金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

100 たくさんの小さな墓標

2007-01-22 19:45:16 | 鋼の錬金術師
100 たくさんの小さな墓標

電気もなく、ランプの油もない病室は薄暗い。窓のカーテンはすでに死人の包み布にされてしまった。ラッセルは患者の顔色を見るために窓を開けさせた。
窓を開く音に病人がつらそうな顔をした。
窓の外に何かあるのだろうかとラッセルは子供の頭越しに覗いてみた。
「・・・墓?・・・」
そこには墓標のような石が並んでいた。見える限りでも300はある。
だが墓標にしては石が小さい。それに名前がまったく無い。
「あれは?」
子供が言いづらそうな顔をする。
「子供の、7歳になる前に死んだ子供達の墓」
ようやく単語を探して答えた。
その答えを聞いたとたん、今まで凍りついたような顔でいた病人が部屋中に響くような声を立てた。
(まずい)今の状態での過度の興奮は避けたい。
ラッセルはそっと近寄ると強めに眠りの治癒陣をうった。患者の身体が血や分泌物で汚れたシーツの上に落ちた。
最初の患者のときに訊いたが交換できるシーツは無い。
有機練成者のラッセルなら練成できれいな状態に戻すことは簡単だが、まだ50人も患者がいると聞くと余計なことに体力を使いたくない。
今頃、白水は途切れた水脈を追って街のはずれに出ているだろう。
出かける前の彼と少し話をした。
「私の名前はアメストリスの言葉では水を表す。だから、この白水の2つ名を聞いたときは・・・。大総統は私の技を見ても何も思い浮かばなかったのだろうと思ったよ」
ラッセルは笑った。こんなに軽い気持ちで笑えたのは久しぶりだった。
「それなら、俺のときも同じですよ。いや、もっとたちが悪いな。住んでいる館の名をそのままつけられたんだから」
「そうかな。私は似合いだと思う。太陽が正義と思うときばかりではない。人には優しい木陰が必要だよ」
砂漠地帯に住んでいた白水には太陽はありがたい命の源ではない。むしろそれは死を呼ぶ存在だ。
アメストリスに移り住んで一番驚いたのが木陰のやさしさとそれをありがたく思っていない市民達だった。
「木陰は命を守るものだ。ソレニヤサシクトテモウツクシイ」
途中から白水の言葉はこの土地の言葉になった。
「よく似合う」
男の子に対してうっかり美しいなどといってしまったことをごまかすようにアメストリスの言葉で続ける。後から考えればラッセルにはわからなかったのだが。
ほかに言葉を理解する者がいないゆえの気楽さからか、ラッセルの口調は本来の16歳の年齢にふさわしいものに戻っていた。
「君はアームストロング家の縁故者なのか?」
白水は聞いたことがある。紅陽荘と緑陰荘はアームストロング家所有の双子の館だと。
「いいえ、緑陰荘はマスタング准将が住んでいて俺は田舎から出てきて住むところを決めてなかったからなんとなく下宿中です」
実際にはかなり重い理由があるのだがラッセルは軽い説明を通した。
「ノースランドの出かな?あまり訛りがないようだが」
ノースランドはアメストリス最北の地域の総称である。
「セントラルに来る前はオレンジの生る街にいました」
「ほう」
意外だった。この色白さから見て100パーセント北の生まれと思ったのだが。

白水が行ってしまった後ラッセルは子供をつれて病室を回った。
一日かけてようやく一通り全員を見て回れた。
(40度近い高熱が数日間続き、その間の死亡率は6割。熱が下がった後も胃の不調、食欲不振、倦怠感、リューマチ性の痛みが残る。白水さんに連絡が来たときにはもう手遅れだっただろうな)
アメストリスの民亊部門は機能不全を起こしている。軍事予算が7割を超え民亊部門に予算が回らないためだ。郵便や電報の遅配は珍しくない。
ゼノタイムで年寄りを治癒していたからリューマチ系の痛みの治癒は得意技である。
まずは回復を妨げる痛みや苦しみを取り除く。半数の患者はそれだけで快方に向かうだろう。
夕食時ようやく白水が戻ってきた。ラッセルの姿を見て重い足取りで近づいてくる。
水脈はだめだったのかと思ったが、白水はそれについては何とかしたと答えた。
本来なら別の方向に向かうべき水脈を無理やり捻じ曲げてこの街の中央の泉につないだ。
(半年ぐらいはもつだろう。だがいずれにしてもここはもうだめだ)
「緑陰、今夜中にこの街を離れてノリスに帰るんだ。案内をつける」
「えぇ?だってまだ」
「君には感謝している。だから・・・ここは危険だ。馬賊が近くまで来ている」
「馬賊?」
それなーにと問う幼い表情。
「凶悪な強盗殺人団だ。以前からオアシス周辺で交易団を襲っていたが。最近シンとの交易がほとんど途絶えているから街を襲いだしている」
「そんな、大変ですよ。すぐ連絡して助けを呼ばないと」
「助け。どこを呼ぶんだい」
「えっと、とりあえず一番近い軍の基地に」
白水は薄く笑った。
「無駄だよ。ここはアメストリスと認められていない。今はね」
かってこの街が貿易で繁栄していたころ、アメストリスはこの街に軍の駐屯所を造った。
街を守るという建前だったが実際はさまざまな利益を求めてのことだ。やがて街が衰えると軍も行政もこの街を切り捨てた。
「君を巻き込んでしまって申し訳ないことをした。せめて怪我をしないうちにノリスに戻ってもらいたい。車が1台だけ残っている。運転手とシャオガイをつける。急ぐんだ」
「待った。そんなこと勝手に決めて」
「こんなところに連れてきて申し訳ない。だが」
「やだよ」
ラッセルの口調が変わった。
シルバーの名で暴れていたときと同じ口調に。
「俺は押し付けられるのは嫌いだ」
「好き嫌いを言ってる場合ではない。車は用意させている。さぁ早く」
いきなり大きな音がした。
乾燥した空気にその音はひびをいれた。
銃声。
「遅かったか」
白水の声が低くなる。


101悪さする子供へ

宝探し2

2007-01-13 20:00:29 | 鋼の錬金術師
宝探し2

軍の病院は警備がきつい。その中でもここ細菌研究所は特にきつい。エドも銀時計のみでは入れなかった。ロイの命令書が、ものを言った。
病院という名の研究所。感染性とくに空気感染する細菌を集めている。発病している患者ごと。
ガラス越しに見える入院患者という名の隔離された生体サンプルは、どれもどろりとした死者の目をしていた。どの部屋も個人を示すものは何も無い。
彼らは厄介な病気に罹り家族からも住んでいる場所からも捨てられたのだ。あるいは全滅した土地の最後の生き残りなのか。
そんな病室が続く中一部屋だけ明るい花模様のカーテンがゆれていた。花瓶にはかわいいマーガレットの小花。見たこともない色だ。鮮やかな金色。
ベッド脇には本棚。絵本や子供向けの小説がぎっしり並ぶ。その横には錬金術本。その本棚を見ただけでここに誰がいるのか、なぜあいつがあんなにがたがたになっているのかエドにはわかった。
「どうぞ、1-8745です」
案内の看護士という名の見張りが鍵を開ける。
部屋は外から鍵をかけられていた。
あのときからあまり大きくなっているように見えない。
『弟』

「フレッチャー」
ぱちぱちと擬音語をつけて瞬きする。
やせて細くなった腕が本を落とした。
「エドワードさん・・・?」
生気に乏しい顔に、それでも精一杯の喜びを浮かべて少年はエドを見上げた。
あれこれと事情を聞くことは憚られた。少年の乏しい体力はすぐに底をついてしまう。何があったかなんてことはあとでラッセルを締め上げればいい。
フレッチャーはエドが大体の事情を知っているという前提で話をした。
この施設に入れるということ自体、エドが事情をわかっているということになる。
「兄さんは元気?」
「来てないのか?」
ラッセルのことだから毎日のように来ていると思った。
「ここには来てる。でも部屋には来ないんだ。少し前から。
僕がね、このごろ兄さんが元気ないから休んでねっていったら、来なくなった。気にしてるんだよ。でも来ているのはわかっているのに。この花はどこにも売ってないんだ。毎日新しいのに換えられているんだ。兄さん、僕が寝ているときに来ているんだよ」
やさしい笑み。兄のうそも優しさもすべて受け止めているような。その笑い方は鎧のときの弟に良く似ている。
疲れたのだろう。フレッチャーは小さなため息をついた。
「少し、眠ってろ。起きたころに来るから」
「また、会えますか」
この子はすべてを受け入れているのだ。何もかも受け入れることでしかこの施設で研究体になって生きることはできないから。
「約束する」
そういってエドは両手で子供の小さな手を包んでやる。この子の兄がそうしているであろう同じことを。
「よかった。エドワードさん。良かった。アルにもおめでとうといって・・・」
言葉の後半は夢の中に消えた。

フレッチャーは知っているのだろうか。あのときのアルが鎧そのものだったことを。今の言葉はそうとも取れる。
フレッチャーが眠った間にここの研究員にあれこれと聞いた。一応、ロイの名代で視察という建前になっている。
「エルリック少佐は生体にもお詳しいのですね」
的確な質問に研究員はお世辞で無く言った。
「まぁな」
人体練成をしようとしたとき人体についてはいやというほど調べた。
入院患者の生活環境を調査するという建前で目を覚ましたフレッチャーのところにもう一度行く。

ドアを開けさせ中に入る。
「エドワードさん」
淡い、ガラスの花のような笑顔。
ラッセルの気持ちが良くわかる。この笑顔を守るためなら何でも犠牲にするだろう。もし、これがアルの身に起きていたら自分も同じ選択をしただろう。

そして、この弟が考えることを自分の弟も考えただろう。

「兄さんが言っていたよ。僕が治ったら僕をここから盗み出すって。だからここでしばらく我慢していろって」
治る。そんな日が来ることをラッセルは信じているのだろうか。ここに入れられる患者は治療法の無いものばかりだ。いや、あいつは信じている。俺がアルを元に戻せると信じていたように。だが、おそらくこの弟は兄を信じてはいても、治る日が来るとは信じていない。
奇跡はもう起きてしまった。アルは元に戻った。元の体を取り戻す形で。まだ、鎧のときとの違和感に戸惑っているが時期に落ち着くだろう。そのアルが言った。僕は兄さんが元に戻してくれると信じていたけど、元に戻れるとは信じられなかった。だって、僕が鎧の姿で生きていること自体奇跡だよ。そんなにたくさん僕らにだけ奇跡が起きるなんて思えなかったよ。兄の生身に戻った右手を両手で包んで弟は言う。こんなにたくさん奇跡をもらっていいのかな。
「いいんだ。お前はそれだけ苦労した」
「アルのためなら俺は運命とやらの横っ面を殴り飛ばしてでも奇跡をふんだくってやる」
「兄さんたら」
この兄ならやりかねないと思う。

小さな声が話を続けた。
「僕らは戸籍未整備地区だから何とかごまかせるって言うんだ」
くすりと弟が笑う。
病気のせいだろうか。今のアルと変わらない年に見える。小さい。ゼノタイムで会ったときより小さく見える。あの時12歳ぐらいだったのだろうか。
「甘いな」
「うん、僕もそう思う。兄さんは昔から見通しの甘い人だったから。
何とかなるって言い切るんだ。それで何とかしきるからすごいんだけど。
でもね、研究でも何とかするためにずいぶんひどい目にあっているのにちっとも懲りないんだよ。本当に少しも進歩しないんだから」
ほほを少し膨らます。たぶん自分もアルに似たようなことを言われているんだろうなと思う。
アルはこういうのだ。鎧のときも、今も。『兄さんは少しも変わらないねぇ』
このところ弟の声にもう一人の声が重なる。弟は家主といい、兄は同居人というその人の声。
『成長しないのは身長だけではないのだな。鋼の』
『大佐も変わりませんね』
なぜだろう。かわいい弟に言われても腹が立たないが、いやみ上司には思いっきり腹が立つ。そもそもこいつに頼っている自分に腹が立つ。

小さな声が続く。
「でももう無理なんだ。これ以上続けたら兄さんが持たない。だからおねがい。

「死なせて」
ほとんど聞こえないくらい小さな声。
「俺にはお前の頼みを聞いてやる義理が無い」
あえて冷たい声でエドは言い放つ。
「うん、わかってる。ごめんね。知っている人の顔を見てつい甘えたくなった」
「だいたい、まだお前にはアルの名前の借り賃をもらっていない」
「ごめんね。迷惑かけてばかりだ。もう払えないと思うし」
「錬金術師が踏み倒すなんて絶対許さない」
「でももう僕は」
「お前の名を寄こせ」
「?」
「あのときの等価交換だ。アルにお前の名を寄こせ」
そうだ。なぜもっと早く思いつかなかったのか。アルがアルとして生きるから鎧だったアルと今のアルで人体練成が問題になるのだ。別人ならば問題は無い。
「いいよ。使って」
あまりにもあっさりした答え。
この子は自分の存在そのものをあきらめている。
「いいか、アルとお前は交換した。わかったな」
「うん」
どうせここでは名を呼ばれることは無い。試験体ナンバー、それが今の自分の名。
「では、アル」
「・・・なんですか、エドワードさん」
「兄さんと言え」
強制する。
「だって、」
「兄さんだ」
その押し付け方が兄とそっくりだ。
「うん、   兄さん」
「よし、俺の弟があきらめることなど俺が許さない。あきらめるな。必ずなんとかしてやる」
見張りが外に来た。時間だ。耳の中にあきらめるなと約束を押し付けた。



研究所の外に出てから、どうもはめられた気がする。と思った。
川原で石を投げた。新しい国家錬金術の様子を見て来いといわれて、行ってみたらラッセルだった。生気のない顔で眼光だけが鋭い。自分もついこないだまで同じ目をしていたように思う。今は、たとえ気に食わないいやみな上司の家に下宿中といえ、かわいい弟がにっこり笑うだけで幸福とはかくあるものだとにやけてくる。
それを上司にからかわれる。そのいやみすら、その後なだめてくれる小さい手の感触を思えば幸せへの鍵にすら感じる。
宿の部屋の入り口でマスタング大佐の代わりにご様子を伺いに来ましたと棒読みのせりふを言った。
本にうずもれるような影が振り向いた。ラッセルだった。
「よぉ、元気そうだな」
長いこと会ってないにしてはあっさりした挨拶だ。まぁ、喜び合って抱き合うような仲ではないし。どっちかというと道であったら蹴り飛ばしたくなるような相手だ。
だが、エドの口からはあっさりした挨拶は出なかった。
「おまえ、何日寝てない。めし食ったのはいつだ」
前は自分もよくやりかけた。研究に夢中になって寝食が消えてしまう。だが、自分には弟がいる。さりげないタイミングで食事をさせ寝かしつける弟が。
こいつには、今誰もいないんだ。そのときには弟がなぜいないのかは聞けなかった。というのも「人事だろ。ほっとけ」とふてくされたように、いやどちらかというとすねたように答えたラッセルが直後倒れたからだ。
限界だったのだろう。

とにかく病院に運んでロイに連絡した。そしたら「そっちは医者に任せて次の仕事を頼む」である。
あの無能サボり上司め。アルを人質にとっていると思ってこき使ってくる。
そのことをぶーぶー文句を言ったらアルに「ずっとお世話になっているんだし少しはお役に立とう」といわれてしまった。
「本当は僕もお役に立ちたいんだけど、この姿を見られると困るでしょ」
まったく、それがなければロイの所なんか来るもんか。
そして言われた先が細菌研究所だ。

行った先にあの『弟』がいた。
どうも計算されていたようで不愉快だ。
だがこの手ならばアルを外に出してやれる。





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宝探し  独立してます

2007-01-13 19:51:13 | 鋼の錬金術師
宝探し


アル!!!アル!
兄はいくども名を呼んだ
弟はそのたびに答えた
もはや反響しない声で。
弟はもとの肉体を取り戻していた。

(なんだか、兄さんが大きく見えるね。)
当然だろう視点が違う。2メートルのよろいと10歳の自分では。
そう、アルの肉体は完全に元に戻っていた。

チャンスを手に入れたのは偶然だった。第5研究所のことがあったから、とにかく軍の研究所をもう一度洗いなおそうと勤めていた職員の記録を含め調べ上げてみた。その中にアルは懐かしい名を見つけた。正確には懐かしい名の縁者を。
ナッシュ・トリンガム。
(ラッセルとフレッチャーのお父さんだ)
自分たち兄弟には父は遠い存在だがトリンガム兄弟にとって父親は大切だったらしい。
そういえばトリンガム兄弟は父親の遺品と言える物をまったく持っていなかった。
軍の研究所の隅にでもコーヒーカップの1個ぐらい残っていないだろうか。
いつか会えるともわからないけど、もし会えたら『弟』に渡してあげよう。
手のかかりすぎる兄に苦労している同士に。
兄を焚きつけて第3研究所に行かせた。夜中にアルフォンスももぐりこんだ。
そこでおもしろいものを見つけた。歴代の職員の仲良し交換ノートだ。おふざけなのだろうが、いい年をしたおっさん研究員たちが女子高生みたいに交換ノート・・・。寒さなど感じないはずのアルフォンス、  震えた。 ・・・頭のいい人って怖いなぁ。
中をのぞいて見てなーんだと思った。それは単なる研究の申し送りだった。誰が表紙を書いたのやら、ずいぶんいい性格の人がいたらしい。
だが、結構面白い研究をしている。アルはつい夢中になって読みふけった。
おい,アル。石について書いてあるのか?
夢中になって読みふけるアルのよろいの頭を兄の金属の腕がつつく。
カン
金属の響き。
「もう、音立てないでよ。警備に見つかるじゃない」
「お前が遊んでいるからだろ」
さすが兄だ。
弟がつい読みふけっている内容が、目的外だとすぐ気がついた。
たぶん自分もしょっちゅうやっているからだろう。
なんだ、それ?
覗き込もうとする兄にアルはにやりと笑って(鎧だからイメージです)表紙だけを見せた。
「うっげー。きもい。変態の集まりかよ、ここは」
「単なるジョークだよ。中身は申し送り」
「悪趣味」
自分のことはうんと高い棚に上げて兄が言う。
そういえば兄の上司が言っていたっけ。
『大人になるということは自分の都合の悪いことを隠せる高い棚をたくさん持つということだよ。(笑ってから)鋼のではまだ棚まで届かないだろう』
その後兄は毎度の反応を示して上司を楽しませた。まったく、この人、大人のはずなのにどうしてこういうところは兄と同レベルなのだろう。アルのため息は(イメージです)兄とその上司の両方に起因していた。

