ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

ミニマリストをめざそう!(2)片づけは脳トレ

2021-04-30 11:09:48 | 片付け

少しずつですが片づけが進行中です。

去年あれだけ捨てたのに、まだ8割方不用品が残っている・・。

なんとまあいらないモノに囲まれて暮らしてきたことだろう。

特に洗面所のシンク下は去年手をつけなかったところなので、全部出してみたら大変な量でした。

途中、アクロンを床にこぼしてしまい、拭き取る作業が大変だった。アクロンなんてもう何年も使ってないのに。

なのでアクロン捨てました。今後、アクロンで洗濯するようなものは買わない、持たない。セーターは数を限定して春になったらクリーニングに出す。

シンク下に限らず棚の上にも洗剤の予備がけっこうありました。洗濯洗剤だけでなく、あらゆる種類の洗剤。古いものは10年以上前のもので、もちろん廃棄。この廃棄作業がけっこう大変だった。あと分別も。

その点、石鹸は燃えるゴミで出せるので楽。昔使っていた粉石鹸が大量にあったのでこれも捨てました。

プラスティック製品も実に多い。
プラスティックのストローが問題となり、スタバがストローを変えたりしてるみたいですが、私たちが日頃使っているプラスティック製品の数、量、大きさを考えると、なぜにストロー? と前から疑問に思っていました。

捨てても環境汚染、とっておいてもいずれは環境汚染。
私たち現代人は何と罪深いのだろうと反省しつつ、以後、不要な物は絶対買わないぞ! と決心した(今度こそ・・)。

最近、いろいろなことが億劫になってきて、アクロンで洗濯するとか、専用の洗剤をつかって掃除するとか、もともと苦手な上にさらに苦手になってきました。

脳は確実に老化の一途をたどっています。

でも、私たちの世代にとって、もしかすると、片づけというのは有効な脳トレかもしれない!

衰え行く脳みそに抵抗し、嫌々ながらも少しずつ片づけていくうちに、なんだか家の中はすっきりして気持ちよくなり、脳みそも、そういえば前よりよく働くようになったぞ・・と実感できれば・・いいなあ・・。

今回、私は自分の動線をメタの視点で自覚すべく、できるだけ立ち止って、今自分が何をしているのか把握しようとしました。

(メタというのはNLPで使う言葉で、第三者目線あるいは俯瞰的な視点、という意味です。NLPについては過去の記事を参照してください。)

ADHDの人にはこれが必須です(でもこれ、けっこう努力がいる)。

たとえば、今日の私の動線は・・

シンク下のモノを全部出して床に並べて写真を撮る。
掃除機で埃などを吸い取る。
次にゴミの分別をネットで調べるべく別室に移動してPCを開く。
するとYouTube動画の画面が出てきたのでしばらく見てしまう。
見たのは片づけ動画なのだけど、その動画の中にステキな鉢植えを見つけてしまい、
あれって芋科の何とかいう植物よね、と思って、芋科植物を調べ、
芋科の植物っていっぱいあるのね、スパティフィラムも芋科だったのねと感心し、
さらに鉢植えを売っているサイトに飛び、
そういえば、うちのガジュマルが少し伸びすぎているので、何とかしたいのだけど、
と思って、ガーデニングのサイトに飛び・・

と、ここで、ハッと気づくわけです。何やってんだろう、私。

これまでは、ここで気づかずにずっとガーデンニングを見たり、また別の動画を見たり、冷蔵庫をあけたりしめたりしているうちに日が暮れるのですが、今日は何とかここで思いとどまった。

そうだ、片づけの途中だった・・と。

で、洗面所に戻ると、シンク下から出したものはそのまんま、傍らには掃除機、アクロンを拭き取った雑巾もそのまま、トイレのドアも開け放し・・という光景が目に入るわけです。

いやはや・・。

でも、自覚できたのは一歩前進です。

なので、これからは自分の動線をできるかぎり自覚しながら動こうと思います。

こうした問題がない人はもちろんパパっと片づけできるんだろうね。

うらやましい。

でも、私だってできるさ。

(シンク下・片づけ後)

(クリックすると大きくなります)

というわけで、次回はどうなるか全くわからんけど、少しずつ手を付けていきたいと思っています。

無理しないことが一番ね。無理すると嫌になって途中で投げ出してしまう癖があるので・・

 

 

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この茫漠たる荒野で

2021-04-26 11:01:44 | 映画

Netflix配信の新しい映画

「この茫漠たる荒野で」(原題 News of the World)

