ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

ミニマリストをめざそう!(22)居間を玄関なみに・・

2021-06-27 19:01:30 | 片付け

ようやく一日空いたので、居間を玄関並みに片づけよう!と頑張ってみました。

(居間の半分。4畳くらいのスペース。手前右側にキッチン)

ガスストーブを片づけたので広く感じますが、扇風機を出すとまた少し狭くなりそう。

TVはほとんど見ないので捨てようかと思っています。TVがなくなればかなりすっきりしそう。

コードが垂れ下がっているので直さねば。ガムテープで応急処置はやっぱりダメね。

右側の白い四角は空気清浄機。かなり強力にタバコ臭を消してくれます。音がすごいけど。

(隣家のタバコは減ってきてはいますが時々すごく煙い。こればかりはどうにもならない)

粗大ゴミをかなり出したのでモノはずいぶん減りました。

(居間から南側の部屋を臨む↓ ちょっと暗くてわかりにくいけど、左手奥に私のデスクがある)

友人がくれたちゃぶ台も捨てようかと思ったけど、脚をたためば押し入れに入るので、これは保留に。

一人用の重たいソファー(というかクッション)を捨てようかどうしようか思案中(たぶん捨てる)。

昔、小学生だった息子がこんなことを言いました。

「うちには足りないものが二つあるね。ソファーと猫だよ。ソファーがあるといいし、ソファーの上には猫がいなくちゃ」

30年も前の話で、あれ以来我家にはソファーもないし猫もいない。

本当は息子は「ソファーとお父さん」といいたかったのではないか、と思っています。

(以前、息子のアパートからソファーを引き取って仮置きしたことがあるけど、邪魔なので友人に引き取ってもらいました。ソファーって場所とるのよね)

モノをもっと減らしたら、ソファー買ってもいいかも、と思っています。

そして、そこには猫が・・

(にゃー)

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ミニマリストをめざそう!(21)映画「ノマドランド」

2021-06-26 10:13:18 | 映画

前回、ミニマリストはノマドか、と書いて、そういえば

「ノマドランド」(クロエ・ジャオ監督 2021年)

という映画が今年のアカデミー賞を受賞したんだった、と思い出して観てみました。

すごい映画でした!

今年見る映画の中の最高傑作になるんじゃないかと思う。

今アマゾンプライムで配信されているので、ぜひご覧になることをお勧めします。

アメリカネバダ州の企業城下町エンパイアが、リーマンショックによる企業倒産のあおりを受けて、町全体が消滅します。2011年頃の話です。

アメリカにはこうした企業城下町が多いのだとか。企業が倒産して町全体が消滅する、というようなことはけっこう起きているらしい。

主人公のファーン(フランシス・マクドーマンド)は企業の倒産及び夫の死により、この町を後にしてキャンピングカーで放浪の生活を始めます。

アメリカにはキャンピングカーで放浪する「ノマド」と呼ばれる人たちが多数存在し、年々増え続けているそうです。彼らは季節労働者として各地で短期的な仕事をしながらアメリカじゅうを放浪しています。

そんな人たちが集まる場所でファーンは様々なノマドたちと出会い、親しい友人もできます。

季節労働者であるノマドたちには高齢者が多く(60代~70代)、翌年彼らに再会したときには誰それが亡くなったという知らせを受けたりもします。

基本のストーリーはこのファーンのノマド生活を追う、というものですが、広大なアメリカの砂漠や荒野、そこに沈む太陽など、自然の描写が見事で、これは劇場で観た方が絶対いい映画です。

とにかく、自然が美しい。

けれども、アメリカの現実は厳しい。

ファーンたちは、クリスマスの前になるとアマゾンの倉庫で仕事をします。駐車場が確保されているし、賃金も割といいので。でも労働は過酷です。

アマゾンでモノを購入すると翌日配達されるシステムの裏には、彼らの過酷な労働がある、ということを肝に銘じたい。

その一方で、町を追われ家も金もなくどん底の暮らしをしている彼らが、実はとても豊かである、ということも描写されます。

もちろん社会の底辺で高齢にもかかわらず厳しい労働をしながら生きていくのは並大抵のことではないでしょう。でも、彼らを縛るものは何もない。

日々生きていくために多少のお金は稼がねばならないけれど、企業に勤めるサラリーマンのように縛られてはいない。彼らは実に自由なのですね。

自然と共に生きている。自然と共に生きることは、過酷でもある。

人生の何たるかを身をもって学んでいる人たち、それがノマドなのかもしれません。

これって、ミニマリストたちと共通する考え方ですね。自然体で生きる。自由が大事。

クロエ・ジャオ監督は中国系女性です。

原作は『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー著 ノンフィクション 2017年)