兄がノートを引っ張った。
「だめだよ。古いんだから、破れる」
言う間にピッと音がして、ノートから何かが落ちた。
「ぁーあ、兄さんたら乱暴なんだから」
「アルが離さないからだろ」
あれ、落ちたのは破れたページだけではない。小さいノートも落ちていた。
わが子へ
ナッシュ・トリンガム
これは、ラッセル達のお父さんから子供たちにあてたノート。
すばやく拾った兄が中を開いた。
「だめだよ、人宛てのノートを盗み見たりしたら、よくないよ」
「今さらだろ。へぇ、宝探しか」
「まぁ、確かに盗賊兄弟の名ももらってるけどね」
「おい、行ってみよう。宝探しだ」
(はー?)
兄はノートをアルに投げると走り出した。
何か好奇心が刺激されたらしい。こうなると兄は止まらない。
「ノートに何か書いてあったの」
「ここの地下に宝物がある。どうしても必要なときは探せ」
兄がノートの内容を要約した。
「でもそれってフレッチャー達の物じゃない」
このノートは2人あてなのだから。
「何言ってやがる。宝探しは見つけたもんの勝ちだぜ。第一、どうせ軍の秘密のお宝だ。あいつらも盗みにくるしかないだろ。せっかく、まともに生きる気になったのに盗みなんかさせるのはよくない。 だろう。
だから、俺たちが探し出してやる。年上のやさしさってもんだ」
ぁあ、それ事実とぜんぜん違うと思う。
でも、どうせ兄は止まらない。
あるいは兄にはこの時点ですでに宝物の内容の予測があったのだろうか。
それはわからない。

どんどん地下に降りていく。アルは息苦しさを覚えた。おかしな話だ。鎧の自分は息などしていないのに。兄は大丈夫だろうか?
「兄さん」先を走る兄に声をかける。
兄の指が唇に触れる。
静かにということだ。表情が硬い。兄も何かを感じているのだ。
戻りたいがこうなると何があるのか調べないわけにはいかない。
行き止まりの壁に行き当たった。
壁の向こうを調べなくてはならない。
だが、「ここいやだ」
鎧の弟が幼児のようなおびえた声を出した。
兄はもっと強く何かを感じているらしい。
「ここだ」
手をたたく。壁が光に包まれて消えた。
空気が黒い。嗅覚の無いアルはそう思っただけだがエドはもっと強烈なものを感じた。ロイならばイシュヴァールの風と表現しただろう。それは強烈な腐臭。
エドの息が無意識のうちに止まった。だが2分以上止めるのは難しい。
激しい咳き込みとともに息を吸った。
「兄さん、これは」何なのという言葉が出てこない。
「これじゃない、彼らだ」
兄の声が震える。
「何が宝物だよ。トリンガムの親父さん何考えていたんだ」
そこにあったのは巨大な赤い石。アルの両手でかろうじて抱えられほどの大きさの。完全品ではなかった。アルの位置からは見えなかったが固まった血液のような色の石からは赤ん坊と思しき手が飛び出していた。
「吐けない」
ショックで自分は吐くとエドは思った。しかし、吐けなかった。これは化け物ではない。軍の研究所で魂を石にされてしまった人々なのだ。
「ごめん、ごめんな。何もできない」
たすけて。たすけて。たすけて。助けて。助けて。タスケテ。タスケテ。
重なりあって聞こえる声。
「兄さんをいじめるな」
アルが兄を後ろにかばった。
石からは邪悪な意思を感じない。ただ、悲しい。タダ、哀しい。ただ、かなしい。
それだけが伝わってくる。
でも兄は泣いている。
無力さに啼いている。
兄が泣いている。

「帰ろう兄さん」
ほかの事はどうでもいい。兄を助けなければ。
助けて、たすけて。ここから逃がして。かえりたい帰りたい返りたい還りたい。
還して。お願い還して。
空気を直接震わせて感じる声。
「わかる。どうしたいのかわかる。どうすべきかもわかる。いちどやったことだから」
「兄さん答えないで」
あれが何かなんてどうでもいい。
でも兄さんが泣くなら、僕にとってこれは良くないモノなんだ。
たすけて、オネガイ、かえして
かすかなかすかな赤ん坊の声。
泣いているとさえわからないほどの。
兄が耳をふさぐ。だが、音でなく聞こえる声は耳をふさいでも同じだ。

「わかった。還してやるよ。お前のママのところへ」
「アル、見張り頼む」
「兄さん、何する気」
思わず声が甲高くなる。
もし本来の年齢で育ったなら決してでない高い声。
「彼らを世の流れに帰してやる」
「それは、   
どうして兄さんがしなくてはならないの

声にしなかった言葉に兄は答えた。
「錬金術師よ。大衆のためにあれ」
兄よ。あなたは私を弟と呼ぶ。あなたはこれを人と呼ぶ。あなたにとって人とは何ですか。

兄の両手が弟の思いを断ち切るように打ち鳴らされた。
飲み込まれた。あまりのも巨大な力にこの地下空間そのものが飲み込まれた。
振り向いても階段も壁も無い。白い部屋。白い空間。そこになぜか門がある。
いまさらのように思う。
変だなぁ。
なんで、壁も無いのに門がいるんだろう。
人の気配。門を見ている兄の回りに人の気配。それも数え切れないほどの。
何も見えないのに。
それが石を造っていた人の魂の気配とはっきりわかる。
「待っていろ、開けてやるから」
兄がつぶやく。
「だめだ」兄の手を押さえた。
開けないで。扉を開ける。それには代価がいる。兄は魂たちを扉の向こうに返すつもりだ。
その代価は。扉を開ける代価は兄が奪われる。
「アル、なぜここに」
白い空間。弟は外にいるはずだ。
「知らない。気がついたらここだった」
「あちゃー失敗したかな」
こんなときでも兄は兄だ。
オートメールの手で自分の額をこついで、痛いと叫んで飛んで回った。子供のころの癖だ。
等価交換しよう。
空間を震わす声。魂の声だ。
私は錬金術師だ。君が扉を開けてその体を代価にしてくれたら、扉の中の異物を外に出そう。
扉の中の異物。
異物。この場合本来ここに属さないもの。
それは、僕の。
「兄さん、僕にさせて」
「お前は、危ないことをするな」
まったくこの兄はわかっているのだろうか。もう、弟は故郷にいたときのチビではないのだが。いまだにこの自分に知らない人についていくななどとよく言うのだ。トラブルに足を突っ込むのは兄のほうなのに。
私達をこの姿にした者が地図を残したのだろう。君達はあの者の子か
どうもこの魂は魂だけになっても理屈っぽいしおしゃべりだ。ほかの魂がただ嘆くのとはずいぶん違う。
「知らないよ」
だいたいあの者の子かで返答できるわけが無い。
「でも取引はできる」
「おい、アル」
「僕が帰ってきたとき僕が魂を持っていなかったら兄さんが助けて」
兄は扉を見上げた。
「わかった。必ずお前を元に戻してやる」
扉に手をつける。力を入れて押した。
内側からも引かれた。黒いもの。あの時も見た触手。僕を持っていったもの。
小さく開きかけた扉から中に飛び込んでいく風の音。それが魂の返っていく音と気づいたのはすべてが終わってからだった。
それから何がおきたのか実のところ全てがわかっているわけではないが、扉が内側から大きく開かれた。手をついていた僕はそのまま前に倒れこんだ。中に入ったとたん体が動かなくなった。足を引っ張られた。強く。
いたい。と叫んだ。
後になって思えばこのときすでに自分は元の体だったのだ。
赤い石の光で淡く照らされていた地下の部屋。それが真っ暗になっている。
臭い。
最初の呼吸は無意識だった。赤ん坊が最初に息を吸うときはどんな感覚なのだろう。でも、あまりの臭いに息を止めてそれから耐えられなくなった。もう一度息を吸った。

「アル!」
「アル!!」
「兄さん。大声はだめ。見つかるよ」
言った言葉が体内に反響しない。
「えっ?」
強烈な違和感。どうやらすっかり鎧姿に慣れていたらしい。
両手を打ち鳴らす音。兄の手にランプがある。
アル。
震える手からランプが落ちる。あわてて受け止めた。
「見張りに気づかれたらどうするの」
いつものペースで兄に苦情を言う。どうして自分は平常心でおれるのだろう。きっと手のかかる兄がいるからだ。
「アル、家に帰ろう」
ランプの火が震える。兄の手の振るえだ。
弟の小さな本当に小さな手をとった。
この手だけは離さない。
もう一人でどこにも行かせない。
強く握り合う手、約束の手。



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銃のお稽古

2007-01-13 19:42:01 | 鋼の錬金術師
銀のトリンガムよりリザの子犬たち
 本文 銃のお稽古その2

「そうだ、中尉に頼みがあったんだ」
「何ですか、大佐」
すでにマスタング大佐は准将であるし、ホークアイ中尉も大尉である。しかし二人は軍を離れた場所では東方司令部時代の呼び名で呼び合うことがある。退役したハボックを除き、全員が階級を上げばらばらにされていた。リザが今仕えているのはブイエ将軍である。ロイとはまったく違う意味で軍人のにおいのしない軍人である。肉体は軍人、頭脳は高級官僚それが世間のブイエにたいする評価である。
後の話になるが実質的大総統となったロイとあのホモンクルス事件がなければ次期大総統といわれたブイエの軍内での対立にラッセルは駒として利用される。それはルイ・アームストロングの別方向からの支援が無ければラッセルがつぶされかねない陰湿な対立であった。
ロイがラッセルという世間慣れした青年を最大の手駒として育て、軍の中で活動させるようにしたのは、ロイ自身がこの時期に手足である部下たちと引き離されていたという事情が大きい。後になってマスタング政権の一端を担うようになったトリンガム兄弟がかならずしも他の幕僚達と懇意でなかったのはこの育てられ方にあった。
「ラッセルに銃のコツを教えてくれないか。こればかりは私が教えるわけにはいかなくてね」
ロイの銃の腕前はノーコンと言ってよいレベルだった。
「大佐、また練習をなまけてますね」
「ハハ、いまさら練習しても上達しないだろ」
「雨の日のこともお考えください。私が側にいられなくなっているのですから」
「それは考えているよ」 
うそではなかった。そのことは国家錬金術師4人がかりで逮捕したスカー(正しくは逮捕後軍によりスカーであると認定された者)との戦いでやがて証明される。
 その夜、軍の射撃場でリザとラッセルは軍の公式銃を手にしていた。比較的反動が小さく初年兵でも扱いやすいそのモデルは5年前から正式採用されていた。納入決定にわいろの噂がついて回るのはお約束のようなものである。
二人は同じ青い軍服姿である。唯一の違いはラッセルには階級証のある位置に大総統紋章に六茫星、すなわち銀時計と同じ標が銀糸で入っている。手にはめた白い手袋にはすでに練成陣が縫い込まれている。彼が銀時計を受け取ってまだ一日である。軍服といい手袋といい大総統はあまりにも手はずが良かった。   まるで、彼が来るのを待っていたかのように。
「銃は初めて?」
「はい、分解と組み立てだけは准将に伺いました」
「それなら私は射撃だけ教えるわ」
リザの模範演技はすべての的のどまんなかを10秒以内に打ち抜いた。
その後、ラッセルの初射撃が始まった。
リザの見るところ姿勢も持ち方も完全である。しかしまったく的に当たらない。ロイの話では練成時のコントロールは文字通り針の穴を通すレベルであるのでノーコンではないはずである。
(この子も大佐と同じで銃だけノーコンなの?でも普通姿勢も視線もこれだけ良ければ少しぐらい当たりそうなものだけど)
「一度練成であのまとに当ててみて」
「はい」
返事とともにまとは真二つに割れた。
「?何があったかよくわからないのだけど」
「練成した蔓を的に当てただけです。あのまとそんなに強くないようですね」
「そうでもないけど、(大型口径で撃っても壊れないようになっているはず)当てるのは簡単なのね」
「銃は反動のせいかな、簡単には当たらないものですね」
リザに向ける彼の目には素直な賞賛がある。
(あら、この子もこんなにかわいい顔するときもあるのね。こうしてると16に見えるわ)
ラッセルはまた撃ち始めた。『反動が』と口にした割には姿勢に乱れがない。(この程度の反動ならこの子の体力なら十分抑えられる。なぜ当たらないのかしら?)リザはラッセルの視線を追った。(もしかして?) 何かわかりかけた気がして、さらに見ようとしたときラッセルがつぶやくように言った。
「銃を撃つとき、心臓に響くようなぞくっとくるものがありますね。  そう、人に対する罪とでもいうような」
(なんだか変ね。まるでもう人を撃ったことがあるような言い方だわ。初めて撃つことに間違いはないはずなのに)
弾切れを起こしたところでまとが自動的に入れ替わる。1クール終了である。
「1度銃を変えて見ましょう。ラッセル君?」
気配の変化に振り向くとラッセルは左手を押さえ青い顔で壁によりかかっている。
「医務室にいきましょう」
「大丈夫です。これぐらい自分で治せます」
「あなたは何でもできるかもしれないけどできることとすることはイコールではないわ。時々はプロの手を利用しなさい。きっと新しい発見があるわよ」
普段のラッセルはまったに他人の意見をそのまま受け入れたりはしない。しかし、エドが姉か母のように懐いているリザには抵抗する気にならなかった。
 医務室ですぐ鎮痛剤を打たれた。
「お手間を取らせてすいません。ホークアイ大尉」
「ラッセル君 子供があまり気を使いすぎてはだめよ。胃が悪くなるわよ(笑)」
「子供・・・?」
「書類見たわ。あなたまだ16ですって。ごめんなさいね。21なんて言って」
「年を間違えられるのはいつものことですから。それに」
「自分でも意識して年を上に見せているからでしょう」
「ご明察恐れ入ります・・ッ痛」
「まだ痛む?薬の効き目遅いのかしら?」
「この手の薬は即効性が売りのはずですが」
「さすがに詳しいわね」
「2年ももぐり(診療)していましたから・・・」
軽く笑おうとしたラッセルの表情があいまいになる。
(妙だな。薬の加減か? だるい。それに、さむ・い)
リザが名を呼ぶ声がかすかに聞こえた。部屋の中が暗くなる。(いや、どうやら俺が気を失いかけて・・・)

リザの見ている前で急に表情を失った彼は床に崩れ落ちた。
「先生!」リザは医師を呼んだ。
「とにかくベッドに。しかしこんなに効くはずが無いが?」
医師は彼をあちこち調べていった。(これでは眠っているというより・・・意識レベルが低すぎる。昏睡に近い)
ラッセルの軍服には階級章の変わりに国家錬金術師の紋章が縫い取られている。
「錬金術師ですか。リバウンドの可能性はありませんか。大尉」
しかし、リザの知る限りリバウンドを起こすようなことは何も無かった。
「先生、よく初年兵が銃で最初に殺したときの心理テストに、銃とは人に対する罪である。という表現がありましたね」
「そうですよ、それを乗り越えてこそ一人前の兵です」
「彼が過去に人を撃った可能性はありえますか?」
「年齢から推測してあまり考えたくはないですが、まぁ軍の銃が横流しされているといううわさはありますからね。そういう物が手に入る環境ならありえるでしょう。その可能性を考慮するならばそれは心理面の問題です」
医師は言外に自分の責任ではないといいたいようだ。
(大佐はこの子を自由になる手ごまとして育てるつもりだわ。だとしたらこの子を調べなければ。大佐はまったく調査もしないでこの子を受け入れた。それは大佐がこの子を信じられると直勘したことが最大でしょうけど、私が連れて行ったという点も大きかったはず。それに銃は初めてと言った、あの言葉にうそは感じられない。おそらくこの子自身も知らない何かがあるはず。この子の安全のためにも調べなければ。何も知らないまま、こうやって眠ってしまうことになればそれが敵の前ならば。この子のためにも急いで調べなければ)
実年齢を知ったこともあるが、時として見せる幼すぎるほどの表情を見ているうちにリザの中でラッセルはハヤテと同じ守り教え育てる子犬になっていた。


