ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

明眸社のエッセイクラブ

2016-07-31 22:19:22 | 日記

写真は明眸社のHPより http://meibousha.com/

以前も紹介しましたが、詩集「ないない島」を出版した明眸社(めいぼうしゃ)では、
エッセイクラブも主宰しています。  

エッセイクラブは数人単位で構成されていて、それぞれ「○○の会」と名前がついています。私もクラブの一員です。
クラブのメンバーはそれぞれエッセイを書いて明眸社に送り、月に一度集まって講評しあいます。
二年半ほど続けていますが、けっこうな量の文章がたまってきました。
毎回集まるのは楽しく、他の方々のエッセイに刺激を受けて、次は何を書こうかと考えるのも楽しみになっています。

でも、
これまでクラブ間の交流の機会がなかったので、一度全員のエッセイを集めてエッセイ集を出し、全員一堂に会して合評会をしてはどうか、との明眸社主宰の市原さんの提案で、
このたびエッセイ集「ラグーナ」が刊行され(残念ながら残部はもうないそうですが)
7月30日に合評会が開催されました。

中野サンプラザの研修室に、最初のうちぱらぱらと、やがて途中参加の方々やオブザーバーの方々も見えて、いつのまにか満席になっていました。

皆さんの感想や講評を聞いているうちに、本当に人それぞれなのだなあという思いを強くしました。
厳しい意見あり、褒め言葉もいっぱいあり、
私も数編書いていますので、自分の作品の講評を聞くのは、なんだかこそばゆく、また褒めていただくと大変うれしく、楽しいひと時でした。

明眸社の主宰者である市原さんは歌人でもあります。
歌集も出しておられます。
でも、個人で歌集を出版すると(私家版だと)高額な費用を請求されます。
歌集を出したい人は大勢いるのに、なかなか思うように出版できない。そこで、歌集の私家版をできるだけ安く出版できないか、との思いから出発したのが明眸社だそうです。

現在は私家版が中心ですが、大手に比べるとはるかに安い値段で自分の本が出版できるので、こんなにありがたい出版社はないと私は思っています。
もっと多くの人に知ってほしくて、今これを書いています。

市原さんご自身のエッセイ集「私の内なるわたくし」もとてもいい本です。
本屋さんに並んでいないのが残念ですが、明眸社に問い合わせていただければまだ残部があるのではないかと思います。
その他にも、画家の友人のお父様の画集、脳科学者の方の脳科学の本なども近々出版されるそうです。

実は市原さんは私の高校時代の先輩です。
明眸社のエッセイクラブにも高校の同窓生たちが多数参加しています。
すでに退職された方々が多いのですが、みなさん豊かな経歴をお持ちで、それぞれの経験を生かしたエッセイも非常に興味深くまた面白いものでした。

興味のある方は一度明眸社のHPを訪ねてみられてはいかがでしょうか。
というわけで、今回は、勝手に明眸社の宣伝をさせていただきました。

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レイキヒーラーへの道 2

2016-07-26 20:24:27 | 映画
レイキセミナーのセカンドディグリーを受講してきました。
ファーストディグリーでは見えない世界の不思議さに圧倒されたのですが、セカンドになるともはや魔法?としか思えないような数々のことが・・

世界はなんという不思議に満ちていることだろうか・・

おそらく、古代の日本人はこうしたことを自由自在に操っていたのではないか・・
陰陽師とか、密教とか。
そんな気がします。

前回、こんなことを書きました。

  たとえば、クレアは200年前のジェイミーにテレパシーで思いを告げることができるのでしょうか?
  現実的には無理。
  でも、なんか、できるんじゃない? という気もします。
 
私の直感はある意味で正しかったのだと思います。
とはいえ、それって気のせいじゃん、ですまされてしまいかねないものでもあります。
200年前の人と交信できたとしても、ただの気のせいかもしれない、そう思いこんでいるだけかも・・
実証なんてできません。

でも、「気」というのは、不確かであやふやで信用のおけないものなんかではありません。
たとえば、私たちはすでに「気功」にはなじみがありますよね。
気で相手をフっ飛ばしたり、病気を癒したり、体を鍛錬したり・・
見えない力があると何となくわかっています。
(信じていない人もいるでしょうけれど)