この映画は、フランシス・マクドーマンドとクロエ・ジャオ監督という二人の女性の快挙といえるでしょう。

アメリカっていう国は、本当に多様で様々な価値観があって実に面白い国だなあと、改めて思いました。

できれば劇場で観ることをお勧めします。

私も劇場でもう一度見ようと思っています。

   ~~~~~~

翻って、私がなぜミニマリストたちに魅力を感じるのか、ということを考えてみると、

潜在的にこのノマド性が私の中にもあるからかもしれないと、ふと気づきました。

一か所にずっといると落ち着かなくなる。

だから、いつでも引っ越せるように準備しておこう。

そういえばアメリカにはまだ行ったことないなあ。

若い頃、グランドキャニオンにあこがれたものですが、どうすればグランドキャニオンに行けるだろう・・

いつなら行けるか、費用はどれくらいかかるか、一人でも大丈夫か・・

というようなことを、ついに考え始めました。

グランドキャニオン、あるいはオーストラリアのグレートバリアリーフや、NZの南島のテカポ湖、カリブ海の島々なんかもいいなあ。

久しぶりに遠くへ行くという夢を思い出して、少し興奮しているところです。

それを考えたら、ちまちました我家のモノなんてぜーんぶ捨てちまってもいいよねえ。

 

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ミニマリストをめざそう!(20)ミニマリストはノマドか・・

2021-06-23 19:33:24 | 片付け

ミニマリストたちが目指すのは、場所と時間に縛られない生き方、だそうです。

モノより時間が大事だと皆さんおっしゃいます。自由でいたいと。

5月31日の記事「ミニマリストをめざそう!(11)旅に出るつもりで片付ける」で書いたように、

それはある意味、「日常」から「非日常」への移行、

あるいは「定住」から「非定住」への移行、

と考えてもいいのかもしれません。

長年着慣れてヨレヨレだけど肌になじんだ下着のような日常。

それを手放してまで新しい日常(非日常的日常)を獲得するのは、若い人には容易かもしれないけれど、歳を重ねた人間には少々難しいことかもしれない...

70歳を過ぎてくると、人はだんだん保守的になり、頑固になり、あらゆることが億劫になり、「今ここ」より、過去に生きるようになってきます。

(過去というものは、時間の経過と共に美化される傾向があるそうです)

頭が固くなり、柔軟性が減少し、世の中のトレンドが理解できなくなり、若い世代を批判したり笑ったりするようになる、いわゆる「老害」をまき散らすようになりがちです。

「老害」の何が悪い、と開き直るのも一つの手ですが、

できれば、死ぬまで柔軟でいたい、と私は思っています。

できれば過去ではなく「今ここ」に生きたいと思っています。

そのために出来ることはやってみようと。

考えてみれば、私たち団塊の世代は、たいてい昔はミニマリストだったんじゃないでしょうか。

私も、スーツケース一つで実家を飛び出し、何度も引っ越しを重ねたので、ほとんど何も持たない暮らし、あるいは最小限のモノで暮らすことを経験しています。

あの頃はそれでも十分楽しかったし充実していました。

皆さんにも覚えがあるんじゃないでしょうか。

田舎からたった一人で上京した人、親と喧嘩して実家を出た人、あるいは最初の結婚に失敗して独り暮らしになった人・・

私が21歳で実家を飛び出して最初に住んだのは四畳半のアパートでした。

トイレは共同、風呂は銭湯、半畳の押入れと半畳のキッチン(とは名ばかりの小さな流し台とコンロのみ)。

持ち物は布団一式と少々の着替え、一人分の皿と茶碗、鍋とフライパンのみ。押し入れに所持品を全部並べてもガラガラだったのを覚えています。

冷蔵庫もテレビもラジオもストーブもこたつもテーブルも椅子も電話も・・

なあんにもない部屋で1年ほど過ごしました。

幸い仕事だけはありましたが収入はギリギリでした。

考えてみれば、現在のミニマリストたちと変わらない暮らしをしていました。

(現在のミニマリストたちの方がはるかに便利です。何てったってスマホがあるんだもの)

あの頃はそれでも、貧しいとか足りないとか不幸だとか全く考えなかった。なぜなら、自由があったから。

そう、モノよりお金より「自由」が大事だったのです、あの頃の私には。