 後日のことになるが、リザ・ホークアイはある町で起きた4年前の暴動を調べていた。死者20人、負傷者50人、行方不明者一人(女性エリノア・トリンガム)。それは日付から見てラッセルが12才の冬のこと。詳しく報告書を読み解いたリザは某未成年者の銃の暴発による負傷者が行方不明になっているという事実にいくつか事実をつなぎ合わせていた。(彼が母親を撃った。母親は失踪し彼は母が逃亡生活中に病死したと思い込んでいる。(12といえばエドワード君が国家錬金術師を取った年。エドワード君が絶望の中大佐の焔でよみがえったその同じ12才で彼は理由はわからないけど絶望を抱いたのだわ。) 報告書にはエリノア・トリンガムの写真が1枚つけられていた。少しぼんやりしたそれで見てさえも黄金の髪に青銀の夢見るような印象の瞳、二人の子供の母親というより夢見がちな少女の印象が強い。美しいそして男の保護欲をそそる、どこかはかない女性だった。失踪時28歳とあるから16歳でラッセルを生んだことになる。

リザはその報告書をロイの手を借りて、准将権限で消滅させた。何の相談もしなかったのに二人はそろってラッセルには同じ説明をした。「君の(あなたの)銃のノーコンはどうも先天的なもので練習してもしかたない。それより、得意分野の練成や体術を鍛えるほうがいい」
それは軍服に不可欠の銃さえも準銀製の空砲のみしか撃てないいわば偽物を持たせるほどであった。この擬似両親の用心のお陰で彼は実母と再会するまで自分の中の闇と出会うことはなかった


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穏やかな時間  本文の1部ですが入り損ねたお話

2007-01-13 19:39:42 | 鋼の錬金術師
銀の(アルゲントゥム)トリンガムの
リザの子犬達より  
 
本文の1「穏やかな時間」

 ラッセル・トリンガムが推薦枠で国家錬金術師にトップ合格したと知ったリザ・ホークアイはセントラル一おいしいと評判の店で直径40㎝のチーズケーキを買い元上司の住む緑陰荘に向かった。
(エドワード君少しは元気になっているといいけど)
電話で声を聞いた限りではずいぶん調子が良さそうに感じた。このケーキはエドの希望である。
「いらっしゃい、ホークアイ大尉」
「あ、中尉それ1番店のチーズケーキだろ」
前に見たときは意識もなく雨に打たれた子猫を思わす様子であったエドが、今日は顔色もよく玄関まで吹っ飛んできた。
「エドワード、お前はまったく子供みたいに。すいません大尉」
とがめているのは銀の瞳のトリンガム、先日リザが連れてきた青年だ。
「いいじゃん。俺中尉とは仲良しなんだ」
「気にしないで、エドワード君とは12歳のときからの友達なの」
「にしても、お前も一応16だろ。もう少し礼儀を」
「その言い方、ロイにそっくり。お前こっちに来て一段と老けたな」
「お前はまったく成長してないな。」
「誰が水やっても伸びない豆だ!」
「どうしてそう聞こえるのだろうな。俺は中身を言ってるんだが(まぁ、外も同じか)」
ポンポンとテンポ良く交わされる声にリザが微笑する。
「元気になって良かったわ。そうそうトリンガム少佐(待遇)銀時計おめでとう。私の目に狂いはなかったわ」
「ありがとうございます。大尉」
「軍の中ではないのよ。リザでいいわ」
「はい、・・・リザさん」
「あ、ずるい。ラッセルだけ名前呼びだ」
「そうね、いつも司令部で会っていたからすっかり『中尉』になっていたわね」
「わーい、それならリザ、姉さん」
「あらうれしいわ。かわいい弟がほしかったの」
「お茶入れてきます。エドワードあまりはしゃいでると後で疲れるぞ」
「お前がいるから平気だよー!」
テンポ良く投げ交わされる会話の中にもエドが闘病中であることがうかがえる。
(そうね、いくら奇跡の使い手の名を得ていても限界があるわね。この国の医術ではどうしても3ヶ月からよくもって一年。もう宣告されてしまっている。せめて残った時間を楽しめるようにしてあげたい)
「にぎやかだな、中尉」
「まぁ大佐いらっしゃったのですか」
「君が来ると聞いてね、久しぶりに休んだよ」
「大総統第一側近が簡単に休まれるなんて」
「第一側近か、首輪をはめ直されただけだが」
「大佐、そんなことを口にされては!」
「ハハ、心配しなくてもいい。君の前だけだ。中尉」
男女の視線はエドの上で溶け合った。
「あ、お邪魔なら俺あっちで待ってるけど」
「エドワード君!」
「エドワード!大人をからかうとは悪い子だな。どこで覚えたのだ。まったく」
「ラッセルから」
ぺろっと舌を出す姿は世間の評価通りのお子様で、「とても、あの緑陰(ラッセルの二つ名)と同じ年には見えない。うっかりすると10歳くらい違って見える」といわれるのも無理はない。もっともこの評価にはラッセルの年齢不詳も考慮に入れるべきである。

直径40センチのケーキはほとんどエドの腹に収まった。
「こんな甘いものよくそんなに食えるな」
わずかに1センチ分ほど味見しただけのラッセルは半ば感心したような表情でエドを無意識に見下ろした。
「ここのうまいんだ。一番店」いつもなら見下ろしてくるラッセルに文句をつけまくっているエドが今日は満面の笑顔で返答する。
「はぁー、幸せそうだな。(しかしこれでは夕飯のカロリーを加減してやらないと)」
エドのフォークからケーキのかけらがぽろぽろ落ちる。ラッセルが手早くふき取るが次の一口でまた落ちる。
「食ってからでいいだろ。そんなこと」
「そもそもぽろぽろ落とすのが問題だ」
「しょうがないだろ。ケーキだから」
「子供みたいな言い訳をするな・・と、お前子供だな」
「うるせー、このふけ顔」
リザがクスリと笑った。
「まるで、本当の兄弟みたいね。エドワード君いいお兄さんが出来て良かったわね」
やさしく笑うリザはいかなる二つ名を持つ国家錬金術師より強かった。
「ラッセル君は甘いもの苦手だったの」
「苦手では無いですけど、あまり食べないですね」
「こいつ好みまでおじんなんだ。コーヒーはブラックだしココアは飲めないし」
「飲めないではなく、飲まないだけだ」
「そういうのを苦手というのよ」
とりとめのない穏やかな時間が過ぎていく。そんな中でも国家錬金術師が三人もいるので練成の話題はよく出てくる。普通人には理解できない記号めいた言葉をむきになってやり取りする男3人をリザは昆虫採集に夢中の子供を見る母親の目で見ている。
(エドワード君のためにこんな幸せな時間がずっと続いてくれれば、 エドワード君?)
ついさっきまでロイに元気良く言い返していたエドが急におとなしくなった。
「エドワード部屋に戻ろう」
「・・・もう少しこっちにいたい」
目がかすんでいるのか、エドはしきりに両手でこすっている。
「こら、こするな。傷になるだろ」
ラッセルに手がエドの両手をそっと押さえる。
おとなしくなったエドを軽々と抱き上げた。


エドがいなくなると室内は急に静かになった。
「大丈夫かしら」
「エドならラッセルに任せておいていい。面倒見のいい子でね、治療以外にも食事におやつ着替えに歯磨きとじつに細かく面倒見てくれている」
「本当にお兄ちゃんですね。ラッセル君は」
「エドワードが子供に戻っているよ。あの子があんなに柔和な顔になるとは思わなかった」
「アルフォンス君はあれから?」
「連絡なしだ。あの子はそういう点もう少しこまめかと思ったが、やはりエドワードの弟だな」
冗談めかして言うがロイにはわかっていた。正式の国交の途絶えたシン国にあの目立つよろい姿で密入国するのがどれほど大変か。ましてや皇位継承争いのど真ん中に突っ込んでいったアルフォンスが簡単に連絡できるはずがない。
                                  
本文その2銃のお稽古へ

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兄の新婚生活

2007-01-13 19:34:07 | 鋼の錬金術師
弟と異なる兄の新婚生活の覗き見
逃亡者達25

ヘルガはフレッチャーの横でグラスを揺らした。だが乾きひび割れた唇の配偶者にグラスを渡そうとはしない。
命令することに慣れた貴族の声でヘルガは言う。
「すぐにマスタングのところに行け。息子が父に会いに行くのは当然だからな」
「父?」
「マスタングはお前の父親だ。養子契約は今も有効、当然お前はマスタングの息子でもある」
「あんな男、会う気は無い(僕から兄さんを奪って軍で飼っていた男。兄さんを守らなかった男)」
「少しは考えろ。(こいつに言うだけ無駄か。頭がいい割にはこういう肝心なところでまったく分かっていない。 かわいいものだ)こちらの持ちカードは少ない。使える手はすべて使う。
フレッチャー 俺に逆らうな」
逆らうなと言う声にフレッチャーは無意識にうなずいた。
フレッチャーはこの貴族の青年に調教され始めていた。
「良い子だ。ご褒美をやろう」
かさついた唇が熱いものでふさがれた。凍る寸前まで冷やされたシャンパンが移し与えられる。

あの程度の量で酔うはずも無いのにフレッチャーは階段を下りていきながら足元がふらつくのを感じていた。それは絶食状態4日間の後のアルコールだったためと、すでに気がつかないほど感覚が狂い始めていたのだがー薬のせいであった。
(マスタングのところに行って、追悼式の許可をもらう。‘息子‘の追悼式の)
耳元でヘルガがささやいた言葉。
(お前たちは親子として認められている。このカードはいつまで使えるか分からないから早めに使う。マスタングの息子として行動しろ。
マスタングはラッセル・トリンガムの死を利用してセントラルの大掃除を行った。前にもつかった手だが、そう『あの愛息誘拐事件』だ、あの事件、最初の報告ではエドワード・エルリックが捕まったとなっていた。そのときのマスタングの取り乱しようときたら、お前にも見せてやりたかったほどだ。
だが、次の報告で誘拐されたのがお前の兄だと知った後は、あっさり計算したそうだ。
どの範囲までテロリスト退治ができるかを。つまりお前の兄は息子のうちに入ってなかったわけだ。
なんだ、驚いていないな。分かりきっている顔をされるのはつまらないのだが。
ふん、まぁいい。野生のほうが楽しみもある。
そうだ。今回もマスタングは大掃除を前よりも大掛かりに実行した。
死んでからまで利用される。軍人の鑑だよ。お前の兄は。
だが、少しばかりやりすぎて、収まりがつかなくなった。
トリンガム准将待遇の『本当の死因』が必要だ。
マスタングにそいつをくれてやれ。
『兄の自殺で軍に多大なご迷惑をかけたことをお詫び申し上げます』言えるな。
よしいい子だ。後はマスタングの出方次第だがおそらく自殺で手を打つはずだ。
今更どのグループを真犯人として指定しても収拾がつかない。自殺ならうまく押さえ込める。
それを口に出せるのは実弟のお前だけだ)

フレッチャー・トリンガムは軍では大佐の一人に過ぎないはずである。普通の大佐ならいきなり大総統に面会を申し出てすぐ通されるはずは無い。しかし、彼は単なる大佐ではない。あの守護獣とも北の守護神とも呼ばれた故ラッセルの実弟であり、今はたった一人になった「マスタングの息子」である。あの輝きの兄弟の唯一の生き残り。
面会希望は他の予定を組み替えて最優先で通された。

―大佐はあの子達とは親子としては失格でした、でもあなた方4人は間違いなく家族です。もう一度話してみて。きっとあの子もチャンスを待っているわー
リザはお茶を用意しながらマスタングにそう教えた。(あの時あの子をやさしく受け止めていれば、
いいえ不可能だった。でも今からまだやり直せるかもしれない。大佐、フレッチャー君とあなたは間違いなく親子でもあるのだから)
このところのフレッチャーの動きを見ているとロイを確実に敵と定めたように見える。
あの時はフレッチャーが衝動的に飛び出すのを防ぐためにマスタングはああいう言い方をしたが、唯一の息子になったフレッチャーと敵対するのは政権の安定のためにも好ましくない。
(それに、ロイ、あの子にはもうあなたしかいないのよ。受け止めてあげて。あの子は置いていかれた子。ラッセル君がどう考えて行動していたとしても、そうたとえ本当に死んでいたとしてもあの子が置いていかれた子であるのは同じ)
ロイの部屋に足音が消えていった。


「アル」
マスタングは軍人でありながらあえて私服で入ってきたフレッチャーを一目見て思わずそう呼んだ。
そしてどこかぼんやりとした視線だったフレッチャーが一瞬で変貌するのを見て取った。
(リザ、君の言うとおりだ。私は親としては失格だ。この肝心なときに)
そう、肝心なときにロイはフレッチャーをアルフォンスと見てしまった。
似ているのではない。10歳で成長を止めたアルに29歳の姿があるはずも無い。しかしマスタングはフレッチャーの成長にアルの成長した姿をいつも重ねて見ていた。
10分後、手も付けられなかったコーヒーカップを下げるリザにマスタングは言う。
「私には親になる資格はない。
あの子が望む限り戦ってやる。私にできるたった一つのことだ」
リザは答えなかった。戦いを受けてやる。それは父としての愛情。だが、それに父がそこにたどり着いたとき、子は父を親としては求めない。


弟がロイと親子の決別と宣戦布告を交し合っていたころ、兄は、兄の残った肉体はけらけら笑っていた。
医師の診断ではラッセルの精神は1歳かよくて1歳半程度でとまっている。
脳細胞自体が死滅しているのでこれ以上の成長は望みにくい。
しかし、正式の検査をしたわけではない(医師は内科医であって脳障害の専門家ではない)ため保障はしかねる。
アームストロング元将軍はそれに対して特にコメントしなかった。
「この子が幸せならそれでいい」
あの夜からその死去までの5年間、彼の指示はそれだけであった。

朝、 10時を過ぎたころようやく起きる。一人では起き上がれない(起きようとしない)ラッセルをルイ・アームストロングは姫抱きでベッドから下ろす。
顔を拭いて、汗ばんでいるようなら身体も拭いて、服を全部着替えさせて、ひざに抱いて朝食を食べさす。ラッセルはスプーンすら自分では持たない。
まだ寝ぼけているラッセルに一口ずつ食べさせる。セントラルにいたときは甘いものが苦手だったのだが記憶が消えてからは子供のように甘いものが好きになった。食欲の無い日は無理をさせずに好きなものだけをつまませる。3歳児の爪の大きさ程のベリーがお気に入りだ。原種に近いそれは普通の流通ルートにはないため手に入れるのにかなりの苦労がある。それを毎日特別便で届けさせている。
セントラルの社交界(金も地位もある財閥などの関係者が集まるところ)では、あの堅物のアームストロング卿が女を囲ったらしいといううわさが立った。
セントラルで兄の代理として財団の経営を見ているキャスリンはそのうわさを聞いたとき、淡いレースのハンカチーフを粉々に粉砕した。
そしてローズピンクの口紅に縁取られた唇を振るわせた。
「お兄様」
小さい声は長年そばに仕えている侍従にしか聞こえなかった。

兄は引退後の5年の間、幾度かセントラルに帰ってきたが軍の用事とどうしても避けられない財団の用事以外には秘密の引退所に引っ込んでしまい、妹を財団当主代理の重責から解放してはくれなかった。ときどきセントラルの有名店にとんでもない注文を出してそのたびにうわさの種になった。
特に高級玩具店であるだけの種類を購入したときには隠し子騒動がおきた。しかしそのうわさは白バラの女王とたたえられたキャスリンの姿を見るとぴたりとやんだ。当主代理として10数年になる彼女は凛とした美貌と背筋の伸びた美しさと、まさしくバラの女王にふさわしい情け容赦ない経営手腕で知られていた。彼女の怒りを買って生き残ったものはいない。

ある会議の帰り、車の中で彼女は青白い月を見上げた。
透明な光をやさしく放つ銀の月。
「ラッセル様。お約束は5年でした。でも」
5年が過ぎた後も2人は婚約者(候補)として周りに見られていたし、2人の行動もそう見えるものだった。ラッセルが引きこもりになるまで、このカップルはマスタング政権とアームストロング財団の絆と見られいずれ式を挙げると思われていた。
キャスリンは月をまっすぐに見上げた。
好きか?と訊かれれば今もイエスと答える。たとえ、あの人がどう答えようと。
(何があっても私はお味方します。あなたがお兄様の心を守ってくださったから)
今夜は満月。ころころと転がっていきそうな丸い月であった。


ころころと丸いものが転がった。
直径3センチのビー球が転がった。その後ろを絹の白いスラックスの青年がはいずるように追いかける。その表情にはもうまったく何の影も無い。ただころがっていく玉を追いかけるだけ。
きゃーきゃぁと大きな声は出ないが(肺を貫かれたラッセルは普通の会話以上の声は出せなくなっていた)楽しげな声が聞こえる。
ルイ・アームストロングは高価な錬金術書を本棚に戻した。昨日とおとといとラッセルがヒステリーを起こし引き摺り下ろした本の最後の1冊である。
ルイのいない間ラッセルはたいそう悪い子になる。食事はひっくり返し皿を投げ出しグラスを叩き割り、水を出しっぱなしにして床をぬらし、窓を叩き割り、手を切って大泣きし・・・。本を床に散らかし、本棚を練成で分解し・・・。
医師が怒鳴ると大泣きしながらつる植物の檻に閉じ込めた。とげだらけの蔓に身動きできない医師がそれでも怒鳴ると、急に泣き止んで舌を出した。悪いこととわかってやっているのだ。
帰宅したルイが最初にすることは泣きわめくラッセルをなだめることで、次にやるのはいたずらの跡を修復することだ。
不運にもこの1件に巻き込まれた医師は『怒ってください』と迫ってくるが屈託の無いラッセルの笑顔を見ていると怒るに怒れない。
(ラッセルは今まで我慢ばかりしていたのだ。せめてやりたいようにやらせて1日でも長く幸せでいて欲しい)
ルイとラッセル(と呼ばれる個体)はこうしてたいそう幸福な時間を過ごした。
この生活はルイ・アームストロングがセントラルに向かう途中の小さな駅において心不全で死亡するまで5年間続く。



