気まぐれ猫の徒然の日々

気楽に、時々思いついたことなどを書きつづっていきたいと思います・・・。って、最近すっかり写真ブログになってるけど・・。

その時歴史は動いた(零戦)

2006-03-09 09:03:48 | 飛行機

NHKの「その時歴史は動いた」で零戦の話をやっていた。


あんまり新しい話は出てきてないなぁ。
元々、海軍からの過酷な要求に応えるため、軽量化に次ぐ軽量化で、設計に余裕が無く、その為、急降下速度に制約があったってのは有名な話。
又、零戦の三二型が評判が悪く、すぐに機体形状が戻され(燃料搭載量の増加ってのもあるけど。)二二型になったってのも広く知られた話だよなぁ。
アリューシャン列島での不時着機を手に入れたアメリカ軍が、徹底的に調査をして、対抗する機体と対応戦法を開発したって言うのも既出の話だし。

海軍の首脳陣が”アホ”でにっちもさっちも行かなくなったってのも、又、広く知られた話。
元々、兵隊を”消耗品”として見だしたら戦争は負けだって。

うーん、やっぱり新しい話は全然出てきてないぞ。
あ、このラストに映った機体、呉の「大和ミュージアム」に有る機体だ、多分・・。
違うかな~?


某漫画雑誌に連載中のチューニングカー漫画で、今「現在の零戦」を創るって話をやってるが、なんか「零戦」に対するイメージが俺とは全然違う。

元々、零戦の出発点は「高出力のエンジンが無かった。」って所にあると思う。(”金星”型の使用構想の話は置いといて。)
使うことになった”栄”型エンジン(中島飛行機製)は千馬力級とは言っているが、実質950馬力程度しかなく(世界では楽に千馬力を超えていた。)それを補う為にギリギリの軽量化を行わざるを得なかったのである。
ただ、栄型エンジンは、出力の割にコンパクトに出来ており、前面投影面積が小さかった為、当時の空冷エンジン機の中では、機首が小さく空力的に洗練された機体となった。
この辺は、ほぼ同時に設計され、同じエンジンを使った「隼」のシルエットが、零戦と良く似ていることからも判る。

零戦は、”天才”堀越二郎主任設計士の卓越した才能と、設計陣の努力により超一線級の機体となったし、隼は独自開発の蝶型空戦フラップの採用により一線級の能力を手に入れている。
あ、実戦配備時に現地で、徹底したバグ出しと改良を行った技術陣の努力と、新型機の運用法を研究、普及させた用兵側(先見の明を持った一部の将校)の努力も忘れちゃいけないぞ。

つまり、俺の”零戦”に対するイメージは、「非力なエンジンを使用して極限の性能を目指した為、ギリギリの設計となった余裕のない機体。」(ネガティブな見方。)、「非力なエンジンを補う為の徹底した軽量化と、卓越した設計思想により、抜群の操縦性を誇る機体。」(ポジティブな見方。)、って物で、車に例えると・・・?
確かにホンダのスポーツタイプの車はイメージに近いけど・・、結構パワー有るしなぁ。
うーん、ううーん、AE86(特に初期の”藤原豆腐店”仕様。)が一番近いのかなぁ。
間違ってもランエボではないし、インプは「疾風」のイメージって話は前に書いたか・・。
S2000ってのは、何となく判る気もするけど、ちょっと違うって気もする。


折しも同じ三菱製の「F-1」支援戦闘機の退役の日である。(後1機、残ってるけど。)
個人的にあんまり好きな機体ではなかったが、その翼を血で汚す事が無く退役できるってのはめでたい事である。

コメント (1)
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