なので、ミニマリストたちがモノを手放すことにより自由を得たという感覚はよくわかります。

それなのに、今、モノを手放すのがこんなに難しいとは・・

なんでだろう?

50年前には何も持っていなかった。

50年後には存在すらしてない。

ならば、今持っていなくてもいいんじゃない?

50年前と同じくらいの持ち物で十分暮らせるんじゃない?

ミニマリストたちの本を読み、動画を毎日見ていると、彼らの挑戦はそれぞれ小さな歩みかもしれないけれど、もしかすると、社会に変革をもたらす大きなうねりになるかもしれない・・

そう思い始めました。

現代社会というのは、一見豊かに見えて実は人間にとって根本的に大事なものを奪うしシステムになっています。

それをいち早く察知し、洗脳から解き放たれるためにモノを捨てる、ということを始めたのが、ミニマリストたちのような気がします。

彼らは、モノを持たないことで、社会システムにより奪われた野生の感性を取り戻そうとしているようです。

一人ひとりにとっては小さな一歩かもしれないけれど、これが社会全体に広まれば、システム全体を根底から覆す変革にやがてなっていくかもしれない・・

さすが、「風の時代」

若い人たちを見習って、ロートルの我々も、そろそろ執着を手放して、

再び精神の自由を手にする、というのはどうでしょうか?

(次回に続く・・)

 

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ミニマリストをめざそう!(19)「バグダッド・カフェ」はお片付け映画だ。

2021-06-19 11:38:40 | 片付け

 

「バグダッド・カフェ」を覚えていますか?

今アマゾンプライムで完全版が配信中です。

「バグダッド・カフェ」(原題"Out of Rosenheim" パーシー・アドロン監督 西ドイツ)

1989年に公開された映画で、当時見て面白い映画だなあ、と思ったのは覚えていますが、詳しい内容は忘れていました。

今回見て、すごい映画じゃないの!と思い、同時に、

これって、お片付け映画よね、と思った。

お片付けと掃除をして家の中がきれいになると、人生が変わる、というお話(もちろんそれだけじゃないけど)。

基本、大人のおとぎ話ですが、とってもいいのよねえ。

主人公は二人の女性。

モハーヴェ砂漠でモーテル「バグダッド・カフェ」を営むブレンダ、そして、ドイツから観光のために夫と共にアメリカを訪れたジャスミン。

舞台はこのバグダッド・カフェ(映画のタイトルでもある。原題よりこっちのほうがずっといい)です。

周囲に何もないモハーヴェ砂漠のど真ん中に一軒ぽつりと立つモーテル「バグダッド・カフェ」。ここを営むブレンダは幸せじゃない。夫は無能、二人の子ども(ティーンエイジャー)は扱いが難しく、おまけに息子には赤ん坊までいてブレンダが世話してる。

彼女は何もかも一人で切り盛りしなくてはならず、フラストレーションがたまりにたまって、周囲にがみがみ怒鳴り散らす毎日を送っています。

ブレンダはついに夫にキレて、出ていけ! と怒鳴り散らし、夫は出ていきます。涙にくれるブレンダ。

そこへ、大きなスーツケースをひきずりながら歩いてくる一人の太った女性が・・

これがジャスミン。

彼女もまた夫と別れて(夫を捨てて?)このモーテルにたどり着きました。

こうして二人の傷心の女性が出会うのです。

ジャスミンはドイツ人で根っからのきれい好き。お掃除大好き。

ブレンダが留守の間に、ジャスミンは勝手に、ボロボロで朽ちかけたモーテルと雑然として埃だらけのカフェを片づけ掃除しまくります。

この映画のキモはここね。

何しろジャスミンのお掃除の手腕は大したもので、あっという間に汚いカフェと事務所が見違えるようになります。

帰ってきたブレンダは怒りまくります。

誰が片付けていいって言った! 元に戻せ!

そこでジャスミンが箱の中からガラクタを一つずつ取り出して、きれいになった机の上に並べ始めると、

もういい!

とブレンダはまたもや怒ってジャスミンを制止します。

ブレンダだって、書類が散乱した汚い事務所より、きれいな事務所のほうがいいとわかっている。

こうして、

まさに朽ち果てようとしていたモーテルが、ジャスミンの手により蘇るのです。

すると、あら不思議。

お客たちも集まるようになり、