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望ましくない新婚生活

2007-01-13 19:19:48 | 鋼の錬金術師
逃亡者達24
望ましくない新婚生活

フレッチャー・R・トリンガムは昼前になってもベッドの中にいた。
目は覚めているのだが腰が動かせない。
(ヘルガのやつ、やりたい放題やりやがった)
のどが渇いていたが水差しまで手が届かない。
水の跳ねる音がする。
小さい魚が跳ねる。
アメストリスで一番高価な淡水魚。金色の空飛ぶめだか。ちっちゃなエディが水面に降りた。
エディを見ていると昔の、[幸せ]だった頃を思い出す。
兄がその昔〈アームストロング卿の妹〉に贈ったこの小さい魚は、彼女の手でエディと名づけられた。
「小さくてかわいいし自分のサイズを考えないで無理な方向にでも向かっていく勢いがよく似ているから」と言うのが命名理由。
これを後に耳にした時、エドは大変なヒステリーを起こし、兄が相当苦労して機嫌をとっていた。今となっては懐かしい思い出だ。
その後彼女の誕生パーテイにおいて紫水晶を削りだして作られた5メートルもある水槽の中でエディは泳いで飛んで、上流社会の女性達に人気を独占した。誕生会のときの水槽は底に敷かれた砂金だけで30キロを超えていた。
後にエディは友好の贈り物としてシン国皇帝にさえ献上された。
作られてから15年後の今日でも最高級ペットの座に君臨している。

そのエディの水槽がある寝室。当然上流階級である。
淡くすけるレースの天蓋。スミレ芍薬ゆりバラその他のすかしレース。
このサイズを編み上げるには3年はかかるだろう淡い薄い布。
ヘルガが貴族階級なのは知っていたがこの部屋の調度品から見てアームストロング家に並ぶ家柄らしい。今まで興味が無かったので聞いてみたことも無いが。

ヘルガが入ってきた。なんとなくびくりと身体が反応する。
(どうして俺がこいつを怖がらなければならないんだ)
フレッチャーは恐怖の反応を示そうとする自分の身体をしかりつける。
秘密裏に処刑された赤い瞳の精神科医、ヒーラー・カインなら答えをくれただろう。
『恐怖心、それこそは相手の支配を受け入れる第1歩だ。個人でも国でも民族でも』
その昔ヒーラーには兄がずっと世話になっていた。
彼が実は混血で、スカーの支持団体に国家錬金術師の情報を流していたのは軍の最高機密になっている。彼の治療をうけた術師が多すぎて公開処刑では影響が抑えられないとの判断であった。
フレッチャーがわずかにもらした反応にヘルガはほくそえむ。
10日も続けて寝室で××××した効果が出ている。
(フレッチャーお前は俺のものだ)



兄の新婚生活(ふじょし視点)

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金色のエディ

2007-01-13 19:18:03 | 鋼の錬金術師
金色、金色。空に舞え

3センチほどの金色の流線型。
それが水面で跳ね上がる。
わずか5センチほどのジャンプ。でもちいさなそれにとっては大変な距離。
「空が見えたか」
兄の声だ。弟はドアを開こうとする手をそのまま止めた。
兄が何か言っている。
声を聞くのは5日ぶり。映画を見に行った後少しごたがあって、巻き込まれた・・・好き好んでトラブルに飛び込んでいった兄は帰ってきたときのどを痛めていた。
それいらい軍を休んで研究室にこもっている。
後になって思ったことだが兄には基本的に引きこもる癖がある。ゼノタイムでもセントラルに出てからも暇があると研究室や温室に閉じこもった。後に5年も引きこもりになった、原因の1端は兄にもともと引きこもる癖があったことだろう。

ドアの前で待ってみるがもう声は聞こえない。そっとドアを広いた。
「兄さん」
この部屋には兄と2人だけなので昔のように「兄さん」と呼んでみる。兄は答えてくれるだろうか?
「フレッチャー見ろ。いいできだろ」
兄の声。久しぶりに聞く計算の無い声。
兄の左手が指す先には50センチの水槽。
その中に金色の小さい魚。
輝くような金。それが人の気配を感じたか、すばやく泳いで水草に隠れた。小さい割に速い。ちまちまとすばやく動く姿はまるで・・・聞こえたら怒られるだろうけどエドワードさんのようだ。

「元気な子だね。熱帯魚?」
形やサイズはめだかに見えるがこの太陽を溶かしたような鮮やかな金色はめだかではありえない。
「いや、新種 になるかな」
「練成?」
「・・・、少しばかり手は貸したが、こいつの意思だ」
兄の声にさそわれたか金色のめだかは水草の陰から出てきた。小さな尾をせいいっぱい振って水面を目指す。水面近くでガラスに頭をぶつけた。
「チビちゃん。あまりぶっかってばかりいると大きくなれないぞ」
からかうような兄の声。
(エドワードさんのいるところでは絶対いえないせりふだなー)
最初の出会いのときにはエドの小ささをさんざんからかっていたこの兄だが、再会以来エドが不快に思うようなことは100パーセント口にしない。今のエドはこの兄の守るべき宝物だ。
金色のめだかは別に言葉が分かったわけでも無かろうが、怒ったように背中(尻尾)を向けて水底に下りていった。
「かわいいなぁ」
小さい魚に兄は声をかける。金色の身体が人工光線を反射する。
水底からどんどんスピードをあげて水面に向かう。矢のようなと言いたいが、ちいさすぎて光の粒のように見える。
水面すれすれでそれは起きた。
「あっ」
金色の小魚は小さいなりに大きなひれを広げて水面から空中に飛び出した。魚なのに鳥のように見えた。3センチの身長(体長)に対してせいいっぱい広げたひれは5センチもあった。
12345678910
10個数える間金色は空で遊んだ。
チャポン
小さな音を立ててはね(ひれ)を閉じた小魚は水中に戻った。
「どうだ」
いたずらに成功した子供を自慢する母親の声で、兄は弟の感想を促した。

「エドワードさんみたいだ。小さくて元気で行けないところでも突っ込んでいく
それに、かわいいね」
「かわいいだろ」
兄はすっかり親ばかの自慢モードに入っている。
長々と自慢される前に弟は先制した。
「キャスリンさんに贈るんでしょう。もうすぐ誕生日だから」
「へ、?・・・そうなのか」
仮にも婚約者(と見られている)女の子の誕生日すらこの兄は把握していない。
(本当にキャスリンさんのこと好きなの?)
そう訊いてみたくなる。
だが、うかつに訊いて「別に」とか、「好きといった覚えは無い」とか答えられたら、(・・・やっぱりそっとしておこう)。弟は兄の幸せと平和のために口を閉じた。
金色のめだかはまた羽(ひれ)を広げて、空を飛んだ。
小さな三角形、金の三角、底辺5センチ、高さ3センチの三角形。
(僕たちみたいだ)
エドを頂点に同じ距離をとりあう三角形。
きらきら輝く金色の幸せのために。
「金のリボンを付けて贈り物にしたら喜ばれるよ。女の子はかわいくてきれいなものが大好きだから」
「お前詳しいな」
感心したように言う兄。女のことはマスタングに山のように教えられたが、女の子のことはさっぱり分かっていない。(この人ときたらまったく)兄には分からないだろうため息を弟はそっとついた。



本当はめだかがこの国にいるのはありえないのですが、どうもグッピーでは合わない気がして。
空を目指しためだか、エディです。お気に召したらペットにどうぞ(笑)


望ましくない新婚生活

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チェックアウトの正しくない行い方

2007-01-13 19:16:02 | 鋼の錬金術師
誘拐の 続き

チェックアウトの正しくない行い方

ぴしり
右手首に火が走った気がした。
疲れのためかすむ目を無理やり開いて見据えると黒い皮ひもが3重にまきついている。
すぐふりほどこうとした。しかし、皮ひもはしっかりと張り付いている。
(いい材質だ)
ラッセルは素直に感心した。
相手の姿は見えない。この鞭は5メートル以上あるのだろう。(よく自在に扱えるな)と感心する。こんなときなのに、いやどんなときにでもラッセルには(いいものはいい)と素直に受け止められた。このすなおさは年上の女たちから見れば幼さに見えた。
しかし今はゆっくり素材を見るひまなど無かった。鞭が引き戻される。右手首が締め上げられる。
びしっ
右手首に走る激痛。
(ひびか、骨折か?)
いずれにしても引きずり出された後では、右腕は使えない。
(まずい)
シャワールームから寝室に引きずり戻された。
視線に入るのは黒い靴。上質の革。しっかりした造り。
(こいつが首謀者?)
靴を見ただけでラッセルには今自分を引きずり出した男がどの階層なのかの見当がついた。
貴族。あるいは高級軍人。財閥の高官クラス。
硬い音がした。黒い靴の男の足が床に倒れたラッセルの後頭部を踏みつけた。
額が床にぶつかった。
男が視線で命じる。
後ろに控えていた使用人らしき男達が皮の鞭を握る。
寝室の壁は大きな鏡が作り付けになっている。
鏡の脇の銀の飾り燭台に鞭を縛り付ける。
ラッセルの身体は右手首の鞭1本で燭台につるされた。
足先がわずかに床につくが体重を支えるほどではない。
(こういうとき心拍数の多いのは損だ)
心臓が動くたび、鞭で締め上げられた手首が痛む。
気を失いたくてもこの痛みでは望みはかなわない。
(どうしよう・・・准将に怒られるかな)
痛みに集中しないよう意識をほかの方向に向ける。
黒い靴の男は興味を失ったかのように部屋を出た。気配が遠ざかる。
抵抗する気力の無い獲物には食指が動かないのだろう。
(残りは4人か)
ラッセルは気配をうかがった。

黒い靴の男は配下に命じた。
「あの銀の坊やを私の獲物として今夜のオークションに出すように手配を」
このホテルは闇社会の特別な獲物のオークション会場になっていた。
黒い靴の男は宝石を競り落としに来たのだが気まぐれに自分の獲物を出品することにした。

もしこのときラッセルがつかまったままでいてオークションにかけられていたら、彼はマダム達の手で競り落とされたはずである。ラッセルの身体のためにはむしろその方がよかった。
しかし、彼はプライドが高かった。誰かに助けられるのを待つなどまっぴらだった。

ラッセルはぐったりと意識の無い振りをしながら犯人たちの動きを読む。
今いる4人はさっきぶちのめした6人とはタイプが違う。一言で言えば忠臣に見える。
(とりあえず殺す気は無いようだ)
殺すつもりならあっさりやっているはずだ。
窓の位置。敵の位置を計算する。
(3秒なら、自由になれる。3秒で外に逃げるには・・・)
あまり使いたい手ではないが仕方が無い。窓から飛び出して逃げるしかない。
(ガラスを割るといくらぐらいになるか?)
根が貧乏性のラッセルはまず値段を計算した。
検算結果は練成を使うよりは安いと出た。
敵の位置がずれた。全員の視線がラッセルから外れた。彼らはそのときご当主様のご命令を承っていた。
(よし、今だ!!)
ぐったりと意識が無いように見えていたラッセルは思いっきり身体を揺さぶり鏡にぶつかった。
勢いのまま肘を打ちつける。
鏡の割れる音。
振り向く4人の目に割れた破片の一片を握りしめ黒い鞭を切り裂くラッセルの姿が映った。
白いスーツに血が落ちてしみを付ける。
(早い)
敵が銃を手にする間合いが予測より早い。
(こいつら素人どころか、まともな軍人より反応が早い!)
余裕があれば窓から出ずに練成でドアを作ってと考えていたが、そんなゆうちょうなことはできなかった。
手にした鏡片を投げる。敵4人は簡単によけた。
だが、ラッセルの狙いはシャンデリアの鎖のつなぎ目だった。
シャンデリアが大きく傾いた。明かりが消えた。
窓があるのでまっくらにはならないがそれでも1秒足らず4人の動きは抑えられた。
その1秒でラッセルは大窓の鍵を開き外に飛び出した。

街を行く人の幾人かが悲鳴をあげた。
高級ホテルの最上階から人が飛び出せばたいていの人は驚くだろう。
「きゃー!!!」
悲鳴。
だが、飛び出した影は予測に逆らった。
ラッセルはホテルの壁のつたを左手で握り下の階の窓枠に足を着いた。
ラッセルは運の無い人であった。その部屋には、黒い靴の男がいた。
「ほう、下賎の者にしてはなかなかやる」
黒い靴の男は大きく窓を開けた。手には鞭を持って。
「私のものになれ。そうすれば私が飽きるまで生かしておこう」
ラッセルは答えなかった。
答える余裕は無かった。
イエスと言ってもノーと言ってもあの鞭は動く気がした。
今いるのは4階の窓。単純に飛び降りるには高すぎる。
セントラル特有のビル風がつたを揺らす。
蔦を利用して3階まで逃げてもあの鞭に叩き落されるのは予測がついた。
(それなら)
ラッセルは手を離してまっすぐ落ちた。
女の悲鳴が聞こえた。
(マダムレーヌの声?)
鞭が追ってくるが重力で加速した肉体はそれより早く落ちていく。
3回と2回の間でつたを握る。ぶちぶちとちぎれる。
(無理か!)
風にあおられたつたは加速した身体を支えるには不足した。
2回の窓枠を指先がつかむ。だが手が血で濡れていた。ずるり
手がすべる。落下速度はわずかに弱まったが、身体を支えることはできない。
とっさに痛みを忘れ右手でつたをつかむ。
痛みに叫んだが声にはならない。背中に何かが走っていく。
それは恐怖心であった。

「ラッセルー!!」「兄さん!!」
「緑陰!」
3つの声が聞こえた。
答えるひまも無い
落ちた


3人の錬金術師が3者3様に走った。
弟は兄のいる3階にとホテルの階段を走りあがった。
エドは地面を練成してラッセルを安全に受け止めようとした。両手を打ち鳴らす。
もう一人、初老の錬金術師、2つ名を白水、彼はホテルの給水管に両手を当てた。
3    2  1 0
バッシャーン
ラッセルは派手にしぶきを上げて道路の上に四角く切り分けられたような水の中に落ちた。
それは通行人の言葉によると「いきなり光ったかと思えば、切り取ったプールみたいに水が、壁の無い水槽みたいに現れた」。
「そしたらそこに王子様が振ってきたのよ」
遠い外国のお話の人魚姫になぞらえて目撃者はそう付け加えた。
純白のスーツ姿のラッセルは絵本の挿絵の王子様さながらに見えた。

白髪交じりの白水の錬金術師はお姫様の役である。結界を解いて水を一気に流すとおぼれる寸前の王子様を助け出した。
「緑陰、まったくまた何か無茶をしたようだな」
濡れ鼠の王子は相手が誰かを確認すると「ひとつ貸しててください」とのみ答えた。
そしてビル風に震えると大きなくしゃみをした。


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誘拐

2007-01-13 19:14:05 | 鋼の錬金術師
逃亡者達21

誘拐

店を飛び出してすぐ銃を向けられた。その場でなぎ倒してもよかったが気が変わった。
(単なる身代金目当ての犯行か、裏があるのか調べてもいい)
そう思って無抵抗で車に押し込まれた。
ラッセルは自分で気がつかない。この1年の異常な状況の連続と、今のあまりにも心地よい人肌の温度に自分の精神はいらだっていたことに。戦いたい。意識下の強烈な欲望があえてトラブルの方向に足を向けさせた。だが、忘れてはいけないことがあった。ラッセルの肉体は20歳にもならぬ年で壊れかけており乱戦に耐えるだけの力を失っていた。

意外に早く車は止まった。目隠しをされているが縛られてはいない。
引っ張られるままに歩いて椅子に座った。
そのまま縛られた。ごく細いロープだ。昔なら力だけで引きちぎれる程度の。
今はとても無理だが。
テロリストたちは目隠しをはずそうとはしない。
「さて、どこのお壌さんだ?答えてもらおうか」
犯人の言葉に答えないで様子を見た。
「どこの紋章だ?」
ラッセルのポケットからごく薄い絹のハンカチーフをテロリストたちは抜き取っていた。
「!!こいつ男だ!赤い蜥蜴・・マスタング家か」
「マスタングは独身だろう」
「養子をとったと聞いたな。こいつがそれか。名前が確かエディ」
「エディ?エドワード・エルリックだろ。錬金術師で12歳のときからマスタングのお気に入りだ。こりゃ上玉だな。いくらでも絞れるぜ。それとマスタングなら・・・」
言葉の後半は小声になったのでラッセルには聞こえなかった。

テロリストグループはたいていほかのグループとつるんでいる。
今回もマスタングのお気に入りの息子を捉えたという話はたちどころに裏社会に広がった。その結果、まず軍のマスタングに身代金の要求が30件も入った。第2秘書が取り次いだのはその1件目である。身代金だけではない。捕らえられているテロリスト幹部の解放要求、軍の占領地区の開放要求、その中には明らかに矛盾する要求もある。個々のグループがマスタングの息子の誘拐をきっかけに名乗りを上げている。すべての要求をあわせると100件を超えた。これはどのグループが主犯か分からなくする意味もあり、テロリスト側の常套手段である。それでも要求件数が100を越したのはこの事件が最初であった。

