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読書歴 北の十字軍 ヨーロッパの北方拡大 エピローグ

2012-08-18 16:24:18 | 読書暦 音聴歴
北の十字軍 ヨーロッパの北方拡大

北へと拡大したヨーロッパ勢力。その先兵にして中核とされたドイツ騎士団。
ドイツ騎士団が切り込み、打ち払い、ドイツ騎士団国の民として移民した人が中核となる。
カトリックの修道騎士という在り方ゆえに、ドイツ騎士団は自らを構成する人を自力で再生産できない。常に移民を受け入れるしかない。

さいきょうを称したドイツ騎士団だが数の不利は常に存在した。
ロシア勢力に1242年のチュード湖で敗れ、東へのカトリック世界の拡大を断念した。

そして1410年タンネンベルクの戦い。ポーランド・リトアニア連合に敗れる。
マリエンブルクの城塞の籠城戦でかろうじてわずかな勝ちを得たが、それは勝利というより全滅を逃れたというのが正しい。と言うのも、タンネンベルクより後、ポーランド・リトアニア連合に圧力をかけ続けられた。
むろん、対策は講じた。が、数の不利はどうしようもない。実質この時以降ギルはポー・リトの家来になっている。ヘタでいうところのポー御守時代だろう。

 たぶんひとことだったのだろう。「リート、あの城欲しいんよ」
ギルベルトは長い間の首都であったマリエンブルグを含む東ポメラニアをポーランドに奪われた。もはやギルにはわずかに東プロイセンが残されているだけ。それもポーランド王の家来になり、かろうじて存在を許されているだけ。   
 普通の歴史の本に載っているポーランドは平和な農業国で悪の帝国であるドイツやロシアにいじめられ、分割され殺された国のイメージしかない。しかしそのポーランドは、ギルが苦労に苦労を重ねてようやく手にした国土をあっさりうばいとる、無邪気な国であったのだ。
 さらに後になってからの話だが、1914年8月にド イ ツ君が タンネンベルグの戦い の名を上書きしてしまったのも理解できる。悪意が無ければいいというものではない。むしろ善意が無意識が、他者を傷つけるのだ。



 さてさて時代はギルがポー・リトの家来であった頃。
ギルはポー・リトの命令でお見合い結婚をしている。ギルの直接の上司である総長に自分達の都合のいい人物を据えさせた。

 ポーとリトが最初にお勧めした総長はザクセンさんの人。これは1498年。御勧めと言うより押し付けですな。
次には1511年にブランデンブルグのホーエンッォレルン家のアルブレヒトと見合い結婚させている。このアルブレヒトはギルにカトリックを捨てさせた。ドイツ騎士団はカトリックの修道騎士団という集団だった。それを捨てさせられた時ドイツ騎士団は死んだといえる。
 ギルがこの時代まで純潔であったとして、おそらく本当の意味での結婚はブランデンブルグと言う事になる。

つまり、ギルとブランさんの見合いのセッティングをしてくれたのはポー・リトと言う事になる。「後は御若い方同士で」なんて言いながらさりげにブランさんに香油を渡すリトとか。・・・香油をなにに使うかについてはご想像ください。誰ですか800たす1とか言ってるのは。
後にギルはザクセンを半分とはいえ手にする。ブランさんがどの程度ドエスかによっては、楽しい夜になる。
例え形式だけとはいえ自分の配偶者の元夫。ドイツに通じるドエスの系譜が発揮されたと想像する。

三大騎士団2

2012-08-11 03:47:45 | 読書暦 音聴歴
最後の日に一緒にいたんじゃない。そんな風に考えたあなたはロマンチストであろう。それは事実だ。ただし、何をもって最後の日とするかにもよるが。一応、アッコン陥落の日1291年を最後の日として見る。するとロマンチストの目には愛とロマンにあふれた映像が、妄想ともいうが見えてきたりする。


200年間同じ聖地を守護しながら、ただの1度もともに手を取り合ったことの無い騎士たちが、今失われゆこうとしているわれらの聖地を、その瞬間を1秒でも食い止めるため共に闘う。

