたいなあ。

でも、ようやく抗菌剤を飲まなくてもすむようになって、嬉しいです。

最近、近所の友人が玄米から作る酵母液について教えてくれました。

 万能酵母液結 http://www.bannoukouboeki.com/

玄米と黒砂糖と塩だけで作る酵母液で、似たようなものに玄米乳酸菌というのがあって、去年いろいろ試したのですが、うまくいきませんでした。

今回もちょっとしたことで発酵がうまくいかなかったりするようですが、
再度挑戦したいと思っています。

薬はできるだけ使わないで、自然のものでリウマチも膀胱炎も治癒をめざそうと思っていますが、
ちょっと手遅れの感がなきにしもあらず。
でもまあ、ものは試しっていいますからね。

今、私が試しているもの。
 重曹水を毎朝コップ一杯、漢方薬の猪苓湯、クランベリーの錠剤、
 ビタミンCをたっぷり、玄米ごはんとみそ汁の粗食(できるだけですが)、
 豆乳ヨーグルトetc
 (万能酵母液がうまく行けば毎日500ccくらい飲む予定)
 その他、気功体操のスワイショー、レイキのおまじない、夜寝る前にヨガのアプリ。
 回復してきたら、またカーブスに行く。
 体を冷やさないよう気をつけるのはもちろんのこと、精進潔斎、六根清浄を心掛けています(ほんとに?)。いっぱいあるので、時々、忘れますが。
 

ところで、話はころっと変わりますが、
「The Path」の」シーズン1がついに終わりました。
最初はすごく面白くて、毎週楽しみにしていたのですが、
ストーリー展開があまりに遅く、毎回似たようなシーンばかりで、ちょっと飽きてきました。
何より、魅力的なキャラクターが皆無なのが最大の難点。
カルトのリーダーのカルはアル中で人殺しで精神的に不安定。主人公のエディは、まあまともだけど面白みが全くない。エディの妻のサラに至っては、狂信的で嫉妬深い嫌な女性。という感じで、素敵な人が一人もいないという不思議なドラマです。
脚本家は何を考えて作ったんだろうか。
シーズン2は見なくてもいいかも。
でもカルトの行方が気になるので、やっぱり見るかも・・
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