ジャスミンが余興で始めた手品が受けて、バグダッドカフェはモハーヴェ砂漠のオアシスになる・・

(ジャスミンのお掃除の手腕はまるでマジック・・という暗喩でもある)

これが基本のストーリーです。

登場人物たちがそれぞれ実にユニークでいい。

大きなトラックに便乗してやってきた若い女性(終始無言。たぶん娼婦)は最後にみんなが仲良く盛り上がっている最中にモーテルを出ていきます。

なんで出ていくの?と聞かれて彼女は答えます。

仲良すぎよ。

この人の視点も面白いなあ。

また、冒頭でジャスミンが見上げた空に幻日が浮かび(光が二か所に分かれて見える)、そこにUFOらしきものの編隊が飛んでたりして、

いろんな示唆に富んでいてすごく面白い映画なので超お勧めです。

サントラも印象的。

BAGDAD CAFE(バグダッド・カフェ)- Calling You

from film "Bagdad Café" (Out of Rosenheim). 1987 Germany. 1987年公開 西ドイツ...

youtube#video

 

雨の週末に見るにはもってこいの映画よ。

 

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ミニマリストをめざそう!(18)家全体を玄関並みに・・したい

2021-06-16 21:07:20 | 片付け

玄関を片づけた効果は絶大です!

外から帰ってきて、

おお、玄関すっきりしてるじゃん!

と感激の声をあげ居間へのドアを開けたとたん、絶句する。

ええぇぇ・・

まるで異世界、というのはちょっと大げさだけど、
床の上には、まだ捨ててない粗大ゴミが(ガスボンベ式のストーブと加湿器2台、回収日までここで待機)

テーブルの上は(毎日空にするというルールを決めたはずなのにいつのまにか)半分ほどモノで埋もれ、まだ封を切ってない郵便物の山もあり、

キッチンの流しには、洗ってない皿が放置、飲みかけのコーヒーだのジュースを飲んだあとのコップだの、ペットボトルだのがなぜか産卵し(産卵してどうする)散乱し・・

という惨状を目にするわけです。

でね、思うのですよ。

居間も玄関並みにしたい!

けっこう強烈に思うわけです。

これ、効果絶大ね。

お勧めです!

特に玄関がよい。なぜなら玄関から家に入るのだから、ギャップが明白です。

理想と現実のギャップ、あるいは仮想世界と現実世界のギャップみたいな。

で、現実を理想に近づけるにはどうすればいいか、衰え始めた小さな頭で考える・・

片づけは脳トレになる、と前にも書いたけど、まさにその通り。

昔、海外旅行から帰ってきて、我家の狭苦しさとモノの多さに愕然としたものですが、二日もたてばすっかり忘れてこれが我家よね、やっぱり我家が最高、と思って納得したものです。

でも、帰ってきてドアを開けた瞬間の愕然とした思いは忘れない方がいい・・と思う。

特にパリから帰ってきた日のあの驚愕・・

家の狭さはもとより天井の低さ、雑然としたモノたち、薄暗い部屋の隅に何やら得体のしれないものがうごめいているような気配、くすみや汚れ、埃だらけの床、壊れかけたモノたちに囲まれた私と子どもたち・・

ああ、ここで暮らしているのね、私たち。これが現実なのね・・

というこの想いは、やっぱり忘れないほうがいい。というか忘れられない。

現実というやつはその中にどっぷり浸かっていると見えなくなるものです。

なので、時々外に出て、別の視点から現実を見ることをお勧めします。

今回は、玄関を片づけることにより、玄関目線で居間の産卵(じゃなくて)散乱状況をつぶさに観察することができたわけです。

ギャップというものは時に思いがけないことを気づかせてくれます。

なので、ギャップを作るのは、けっこういい方法だと思います。

   ~~~~~~~

今日は、市役所に行くついでに清掃センターにガスボンベを持ち込み廃棄してきました。
(捨てようと思ってたプチプチに包み、捨てようかどうしようか迷ってたキャリーバッグに入れて運んだ。キャリーバッグやっぱ必要かも・・)

出かける前、天気悪くなかったのに、途中から土砂降りの雨になり、雷まで鳴りだして、バス停で30分待つ間にずぶぬれ。しかも、ようやく家に帰り着いたとたん雨やんだ。

まあ、人生こんなものよね~

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