迫り来る炎。敵が撃ってくる火炎弾。その直撃を受け燃える騎士。叫びすら炎にかき消され倒れようとする騎士。それをどうすることもできず、ただ見ているだけの仲間。そこに飛び込んでくる赤い影。燃え続ける騎士を抱きとめる赤字に白い変形十字の騎士。パレスチナではなじみのその十字の本当の主。ヨハネ騎士団の化身。人と交わるときの名を団と同じくヨハネという。
燃えうつる炎。肉の焼けるにおい。化身といえど人と同じ肉体しか持たない。傷つけば痛みは人と同じだけ感じる。死体はまだぶすぶす音を立てて熱を発している。ヨハネの赤い衣が黒く炭化する。

「ヨハネ、手を離せ。もう死んでる」
低い声。その声が自分の兄弟、数少ない同胞の声であるのにヨハネは数秒かかってやっと気がついた。考えて見れば200年近く同じ土地にいるのにこの弟(誰も兄弟とは認めてくれないが)の声を聞くのはいったい何度目か。
弟の名を呼ぼうとしてその声に答えようとして、ヨハネは声を止めた。この弟の名をどう呼べばよいのか。自分はこの200年間一度も名を呼んだことがない。
「ユーグでいい」
その戸惑いにいつからなのかじぶんよりずっと視点の高い弟は低い声でぼそりと告げる。

ユーグとはテンプル騎士団をつくった最初の総長の名。この弟は生涯自分のためだけの己を表す名を持たなかったのだ。







ちなみにこの日ドイツ騎士団は何をしていたか。当時の現地の記録にはあまり残っていない。
もちろん個々の騎士も騎士団も全力で戦い死んでいったのだが、それはあくまでもアッコンの支部の話で、当時すでにドイツ騎士団は東ヨーロッパ、具体的にはプロイセンと呼ばれる土地を植民するのに主な力を注いでいた。
 APH的表現ではギルはすでにパレスチナを離れ、プロイセンにいた。これを命令したのがあのシチリア王フリードリヒ2世である。ギルの親父様と同じ名なのは何の偶然か。
史実ではこのアッコンの防衛戦のニュースを聞いたドイツ騎士団の総長がローマを経てアッコンに向かい、ヨハネ騎士団とドイツ騎士団の合併を行おうとしたが、結局成功しなかった。歴史にもしもは禁物だが、もし、ラテン・ドイツ連合軍ができていたらエルサレムの歴史はどうなっていたのだろう。

誰か書いてくれないかなぁ。読みたいなぁ。とつぶやいてみる。





















読書歴 北の十字軍 ヨーロッパの北方拡大

2012-08-09 14:40:39 | 読書暦 音聴歴
北の十字軍
山内 進
講談社選書メチエ


めったに見ない北の十字軍本。APH系の薄い本でもこの分野は少ない。露普本はあるけどほとんどあの40年か、よく遡ってもプロイセン時代。プーは単体でもいいと思うんだけど弟がらみだと最高においしくなるからな。夏コミでもその分野多いだろうなー。行きたいなー夏コミ。地方在住はつらいよ。

この本は表紙のあおりを書けばほぼ終わってしまう。「時は中世。ヨーロッパ北方を目指す「もう一つの十字軍があった。教皇の名の下、「異教徒と根絶」するべく残虐の限りをつくすドイツ騎士団。
ギル主役のドエス本を期待した人は私の同族です。
それを「正当化」した「思想」とは何か。大殺戮批判が生んだ「人権思想」とは?
3世紀に及ぶゲルマンスラブの相克! はい、露っ様に触られたら眉毛が抜けるレベルのギルくんはあの40年以外にもこの頃にも理由がありそうですね。アイ、あい、哀増、哀か憎悪か、臓か、ギルと露っさまの関係は愛憎よりも哀臓が似合います。関係が深すぎるし、絡み合いすぎる。プロイセンはゲルマン系も多かったけど、ゆだやんとかスラブとか、もとパリ人とかものすごくいたんです。特にオストプロイセンはスラブも混血も多い。もし明治維新の頃、プロイセンが同盟してくれ、割譲が成立していれば、黒髪黒目の日本人系プロイセン人もいたはずだ。あいづ藩がもうちょっとがんばってギルの上司を説得してくれていたらナー。今頃北海道の主食はポテトだったのに。・・・卵かけご飯だけは食べたいなー。