がすごくよかったので紹介したいと思います。

これは、ポーレット・ジルズの同名小説の映画化。Netflixオリジナル。
主演はトム・ハンクス。舞台は南北戦争5年後の1870年、アメリカ南部。

南北戦争で戦った退役軍人ジェファソン・K・キッド大尉(トム・ハンクス)はテキサスの町々を渡り歩きながら、新聞を読む時間のない入植者たちを集めて、アメリカ各地の最新ニュースを読み聞かせて生計を立てています。

ある日、旅の途中で、横転した馬車とその傍に殺された黒人、そして茂みの奥に一人の女の子を発見します。

この10歳くらいの女の子は目が青く白人のようですが、インディアンの衣服を着てインディアンの言葉しかしゃべりません。彼女が携行している書類には、ジョハンナという名前が記されていたので、ジョハンナと呼んでみたけれど応答はない。

通りかかった巡回中の軍人から「軍の検問所が近くにあるので、彼女をそこまで連れて行ってほしい。職員がその子を親族に引き渡す手はずを整えてくれるはずだから。」と言われ、キッド大尉はジョハンナを検問所まで連れて行くが、インディアン担当官が戻るまで三か月待たないといけないという。

結局、ジョハンナの唯一の身寄りがいるという640キロも離れたカストロヴィルまで、キッド大尉がジョハンナを連れていくことになります。これはその道中の話。

道中、ジョハンナを狙う荒くれ者3人に追われて銃撃戦になったり、砂嵐に襲われたりと困難の連続の中で、キッド大尉とジョハンナは言葉は通じないながらも心を通わせていきます。

これ、「マンダロリアン」の実写版といえばいいか、よく似ています。

というか、南北戦争直後のアメリカ南部ってこういう荒くれ者たちがいっぱいいたのね、それが「スター・ウォーズ」の世界でもあるのね、とすごく納得できた気がします。

つまり、「スター・ウォーズ」のオリジナル版を見た感じかな。

「スター・ウォーズ」にはいろんな要素がありますが、中でも西部劇というのは大きな要素です。その西部劇の実写版を見せてくれた感じ。

人々は貧しく重労働にあけくれ、欲望に支配されて心がすさみ、弱者をこれでもかと傷めつける世界です。

移民たちがアメリカに入植し、奴隷売買が行われ、インディアンとの戦いで残虐な殺戮が繰り返されていた時代。わずか150年ほど前の話です。

そんな中からよくぞ、民主主義、人種差別撤廃、人権を標榜するアメリカ(未完成だけど)が生まれたものだと感心します。

アメリカってすごい国なのね、と改めて思いました。

アメリカの人々が「スター・ウォーズ」に熱狂するのも、こうした歴史的背景があるからこそなのでしょう。

「マンダロリアン」も同様の意味で興味深いストーリーです。

この映画は、非常によくできており、おそらく来年アカデミー賞を取るのではないかと思われます。

これ以上書くとネタバレになるので控えますが、

未見の方はぜひ観てみてください。

最後はもう涙なくしては見られません。今年初の感動超大作といっていいと思います。

超お勧め必見の映画です。

 

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ミニマリストをめざそう!(1)

2021-04-23 15:02:08 | 片付け

去年の秋「こんまりメソッドでお片付け」を実践し、家の中はかなり片付いたのですが、半年たった今、また元に戻ろうとしています。

この冬右手小指の骨折というアクシデントを経験し、一か月半ほど不自由な思いをして気づいたのは、家の中が散らかっていると危険だ、というのはもちろんのこと、

もしかすると、もうあまり時間がないのではないか?

ということ。

これまでも、もう歳だし、残り時間少ないし・・とつぶやいてはいたのですが、実は、

まだ若い、まだ時間はある、とどこかで思っていたのですね。つまり認めたくなかった。

(ちなみに母は今の私と同じ71歳で亡くなりました)

考えてみると、人生の残り時間、所持金、体力等を勘案すると、世界一周旅行などの大きな計画はもう無理だし、コロナ禍でもあるしで、結局のところ、「今ここ」を大切にして生きるしかないのだ、とようやく実感し始めたところです(遅すぎるだろッ)。

そのためには、今ある環境を整え、来たるべき時に備えなくてはいけない。

でも、言うは易く行うは難し。

実感を伴って行動するのは更に難しい。

しかも、この先、物忘れがひどくなったり、物事が億劫になったり、体力がなくなったり、骨折したりして、片づけをしようにもできなくなる可能性大なので、

いつやるの、今でしょ!