「エドワード・エルリックといえば確か最小国家錬金術師だったはず」
「知らないのか? あのスカーを倒したときの負傷がきっかけで錬金術を使えなくなったって話」
「へえー、それであっさりつかまったわけか。・・・きれいな顔してやがる」
「マスタングの趣味だろ」

ラッセルはひそかに苦笑する。だが都合がいい。テロリストたちが錬金術を使えないと誤解してくれているほうがいい。
「痛い」
小さく弱い声で訴える。
テロリストの一人がロープの下の肌を見た。縛ってから10分と立っていないのにもう赤く鬱血している。透けて見えるほどの色白さに赤く細いロープの痕がなんとも扇情的に見える。
ロープの位置をずらしてくれたテロリストが思わず息を止めた。
彼が今夜どんな夢を見るかは彼自身にしか分からない。〈夢を見ることができればだが〉
ラッセルは目隠しされたままの瞳でテロリストを見上げて、小さくため息をついた。そのわずかな息がテロリストの若者のまつげを揺らした。
「おい、はずしてもいいだろ。どうせこんな細っこいお坊ちゃまだ。縛る必要も無いだろ」
言い訳するように仲間に言うとテロリストの若者はするするとロープをはずす。
ラッセルは普段はマダムたちに使っているやさしい微笑を見せる。
『君は魅力的だ。そのままでも十分だが私が磨き上げればさらに輝く。どんな女も君の微笑の前には座り込むだろう』
ラッセルを社交界に乗り立たせようと決めたときマスタングが言った言葉だ。あれからマスタングに視線・歩き方・会話術・化粧品知識にいたるまで対女性用対策を叩き込まれた。
(どうやら、男にも多少は有効だな)
あまり愉快ではないが使える武器は有効に使うべきだ。

しばらくテロリストの動きは無い。
さらに、1時間たってラッセルの腰が痛んできたころ。
隣の部屋の声だろう。少しくぐもって聞こえる。
「大変だ!!マスタングが憲兵を大量に動かしてあちこちのアジトを攻撃している!!」
「何だと!人質のことは伝えたはずだ!」
「それで、同時に犯行声明を出したグループがほとんどやられてる。ここも危ないぞ」
(やってくれたな。准将)
ラッセルは内心でにやりと笑った。
軍はこの国の最高権力であるが、だからといって何でも自由にできるわけではない。ブラック・マーケットともバランスをとらないと国の経済自体が混乱する。
このところセントラルの治安が悪いのは事実である。なにかきっかけがあれば軍は動くと物事を見る眼があるものは予測していた。
ラッセル。いや、形の上ではエドワードの誘拐はマスタングにそのきっかけを与え、大総統に懇願する理由を与えた。
「私の息子が誘拐されました。父としてまことにふがいなく感じます。大総統の御寛恕をいただけますならばわが手で息子のあだを取りたく願いたてます」
芝居っけたっぷりにそんなことを言ったのだろう。
おそらくあの狸親父もそれに応じたはずだ。
本来、セントラルの治安は3割がマスタングの指揮下にあるが7割はブイエ将軍の指揮下にある。
しかし、この件に限りブラッドレイ大総統はマスタングに全権を与えた。
町の平和を脅かしていたテロリストのアジトがマスタングの命令の下たたきつぶされていく。
マスタングが自ら現場にたった場所には巨大な火柱が上がった。それは市民たちにはこの町の治安を守るのがマスタングであるのを印象付けた。
「英雄」
連絡係としてついてきた第3秘書が惚れ惚れとつぶやいた。
一言で言うとかっこいい。闘う雄の匂いがあふれる。人の耳では感じ取れない低い音が空気の振動になって彼女の皮膚を刺激する。
どんな女でも発情せずにおれないような最強の雄の匂いがあふれる。
(あの姿は擬態だったのね)
うっとりと崇拝者の視線で見上げる彼女にマスタングは特上の笑みを見せる。
自ら創り上げた炎の舞台にただ一人立つマスタングは、世界の終わる日にすべてを燃やし尽くすと言われるアグニの像のように見えた。アグニに焼き尽くされて世界は再生すると言う。
(この男に燃やされたい)
セピア色の瞳に焔の色を映して第3秘書はあっさりとマスタングのとりこになった。

「殺すか」
「いや、殺しては役に立たない。アジトに連れて行こう」
テロリストたちの会話が聞こえる。
その間にラッセルはそっと目隠しをはずした。どうやらセントラル市内の高級ホテルの中らしい。
(意外性というやつか)
確かに人質を抱えたテロリストが高級ホテルにいるとは思わないだろう。
この部屋で銃を持っているやつが5人。おそらく手前の部屋にも5人ほどいるだろう。敵は10人。
(これぐらいならリハビリの効果を試すのにちょうどいい)
通常1人で対応できる戦闘は3人が限度である。それを超えないように戦い方を組み立てるのも戦闘力のうちである。
錬金術を併用すれば多人数との戦闘も可能だが今回は使う気がしない。調度品の雰囲気からしてここはホテルシルクロードだ。シンとの交流が盛んだった頃に出来たホテルでシン風の高級調度品が自慢である。つまり、何気なく飾られている壷1個で3000万センシズはする。うかつに術を使えば、いくら弁償しなくてはならないか分かったものではない。

「おい、立て」
銃を押し付けてくる。
その男から強烈な憎悪を感じた。
相手の顔を見ても記憶には無い。
(うらまれる覚えは無いな。となると准将がらみか)
若くして上り詰めつつあるマスタングには敵が多い。軍の中にも外にも大量の敵を抱えている。それだけにエドを養子にするときには公表すべきかという点でずいぶん悩んだ。マスタングの息子という立場はエドの安全のために考えられた最高の手ではあるが同時に敵を増やすことにもなる。それは同じ立場のラッセルにも当てはまった。
「きれいなつらしてやがる。この顔、焼いてから返してやろうか」
テロリストは銃を置くとライターに火をつけた。
「マスタングは俺の女を炭化するまで焼きやがった」
テロリストの手は震えている。
(薬物中毒か)
毛髪の焼ける特有の臭いがする。
じわじわと炎が近づいてくる。

焼き尽くされるテロリストのアジトからは人肉の焼ける臭いはしなかった。ロイはここがセントラル市内であることは考慮していた。この炎はあくまでも威嚇である。からっぽのアジトを派手に燃やし、憲兵を大量に走らせ逃げ切れないとあきらめたテロリストたちを片っ端から捕らえる。
類焼を防ぐため1箇所ごとに無酸素状態の空気層の壁を作りさらに『白水の錬金術師』を念のために同行させている。
(私の出番はなさそうですね)
ロイの焔はそれ自身意思があるもののように見える。
白水の錬金術師は安全のため少し離れた車の中にいたが、ずっと火を見ていたためかのどの渇きを覚えた。マスタングにことわってから、近くのホテルのティールームに入った。
東洋風の雰囲気で人気のホテルシルクロード。

「おい止せよ。傷つけるな」
さっきロープをはずした若いテロリストが後ろから声をかけたが、ライターを手にした男は聞こえてすらいない。また髪のこげる臭いがする。
男たちの意識が銃から離れた。
(今だ)
ラッセルはいすを蹴り倒して勢いよく立った。そのまま大きく蹴り上げる。銃が吹っ飛んで窓ガラスに派手にぶっかった。
(割れない!)
筋力の低下を計算に入れ忘れた。ガラスを叩き割って下の植え込みに落ちるはずの銃は室内に残った。
「このガキが!」
拳圧で壁がへこむ。
軽く飛んで最初の拳をかわしはしたが、ラッセルは計算違いに臍をかんだ。
銃を落としてホテルの警備員が来るのも計算のうちだった。この部屋の5人は一人で倒すつもりだったが外の5人は捕まえさせる予定だった。
(こうなったら、やるか)
追い詰められているのに心が高揚してくる。久しぶりの緊張感。多人数を相手にして喧嘩した日々の記憶。体重が倍はありそうな大男たちを1撃でのした後の酒の味。口の中が切れていて少し鉄の味が混じった。アドレナリンが一度に増加する。そんな感覚が一度に戻ってくる。
「こまるな、この髪はマダムのお気に入りでね。切ったら怒られるんだ」
言うと同時に1人目を蹴り倒した。
ラッセルの外見に油断しきっていた1人目の男はあっさり倒れた。おそらく何がなんだか分からないままだろう。
2人目をストレートで殴り倒してシャワールームに走った。多人数相手に広い室内では不利だ。狭いところで1人ずつ確実にしとめたほうがいい。
どたどたと追ってきた3人目の足めがけて石鹸を投げた。転倒した。その後ろから走りこんできた4人目がそいつを踏みつけた。
いやな音と叫び声。アバラが折れたようだ。
(気の毒に)
ラッセルは自分が殴った相手のことは同情しないが、仲間に踏んづけられた男には同情の念が沸いた。
手早くシャンプーのボトルのふたを開けた。シャワー室に入ろうとする4人目の顔めがけておもいっきりぶちまけた。一瞬で視力を奪われた4人目はみぞおちを踏みつけられ3人目の上に重ねられた。
(4人、後6人か)
心臓の音が大きく感じられる。
勝負を急いだほうがいいようだ。
5人目が来た。銃を構えている。
「見た目はきれいだが、いささか暴れん坊のようだな。さすがは鋼の錬金術師だ。だが、銃には敵うまい。おとなしく出てきたまえ」
5人目の男は床に伸びている3人目と4人目の男を踏んでラッセルに近寄った。
(仲間意識は無いな)
あるいは別グループの者かもしれない。
ラッセルはシャワーヘッドを手にしていた。
後ろ手で温度を調整する。最高温度に。
「さぁ、出てくるんだ」
テロリストがシャワー室に手をかけた。
(射程範囲)
すばやくシャワーに切り替えた。
テロリストの顔めがけて熱い湯が走る。
「!!」
このホテルの湯恩は最高60度。やけどするには十分である。
ひるんだところをひじ打ちする。テロリストがひざをついた。さらに1撃を加えると完全に伸びた。
(苦しい)
息苦しい。高温のシャワーのせいで温度が上がったためか、胸が詰まる。
外に出たかった。
だが、すでに6人目が来ている。
5人目の持っていた銃を拾い上げた。
撃ってくると思ったのだろう。6人目は逃げかけた。そのひざをめがけて勢いを付けて銃を投げた。
まさか、いきなり投げてくるとは思わなかったらしい。当然である。銃は撃つためのもので投げるものではない。
隙を狙って拳を打ち込む。だが呼吸が狂った。
カウンターでボディブローを受けた。胃が平らに伸し上げられた気がした
「う、ぐぅ」
ラッセルは吐いた。2時間ほど前に口にしたケーキのかけらとわずかな胃液。そして黒い血が床に落ちた。
(休みたい)
1分でいいから一呼吸つきたかった。
だが、テロリストたちは勤勉だった。



チェックアウトの正しくない行い方

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チョコレートの生る木

2007-01-13 19:13:04 | 鋼の錬金術師
逃亡者たち20

チョコレートの木は無い

カカオの種は、チョコの中にある。でも、水をやっても芽はださない。   
[すでに題名と合ってないのは気にしないでください。イメージだけです。]


兄さんは生まれたときから僕の兄さんだった。
いつも守ってくれた。
僕だけを。
兄さんが僕以外のものを守るようになったとき僕はどう思ったのか。
小さいころ迷子になったときのように、不安でどうしていいかわからなくて。
だから、やるべきことを見つけて必死で実行した。医者にもなった。研究者にもなった。[今でもシン医学の権威とはトリンガムをさす]。軍人にもなった。それが、兄の眼から見れば、弟が一人前に成った証拠に見えたのだ。兄は僕の選択を邪魔しないように、先に進むのを陰ながらバックアップする立場を選んだ。
だけど、僕はそれがさびしくて、兄さんに手を離されたような気がした。違う。手を離したのは私のほうだった。
兄に消えられて、僕は今も迷子のままで。

兄さんが見つけてくれた。小さいころは。
すっかり冷たくなった僕の手をもっと冷たい手をした兄が暖めようとして、握り締める。結局その後2人で迷って兄さんは僕をおぶって一晩中歩いた。
今になって思えばこれが僕の一番大事な記憶。
あのころの兄さんは完全に僕だけのものだったから。



高級品の手編みレースのカーテンがゆれる。お客同士のプライバシーを考慮して各座席は7メートル以上空けてあるし、飾られている花かごが互いの視線をさえぎる。
こういう超高級店は上流社会の社交場にもなっている。
かすかに聞こえた声にラッセルが反応した。
「少し挨拶してくる」
兄(エド)と弟(フレッチャー)と保護者代理(ハボック)に声をかけるとしゃらりと衣擦れの音を立てて立ち上がる。
ご挨拶の相手はマダムレーヌ。繊維業界のトップの正夫人でラッセルの美容練成のお得意様である。
つまりはマスタング指定の情報源である。
少しと言って行ったラッセルは10分たっても戻ってこない。
エドのご機嫌が急速に悪くなる。
エドの記憶はアルフォンスというキーワードで修正されている。忘れさせられたわけではない。そんなことをしたらエドの人生のすべての記憶が消えてしまう。ただ、アルがいた記憶の位置にトリンガム兄弟が当てはめられている。前後矛盾するはずだがその辺りは記憶をぼかしてあるようだ。エドの記憶は個々の事象としては思い出せるが全体のつながりとしては途切れている。
それを仕掛けていったのは当の弟のアルフォンス。
人ではなくなってしまった自分の代わりに最愛の兄に〈兄弟〉を与えていった。精神操作というべき行為。
その影響か、あるいはもともとアルに対してそうだったのか、エドは独占欲が強い。
自分は平気でロイに甘えまくるのに、ロイが少しでも『弟たち』に触れると怒る。ただこれはどちらへの怒りなのか微妙だ。
今も、ラッセルが自分を置いて、たかが女のところにいるのが気に入らない。その相手が産業界の大物で、マダムのご機嫌がいいとマスタングにとって有利に働くこともわかっている。でもそんなことは関係なく気に食わない。
(まずいよね)
エドの感情はわかりやすい。ココアのカップのふちを指がたたき出したのは数分前、そろそろ切れるころだ。フレッチャーは何かエドの気分を変えられるものを探す。
「そろそろ、新刊が出るころだね」
「う・・・ん」
返事が機械的な反射でしかない。
(兄さん、早く帰ってきてよ)
兄が女のところで鼻の下を伸ばしているとは思えない。大体あのマダムは50代。おばあさんと孫である。マスタングのために愛想のひとつも振りまいているのだろう。

「まぁ、今日はご兄弟で来たのね。坊やの弟ならさぞきれいでしょう」
マダムは好奇心を刺激された。うわさに聞くマスタング家の〈輝きの兄弟〉を3人まとめて見られるなどめったにあることではない。何しろマスタングは宝物と公言するエドを秘蔵しほとんど誰にも見せていない。
「お会いしたいわ」
「弟はまだ礼儀を知りませんので」
やんわり断ろうとしたラッセルの声を咎めるように婦人の声が重なる。
「私が会いたいといっているのよ」
このマダムは機嫌を損ねてはいけない相手だった。だからこそエドたちと来ているにもかかわらず挨拶に赴いた。同じ店にいたのに無視したと後でばれればマスタングに不利になる。
(仕方ないな、なるべくフォローするか)
淡いレースの手袋をはめたマダムの手を取る。
(エドの機嫌が悪くなければいいが)
その頃、エドはラッセルが歩いていったほうをにらみつけていた。
(大将、マジで不機嫌、暴れる1分前だなこりゃ)
早いとこ店から出さんとまずい。そう考えたハボックは「タバコ吸ってくる」と言い訳して立ち上がる。ラッセルを捕まえて連れ戻すつもりだった。
大柄なハボックが立ち上がった視線の先にラッセルが見えた。ご夫人のエスコートをして歩いてくる。
(最悪だな、こりゃ)

にっこりと非の打ち所の無い笑顔を見せるラッセルを見ると、あの老婦人がマスタングにとって大事な相手あるいはその関係者なのはいくら鈍くてもわかる。
(お前なら高級ホストで食っていけるぜ)
揶揄してやりたくなるような、文句のつけようが無い紳士ぶり、さすがマスタングの直弟子である。
がたん
大きな音を立てて、エドが椅子から立ち上がる。
(うわ、)
「兄さん、どこにいくの。僕をおいていってはいやだよ」
(え、アル)
一瞬、高い少年の声にアルと信じてしまった。ハボックは一度だけ瞬きする。もちろんアルのはずは無い。フレッチャーがエドを見上げる。
必殺兵器、涙目。この瞳で下から見上げられて断れた『兄』はいない。
(たいした役者だよ。坊や)
今、ラッセルとエドの身長の差は3センチ、ラッセルとフレッチャーの身長の差は2センチ。
都合するところ、エドとフレッチャーの身長の差は5センチ。
5センチの身長差をまったく意識させない。それどころかエドのほうが大きいと錯覚さえ感じさせる。
エドをやんわりと取り押さえようと言うようにその右手にしがみつく。その腕で銀のリングが柔らかに光を跳ね散らす。
「闘気、殺気がある」
ふと、エドの声が変わった。
ほぼ同時にハボックも感じた。銃の気配。
おそらくは、と見ると、ラッセルが握る手に力を入れマダムの足を止めた。
次の音声はあまりにステレオタイプ。
「キャー!!」
女の高い声
銃の音、火薬のにおい。