ちなみに一番少ないのは国名のもとになったプロイセン人(もともとのプロイセン人)だったりする。
とうのプロイセン人に言わせれば殺されまくり、文化はほぼ消滅し、しかも民族名をとられ、さらにあの大戦の責任を押し付けられ、国名は不名誉の扱いを受け・・・。もし、少数でもプロイセン民族が自覚を持って残っていたら、なんか言いたくなりますよ。言ってくれないかなー。誰かそういう話書いてないかなー。

いかん、本に戻って、3世紀に及ぶゲルマン・スラブの相克から、「大航海期」までをも展望し、ヨーロッパ拡大の理念とその矛盾をえぐり出す。


本のあおりって大事ですよね。これ読んだだけでこの本欲しい気がする。
表紙の絵もいい。タンネンベルグの戦いです。はい、APH派の人はとっくにご存知ですね。ギルがリト・ポーにのされたあの戦い。
さぁ、ヘタの単行本の3巻108から110ページを見よう。ギルのかっこいい、負けシーンが見えるぞ。
おや確か、私は不憫、普ビンな御兄さんの味方のはずだが。なんでこのページをお勧めページにするんだろ。あぁ、そうか。ギルはいじられてこそギルだからか。ラッセルも武蔵も不遇な扱い受け続けてる子だもんな。

この本は最初に「アレクサンドル・ネフスキー」という大作映画の紹介から始まる。(後で、アマゾンで売ってないか調べて見た。2000円くらいで売ってます)
1242年の氷上の戦いを映像化したもの。単行本4巻の73ページの「氷の上で鎧の人たちがドッタンバッタンやって、最後盛大に全員湖にポチャした戦い」歴史的にはドイツ騎士修道会が露っ様にぼろ負けする戦い。ギル君。単行本ではこんな扱いが多いな。実際、この子は負けも多いんだけど。負けても負けても生き残った。それがギルの強さ。生きぎたなさには定評のあるギル様です。
さて、そもそもなんでそんな北の湖でドボンすることになったのか。それが北の十字軍なんですね。

思想的には(世界をキリスト教化するために戦い、征服する)騎士修道会の使命に基づいてる。
で、エルサレムではすでにヨハネお兄様やテンプル兄貴が幅をきかしてて、ギルの入る場所はあまりない。それならと、もともとなじみのある北部ヨーロッパへ方向変換。教皇様も神聖ローマ皇帝も「どんどん行きなさい」と言うし、ギル君の北国生活の始まり。
エルサレムを第1の十字軍。イベリア半島(スぺ親分ほか)を第2の十字軍。このギル君を第3の十字軍と言う。こんなことまで歴史の教科書には書いてない。だから、日本史では明治維新。世界史では30年戦争あたりでいきなりプロイセンの名が出てくる。で、すぐドイツに変名する。もしAPHが無ければ普通の日本人にとって、プロイセンはドイツの古い名前以上の意味を持たない。もったいない。この時代はすごく   のに。
 
 
 
 

三大騎士団3

2012-08-08 15:41:50 | 読書暦 音聴歴
3大騎士団
そういえばなぜ3大騎士団なのかを当初は書いてた気がする。
メンバー(構成団員)も違う。国籍も民族も違う。社会的身分も違う。
テンプル騎士団は比較的低い階層の人が多かったが、ヨハネ騎士団は高位貴族に限定された。
活動地はテンプル騎士団はほぼ聖地。ヨハネは対イスラムであれば海でも陸でも乗り出す。
ドイツ騎士団は北のバルト海。

活動目的はテンプル騎士団は聖地守護。戦闘オンリー。男だけの集まり。
ヨハネ騎士団は対イスラムと医療の2枚看板。メンバーには下部組織とはいえ女性もいる。
ドイツ騎士団は戦闘と医療の2枚看板。男のみ。戦闘的布教が主な行動。