同じようにレイキもまた「気」の一つのあり様です。
そして、とても強力な「気」の世界でもあります。
だからこそ、世界各国でレイキヒーリングに健康保険が適用されているのですね。実証されているからです。
(残念ながら日本ではまだですが)

レイキは病気を癒すだけではなく、応用範囲のとても広いスキルです。
まるで魔法の世界みたいに。

たとえば、
「ゲド戦記」(ル・グィン作 岩波書店刊)
ここに登場するまじない師や魔法使いたちは、呪文を唱えて、探し物や物の修理、病気の治療といったことをやります。風を起こしたり、鳥や獣を自在に操ったりもしますし、呪いもかけます。
ゲドには魔法の才能があり、賢人と呼ばれる大魔法使いのオジオンと出会い、魔法学院に入り、やがて偉大な魔法使いになっていくのですが、最初に入った学院で、ゲドはこう告げられます。

「本当の魔法はな、アースシーのハード語か、ハード語のもとになった太古の言葉を話す者だけが操ることができるのじゃ」
そして、
「たった一つの名前をつきとめるただそれだけのために、これまで何と多くの魔法使いがその生涯をかけてきたことじゃろう。失われたか、まだ暴かれぬかするたった一つの名前を明らかにせんとしてな」

なぜなら、魔法は真の名に通じて、初めてその力を発揮するからです。

「ゲド戦記」は大変面白いファンタジーなので、ぜひ全巻通して読むことをお勧めします。
(ジブリのアニメはダメです)
この物語はフィクションでありファンタジーであると同時に、真理を語ってもいたのだと、あらためて思いました。

レイキはこのゲドの魔法にちょっと似ています。

具体的なことはここでは書けませんが、
手を当てて病気を癒すこと自体、知らない人が見たら魔法と思うでしょう。
(あるいは、いかがわしい宗教と思うか・・)
食べ物に手をかざしておいしくしたり、薬の副作用を減らしたり、といったことは、気功でも可能ですが、
レイキにはさらに奥義があります。
サードディグリーまで行くとその範囲はとてつもなく広がるそうです。

というわけで、サードディグリーも申し込んできました。

少々高額なのが玉に瑕ですが、世界が一変する瞬間を味わいたくて、
しばらくはレイキの世界にどっぷりハマりそうです。

レイキを試してみたい方がいましたら、ぜひご連絡ください。
まだ勉強中の身ですので、私のレイキで病気が治るという保証はありませんが、悪化したりはしないそうですからご安心ください。
手を当ててもらうだけでも心地よいですよ。

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時間よ、止まれ

2016-07-23 21:21:17 | 映画
一週間があっという間に過ぎていき、なんかもう、超高速亜空間ロケットに乗り込んで星間飛行している気分です。
せいぜい三日くらい?と思っていたらひと月が過ぎてたりして、もう浦島太郎かリップヴァンウィンクルか、てな感じです。

父が生前、しみじみとこう言っていたのを思い出します。
「50からこっちはあっという間だったなあ・・」
父は87歳まで生きました。50歳から87歳といったら37年間!
それが「あっという間」だったというのですから、これはもう超高速亜空間飛行以外の何物でもありません。

年とともに、それが実感できるようになってきました。しかも加速しつつあります。
この分だと100歳まで生きたとしても、実感としては10年くらかなあ・・
なんて。

さて、前回は、タイムスリップするとしたらどの時代がいいか?
という質問を投げかけて終わったのですが、
あれからいろいろ考えました。

タイムスリップするとしたらどの時代がいいだろう。
過去か、未来か・・

結論は出ていません。
たとえば自分の人生の中で、
過去に戻るとして、人生を選びなおすチャンスがあるのは嬉しいけど、
それで未来が変わってしまったら、
今の私はどうなる?
もしかして子どもたちも生まれなくなるとか・・
(タイムラインが変わるという設定はこの際置いておきます)