「静かにしろ!!動くな!!!」
典型的な犯人タイプの男の声。
あまり頭のよくなさそうな6人の男が高級そうなドレス姿の婦人を縛り上げる。その手には大型の銃がある。
「6人組か、いや、外にもいそうだな」
口の中だけでハボックはつぶやく。
おそらく車を用意しているはずだ。
身代金目当てと見える。こういう店に来る婦人なら高官の妻か金持ちの女に決まっているからだ。
「あぁあ、よりによって子守中にかよ」
声にせずにハボックは文句を言った。
被害を気にしなければ、犯人を取り押さえるのは難しくは無い。しかし、この店には上流社会の者がごろごろいる。万が一、怪我でもさせたらマスタングが苦情を受ける。

今にも飛び出していきそうなエドの腕にフレッチャーがしがみつく。
守るべきは、エド。
それが、ラッセル・フレッチャー・ハボックの共通認識。
「兄さん、怖いよ」
「大丈夫だ。俺の後ろにいろ」
役者の坊やが3分ぐらいは大将(エド)が飛び出すのを抑えていてくれそうだ。
その間に何とかせにゃなるまい。
ちらりとラッセルのほうを見ると、マダムレーヌを後ろにかばいじわじわと移動している。ハボックに視線を流す。
(おいおい、銀坊やる気だぜ。おとなしくしていてくれよ)
「マダム、あのテーブルに私の兄弟と護衛がいます。私が動いたらそこまで行って伏せていてください」
「坊やはどうするの」
「人質交換といきます」
「だめよ、危ないから。第一今夜うちに来てくれる約束よ」
今夜は、このマダムの全身美容の予約が入っている。
「お約束の時刻には参上します」
「忘れたら怒るわよ」
「はい」

「おい、そこの女」
犯人の一人が指差した。
「金を持ってこっちへ持って来い」
犯人は店にも金を要求していた。
それを持って来いという。
気丈にもマダムレーヌが1歩踏み出した。
「バーさんに用はねぇよ。その女だ」
「・」
1秒だけラッセルは硬直した。
その姿は、犯人の目からは怖がっているように見えた。
「そう震えるなよ。きれいなお嬢ちゃん、金を運んでくればあんたには何もしねぇよ」
「マダム、予定通りに」
ごく小さい声でささやくとラッセルはゆっくりと犯人のほうに向けて歩き出す。
(やべぇ!あいつも切れた。気の毒になぁ)
ハボックは犯人のために祈った。
そろそろ、エドの押さえも利かなくなっている。
「少尉、フレッチャーを頼む」
「兄さん、行かないで。(あなたが行くとトラブルがむやみに大きくなって余計に)危ないよ」
「大丈夫だ。あんな5流以下の犯人どもぐらい1分以内でのしてきてやる」
にやりと笑うエド。その笑顔は以前とまったく変わりない。傍にいるのがあの弟か、銀の瞳かの違いがあるだけだ。

ラッセルが店のオーナーから金を受け取り犯人のほうに歩いていく。
犯人の1人が待つテーブルの上にそれを置いた。
「よし、・・・(近くで見ると一段と美人じゃないか)あのバーさんの孫か。縛り上げろ」
リーダーの声に部下の一人がロープを持った。
部下の手がラッセルの細い手首を握る。
うっかり触ると折れそうな手が薄い絹の手袋に包まれている。
「悪いな、お嬢さん。おとなしくしてくれたらやさしくしてやるよ」
その犯人はむしろ善意で言った。
しかし、いや、この場で何を言ったかというよりも、マスタング家の兄弟のいる店を襲ったこと自体が彼にとってすべての不幸の原因であった。
げきぃ!
手首をつかんだままの犯人が擬音とともに床に伸びた。
犯人側は何がおきたかすらわからない。
エドとハボックには見えていた。
握られた手をそのまま利用して、あごを蹴り上げられた不幸な犯人の姿を。まだ、若そうな男なのに総入れ歯決定である。
「バカ!人質が」
言うと同時にハボックは闇市で仕入れた大型銃を犯人たちのリーダーに向けた。
(ちくしょう、お前らが切れるなら俺が先に撃ち殺したほうがましだ)
一応、民間人の武器所有は禁止されている。守られたことの無い法律ではあるが。
ハボックは退役していても、マスタングのシモベ(幕僚)であったことは調べればすぐわかる。
たかが武器不法所持程度の罪状でマスタングに面倒をかけたくない(そんなことをしたらこれからどれほどこき使われることかわかったものではない)。
だから、女の叫び声が聞こえたときも銃を出さなかった。たかが、金目当てなら無理に撃ち殺すことも無い。目の前の稀有な金の瞳、今はほんの少し霧に守られて光を弱めているように見える、この瞳に血なまぐさいワンシーンを映すことは無い。
なんだかんだ思いつつも、ハボックもエドを盲愛する男の一人だった。
犯人たちは仲間を倒した相手を探して視線を交差させた。
縛り上げようとした〈女〉が蹴り上げたと言う事実は、彼らの認識には無い。
その視線が交差した頂点にエドワードが立った。
「なんだ、くそチビ!てめぇか!?」
犯人たちは自分たちの死刑執行書に舌でサインを入れた。
「だ!!!だれが!足が届かないほどのミジンコチビかー!!!」

「やれやれ
助けられる程度にしてくれよ」
エドの怒りとこれから数秒で殴り倒される犯人へのわずかな同情とその後『やりすぎだ』と自分に怒ってくるだろうマスタングの声と、すべてを予測したラッセルはただため息をついて声にせずつぶやいた。
自分が蹴り上げた男のことは、ラッセルの認識外である。

ぐうしゃり、べきぃ、どす、がきっ
いくつかの擬音とともに犯人たちが床に伸びた。

「65秒」
フレッチャーの甘いテノールの声が時間を告げた。エドが最初の1発を打ってから最後の一人を殴り倒すまでに要した時間である。
「5秒遅刻だよ、エド兄さん」
さらりとした声には、ぼこぼこにされた犯人への同情などひとかけらも無い。自分たちをこんな面倒に巻き込んだ犯人たちにはうらみつらみしかない。そういう点フレッチャーはクールであった。
「このごろ、運動不足だな。修行しなおしたほうがいいか」
このときには何気なく出たエドの言葉だが、数日後とんでもないことを言い出すのだ。
「お前らそこでゴミ(犯人達)を縛り上げていろ」
「ハボック少尉、どうするの?」
「毒を食らわば皿もテーブルもだ。外にいる仲間も捕まえる」
やってしまったからには逆に徹底したほうがいい。犯人たちにリボンをかけてマスタング家の兄弟のお手柄として憲兵隊にプレゼントしてやるべきだ。
「俺も行く♪」
「大将は十分暴れただろ。これ以上はだめだ」

外に出るためドアに向かおうとしたハボックの視線を、窓から飛び出していくラッセルが掠めていった。
「先走るな!」
不自然なまでに弱い犯人たちにハボックは不信感を感じていた。
さっき感じた殺気、あれはこの程度の男たちが発する気配ではない。
では本当のリーダーは外にいるのでは?
勘のにぶったエドや、体力の乏しい銀坊(ラッセル)で対応できるレベルか?
ハボックの勘は悪い形で当たった。
5秒後、重いドアを蹴飛ばして外に出たハボックは一気に加速して走り去る車を見た。後部座席で銀色の光が揺れる。
「銀坊!あの馬鹿!!捕まりやがった」
走り去る車のタイヤをめがけて銃を打つ。
貫通したはずだった。
しかし、飛び込んできたもう一台の車に銃弾は阻まれた。
「邪魔だ!!ぼやぼやしてると打ち殺すぞ!」
怒鳴ったときにはもう撃っている。
だが、当然敵もただ打たれてはいない。
3人がかりで撃ってくる。
外の銃声に人質にされていた女が悲鳴を上げる。
恐怖心を思い出したのだ。
「兄さん!」
銃声に外で何か起きたのだとフレッチャーが飛び出しかけた。
「馬鹿 !!子供はおとなしくしてろ!!」
5センチはあるドアを遮蔽物にして打ち合いを続けるハボックに怒鳴られる。
打ち合いは遮蔽物がある分ハボックが有利のようだが、相手は3人。しかも車である。
射殺していいなら簡単だ。
しかし、
(銀坊をとられている)
ラッセルが捕らえられている。
ハボックは運転手の腕を狙って撃った。
しかし、移動する車のスピードとバウンドに妨害されてなかなか当たらない。
(こういうとき、昔の大将なら練成して車ごとひっくり返して捕らえてくれるんだが)
思っても仕方ないことをハボックは考えた。
あの奇跡の夜以来、エドは一度も練成をしていない。
ひとつにはマスタングが厳しく禁止しているため。だが、おそらくもっとも大きな理由は
精神操作で思い出せなくなっていても『練成した結果、弟を手の中から失った』、そのことへの恐怖心がエドを縛っているのだろう。
今のエドに練成は期待できない。
バシィ!!!
金属音。
がしぁやぁ!!
金属がひしゃげる音。
ハボックの見ている前で、車は子供がおもちゃのミニカーを放り出すかのようにひっくり返った。
(何だ!?)
車がさっき通過しかけた場所にハボックの腕ぐらいはありそうな太い蔓が3本あった。くるくると巻き毛状態にカールしている。本来のサイズならきっとかわいい草なのだろう。
(こいつが車をはじいたのか。フレッチャーが?)
あの弟のほうに現場での勘があっただろうか?
走っている車にいきなりひっくり返られて、当然中の犯人たちは気絶していた。
首の骨を折って即死しなかっただけ幸運といえた。
「金坊(フレッチャー)やったのか?」
ひっくり返った車と用事は終わったとばかりにぼろぼろと崩れていく太い蔓をハボックは指差した。
フレッチャーは大きく首を振る。
(練成したのは銀坊か、だとしたらつかまったのは確信犯だな)
背後関係を調べるため意識的につかまったらしい。
人質がほかにいるならともかく自分ひとりならいつでも脱出できると自信を持っているのだろう。
(自信たっぷりの鼻っぱしを折られなきゃいいんだが)
つかまったのは意識的でも逃げ切るほどの体力があるかどうか?大いに疑問である。

マスタングは軍の高官である。机の上には重要書類が30センチも積み上げられている。
ペンを片手にため息をつく。
この状態では今夜も帰れそうに無い。
『ロイのベッドならいい夢を見れるんだ』
ふわふわの枕を抱えるエドの姿。ごく普通の空色のパジャマが輝くように見える。
かわいい息子(エド)をもう何日まともに見ていないことか。
ため息をついて、ペンを止めるマスタングを第3秘書がにらむ。
まだ統合補佐官(リザ・ホークアイ)の域には到底達していない彼女の視線ぐらいではマスタングは動かない。
「閣下。コーヒーにされますか」
机の上にでんと置かれたエドの写真にやにさがっているマスタングに第3秘書はせいぜい嫌味をこめる。
「ショコラ・ケーキ3個付けてくれ」
「閣下!」
『このごろデスクワークが増えているせいか幾分太り気味ですね』とホークアイに言われたばかりなのにマスタングはまったく反省していない。
(本当にこの人があのイシュヴァールの英雄なの!!?)
密かにあこがれていた東方の英雄の第3秘書に任命され、歓喜にあふれたのは数ヶ月前。
人生には知らないほうが幸福なこともあると思い知らされた。
憧れの英雄が男の子の写真を見てにやけまくっているところなど見たくは無かった。
その男の子が輝くばかりにきれいであったとしてもだ。
まして、寝相が悪いだの歯軋りしただの蹴飛ばされて目を覚ましただのだの、のろけとしか思えないトークを持ち掛けないで欲しい。第一それはいつも一緒に寝ていると言うことではないのか。それは、養子(猶子)とはいえ親子なのだからそういう時間があってもいい。しかし、エドは子供といっても数年すれば20歳になろうという年だ。果たしてそういう関係でいいのだろうか?
そういうのは仲良し親子ではなくて、別の分類に入るのではないだろうか。

「大変です!」
飛び込んできたのは短い黒髪がりりしい第2秘書。
「大変です!閣下のお子さんが誘拐されました!!!」
勢いよく開かれた扉が巻き起こした風に、ふわりと舞い上がる書類を押さえるロイと、そういうのは別の分類に入るのではと言いかけた第3秘書の2人は運ばれてきたどこかで聞いたような話題にしばし固まっていた。


失踪19誘拐

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レーション

2007-01-13 19:11:30 | 鋼の錬金術師
逃亡者たち19
チョコ(軍用携帯食 一名をレーションとも言う)

前半のみ

翻弄されていた間、懐かしい夢を見ていた。
それとも出血が多すぎて意識が薄れていたのだろうか、・・・どういう出血かについては、  コメントを避けよう。
幸福だったときの夢。不思議にあの偽りの日々ばかりだ。
偽りの中ではあったが、あの時間違いなく私は幸福だった。
両手に兄達の手を取って、今となっては敵と定めた男に守られて、何の不安も持たず、ただ無邪気な子供として幸福であることを義務付けていた。それは大切な人の犠牲で作られた偽り。むしろその人のために私は幸福であり続けた。
あの頃の私は一番大切なものを2つとも手にしていた。おそらくは兄も。
後悔とは後で悔いると書く。その通りだ。すり抜けていった宝物。義兄は天に歩み、兄は    、
僕はなんておろかだったのか、自分で手を離したのだ。
兄さんは僕を要らなくなったのだと勝手に信じて。

まだ3人で兄弟として生きていたころ、
あの頃、兄はマスタングの指示で アルの行方を追っていたようだ。
視察出張と称して幾日も帰らないことがあった。
兄はあの頃アルと会えたのだろうか?
兄がどれほど手を尽くして国中を駆け回ったとしてもすでに人でなくなったアルを追うのは不可能なはずだ。なぜなら、当時の兄の力は地を介するもので、すでに物質であることを脱していたアルには効果がなかったはずだ。
もし、当時兄がアルと会えたならそれはアルのほうが望んだ場合に限られる。
時折僕の前にだけ姿を見せたように。半ば透けた輝くような姿で。あれをもう人とは呼べない。あれは、生まれる前の神 の姿だ。


「立て」
強く髪を引かれた。
強制されても間接が錆付いたようで力が入らない。
「戦争を始める」
ヘルガが笑う。
10年以上一緒にいるが一度も見たことのない笑い方で。
「無理だ。立てない」
ヘルガがまたグラスを開けた。こいつは酔えば酔うほど正常に見えてくる。それだけ酒に強いのだろう。それとも、今まで感じたことはないが、私が兄に捕らえられているようにヘルガも何かに捕らえられているのか。
「ずいぶん情けない返答だな。お前の兄上はあんな身体だったが人前で弱みを見せることはなかったはずだが、種が違えば実も異なるか」
皮肉な口調でシンの古い格言をささやく。
耳にかかる熱い息。
拒否したいのに、私はどうかしたのだろう・・・、身体がヘルガを求める。
こういう時軍人の身がいやになる。普通の者なら身体の反応を否定できるのに。
〈真実をまっすぐ見ろ。現実認識のできない者に、未来をつかむ資格は無い。〉
そう教えたのは士官学校の校長。言葉の出所は若いころのマスタングだとか抜かしていた。若いころ、というよりあの時点でも十分すぎるほど若かったが。
私はこの言葉を吐いたマスタングと変わらない年齢になった。だが私はいまだに現実を見ることができない。
ただひとつの点において。
にいさん、あなたのことだけを。
あなたはほんとうにぼくをすてたのですか_?
それともいなくなったのはあなたのほんしんではないのですか?
あなたをさがしていいのですか

おかしいですね、私の手は、あなたの一部のはずなのに、あなたがあれほど嫌悪した行為を、・・・僕に苦痛を与えた男にすがろうとしています。


口移しに飲まされると何でもうまいなどと戯言を抜かしたのはどの部下だったのか、こんな生ぬるいものがうまいわけないだろう。きっとほんとうはそうやって女に飲ませてもらったことなど無いのだろう。
女。
そういえば、これは翼竜隊が作られたころからの問題だった。
若者ばかりで構成する機動性重視のバイク部隊。固定した基地を持たずマスタングの大まかな命令のみに従い実権は指揮官が100パーセント握る。それは発足時点から内内で問題視されていた。血の気の多い若者ばかりを集団にして統制が取れるのかというのが表向きの問題。そして、何より問題視されたのは 若者の性衝動をどう処理させるかということ。・・・ばかばかしいと思わないで欲しい。士官学校を出たばっかり。やりたい盛りのガキが集団で。
普通の軍団基地なら、まるで双子の街のように自然発生した色町がすぐ近くにある。そこに連れて行けばすむ。
しかし、機動性重視。固定基地なしの翼竜隊がどこで女を手にできるのか。
いっそ、公娼を一緒につけてやろうかという意見まで出たらしい。[さすがに、この意見は軍の公式記録からは削除されている]。
結果的に言えば、闇の情報分析力は軍の諜報部門より優秀だった。
翼竜隊の行く先に必ず、この世で一番古い職業の女たちが待っていた。
行く先の情報が漏れる可能性は無かった。知っているのは私とヘルガだけ。そういう点ヘルガの信頼度は私自身よりも高いほどだ。
若かったせいもあり私も部下と一緒にずいぶん羽目をはずした。そういう行為が軍内で問題視されていたのも知っているが、当時はそれが必要だった。   報告を受けてあの潔癖症の兄が苦虫を何匹噛み潰したのだろうか。
そうだ、あの頃の私は兄が私に不満を持つ、それさえうれしくて、だからついつい羽目をはずしすぎた。本当は好きな女などいなかった。
そして今、兄に消えられた私にはヘルガの手が必要だ。
大人になるべき時期に無邪気な子供であることを自ら決めた私は大人になれなかった。
一人では立てない。
兄の手を欲しい。
子供のころ、本当に小さな子供のころ、迷子になって涙と鼻水でギショグショになっていたとき、手を引いてくれた、あの兄の手が。
欲しい。
アニヲホシイ。

