道すがら山の端白くニリンソウ群れ咲くままにしばし戯る
秩父を訪ね、昨日の10時半に池袋を立って、今日の午後4時半に池袋に戻ってきた。
昨日は西武秩父駅までレッドアロー号に乗り、駅まで迎えに来てくれたNさんの車で夕方まで、好天だった秩父のあちこちを訪ね、ともに趣味とする(正確に言うと、写真歴の長いNさんの影響で僕も数年前から写真を撮るようになったのだ)写真を撮った。
その後、美の山の中腹にあるNさんの山荘に1泊させてもらい、今日も早朝から曇天のなかを午前中は、Nさん推奨のそれはそれで魅力的な秩父のあちこちをめぐって写真を撮った。
昼過ぎ、Nさんの住む所沢まで車で送ってもらいながら、またも二人してあちこちで道草を食って写真を撮ったため、秋津駅に送ってもらったときにはもう午後4時近くになっていた。
秩父では車での移動が中心で、それほど歩いたわけではなかった。
それでもさすがに疲れがあって、走ってもどの程度走れるかはまるで自信がなかった。
しかし、3日も続けて休むとてきめんに走る能力が落ちてしまうことは、近年の経験からはっきりしている。
多分せいぜい6キロも走ればバテるだろうと思ったが、ともかく走ってみることにした。
やはり最初は身体が重くて苦しかったが、走っているうちに段々楽になり、結局なんとか10キロを走ることができた。
継続は力だ。
やはり、それを信じよう。
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NさんのHP「わんだふるネイチャー」の<二人展>というシリーズに、先日の房総・九十九里・銚子の旅で二人で撮った写真がアップされた。
今回の秩父の旅の写真も、いずれ同じようにアップされる予定だ。
今日は、17年前に卒業した担任クラスの教え子10人が、新宿で飲み会を開いてくれた。
6時から9時半まで、楽しく飲みかつ会話した。
今回もまた改めて、中高の教員であったことの幸せを痛感した。
驚いたことに、隣に座ったT君がやおら取り出したのは、僕が当時作った授業のすべてのプリントを整然と束ねたものだった。
これだけは捨てられなかったと言って、わざわざもってきてくれたのだ。
ありがたいことだ。
自惚れかもしれないが、僕は中高の教員に向いていたのではないかと思う。
残念だったが、2次会に向う彼らに再会を約束して先に帰って来た。
明日、千葉の旅行を共にした先輩同僚Nさんの誘惑に乗って、秩父の美の山にある彼の手作りの山荘に一晩泊りで出かけるためだ。
したがって、今日も明日もジョギングは0キロということになる。
霧雨の冷たくあれど十キロの六十路走ればたぎるものある
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退職後、連日のように野を歩き、街を走りしてきた疲れがどうやら出てきたようだ。
昨日は、見沼の野の花個人授業の2回目だった。
Y先生とHさんに連れられて、御蔵の尾島家を再訪し、満開になったクマガイソウなどを至近距離で観察、撮影することができた。
その後、見沼自然公園で沼周辺の野に咲く花々を、じっくり観察しながら手取り足取りしての教えを受けた。
とりわけてムラサキサギゴケの群落が美しかったが、知らなければただのスミレとしか思わなかっただろう。
キュウリグサが未だに識別できなかった。
ヘビイチゴとミツバツチグリの区別も、当たり前だのクラッカーだが、とてもまだできない。
この道幾十年のY先生と4年越しの高妹Hさんから、毎週個人授業をしていただける幸運を改めて思った。
この幸運を大事にしたい。
とは思うものの、やっぱり連日の疲れが出てきたらしい。
昨日は、とても走る元気はなかった。
そこで今日は、天気もよくないこともあり、友人Nさんの誘いも断って一日のんびりと過ごした。
夕方、霧雨の中を走った。
寒い。
しかし、一日休んで体力が回復し、10キロを楽しく走れる予感があった。
その通りだった。
余裕の10キロ。
人間の可能性というか、可塑性というか。
60半ばを超えてなお、鍛えれば鍛えるだけの結果がはっきりと出てくる。
そしてそれは、何も肉体的なことだけに限られたことではないだろう。
そう思って、少し感動した。
いつか終わりが来るにしても、やるだけのことはやってみる価値が大いにありそうだ。
悠々と急ごう。