ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

「虹の翼」吉村昭著&ニッポンの世界一周

2024-01-08 09:09:18 | 飛行機

去年、二宮忠八について書いて以来飛行機の歴史に興味が湧き、いろいろ調べてみたのですが、二宮忠八の伝記については、

「虹の翼」吉村昭著(文春文庫)

に詳しく書かれていますので、興味ある方はぜひ読んでみてください。

力作です! 

吉村昭はすごい作家だと思いました。

500ページ以上ある長編ですが、冒頭から引き込まれて最後まで一気読み必至です。すごく面白い!

一方、アメリア・イヤハートをモデルにしたという小説、

「翼をください」原田マハ著

も読んでみましたが、駄作です。時間の無駄。読むんじゃなかった。

ただし、この本で太平洋戦争勃発前夜に日本が国産の飛行機で世界一周を果たしていたという事実を知りました。

「ニッポン」という名の飛行機で。

「翼をください」は、太平洋上で行方不明になったアメリア・イヤハート(エイミー・イーグルウィングという名前で登場)が実は生きていて「ニッポン」に同乗し「ニッポン」の世界一周を助けた、

という設定のフィクションです。

日本人のカメラマンも登場し、アメリアとの恋愛沙汰にもっていこうとする小説で実に下らない。

こんな三流小説を書く暇があるなら、歴史的事実を掘り下げてなぜノンフィクションとして書かない? 

事実は小説より奇なり。

ヘタな三流小説より事実のほうが圧倒的に面白いのに。

ただ、「ニッポン」が太平洋戦争前夜に世界一周をしたという事実は、歴史の闇に埋もれているので、ぜひ誰か発掘して(ノンフィクションとして)書いてほしいと思います。

一方、吉村昭の「虹の翼」は歴史的事実を詳細に調べあげた上で執筆されたもので、原田マハの小説とは比べ物にならない重みと厚みと面白さがあります。

当時の日本の政情や世界の様子などについても詳細に描かれているので、二宮忠八および飛行機の歴史を知りたかったら必須の本です。

原田マハの小説は二度と読まない。一冊読めば他の小説は推して知るべしなので。

飛行機関連では、他にも面白そうな本がいっぱいあるので順次読んでいきたいと思っています。

 

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二宮忠八のこと(2)所沢の航空発祥記念館

2023-12-08 11:09:10 | 飛行機

今月はエッセイの会の原稿に、二宮忠八を取り上げました。

二宮忠八については、ここでも書きましたが(11月30日の記事)、その後、ネットやら文献やら調べていくうちに、すっかり二宮忠八のファンになり、もっと詳しく知りたくなりました。

そこで、所沢にある航空発祥記念館を訪ねてみることにしました。

航空発祥記念館は、所沢飛行場の跡地にあり、ここは日本の航空機発祥の地だそうです。飛行場跡地は公園にもなっており、広々としたいい公園です。

日本で初めて飛行機が飛んだのは、1910年のこと。

フランスに留学し飛行機操縦法を学んだ徳川好敏大尉とドイツ留学した日野熊蔵大尉の二人が操縦する飛行機が初めて日本の空を飛んだのがこの年です。

徳川好敏大尉の操縦したファルマン型飛行機(複葉機)のレプリカも航空発祥記念館に展示されています。

翌年の1911年、ここに所沢飛行場が開設され、同年、徳川好敏大尉がファルマン型飛行機で空を飛んだことが記録されていますが、その時の飛行は高度10m、距離800m、飛行時間は1分20秒とのことです。

残念ながら、この航空発祥記念館のどこを探しても、二宮忠八の名前はありませんでした。

(二宮忠八の玉虫型飛行器)

二宮忠八はライト兄弟より10年も早く飛行機を完成させていたにもかかわらず、動力がないため飛行実験には至らず、軍上層部の無理解により闇に葬られてきたのでした。

けれども、二宮忠八の功績は故郷八幡浜では今でも記憶され、その偉業が称えられています。

八幡浜では、毎年4月29日(忠八がカラス型模型飛行機の飛行実験に成功した日1891年4月29日に因む)に模型飛行機を飛ばす大会が開かれています。

八幡浜の景色をGoogleで検索してみたら、懐かしい場所が次々と出てきました。

忠八が凧を挙げた新川河原や明治橋、私も毎日通っていました。もう60年も前のことですが。

これからもしばらく二宮忠八を追ってみたい、飛行機の歴史など知りたい、そして、小型プロペラ機にぜひまた乗ってみたいと思っています。

航空発祥記念館に二宮忠八はいませんでしたが、いろいろな飛行機が展示され飛行機の歴史も詳しく解説してあり、コックピットのシミュレーション施設や映画の上映などもあり、なかなか楽しい場所でした。