映画「アバウト・タイム 愛おしい時間について」にそんなシーンがありました。
(リチャード・カーティス監督作品 2013年)
タイムトラベルものですが、タイトルにもあるように愛についての物語で、とてもいい映画でした。
その中で、時間旅行のできる主人公が、
過去に戻ってやり直そうとしたら、生まれていたはずの子どもが別の子どもに変わっていた、というシーンがあります。
人生は微妙なことで変化するから、同じ子どもが生まれるとは限らない・・と父親に言われるのですね。
彼の場合はやり直すことができるから大丈夫でしたが、もしも、一度限りのタイムスリップで未来が決定してしまったら、
現在のこの私はどうなるんだろう・・

また、未来に行くのも大変です。
20年後の日本はすっかり様変わりしていて(さらなる原発事故、大災害、戦争・・)なす術もなく混乱に巻き込まれていく・・
なんてのは想像するだに恐ろしい。
(もっとマシな未来はないのかい?)

また、もっと大きなタイムスパンで、
江戸時代にタイムスリップして、江戸城の大奥に迷い込んだり、
はたまた戦国時代の水飲み百姓の家の前にひょっこり現れてしまったりしたら・・

たとえ運よく生き延びることができたとしても、食べ物や衛生面、人間関係など、とても適応できるとは思えません。
クレアはその点、実に賢くたくましい。私にゃ無理だ。

でも、それって全部、現在の私があれこれ想像しているだけ。
実際問題として、時間旅行は不可能で(少なくとも現時点では)、どこまでも「現在」が続いているばかりです。
私たちは、どんな国の人も、偉い人も生まれたばかりの赤ん坊も、金持ちも貧乏人も、一直線に「現在」というラインに並び、同時に一瞬先の「未来」に向かって、「ヨーイ、ドン!」で歩きだしている。一瞬、一瞬。それが時間の現実です。

あるのは「現在」
ただひたすらの「現在」

昔、テレビドラマで「ふしぎな少年」という番組がありました(手塚治虫原作。1960年代)。
ふしぎな少年が「時間よ、止まれ」というと周囲の人たちの動きが一斉に止まります。
でも、彼の時間だけは止まらないので、周囲の人にとっては、彼が一瞬で消えたように見えます。
大田博之という美少年がその役で、「時間よ、止まれ」は流行語にもなったのでした。

今だにタイムトラベルものというと。この言葉を思い出します。

「時間よ、止まれ」

私たちは永遠の「現在」に閉じ込められて生きている小さな生き物です。
二次元の紙の上を這う虫には、頭上の青空も見えなければ、紙の端から端まで行くのに、紙を折りたたむだけでいい、ということも理解できません。

私たちは三次元の紙の上を這う小さな虫なんですね。
紙を折りたたむようにして、次元を折りたたみ、時間を超える方法があるのではないかと想像します。

そして、実は、この想像力こそが、次元の壁を超える力なのかもしれません。

たとえば、クレアは200年前のジェイミーにテレパシーで思いを告げることができるのでしょうか?
現実的には無理。
でも、なんか、できるんじゃない? という気もします。

過去も未来も、現在の中にある。
というのは仏陀の教えだそうです。

時間が流れている、というのは実は人間の錯覚で、過去も未来もこの一瞬の現在の中に凝縮されているそうです。
だとしたら、過去へも未来へも、自由自在に行けるはずなんですけどね。

日々超高速化しつつある時間の流れのただ中で、私は溺れまいと必死に藁をつかみ、こう叫びたい気分です。

「時間よ、止まれ」



ところで、
ついに「ジェイミーの墓標」(1~3)が図書館に入荷した!との知らせが入り、今日、いそいそと借りに行ってきました。
やはり他市の図書館から借りてくれたようです。
感謝。
というわけで、しばらくまた「アウトランダー」の原作小説にふけりたいと思います。

ついでにその次の章、
「時の彼方の再会」(1~3)もリクエストしてきました。
今年の夏は「アウトランダー」で乗り切るぞ!

