かなり前だが、内田樹先生がブログに書いていらっしゃる名言があるので、引用したい。
クリックで応援おねがい!
↓ ↓ ↓
http://blog.tatsuru.com/2008/09/18_1006.php より
///////////////////////////////////////////////////////////////
ご存じのとおり、「腐りかけたもの」は腐臭を発する。
それはわずかな、ほんのわずかな徴候から感知できる。
ふつうは「どうしてこんな奴が威張っていられるのかわからない奴が威張っている」というかたちで検出できる。
この金融という商売は「自己評価が異常に肥大する」という人間の治癒しがたい傾向を基盤にしてはじめて成立するものだからである。
では、なぜそのスーパークレバーなシステムが破綻したかというと、「外部評価が非常に低く、自己評価が異常に高い人間」のことを私たちの社会では一般に「バカ」と呼ぶからである。
つまり、「身の丈に合わない借金をする人間」を生み出し続けることで利益を上げるシステムとは、「バカを構造的に備給し続ける」ことでのみ生き延びることのできるシステムだったということである。
このサブプライムローンシステムを構築するにあたって、アメリカの金融界は業界全体で「外部評価が低く、自己評価が異常に高い人間」こそがアメリカンドリームの体現者となるべき「模範的アメリカ市民」であるというナラティヴに同意署名した。
自分たちが信じない「物語」を顧客に信じさせることは困難だから、おそらく金融大手の社員たちもまたこぞって「ほんとうのオレの力はこんなもんじゃないよ」という肥大した自己評価で鼻の穴を膨らませる競争に励んでいたはずである(見たことないから想像ですけど)。
そして、この顧客開拓戦略(ならびに金融エリート=成功者モデル)は劇的に成功してしまったのである。
結果的にアメリカ社会は必要以上の数の「バカ」を抱え込むことになってしまった。
さいわいなことに「アメリカ人が全部バカになる」ことでしか延命できないシステムは瓦解した。
////////////////////////////////////////////////////////////////
なるほどね^^;)
アメリカという国家は、ジャイアンになりすぎて、コワくて誰も非難できなくなった。
だから、自己評価が異常に高くなり、外部評価がサイテーになり果ててしまった。
(そして、それに気が付いておらず、ますます息巻いていく…迷惑…)
でも、こんなふうになってる人、まわりに結構いたりして?
========================================
無意味にえらそうにしている人間がそこここに目に付いたら、その組織は「末期的」であると判じて過つことがない。
「えらそう」に見えるのは、外部評価と自己評価の差が大きいせいである。
「自分の能力は過小評価されているのではないか」という不安をもつ人間は、自分への敬意を喚起するために「わずかによけいな身ぶり」をする。
「えらそう」というのはその「わずかによけいな身ぶり」のことである。
いちばんわかりやすいのは「アイコンタクトの遅れ」である。
こちらが声をかけても書類から顔を上げない、隣の席の人間とのおしゃべりを止めない。
こちらが質問すると、答えることよりも「私はそういう質問をされることをすでに予見していた」ことを誇示することを優先する人間(彼らは答える前に、「だから」という鬱陶しげな一言から始めることが多い)。
そういう人間が一定数いたら、そういう組織はもう長いことはない。
========================================
「先生」とか周りから呼ばれちゃってる人々って極めてそうなりやすいのかも…
誰からも批判されない立場にいると、ほぼ誰もが、自己評価が異常に高くなり無限にエラそうになっていく。
常に状況に合わせて適応し続ける存在であるには、自分自身を「非難されない」という状況に置くこと自体をやめるべきなのかもね…
↑ ついったー