 

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二宮忠八のこと

2023-11-30 13:49:34 | 飛行機

前回お知らせしたとおり、二宮忠八について書きたいと思います。

二宮忠八(1866 ~1936)は、世界で初めて飛行機を発明した人物として英国航空協会が認めている人物です。

(1954年、英国王立航空協会は忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、彼のことを「ライト兄弟より先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している:wikipedia)

日本ではあまりなじみがないのですが、戦前の教科書には記載されていたそうで、戦後GHQにより削除されたようです。

人類が初めて動力を使って(グライダーではなく)空を飛んだのは1903年のライト兄弟だと言われていますが、

そのライト兄弟より12年も早く、二宮忠八は飛行器を発明していました。

(彼は飛行機ではなく「飛行器」と表記しました。ちなみに「ひこうき」という言葉も二宮忠八の造語だそうです)

この二宮忠八、私の母校である八幡浜市立八代中学校のすぐそばで生まれ育ったということを最近知りました。

なんか、ご縁がありそう。

二宮忠八は裕福な商家の四男として生まれたのですが、兄たちの相次ぐ放蕩と父親の早すぎる死(彼が12歳のときに亡くなった)により、家は没落し、成績優秀であったにもかかわらず中学には行けずに働きに出ることになります。

彼は幼い頃から好奇心旺盛で、トビウオを見ては空を飛びたいと思い、弁当めがけて降下してくるカラスを見ては、鳥たちは羽ばたかずとも空を滑空できることを看破し、またトビウオとの共通点を見出し、固定式の飛行器の翼を思いついたといいます。

若い頃から空へのあこがれは強く、彼が作った数々の凧は「忠八凧」と呼ばれ、大変な人気だったといいます。

二宮忠八はついに自力で飛行器を発明し、動力さえあれば飛ばせるというところまでこぎつけますが、肝心の動力が手に入らない。

そこで軍の上層部に上申書を出して、飛行器のための動力となるガソリンエンジンを提供してほしいと幾度も申請しますが、軍上層部の無理解により却下され、彼の飛行器はついに日の目を見ることはありませんでした。

この間に、ライト兄弟が有人動力飛行実験を成功させてしまうのです。

ライト兄弟の実験成功の知らせを聞いた二宮忠八は、自身で制作した玉虫型飛行器をハンマーで破壊し、以後、飛行器制作に携わることを断念してしまいます。

空に憧れる人たちは、どの時代にもいました。

レオナルド・ダ・ヴィンチもヘリコプターの原形などを発明していますね。

近年では、気球やグライダーが発明され、人類はますます空へのあこがれを募らせていきました。

そして、1903年にライト兄弟が初めて有人動力飛行の実験に成功しますが、それからわずか64年後の1967年、人類はアポロ11号によって月に到達するのですから、この間の進歩のすさまじさがわかります。

地球上には多種多様な生物がいて、中には空を飛ぶ鳥や昆虫たちもいますが、その中で月まで行きたいと思う生物は人間だけでしょう。

人間はあきらかに他の生物たちとは違う脳や神経構造を持ち、原始時代から星々の運行に興味を持ち、宇宙に憧れてきました。

つまりね、私たちは他の星からやってきたのではないか、と思うのです。

だから、夜空を見上げるたびに郷愁を感じるのではないか。

一方で、残念ながら、飛行機は戦争によって発達してきたという側面もあるのですが、放っておいても人類は空を飛びたがり、やがて宇宙へ出ていきたがる生き物なのではないか。

二宮忠八やライト兄弟をはじめとした大空に憧れた人たちは皆、どこかでそれを感じ取っていたのかもしれません。

そんな気がしてならないのです。

ともかく、二宮忠八の発明した玉虫型飛行器のデザインの美しさは、後世に伝えるべき文化遺産であると思います。

私がここでくどくど書くよりも、YouTubeには詳しい彼の伝記や飛行器の説明等がありますので、興味のある方はぜひそちらも見てみてください。

日本には二宮忠八という悲運の発明家がいて、実は世界で最初に飛行機を発明していたことは、もっと多くの人に知られていい事実だと思います。

 

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