またね~
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アウトランダー シーズン2

2016-07-17 22:20:05 | 映画
ついに「アウトランダー」シーズン2が最終回を迎えました!
最終回は1時間半と長く、18世紀と20世紀を行ったり来たりします。
特に18世紀の部分はカローデンの戦い当日の緊迫した空気に満ちています。
1746年4月16日午前7時23分、午前8時18分、午前8時時43分と、刻々と過ぎていく時刻表示が否が応にも緊張感を高めます。この後に続く戦いでジャコバイト党が惨敗することがわかっているので、余計感情移入が激しくなります。

同時に、ジェイミーは、いかにして領地の民とクレアを避難させるかに苦慮します。彼の判断はいつも正しいとは限らないけど、常に愛に満ちています。かくして、クレアは再び現代に戻ってくるのですが・・
もう、涙なくしては見られません。

そして、20年の時間が過ぎ、ジェイミーが残した一人娘のブリアナが登場。シーズン1でまだ幼かった牧師館の子ロジャーも立派になって登場します。
しかも、ゲイリスまでも!

世代は交代しつつあるようですが、クレアは相変わらず美しい。
これ以上話すとネタバレになるのでやめますが(もうしてる?)、本当に久しぶりに心ゆさぶられるドラマです。

そして、さらに、シーズン3へと続く予感が・・

とはいえ、タイムトラベルもの大好き人間としては、クレアやゲイリスがどうやってピンポイントで18世紀のカローデンの戦いの前にタイムスリップできたのか、また、クレアがどのようにして、ピンポイントで20世紀に戻れたのか、ぜひとも知りたいところです。原作には書いてあるのかもしれませんが・・

この原作が、何と絶版になっていて、中古の文庫本がひどく値上がりしているのです。文庫本なのに2000円とかになっていてもうびっくり。図書館にリクエスト出したのですが、いまだに返事が来ないところを見ると、おそらくあちこち探しまわっていて、どこも出払っていて本がない状態なのだと思います。

ヴィレッジブックスさん、ハヤカワさん、どっちでもいいから、どうか増刷してください!

というわけで、シーズン3が出るまで(これから制作するらしいので)かなり待たないといけないようです。
ああ、原作読みたい!

かくして、何かにハマりこんで抜けられなくなる中毒症状はひどくなる一方のようで、困ったもんです。

「シャーロック」のシーズン4も待ち遠しいしね。

でも、そろそろ現実に戻らないと。
なんかね、ホントに18世紀にタイムスリップしてしまいそうな感じで・・

次回は、タイムスリップするとしたら、どの時代がいいか、なんてことも考えてみたいと思います。

ああ、時間て何なんでしょうね?
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タイム・チェイサー

2016-07-15 14:05:57 | 映画
二つの世界といえば、私たちは常に二つ(あるいは二つ以上)の世界に住んでいるのですね。
たとえば、パソコンに向かってこれを書いている私の世界と
パソコンの中で繰り広げられる様々な世界。
本や映画やフィクションの中の世界。
現実と(言ってみれば)空想、想像、妄想、虚構の世界。
でも、こっちが現実というのは確かだろうか。
どっちが現実でどっちが虚構か・・
果たして、私は存在するのか?
・・とここまで来ると哲学的な問題になってきますが。

まあ、それはともかく、
夕べはHuluでちょっと変わった映画を見ました。

「タイム・チェイサー」
SFのタイムトラベルものです。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の亜流みたいな映画で、あまりお勧めじゃありませんが。
人物造形がイマイチな上に家族が死にまくるし、タイムトラベルのために無理やり作ったストーリーという感じです。
でもね、あの人が出ているんです。

ハーレイ・ジョエル・オスメント君。
「シックス・センス」の男の子。
成人し、髭もはやし、すっかり大人ですが、まだ面影はあります。
このハーレイ君が主人公のエロルを演じています。
エロルはMITに入れるくらいの数学の天才ですが、子どもの頃父親が失踪し、以来おかしくなってしまった母親を支えながら、細々と暮らしています。

そこへ、ある日、彼の祖父からとんでもないことを打ち明けられます。
父親が失踪したのは、実はタイムマシンで過去に戻り、アインシュタインに会いに行くためだったというのです。アインシュタインに会って原爆の開発をやめさせるとか何とか(この辺、よくわからなかった)そんな目的だったようです。
ここからはネタばれになりますが(まあ、見るまでもない映画ですが)

父親は、アインシュタインに会いにいく途上で、不運なことに暴漢に殺害されてしまいます。新聞記事からそれを見つけたエロル。
そこで、祖父は彼に、父親が作ったタイムマシンを使って過去に戻り、父親を連れ戻そうと提案します。