というわけで、否が応でも

ミニマリスト

を目指すしかないのだ、とようやく気づいたところです。

では、どうやるか・・

それが問題ね。

何しろ、隠れアスペ(発達障害グレーゾーン)の私にとって片付けはかなり難しい仕事です。

とはいえ、私にそれを教えてくれた吉濱ツトム氏によると(1月24日の記事参照)、隠れアスペなどグレーゾーンの人は特に家の中をきちんとしておかないといけないのだとか。

彼自身もかなりのアスペだったけれど訓練してできるようになった。脳みそというのは脂肪の塊だけど、実は筋肉と同じく鍛えることができるそうです。何事も訓練次第。

なので、グレーゾーンだろうがアスペだろうがADHDだろうが、鍛え方次第で片付けはもちろんのこと、様々なことがきちんとできるようになるという。

ほんまかいな。

でも試してみる価値はありそう。

というわけで、これから少しずつミニマリストをめざして片付けを加速していこうと思っています。

思えばミニマリストへの道はこれまで何度も試しては挫折してきた長い道のりでした。

カレン・キングストンの「ガラクタ捨てれば自分が見える」「ガラクタ捨てれば未来がひらける」を読んだのは2005年(かその辺)のことなので、かれこれ16年ほど行ったり来たりしているわけです。そもそもこのブログを始めたのも、毎日ひとつずつモノを捨てる、という実行不可能な計画を思いついたためだったわけで・・

(すっかり忘れてた・・)

それから「『捨てる!』技術」「断捨離」「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」「わたしのウチには、なんにもない」「『何もない部屋』で暮らしたい」「人生がときめく片づけの魔法」・・など数多くの本を読んでは実践し挫折しを繰り返してきたわけです。

我ながら情けない・・

でも、ここまで来たらもう後戻りはできないし、できない理由や弁解を探すのは時間の無駄。何より時間が無くなりつつあるのだと実感した今、今やらなくていつやるの? ということで改めてミニマリストになろうと決心した次第です。

まあ、季節もいいしね。寒くもなし暑くもなし。

今読んでいるのは「より少ない生き方/ものを手放して豊かになる」(ジョシュア・ベッカー著)です。この本もなかなかいい。

でも私の悪い癖は本を読んでやった気になること。

本は入口に過ぎず、実践しなくては意味がない、ということを肝に銘じつつ、少しずつ片付けの様子を実況中継あるいは事後報告していきたいと思っています。

まあ、私のことだからまた途中で挫折するかもしれないけどね。

今のところの目標は家を片付けて猫を飼う・・だけど、どうなることやら。

(がんばらにゃいかんぜよ)

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ワンダヴィジョン

2021-04-15 14:49:19 | 映画

ディズニー+に入ったついでに、マーベルのアメコミ作品、

「ワンダヴィジョン」

を見てみました。

これ、のっけからかなり驚かされます。

何しろ、1950年代のニュージャージー州、ウェストビューという田舎町が舞台のTVのホームドラマ(シットコム)から始まるのです。

しかもTVに登場しているのが、ワンダ・マキシモフ。

ワンダ・マキシモフは「X-Men 」「アベンジャーズ」に登場するミュータントで、現実改変能力を持つスカーレット・ウィッチと呼ばれる魔女です。

え、何これ?

と思って見ていくと、ワンダの夫ヴィジョン(人造人間シンセゾイド)まで登場します。

しかもどこまでもシットコムの世界。コメディなので時々観客の笑い声が入る。しかも画面は白黒。

え、何、どうなってるの?

と???の世界に迷い込んだままドラマは進行します。

ところが、第4話目になって、突然外の世界が描かれ、これまでの種明かしがされます。

ここからはネタバレ全開でいきますね。じゃないと説明できないので。

実は、この町ウェストビューはワンダの妄想が作り出した世界。
ワンダは超能力者なので、単なる妄想を超えて現実の町そのものを改変してしまう。
町の住人たちも、実在の住人たちの意識を操作して演じさせている(本人たちは、ワンダに操られているので演じているという実感はない)というもの。

「アベンジャーズ/インフィニティウォー」で死んだはずのヴィジョン(ワンダの夫)が生きているのも、赤ん坊が一日で生まれ、その日のうちに10歳になったりするのも、ワンダの妄想の世界だから。