「いいわけだな。欲しいなら欲しいだけでじゅうぶんだ。俺にはな」
無意識に口にしたのだろう。ヘルガがあざ笑う。困ったことにこいつはこういう表情がよく似合う。ヘルガは普通にしていてもいい男だが、こういう表情で見下げられると、奴隷根性とでも言うのだろうか、この人に打たれたいと女は思うらしい。
こいつのために女同士で殺人事件までおきたという。真偽は不明だが、部下は全員信じている。さらに極めつけのエピソードがある。ヘルガは憲兵に協力を求められたおり、捜査本部で『殺された女も殺した女も覚えていない』と答えた。唖然とする憲兵に『諸君は歩いた道にいくつの石が落ちていたか覚えているのか?』と逆問したと聞く。 
私とヘルガは、女に処理以上の感情を持たないという点では共通している。しかし、私はどんな女だったかについてはきちんと答えられる。私が処理のために抱く女は全員   長い銀の髪をしている。

また、舌で唇をこじ開けられた。何かが口の中に押し込まれる。
(冷たい)
のどを冷たい感覚が落ちていく。
それは口付けのご褒美に与えられた小さな氷の粒。
「もっと」
ねだるとさらに押し込まれた。こんないいものがあるなら最初からくれればいいのに。ヘルガは変なところでけちだ。
すっかり気持ちよくなったのどに今度は熱く焼いていく液体が流される。
(酒?違うな、これは!)
「ふん、一応医者だな、わかったか」

「クスリだな」
飲まされたのは、ある種のドラッグ。薬事法の規制対象ではないが、合法ともいえない。
強力な鎮痛作用があるため一時的に軍が採用した。しかし、とんでもない副作用があるのですぐ取り消された。副作用、それは数時間後に起こる。強烈な媚薬効果。

「すぐ痛みは収まる。とにかく広間に顔を出せ。後は何とかしてやる」
(何とかしてやるって、それはつまり・・・・・)
「お前がナニを考えているのか見当はつくが、それ以外にもすることはある」
悪魔の笑い。そんなものがあるならこの男にこそふさわしい。
私はすっかり、悪い男にはまったようだ。


数分後、確かに痛みは治まったが力がさっぱり入らない。
出血の影響もある。シーツを濡らした血の量を医者の目で判断する。
800ミリリットル以上はある。
多少貧血気味のようだ。
ヘルガに着せられたのはいつもの軍服。慣れたこの服があまりに重い。足元がよろける。
ぐっと髪を引っ張られた。身長差を利用して引っ張りあげる。ヘルガは私より4センチも高い・・・。エドにいさんあなたの気持ちが今になってよくわかります。
やっている最中の女にすら触らせなかった私の髪、この髪で遊んだのはたった2人。天に歩み去った兄と、地に縛られた兄。
昔、どういうわけだったかよくわからないが、二人して三つ編つくりの競争を始めて、   兄達2人が額をこすり合うようにして夢中になって僕の髪を編んでいく。少し小さい手の熱さと、細い指先の冷たさが今も肌に残っている。それいらい、『軍人にあるまじき長髪』といやみを言われながらも一度も切ったことがない。『兄弟そろって』そういわれたときにはさりげなく闇討ちしてやった。私をどう言おうとかまわない。だが、兄を口にすることは許さない。
その髪をヘルガは犬の鎖扱いしている。
「離せ」
「ヤー(了解)」
命令形に対して、ヘルガは部下の言葉で答える。
ぱっと音がするくらい勢いよく手を離した。
ひざが崩れた。情けない姿だが、ヘルガの腰に腕を回してかろうじてそのまま崩れるのを防ぐ。
客観的に見たら、男を止めようとする男娼。
自分の姿勢と発想に大量の嫌悪を覚える。

将官以上の位になると軍服のデザインが少し変わる。
形式的ではあるがサーベルあるいはそれに類するものがつけられる。(これは皇帝時代の名残である)。
あの兄ですら儀式の折にはクリスタルのサーベルを飾りつけた。
普通なら大剣を飾るのだが、あのころの兄の体力ではそれを形式的にかざすどころか、立ち上がるのも不可能だった。
ヘルガは大佐、フレッチャーは准将。それゆえにフレッチャーの腰には剣がある。
「今なら殺せるぜ」
ヘルガが口の端をゆがめた。
「上官強姦罪。証拠はお前の身体」
微笑するヘルガを見ると、こいつは死にたいのかと思えてくる。
長い付き合いだが、私はヘルガのことはあまり知らない。
貴族の嫡男で、有能な軍人で、兄と同じ年で、誰よりも私を混乱させる男。私が知っているのは士官学校で出会ってから後のことだけ。それ以前はまったく知らない。
ヘルガの瞳が青の中に闇を潜めているのも今日はじめて知った。青い瞳。私の知っている青い瞳はみな空を見ていた。色の濃淡はさまざまだが、青い瞳は未来を見る色だった。
スカイブルー、ジャン・ハボック。
すみれ色、キャスリン・マリア・エル・アームストロング。
駆け抜けていく秋の空の色、ウィンリィ、ロックベル。
兄がただ一度だけ見た海の青、兄を連れ去ったあの人の瞳の色。
思えば、どの人もあの義兄につながる人。
彼らに未来を見せていたのはあの義兄だったのか。

ぐっと力を入れてサーベルを握る。私の剣は兄のそれと異なり本物だ。一振りで何人切れるか。
大きく振り上げる。
ザン
床に金のオーラを散らばらせた。
15年間のばしていた髪が床に散った。
兄達の手が触れて愛撫した髪。
  
   もういらない。
私はあなたを取り戻す。私のあなたを。
そのためなら悪魔の手でも取る。

ヘルガが剣の鞘をささげ持つ。その中に無造作に剣を差し入れる。
角度はちょうど金の髪に青い瞳の悪魔の心臓を貫ける。
ヘルガの手が未練のように刀身にまといつく金の髪を払い落とす。
鞘に口付けて私に返す。こうして私たちは新しい関係を受け入れた。


広間の入り口が開かれた。
この建物も民間からの借受だが、あつらえたかのように部隊に必要なシステムがそろっているので部隊設立以来利用している。そのためここでは多少の羽目はずしは大目に見てくれるし、いろいろと無理な注文も聞いてくれる。
5年前、隊員の一人が結婚したときにここの広間でドンちゃん騒ぎの披露パーティを行った。何しろ、独身者ばかりのこの部隊で結婚したのはそいつが最初。あまりの乱きちぶりに招待された花嫁の両親があきれ果てていた。
それでも最後には部隊全員の祝福を受けた娘婿に最高の式だったとシャンパンでぐしょぬれの燕尾服で抱きついた。確かに普通の軍団では隊員全員が顔見知りで式に参加など考えられない。  本当にいい結婚式だった。あの後、この場所であいつの葬儀を行うことさえなければ・・・。

開かれた扉に一瞬記憶が混乱する。壁にかけられた黒の国旗。
喪章をつけた隊員たち。あの時、部隊は始めての大きな人的被害を受けた。作戦の失敗と言ってよい。
機動性重視のため火力に欠ける翼竜隊は他の軍団と統一戦線を組むことが多い。
その戦場で組んだ軍団の司令官は翼竜隊の存在を苦々しく思っていた一人。
予定の援護が全くなかった。司令官として、部隊の本体を指揮して弾幕の中央から突破させるのが最優先だった。
先発隊として出たやつらを見捨てるつもりはなかった。普段はまったく使わない錬金術を使ってでも間に合わすつもりでいた。
あの作戦の日普段はおとなしかったあの男が自ら志願した。
「恋女房にいいとこ見せたいんだろ!!」
仲間たちにからかわれ、赤くなった彼に先発隊の指揮をゆだねる。家族を持ったやつのほうがむちゃをしないと見ての選抜だった。
正しい選択だった。
翼竜隊を弾幕の的にしようとしたあの司令官の動きさえなければ。
後で受けた報告では四方八方を敵に囲まれたとき、あいつは「そうか、四面楚歌というのはこういうことなんだな」と平静に言ったという。あいつの花嫁の父はシン文化の研究家だった。
その後「虎穴にとか言うんだよな」と言うと一点を指した。敵の弾薬庫のある方向。
「あそこを突破する。運がよければ通り抜けられるだろ。最悪でも走って死ねる」
確かにこのまま的に嬲り殺されるよりは生きる可能性があった。
先発小隊の全員がその計算を受け入れた。軍では指揮官の命令が絶対のはずだが、翼竜隊は特有の気風があり1個人1指揮官であった。命令できる範囲にいるとは限らないし、目的意識に沿って自分で考えろとなる。
結果、30人中生存率50パーセント、あの状況からすれば奇跡の数値。
だが、このような形、味方の軍に裏切られた形での被害に隊の全員がショックを隠しきれない。本来、司令官がどうにかしなくては成らないのだが社会的経験に乏しい指揮官は対応法を知らない。
そのときこの宿営地の支配人が隊のご葬儀の用意をさせていただいておりますと伝えてきた。こんな形で殺された仲間にどうしてやっていいかわからなかった青年たちはやることを教えられた。
無駄と思っていた儀式が意味を持っていること、生きているものには死んだものと分かれるのに形が必要なこと。人生を生きていれば自然につく知恵が優秀な青年たちには欠けていた。

フレッチャー・トリンガムが見たとき会場は黒で染められていた。
全隊員が集まっているのに会場は静かだ。
普段と違い重く感じる自分の足音だけが聞こえる。
それにしても誰の葬儀だ?前回の戦場では被害はなかったのだが。
「准将の兄上の追悼を全員が希望してまいりました」
静かな声が伝える。
「あっ」
兄に捨て去られて、たった一人になって、そう思っていた。
だが、私にはここに家族がいた。
自分でここに帰ってきたのになぜ忘れていたのだろう。

その夜、ベッドを降りながら今後の予定を語るヘルガにふと聞いてみた。
どうして広間にみんながいることを最初から言わなかったのか。それを聞いていれば、  。
それに対してヘルガはにやりと笑って答えた。
「先に教えたらお前をものにできるチャンスを逃すだろ。」

私は本当に正直な男に恵まれている。



失踪18チョコレートの生る木

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カカオ

2007-01-13 19:09:52 | 鋼の錬金術師
カカオ

(浮いちまってるなー)
ジャン・ハボックの手はタバコを探してポケットを探る。
さっきの1本が最後だったと思い出して小さく舌打ちする。
まぁ、残っていたとしてもここじゃ吸えないな。
子供達を追っかけるようにして入ったケーキ屋は、大佐が女を口説くときに使うような店だった。
窓には白い花模様のレースのカーテン。
テーブルはクリスタル。
飾られているのは1本で1万センシズはしそうな上等のバラ。
繊細な彫刻が施されたアラバスター製の花瓶に生けてある。
(この花瓶、30万センシズぐらいするよな)
つい、値段を考えてしまう根が貧乏性のハボックである。
椅子が小さすぎて座りにくい。
後の3人は平気で座っているのを見ると自分のような護衛タイプが入る店ではないらしい。
(わかっているけどな、大佐の大事なお姫様から目を離すわけにもいかんぜ)
店の外で待とうかとも思ったが万が一のことがあってはいけない。
エドワード・エルリックはマスタングのアキレス腱。それは今や軍の上部では知らないものはいない。
さっき、ラッセルはこのメンバーで恐れるものなどないとか言ったが、大有りだ。
そう、確かに国家錬金術師2人ではあるがエドは闘病時の高熱のせいで記憶があいまいになっている(そういうことにしている)。昔ほどの戦闘センスは期待できまい。
ラッセルは現役の軍属で、戦闘力は申し分ないが体力があまりにも乏しい。うかつに乱戦にでも巻き込まれたら、殺られるより前に貧血で倒れそうだ。(そんな気がする)
フレッチャーは挌闘者としては才能もあるし体力的にも信用できる。しかし、戦闘者としては実戦経験が乏しい。そして何よりも、もしも何かがあったときエドもラッセルも『弟』を守ろうとするだろう。それでは戦うに戦えまい。
つまりもし何かがあったときこのややこしい子供3人は俺一人で守るしかない。
上等すぎて味のわからない紅茶をすすりながら、ハボックは早く外に出てタバコ吸いてぇな-と切望していた。
紙より薄い銀の皿にご鎮座たてまつられたケーキは直径が3センチもない。
これ1個で2000センシズ。
エドはそのケーキを8種類も頼んでいる。
フレッチャーが5種類。
ラッセルは甘いものはだめだからとブラックコーヒーだけを置いている。
エドとフレッチャーの前に柔らかな湯気を立てるカップが置かれる。
小さなカップ。香ばしい香り。
一人分ずつに用意されたシロップとミルク。
香りには覚えがある。ハボックも子供のとき飲んだ。(無理やり飲まされた)
ココア。
しかし、記憶のあれはもっとにごったような色をしていなかっただろうか。
口の中がいつまでもべたつく、うっとおしい感覚。記憶にあるのはそれだ。
今見えているさらりとした香ばしい香りの液体が同じ名を持っているとは信じられない。
エドはシロップと全部入れてかき回す。ミルクは無視だ。
逆にフレッチャーはミルクしか入れない。
半宝石だろう、きれいな石をはめ込んだスプーンをくるりと回す。
それからケーキを一口で食べてしまったエドを見る。
エドの唇にクリームがくっついている。
唇に指がふれる。
細くしなやかな器用そうな指。それが誰の手かは見るまでもなくわかる。
緑陰荘では当たり前の行為になっていて誰も気にしないが、

(おいおい、お前ら、外でのそういう行為はまずいだろ)
ハボックは内心だけで突っ込む。どうせ声に出してもこの子供3人は言われた意味さえ理解しない。

唇をふき取っていった指を少し小さな手がつかむ。
大将(エド)は全体的に小作りだ。身長も肩幅も何もかも。本人はこれから大きくなるといきまいているが さてどうだろうか?
「お前、手ぇ、細すぎだ。なめてないで食え」
残っていた一皿のケーキをずいっとラッセルの鼻先に持っていく。
「あ、限定品のプチ・カカオ」
少し高い子供の声。
(俺の声が変わったのは13ぐらいだよな)
唐突にハボックは思う。
15でまだというのは少し遅めではないだろうか。いや、弟以前にこの兄のほうもちゃんと育っていんだろうな?
まさか、とは思う。経験なしで魑魅魍魎の横行する社交界を泳げるわけはない。しかし、どうしてだろうか、彼にはまるっきり生身の男の気配がない。
12のときから見ていた大将は 小さい! ながらもそれなりに育っているのは見ていればわかる。
経験はないかもしれない。今までの生き方を見ているとそんな暇があったとは思えない。それに経験どころか体すら無い 弟 のことがあった。
「ほら、口あけろ」
繊細なケーキを崩さないよう右手でつまんで、左手でラッセルの唇をこじ開ける。
その手を見て、ハボック、一応宿願はかなったんだなぁと実感する。
そう、エド、いやエルリック兄弟の宿願はほぼかなった。
弟は体を取り戻し、兄は腕だけとはいえ、生身に戻った。
それが錬金術上の奇跡とは焔の上司の言葉で知った。
エルリック兄弟は傍から見れば人体練成の成功例だ。
だが、それがこの現状につながっている。
アルがいない、現状に。

小さなケーキを1かけら、ラッセルがかじった。甘いものが苦手の彼には精一杯の妥協。
残りを口に放り込もうとしたエドに「僕にも味見」と下方向から声がする。
エドの手がその口元に向かう。エドの指先をほんの少し舐めるところまでフレッチャーがケーキをかじる。残りはそのままエドの口に入る。チョコパウダーのくっついた指をくわえようとする。
その指が横から来た手にさらわれる。
「ビターチョコか、エドにはスイートのほうが似合う」
チョコパウダーのついているところまでをきっちりとくわえてきれいにされた。
この空気に赤面しているのはハボック一人。子供3人は天然なのか確信なのか平然たるものだ。



カカオの香りに強いジンの香りが混じる。
「飲めよ。カカオ・フィズは好きだろ」
ついさっきまでつながっていた男がグラスを差し出す。
もう、あの時のやさしいチョコの香りはどこにもない。