でも、エロルは彼女との間にアレコレあり、母親もアレコレありで、
身辺がゴタゴタしていて、おじいさんの提案には乗れないでいたのですが、
結局、母親も、彼女が身ごもった子どもも死んでしまい、現在に留まる理由がなくなります。この辺りがね、いかにもご都合主義ですね。何も殺さなくても・・

で、エロルは無事過去に戻り、父親を説得し、アインシュタインに会いに行くのを断念させるのですが、
この断念のさせ方も酷い。ここがいちばん酷いシーンだと思います。

彼はピストルで自分の頭を撃ち抜き自殺します。
なぜなら、そうでもしないと父親がアインシュタインに会いに行くことを断念しないと思ったからでした。
他に選択肢はなかったのか?

最後は、彼が幼い日、父親が出発した当日に戻ります。
父親はアインシュタインに会いにいくことを断念して帰宅し、
「あら、ずいぶん早かったのね」と奥さんに言われて、おしまい。
めでたしめでたし。チャンチャン。

とまあ、ひどい映画なのですが、それでもタイムトラベルものは面白い。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でも気になったのですが、
過去に戻り、過去を変えるたびに新しいタイムラインが現れる、というドクの仮説は、パラレルワールドが存在するという前提があってのことなんですね。

で、パラレルワールドが存在するとしたら、タイムラインが変わって父親が死なない世界のエロルは幸せに成長するのでしょうけれど、彼を送り出した祖父のタイムラインはそのまま残っているはずで、祖父にとっては皆いなくなってしまった世界に一人取り残されるということになるわけです。

エロルはどうやっても前のタイムラインにいる祖父に「僕は元気でいるから」と伝えることはできないのです。また、新しいタイムラインで自殺したエロルは、どうやっても生き返ることはありません。

こうして、事件が起きるたびに新しいタイムラインが発生するとなると、パラレルワールドは様々に枝分かれしてそれこそ星の数ほどの人生(の可能性)が一人の人間の一生の間に発生するわけですね。その辺りをうまく表現したのが、前回紹介した「ミスター・ノーバディ」でした。

話はころっと変わりますが、
9.11のアメリカ同時多発テロが勃発した夜のことは鮮明に記憶しています。
深夜おそくまでTV画面に釘付けになっていました。
その時、私はふと、こんなことを思ったのでした。

「ああ、私はこちら側を選んでしまった・・」

つまり、どこかにまだ同時多発テロが起きていない世界があって、ちょっと手を伸ばせばそちら側に行くことができたのに、私は何を間違えたかこちらの世界に来てしまった・・とそんなことを考えたのでした。

もちろん、私の空想の産物なのですが、
先日、村上春樹が同じようなことを言っていたのをきいて、びっくりしました。
彼もまた、あの日、あのシーンを見て、こっちの世界を選択してしまった、と思ったというのです。

おそらく、そう感じたのは、私と村上春樹だけではないと思います。
多くの人たちが無意識のうちに、何かとんでもない選択をしてしまったと思ったにちがいありません。

世界を変えるほどの大事件の際には、それこそ星の数ほどの分岐が生じるはずで(こうなるとSFの世界の話になってくるのですが)その中の一つを選ぶ、というのはどういう運命のいたずらなんだろうか。そして、どういう理由で私はたった一つを選んだのだろうか。
別の世界を選んだ私もパラレルワールドの別のタイムラインにいて、いつか交差することってないんだろうか・・

なーんてことを、あれ以来時々考えます。
不思議なことに、そこでは、常に「私」が選ぶのであって、誰かに強いられるといった感じはありません。翻弄されるにしても、翻弄される人生を私が選ぶといった感じでしょうか。やはりどんな人生も私自身が選んだ結果なのでしょう・・
異論はあるかと思いますが、基本的に私の人生は私が選ぶしかないというのはやはり真実である気がします。
言ってみれば、どんな人生だって選ぶことができる(はず)なんですけどね。

だからこそ、荒唐無稽に見えるSFやタイムトラベルものが人気なのだと思います。
どこかに別の世界がある気がしてならない・・
そして、考えます。
どうすれば、そっちの世界に行けるだろうか、と。
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