つまり、これって、人間の意識の世界の話なんですね。

そして、それを外側から観察しているS.W.O.R.D(地球外生命体の活動や宇宙からの脅威を観察する国際的な諜報機関)やFBIの人たちもいる。ウェストビューは六角形のシールドのようなもので外界から隔てられていて(ヘキサゴンからヘックスと呼ばれる。hexは呪いを意味する)中に入るとワンダの妄想の世界に取り込まれてしまう。

S.W.O.R.Dの一人モニカ(ミュータントで「アベンジャーズ」の一人)がこの世界に紛れ込みます。

紛れ込んだとたん、モニカはワンダの魔法にかかって自分が誰だったのか忘れてしまう。それくらい強力な魔法で町は覆いつくされ、ワンダは妄想の世界を確固たるものにしていきます。

最初は白黒だった画面に部分的に色が現れ、回を追うごとに街や人々がカラフルになり時代が変遷していくあたり、ちょっと背筋がぞくぞくする感じです。

昔読んだファンタジー小説「ザ・ギバー」(ロイス・ローリー著)を思い出しました。白黒の世界に、ある時突如まっ赤なリンゴが現れます。それが一体何なのか、目の錯覚なのか、何かが変化したのか、主人公にはわからない。シンボリックではあるけれど、実際にもパワーを持つ色の描写が印象的でした。

それはともかく、ワンダの世界に色が現れ町や人々が活性化していき、まるで本物のアメリカの田舎町という風情を感じさせますが、あくまでもこれはワンダの妄想世界。

それを外から観察しているS.W.O.R.Dの人たちは、この世界を破壊しようとしますが、入りこんだらワンダの妄想に取り込まれてしまうので作戦はうまくいかない。

そして、8話目くらいになってようやく、なぜワンダがTVのシットコムの世界を再現したのかが明らかになっていきます。

ワンダが失ったものの大きさと、あまりに大きな悲しみに観客は気づかされるわけです。

人はあまりに大きな悲しみに襲われるとやはりアナキンのようにダークサイド落ちていくらしい。

ワンダも例外ではなく、悲しみに押しつぶされそうになって、かろうじて自分を守るために妄想の世界を作りあげたのですね。でも、人々を巻き込んでしまったことに彼女はなかなか気づかない。

悲しみや苦しみがあまりに大きいとき、人はなかなか外の世界に気づかないものです。

そこに、彼女と同じくらいの力を持ったもう一人の魔女アグネスが現れます。

また、ヴィジョンの部品を回収して新たに作られた白いヴィジョンも現れ、ワンダとアグネス、ヴィジョンと白ヴィジョンの対決が行われるという最終話はマーベルお約束のストーリー展開です。

でもね、これ、これまでのマーベル作品群とかなり違って見えるのは、やはり「意識」の世界を描いているからなんじゃないかしら。

時代は変わりつつあるなあという印象。

私たちの住んでいる世界だって、もしかすると誰かの妄想で作り上げられた虚構の世界かもしれないぞ、という感じかな。世界はとてもフレキシブルな場所で、内側にいるとわからないけど、いったん外に出て眺めてみると六角形だったりするかもしれない・・

このドラマは「ドクター・ストレンジ」の続編に続くようですが、「ドクター・ストレンジ」続編もすごく楽しみです。

マーベル作品はアメコミ特有の泥臭さというか、独特の雰囲気があって、私はイマイチ好きじゃないのだけど、エンターテイメントとして楽しめる作品群であることは確かですね。

このドラマはアベンジャーズを見ていない人にも楽しめるので、よかったら見てみてください。

 

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マンダロリアン(2)

2021-04-10 13:41:05 | 映画

ドラマ「マンダロリアン」シーズン2の終わりまで見ていろんなことを考えました。

これって、スターウォーズの最も正統的な後継ドラマなんじゃないの、と思いました。他のスピンオフ作品が目に入らなくなるほど。

というのも、主人公のマンドーことディン・ジャリンってジェダイよりもジェダイらしい一匹オオカミだからです。

マンドーという戦士のマインドは明らかに、文句や泣き言ばかり言ってるアナキン・スカイウォーカーよりはるかに高潔で、潔く、かつ心根がやさしく、様々な価値観の人々を受け入れ、かつ善悪の基準をしっかり持ち、物事を多方面から検討してなすべきことを実行する、という特徴があります。

これって人間の理想よね(賞金稼ぎという職業は、それ以外に生きていく術がなかったから)

ジェダイおよびジェダイに守られた共和国が崩壊したのは、アナキン・スカイウォーカーという少年ひとりすらまともに育てられなかったジェダイたち自身の責任であるのは明らか。

