ただ今、「吉野民話地図」を制作中です。
そこで、今日は吉野の民話をひとつ紹介します。
犬を飼わない村
むかし、大海人皇子が吉野から窪垣内に逃げてきはったときのことや。
皇子が婆河原まで来たら、
おじいさんとおばあさんが、紙すきの船を洗うておまつりしてはってんて。
皇子は、「賊が追うてくるから助けてくれ」て言わはってん。
おじいさんとおばあさんは、すぐに船をひっくり返して伏せて、
皇子をその中に隠してあげたんや。
ほんで、船のうえに樫の実の粉をお供えしててんて。
そこへ、賊の犬が追いかけてきて、
鼻をくんくんさせて船のまわりをくるくる回ったんや。
おばあさんが、
「この犬はいやしい犬や。お供えを食べよと思てほえる」
いうて怒ったら、追いついてきた賊が、
「そな行儀の悪いことをしたらあかん」
いうて、犬を殺してんて。
おかげで皇子は助かったいうことや。
それからや、窪垣内では犬を飼わんことになってんて。
その犬をまつった犬塚いうのが今でも窪垣内の旧国栖小学校の庭にあるねんで。
原話:奈良県吉野町・国栖の昔話(上)(『昔話―研究と資料十九』)
再話:村上郁 不許転載
別の話では、次のように語っています。
追手が連れていた犬カグハナが舟の周りでにおいをかぎ出し、
皇子が見つかりそうになったため、
翁(おきな)が赤い石を投げたところ、
石に当って犬は死んでしまいました。
死んだ犬カグハナは大津の京に置いてきた大海人皇子の愛犬だったことを知った里人は、
その亡きがらを岡の上に葬りました。
これが現在の犬塚です。
翁が投げた石は麓の御霊神社に安置され現在に伝わっています。
この話は、壬申の乱をめぐる一エピソードである。
天智天皇の弟の大海人皇子と天皇の長子である大友皇子が
皇位継承をめぐり起こした内乱において、
大海人皇子は、671年12月に天智天皇が崩御すると、吉野・宮滝に逃れたが、
翌年6月、宮滝から決起する。
吉野・窪垣内ではその頃の村の事件として、今にこの話を伝えているのである。
しかも、今に至るまでこの話を契機として、
村では犬を飼わないというのであるから、オドロキである。
フィールド・ワークでこの話を聞いたのだが、
すぐ隣の村では犬を飼っているのに
窪垣内では犬を飼うと、火事が起こったり、
よくないことが起こるので飼わないそうである。
壬申の乱の出来事が村の伝承としていまだに
村に息づいているのである!
そこで、今日は吉野の民話をひとつ紹介します。
犬を飼わない村
むかし、大海人皇子が吉野から窪垣内に逃げてきはったときのことや。
皇子が婆河原まで来たら、
おじいさんとおばあさんが、紙すきの船を洗うておまつりしてはってんて。
皇子は、「賊が追うてくるから助けてくれ」て言わはってん。
おじいさんとおばあさんは、すぐに船をひっくり返して伏せて、
皇子をその中に隠してあげたんや。
ほんで、船のうえに樫の実の粉をお供えしててんて。
そこへ、賊の犬が追いかけてきて、
鼻をくんくんさせて船のまわりをくるくる回ったんや。
おばあさんが、
「この犬はいやしい犬や。お供えを食べよと思てほえる」
いうて怒ったら、追いついてきた賊が、
「そな行儀の悪いことをしたらあかん」
いうて、犬を殺してんて。
おかげで皇子は助かったいうことや。
それからや、窪垣内では犬を飼わんことになってんて。
その犬をまつった犬塚いうのが今でも窪垣内の旧国栖小学校の庭にあるねんで。
原話:奈良県吉野町・国栖の昔話(上)(『昔話―研究と資料十九』)
再話:村上郁 不許転載
別の話では、次のように語っています。
追手が連れていた犬カグハナが舟の周りでにおいをかぎ出し、
皇子が見つかりそうになったため、
翁(おきな)が赤い石を投げたところ、
石に当って犬は死んでしまいました。
死んだ犬カグハナは大津の京に置いてきた大海人皇子の愛犬だったことを知った里人は、
その亡きがらを岡の上に葬りました。
これが現在の犬塚です。
翁が投げた石は麓の御霊神社に安置され現在に伝わっています。
この話は、壬申の乱をめぐる一エピソードである。
天智天皇の弟の大海人皇子と天皇の長子である大友皇子が
皇位継承をめぐり起こした内乱において、
大海人皇子は、671年12月に天智天皇が崩御すると、吉野・宮滝に逃れたが、
翌年6月、宮滝から決起する。
吉野・窪垣内ではその頃の村の事件として、今にこの話を伝えているのである。
しかも、今に至るまでこの話を契機として、
村では犬を飼わないというのであるから、オドロキである。
フィールド・ワークでこの話を聞いたのだが、
すぐ隣の村では犬を飼っているのに
窪垣内では犬を飼うと、火事が起こったり、
よくないことが起こるので飼わないそうである。
壬申の乱の出来事が村の伝承としていまだに
村に息づいているのである!