プロポーズ小作戦25
郭公鳥が鳴く。
日本人は郭公鳥の声をかっこうかっこうと聞く。
中華ではしんぷーとうぃえぐーぐーと鳴く。文字にすると、行不得也哥哥。
意味は『お兄さん、行かないで』
金属中毒が意訳すると「私を一人にしないで」
郭公鳥の声がする。
天子は寝床から起き上がる。衛士がこちらをうかがう気配がある。天子は気にしない。物心付く前から常に誰かに見張られているので、慣れている。
「しんぷーとうぃえぐーぐー」
天子は郭公鳥の声を真似る。
郭公鳥は鳴くのに、しんくーは行ってしまった。
大司馬の冠位を得る前、まだ高亥が生きていた頃、眠れない天子の慰めに星刻は詩を朗した。星刻の声は声量が豊かで、よく響く。室内では声を落としてくれるが、それでも天子の指先が震えるほどの強さがある。その声に包まれて、ゆりかごで揺らされるように天子は眠る。眠る天子に星刻は毛布を掛ける。
本当は、天子はこのときいつも起きていた。いつも思う。今、目の前にいる星刻の瞳を見たい。でも、そうしたらもう女官達は星刻を呼んでくれなくなる。
眠れない天子を寝かしつける名人として、女官達は星刻を便利に使っている。天子は眠っていない。じっと星刻の気配を感じている。彼の手が髪をなぜる。
優しく、そっと。最初は続けて。だんだん間を空けて。
その間に星刻はよく詩を吟じた。
有名なところでは李白、杜甫、孟浩然、王維。時には趣向を変えて李白の詩が元になったといわれる、マーラーの『大地の歌』まで。
余談ではあるが、このときの子守唄のおかげで、天子はブリタニア官僚やヨーロッパ貴族との会話で恥をかかずに済んだ。
天子が幼い頃アルトだった星刻の声。テノールになり今は意識して低くしている事もあり、バリトンになっている。
エリア11に行く前に、高亥の目を盗んで詠ってくれた子守唄。あれは郭公の出る詩。
荊州歌
七言律詩
李白
白帝城辺足風波
瞿塘五月誰敢過
荊州麦熟繭也蛾
繰糸憶君頭緒多
撥穀飛鳴奈妾何
「当時の荊州の民間歌にあわせて作ったざれ歌です」
あの頃星刻はざれ歌としか言わず、意味を説明してくれなかった。でも、今天子には歌の意味がわかる。そして、歌の主人公の苦しさも。
天子は琴を爪弾いて詠った。
白帝城のあたりは風が吹き、荒波が多い。
難所として名高い瞿塘、そんなところに誰が望んでいくものか。でもあの人は行ってしまった。
私のいる荊州は麦が実り、蚕の繭が蛾になる季節である。
私は繭から糸を繰りとってはあなたを思い、深く悩む。
そんな私の心に郭公鳥の声がする。「私を一人にしないで」と鳴く。郭公よ、お前は私をどうしたいというの。
歌の主人公である荊州の女は誰を思ってうたったのか。
意味を教える事をせず、幼い私にこの歌を教えた星刻は誰を思っていたのか。
天子は気が付いていないが、天子が歌い始めた頃から部屋の外にはジノがいた。
賓客としておもてなしせよとの大司馬の命令でジノは異国の王族に順ずる扱いを受けている。
それでもさすがに天子の寝室に入るのは常識的に・・・タブーだろう。
警護の衛士は止めたが、天下に聞こえるナイトオブスリーを止める事などできない。
ジノはひょいと顔を出す。
「知っているかい天使ちゃん。そうやって『一人にしないで』と鳴くのはオス鳥なんだよ」