たしかに、アナキンは幼くして母親から引き離され、半ば無理やりジェダイにさせられたようなものですが、少なくとも9歳までは母親の愛情を受けて育ってきた、ごく普通の少年でした。

一方、マンドーも同じ年齢の頃に両親を帝国軍に殺され孤児になります。マンドーを助けたのがマンダロリアンたちで、彼自身は生粋のマンダロリアンではないけれど、以後マンダロリアンを名乗り、マンダロリアンの教義に従います。

マンダロリアンというのは民族や国家ではなく、この教義を信じる人たちなのだとか(ユダヤ人に似てる)。

ドラマのなかでたびたびマンドーはこの少年時代を回想しますが(それは彼の生きざまの中核となっている)だからといって、そのことに対して泣き言を言ったりはしない。この高潔さがなかなか凄い。オビワンよりヨーダよりも凄いと私は思う。

もしも、マンドーがアナキンだったら、決してダークサイドには落ちなかっただろうに。

でも、それじゃスターウォーズという物語が成立しないからね。

欠点だらけの人間がジェダイになり、ダークサイドに落ちたけど、他のジェダイはそれを予見することも阻止することもできなかった。

唯一彼を救ったのは彼の息子ルーク・スカイウォーカーだった・・

というのがこの物語のキモなので。

ジェダイって一体何してたの? ヨーダってエライんじゃなかったの? パルパルが一枚上手だったって、結局ジェダイって大したことなかったってことじゃん?

「失敗した」とヨーダ自身も認めてるし。

一方で、なぜマンドーはこうした人間力を身につけることができたのだろう? 何が彼を成長させたのだろう・・?

観ている側はそう思うわけです。

もちろん理由は一つではない。

遺伝的な要素や生育環境、周囲の人々、乗り越えるべき障壁や何やかやが彼を成長させたのだとは思うのですが、基本的に彼は自分自身を信じている・・

ここが重要な点で、どうすればこんな風に自分の力を信じることができるのだろう。

マンダロリアンに登場する他のキャラたちにもそういう傾向がありますね。

たとえば、ジェダイのアソーカ・タノやキャラ・デューンもそうです。キャラ姉さん、好きだなあ。アソーカ・タノもいいよねえ。そして、死んじゃったけどマンドーを助けたクイールも実にいい。

こうしたメインキャラではない周辺のキャラたちがものすごくいいのです。

いずれも孤独な戦士たちで、逆境を乗り越えてサバイバルしてきた人たち。

まるで銀河のアウター・リムそれ自体のように、銀河の僻地に住む名もなき孤高の人たち・・それが、このドラマを魅力的にしているのだと思います。

(中央政府の影響が及ばなかった銀河のアウター・リムは、賞金稼ぎや密輸業者、犯罪者集団、シンジケートの温床になっていた・・)

そして、スターウォーズという映画のキモも実はここにあるのではないかと思うのです。

タトウィーンという辺境の砂の惑星で、奴隷の息子であったアナキンがジェダイにその才能を発見され、親元を離れてはるか銀河の中心にあるコルサントでジェダイの訓練を受ける・・

名もなき庶民として生まれ、才能を見出されて、スターダムにのし上がったハリウッドスターみたいに。

そして、スターダムにのし上がったアナキンがそれでは満足せず、台頭してきたナチスのような帝国のボスであるパルパティーンにそそのかされてジェダイを捨て、パルパルの弟子に昇格し世界支配の野望を持つ・・という感じかしら。

でも、銀河世界は多くの星々の様々な種で成り立っており、むしろ銀河世界の住人の多くはこうした辺境にすむ名もなき人たちであるということ。

マンダロリアンは、こうしたスターウォーズの原点に立ち返る物語で、そこが一番の魅力なのだと思います。

マンドーがなぜチャイルド(ちびヨーダ)に入れ込んだのかというのは、これはもう明らかですね。彼自身の幼い頃の姿をチャイルドに投影しているから。だからあそこまで優しい。もちろん基本的に優しい人なのですが。

スターウォーズがスカイウォーカ―家の家族の物語であるとすると、マンダロリアンは一匹オオカミたちの物語です。その中でマンドーとちびヨーダの関係は数少ない家族のストーリーといってもいいでしょう。

今後、シーズン3に登場するマンダロリアンたちがどのような家族(疑似家族)を形成しているかは注目すべき点だと思います。

シーズン3に期待したいです。

ああ、早く見たいなあ。
チャイルドはまた出てくるのかしら。そして、ルークは? R2D2は?

ああ、楽しみ~

 

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