活動期間も大きく異なる。
テンプルは200年ほど。
ヨハネは今も活動中。
ドイツは・・・一応今も活動中。

いったい当時の人は何を考えてこの3団体を3大騎士団と呼んだのか。
素人視点ではさっぱりだ。

で、APH的結論を放り出しておく。
数多い騎士団のうち、なぜこの3団体だけが別枠扱いか。
それはこの3団体だけが御国様を産みだしたからだ。
もちろんそんなことは表むきには書けない。だから、理由のわからない御三家扱いになった。

でも、ほんとうになんでこの3団体が3大騎士団なのか。グーグル先生にでも誰か投稿してください。



三大騎士団

2012-08-07 16:06:40 | 読書暦 音聴歴
三大騎士団 よく聞く言葉だが、さてこれ実態は何だろう。
グーグルでもウィキペディアでもいいが、調べて見ればすぐわかるがテンプル騎士団、ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団と書かれている。
たいていの人はそれだけで納得する。昔は私も読んだだけで納得していた。
しかし、性格の不自由な兄を愛好する小生は思い立って調べて見た。

3大騎士団とは言いながら彼らだけに共通する要素が皆無なのである。
まず産まれた場所。エルサレム(ご近所も含む)である。キリスト教最大の聖地エルサレム産まれ。りっぱな共通要素である。それだけでもエルサレム生まれの3大騎士団として納得してくれる人もいるだろう。
ところで、エルサレム生まれは3大騎士団だけではない。規模の大小は変われど、他にも大量の騎士団が産まれている。

規模の大小は変われどと先に書いた。「そうだ、3大騎士団は大きいんじゃないか。今でも大きい企業の事を業界の御三家とか言うでしょ。」と考えた人。あなたは勘がいい。
確かにテンプル騎士団もヨハネ騎士団も大きな組織だ。時期にもよるがヨーロッパ全域を直接間接に支配した。しかし、ドイツ騎士団にはその要素が無い。普憫なドイツ騎士団なのだ。

仲がいいんじゃない。だって同じエルサレムを守る騎士団でしょ。特に仲がいいから3羽烏の意味で3大騎士団と呼ばれた。そんな風に言うあなたは善良だ。さて、回答だ。彼らはエルサレムを守る200年間ただの1度しか一緒に戦ったことは無い。最後の戦い、アッコンが陥落するその日だけ。では以前はどうか。対立するのが当たり前だった。

同じ上司とか。えっと、つまりグループ企業みたいな感じで。同じ会長さんの部下だとか。そんな風に考えた方。うん、それは間違いなくそうだ。なぜなら最終的な上司はローマ法王であるから。しかし、先にも書いたがこれは3大騎士団以外でも同じである。ついでに書くとここでもドイツ騎士団は別枠なのだ。一応形式上はローマ法王の下に就いているのだがドイツ騎士団に関しては神聖ローマ皇帝とのつながりのほうがずっと強い。
これ、ヘタの観点ではけっこうおいしいのではないか。パレスチナ(エルサレムご近所)で御国様会議の召集なんかがあったりしたらヨハネ騎士団もソロモン騎士団もバチカン様の足元にひざまずいているのに、ドイツ騎士団だけは神聖ローマ兄様に懐いている。一応、親というか兄としてヨハネ騎士団が怒るんだけど、ちっちゃなギル君はきょとんとして神聖ローマのひざ元で遊んでいる。怒られている意味がわからないギル君。で、ソロモン騎士団が無言でいきなりギル君の襟首ひっつかんで引きずりたおしてバチカン様の足元に押しつけた。(ソロモンさんは大いに乱暴な方です。)
そしたら、今度はヨハネさんがソロモンさんの乱暴を怒る。犬とガキの教育はすぐやらなければだめだ。そういうソロモンさんにさらにヨハネさんが言う。暴力だけで押しつけても教育はうまくいかない。そもそもお前は普段から乱暴で、とか言い続けていつのまにかヨハネとソロモンの喧嘩になる。
実際には脆弱体質の神聖ローマがパレスチナに来ることは無かっただろうから、このネタは使えないだろうけど。