敦盛と共に直実花となり今ぞ滅びの際に立たむか
霧雨の冷たくあれど十キロの六十路走ればたぎるものある
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退職後、連日のように野を歩き、街を走りしてきた疲れがどうやら出てきたようだ。
昨日は、見沼の野の花個人授業の2回目だった。
Y先生とHさんに連れられて、御蔵の尾島家を再訪し、満開になったクマガイソウなどを至近距離で観察、撮影することができた。
その後、見沼自然公園で沼周辺の野に咲く花々を、じっくり観察しながら手取り足取りしての教えを受けた。
とりわけてムラサキサギゴケの群落が美しかったが、知らなければただのスミレとしか思わなかっただろう。
キュウリグサが未だに識別できなかった。
ヘビイチゴとミツバツチグリの区別も、当たり前だのクラッカーだが、とてもまだできない。
この道幾十年のY先生と4年越しの高妹Hさんから、毎週個人授業をしていただける幸運を改めて思った。
この幸運を大事にしたい。
とは思うものの、やっぱり連日の疲れが出てきたらしい。
昨日は、とても走る元気はなかった。
そこで今日は、天気もよくないこともあり、友人Nさんの誘いも断って一日のんびりと過ごした。
夕方、霧雨の中を走った。
寒い。
しかし、一日休んで体力が回復し、10キロを楽しく走れる予感があった。
その通りだった。
余裕の10キロ。
人間の可能性というか、可塑性というか。
60半ばを超えてなお、鍛えれば鍛えるだけの結果がはっきりと出てくる。
そしてそれは、何も肉体的なことだけに限られたことではないだろう。
そう思って、少し感動した。
いつか終わりが来るにしても、やるだけのことはやってみる価値が大いにありそうだ。
悠々と急ごう。