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ココア

2007-01-13 19:08:29 | 鋼の錬金術師
ココア

金と銀の3人兄弟のしあわせなお話

映画は単純なストーリィの怪獣物。だから第1作目を見ていないトリンガム兄弟にも十分楽しめたし、帰り道にエドの言葉に相槌を打つのも楽だった。
それにしても、あのアルがこんな子供向きの映画を楽しんでいたとはちょっと信じられない。
だが、その疑問はエドの一言で溶解した。
「あの夕飯のシーンのシチュー、湯気がぱぁーとあがってさ本当にうまそうだったな」
そうだ、映画の画面には味覚も嗅覚も触覚も無い。
ただ、視覚と聴覚のみ。
それが、鎧の中に閉じ込められたアルフォンスの世界。
まるで、映画の中の住人のような弟。
その弟に世界を返してやるために、エドは軍の犬になり、危険な旅を続け、ついには命をささげつくした。そんなエドの命をあまりに細い銀の糸がつないでいた。
煉丹術の禁忌を犯して、兄を救ったのは人の身体を取り戻したばかりの弟。
結果的にアルは実の兄とフレッチャーの兄の2人の命を救った。
もし、あの時エドがあのまま死んでいたら間違いなくラッセルも息を引き取っただろうから。
だがそれは、兄が命を尽くして世界の中に連れ戻した弟を再び人では無くした。しかも今度は救う道なしで。
「ティータイムのアップルパイもぱりっとしてよく焼けていたな。
ウィンリィのパイより形は良かったし」
「そういえばこの近くにおいしいケーキの店があるよね」
アルのことを思って、自分の中に沈みかけていたフレッチャーは意識的に明るい声でエド兄さんに答えた。
大切な友、その友に自分はもっともつらいことを押し付けた。
たとえ、友自身がそれをしようと思っていたとしても。
『お願い、兄さんの為に兄さんの命の為にエドワードさんに会わずに去って』
自分は絶対世界一冷たい心を持っているのだ。あのアルにあんなことを言えたなんて。
だから、アルがせいいっぱいの微笑で『手のかかる兄だけど僕の代わりに見ていて』
そう言った時、『エド兄さんを必ず幸せにするから』
約束した。
光り輝く存在になっていって、絡めた小指が透り過ぎる友の手に。
あのときからエドワードさんは僕の大切な兄さん。
この人の幸せを守るためなら世界中をだましてもいい。
今は僕がだまされよう。
大切な人が幸福なら、見守る人も幸福なのだと。

「わ、行こう!」
とたんにエドはもうはじけるように走り出す。
苦い顔のハボックに目線だけで「ごめんね」とフレッチャーは告げる。
このごろ、セントラルは前に比べて治安が悪い。
なるべくなら、映画を見たらすぐ緑陰荘に帰りたいのに。
それに、横目でちらりとラッセルを見る。
(顔色が悪い)
昨日も軍の用事で遅くまでこき使われていたのだ。睡眠時間は4時間も無かっただろう。
だが、休ましてやるようにと大佐には言えない。大佐の睡眠時間は3日間で4時間あるかないかである。
せめて自分が軍に戻れば、いくらかでも休ませてやれると思うが、野に下ったハボックにしかできない仕事も多い。そして、今のマスタングにはそういう手駒が絶対に必要だった。
「どうにも成らないな」
煙と一緒につぶやいた言葉をラッセルが受け止める。
「大丈夫ですよ」
穏やかに笑ってみせる。
さりげなく視線を煙に向ける。
今の話の続きのような調子で言葉を続ける。
「国家錬金術師が2人、軍関係が3人、マスタング准将のお墨付きの戦闘者が3人
このメンバーで怖いものなんてありませんよ」
言い終えると早足でエドを追いかける。
追いついたエドには子犬みたいな弟がすでにくっついている。
ハボックは「早く行こう」とラッセルの髪を引っ張る幸福な金の子供を追いかけた。
片足でまだ長く残ったタバコを踏みつけながら


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プライドの対価

2007-01-13 19:07:23 | 鋼の錬金術師
失踪14
プライドの対価

医師は違っていた場合の減給を覚悟の上で、昨日聞いていたご当主の別荘に来た。
下した診断は無慈悲としか表現できなかった。
名は教えられなかったがこの銀色の青年が何者か、すぐにわかった。
国境の守護獣の役から、やっと解放された彼は、今度は自分自身からも解放された。


彼は笑う。もう夜に急にうなされることも無い。
悩みも苦しみもその原因であった記憶ごと彼から離れた。
彼の一日はのんびりと始まる。
ろくに眠らなかった分を取り戻すかのように朝はゆっくりと眠る。起きるのは早くて10時である。
顔を拭いてもらい、手を洗ってもらい、その間、ぬれた手を振り回していたずらするのは毎朝のこと。
「いたずら坊主」
振り回した手をそっと握られ柔らかなタオルで拭いてもらう。
「いい子だ。じっとしていられるようになった」
髪をなぜると笑う。うれしいのかくすぐったいだけなのか定かではない。
「ルイ様。そういうことは自分でできるように練習させないと」
後ろから医師が苦情を申し述べる。あの日きたこの医師はそのままここにいついている。
田舎のことなので内科小児科産婦人科外科を兼任していた医師は子育てにも向いていた。
聞き分けの悪い子供がスプーンを投げ散らかす。医師は次のスプーンを取って握らせる。また投げる。
その手をすかさず叩く。
大泣きする彼をルイが慰めようとすると医師はご当主様に怒鳴りつける。
「犬のしつけと子育てのしつけは始めが大事です!邪魔をするなら出て行ってください!!」
助けてもらえないとわかると彼はさっさと泣き止んだ。
「うそ泣きか?」
「違います。子供の中ではどちらの感情も本物です」
「そういうものか」
今まで才能ある子供を300人以上育ててきたが、手元で育つのははじめてみる。
ましてその子供が彼なのは。
公平に見て医師が良い教育者であることは間違いない。おそらく自分ひとりでは彼を甘やかしてばかりで手がつけられなくなっていただろう。それも悪くない気もするが・・・。いや、とにかくセントラルに一度は戻らなくてはならないのだし、少しはおりこうさんになってもらわないと預けて出られない。あの悪夢の夜から半月、彼を研究所から出してから1ヶ月半が過ぎた。

医師の叫び声にとんでいくと予測どおり、部屋いっぱいのバラのつると鮮やかな青い花。おそらく、部屋の奥に彼がいるのだろう。ここをうかつに離れられない理由のひとつがこれだ。記憶を完全に失っても錬金術だけは使える。覚えていたのか、新たに覚えたのかは定かではない。
今のところ、怒られたり遊びを邪魔されたりのとき、ヒステリーを爆発させるように使っているだけだが、何の問題も無くこれだけの質量練成ができるということは、きちんと教える者がいれば今の彼でも要塞を作れる可能性があるということになる。
もし、脳の検査のためにセントラルに連れて行ったら、せっかく忘れた地獄にまた縛られる可能性が高い。
今朝、妹に電話をかけた。
「電話では申し上げられません。早く帰ってください」
盗聴を考慮してそれしか言わない。妹の声は怒りの微粒子を含んでいるようだ。
まぁ、怒られても文句の言えない立場であるが。

「申し訳ないがお願いする」
偶然巻き込まれてしまった医師に後事を託し、セントラル行きの特急に乗った。
ノンストップで急いでも半日以上かかる。
もちろんこんな田舎の小さな駅から、セントラル行きの直行特急があるわけは無い。むりやりしたてたのだ。普段のアレックスはそんなことはしない。だが、今は1分でも早くセントラルに戻り1分でも早く物事を片付けてあの家に帰りたい。ラッセル・トリンガムの名を失い、小さなラッセルになってしまったあの子のところへ。


アレックスが言う悪夢の夜の翌朝、
どこかわからないある場所で闇の兄弟が愛情にあふれた会話をしていた。
手ぶらで帰ってきた大兄を目ざとく巨大なトカゲの姿の弟が見つける。
〈おや、大兄。人柱を回収にいかれたのでは何もお持ちでないようだが〉
兄の黒い、否、闇色の瞳が弟を見据える。
「お前ごときにはわからないこともある。黙って指示に従え」
〈ふふん、そりゃ大兄はいつもお父様のお気に入りだからねぇ。勝手にニエを創っても、それを逃がしても怒られないんだ〉
「逃がしたわけではない。それにあの者達が天に昇った時点でニエの役は不要になった。今必要なのは素体(そたい)だ。お父様に報告する。道を明けろ」
〈へいへい、そりゃ大兄はお気に入りだからね。いつでもお父様に会えるわけだ〉
弟エンヴィーは巨大な尾を動かしてお父様の部屋へのドアを開いた。
その尾にはいくつもの人の顔。嘆き叫び怒り今も死につつある顔。
(人もどきめ)
この弟は自分のことを人より進化した生き物と思っている。しかし、大兄と呼ばれたプライドにはそうは思えない。むしろ、これは人の弱さをこね合わせて作ったようだ。そういう意味ではより進化した人間といえるのだろう。
「プライド、人柱を持ち帰らなかったようだが」
お父様の声はいつもと変わりなく聞こえる。だが、だからこそプライドには恐ろしい。この父はもうとっくに何かに気づいている。プライドが自分でも気づかなかった何かに。
「はい、あの人柱はあと5年ほど生かしておけます。
ニエと違い、素体は意志を持ちません。守り手が無ければ壊れます。
あの人柱なら素体をうまく生かし続けます」
「ふむ、よかろう。素体とあの人柱の管理はプライドに任そう」
「はい」
プライドは丁重な礼を残して部屋を出ようとした。だがお父様はさらに続けた。
「プライド、赤い石を使ってまであの人柱を生かしたのは誰のためだ」
「もちろんお父様のためです。あの大男なら素体を傷ひとつ無く育てましょう」
澱みの無い返答。
「ほう、それだけか」
「それに赤い石を使ってはおりません」
「代償は?」
おそらくわかっているだろうにそれでも父は問うた。
「素体になるに邪魔になる記憶を代価としています。素体自身が望んでもおりました。傷はありません」
「よかろう。これからも用意が整うまで素体を守るに力を尽くせ」
それはプライドが今後計画の中心からはずされることを暗示していた。
「お父様の仰せのままに」
恭しい礼とともにプライドは退室した。
今後、この部屋に来ることは無いだろうと思いながら。

昨夜の夜中のことだ。
人柱の寝室に入ったはずが大きすぎるベッドの隅っこで縮こまっているのは彼の育てたニエだった。
この子に会うのは数年ぶりいや、ファーストの姿でなく会うのは2度目だった。
「あまり変わらないが、本当に31になっているのか」 つぶやいて顔をしげしげと覗き込む。
記憶にある姿と大して変わらない。
男の年齢は年輪だ。多いほうがいい。と自己弁護するどっかの大総統などが見れば人生観を感じさせない顔とでも表現するだろうか。
顔を見るつもりは無かった。まして話すつもりなどまったく無かった。
だが、ラッセルは目を開いた。
しばらくボーっとしている。寝起きの悪さは変わらない。
「おいていかないで」
一瞬自分に言ったのかとプライドははっとする。
だが、ラッセルはまだボーっとしたままだ。
そういえば子供のころからこの子は寝起きが悪かった。
下手すると起こしてから1時間はエンジンがかからない。

置いて行かれるようなことでもあったのか。
思い出せば、この子の人生は置いていかれることばかりだった。
母親に捨てられ、父親に死なれ、最も大切な存在はこの子が死んでも手の届かないところにかの人の弟の手を取って行ってしまった。
この子はいつも置いていかれたのだ。
いったい誰の夢を見ているのか。かすかに開かれた銀の瞳を覗き込む。
「ルイ」
答えるかのような声。
色素の無い透明すぎる瞳は黒い闇を写しているのに、   この子が呼ぶのは。
「残念だったな。その男もお前を置いていく。手の届かないところに」
残酷というより、残虐な想いに支配される。
自分を見ていながら、別のモノを口にする子供に。
悪意があるわけでないのはわかっている。いや、悪意が無いから許せない。
それが以前にラースのつぶやいた〈人に近く生きていすぎた〉それゆえの思いとはプライドはわからない。
彼はホムンクルスのプライド。そういう存在だから。
「行かないで」
ラッセルの手は無意識に誰かを探した。
手が偶然にプライドの腕を握る。
しがみつくようにすがってくる。
パシン。
乾いた音が寝室に響く。
反射的な涙が一粒落ちた。
「痛い」
どうやら目が覚めたらしい。
打たれた右ほほを左手でさする。
「ル・・・ファースト!?!」
その人以外いるはずの無いところで、その人がするはずの無いことがおきた。
矛盾する状況が一気に覚醒させた。
目の前にいるのはいるはずの無い男。
「ほう、この姿でもわかるのか」
この姿で、ラッセルに会ったのはこれが2度目。ファーストの姿とはまるで異なるはずだ。
共通するのは、闇色の瞳だけ。
「ファースト、良かった。生きていてくれた」
どう返答していいかプライドにはわからない。
この子は今何を言った。
なぜ私の生きているのを喜べる。私はこの子にとっては敵なのだ。
あの時この子は私の姿を見たはずだ。お父様の命令で本意ではないがエンヴィーを助けて去る私の姿を。
それともあのときのことを覚えていないのか?覚えていなくても無理は無い。意識があったかどうかもわからない状態だった。この子の命が残ったのはまったくの偶然・・・お父様の意図はわからないが。
「あの後すがたもうわさも無かったから、どうなっているかわからなかった」
一息に言った後呼吸を整える。
「5番街にも行ったけど、伝言も無いままだったし、もう会えないかと思った」
つまりこの子は私に会いたがっていたというのか。
なぜだ?
私たちは会いたがるような関係だったのか?

「ファースト?」
一方的に話すばかりで返答が無いのをいぶかしんでいるのかふらふらと、ベッドから降りてくる。
足元が危ない。と思ったらもう転び
とっさに抱きとめた。抱きとめてからなぜ私が、よりによって私がこんなことをしなくてはならないのかと自問する。
(ニエは今後、素体にする。傷をつけるわけには行かない。今抱きとめたのはお父様のためだ)
その次の言葉が無ければ私はこの子を置き去りにして人柱をとりに行っただろう。もとよりそのために来たのだから。
「あ、ありがと、ルイ」
無意識に出た言葉に見えた。
この子は自分が何を言ったのかもわかっていない。
それぐらい自然な言葉だった。
そのときの感情をどういえばいいのかプライドは知らない。末弟のラースにでも聞けばあっさり答える感情。
『一人娘が求婚されてどんどんきれいになっていくのを見ている父の嫉妬心』
もし、ラースがいればこう教えたはずである。
だが、ラースはすでにいない。だからプライドは文字通りプライドを傷つけられてなおかつそれが何かわからず、そのせいで余計に怒りを濃縮する。

そのあとどうしてそういうことをする気になったのか、後になってから考えてもプライドには答えはでなかった。あえて、たとえるなら、出て行こうとする娘をその前に追い出そうとする父。そうすれば娘に出て行かれなくてすむ。娘は永久に娘として父の想いに残れる。
「豪腕の錬金術師は今夜死ぬ」
低い声。聞きなれたファーストの声。
ビクン。
手の中の身体が動く。
「心臓の脇に止まった不発弾が爆発する。だから私は人柱を取りに来た」
死の直後の術師を必要な位置にはめていく。まずは1本目。
「イヤダ」
むしろ小さい声でラッセル、いや、私としてはシルバーの名のほうが呼びなれているが、は拒否した。
「死なせない。俺が治す」
「無駄だな。いずれにせよ数年しか持たない」
「数年?そんなにあるんだ」
数年を長いと見るか、短いと見るか、ホムンクルスにはその感覚はわからない。
「ありがとう」
「?」
あからさまになる疑問符。こんな顔をあの末弟に見られたら、どう言われることか。
「ファーストが教えてくれたから間に合う。後悔しなくてすむ」
後で怒られそうだけどと口の中だけでつぶやく。
身体の表層なら錬金治療もそこそこの腕があればできる。しかし、主要臓器に手を下すとなると、それは通常のオペと変わらないリスクを伴う。いずれにせよ手術される肉体は同じなのだから。
だが錬金術によるオペには大きな利点がある。オペ後の体力低下が無い。
感染症の率も低い。
つまりオペさえ成功すれば予後がいいのである。
しかし錬金術による治療は主流ではない。個々の術者の腕に左右される部分が大きく一定のレベルを保障できない。また、オペは術者の体力を削ぎとっていく。ルイがラッセルの治療を拒む理由がここにあった。
(早く行ってまずは爆発する前に心臓の脇のあの弾丸を、後は)
どうするべきか考えながらドアに手をかけようとする。紅陽荘と違い、ここの部屋は小さい。5歩ほどでドアにたどり着く。
だが、ピシリ
革が金属と触れるような音がした。
「お前はもう少し賢いと思っていたが、しばらく会わないうちに愚かになったようだ」
黒い鞭がドアノブを縛った。それを手にしたラッセルの右手ごと。
「ファースト?どうして」
「私はあの豪腕の術師を人柱として取りに来たのだと言ったはずだが」
「聞いた。でも、いやだから」
「あの人間のどこがそんなにいい。お前が助ける必要など無い」
薄暗い室内では良くわからないが、まして裸眼視力0.1のラッセルにははっきり見えないが、その鞭はそのままに黒い瞳の男の腕につながっていた。
「あの人といたい。あの人のそばにいたい。俺がそうしたいから」
確かに、ラッセルは愚かだった。
一番言ってはいけない相手に一番言ってはならないことを言った。
彼はうそつきだけど正直で素直だった。特に保護者に対しては。
その後、どういう思考がプライドの中で走ったのか、検索することはできない。
ただ、彼は教えたのだ。
今のお前の体力ではオペの途中で死ぬ羽目になる。2人とも共倒れになる。だが、お前には真理に繋がる門がある。代価を差し出せば、効率よくあの男を救える。お前のイノチも助かる。お前を死なすわけには行かない。
「どうしたらいい」
   私との記憶をあそこに返せ。それを代価として使え。
「記憶を?」
「でもそうしたらファーストのことを忘れる」
   正しくは私と出会ってからの記憶だ。それに 私は ずっと覚えている。
「ほかのことも忘れる?」
   そうなる。さぁ、どうする?あの男をあきらめるか。私はそれを勧めるが。記憶を差し出して数年   生きるか?

不自然なようだがラッセルはこの男の言葉を完全に信じた。
この闇の瞳の男はけっして嘘を言わない。すべてを言ってくれないだけで。
(ファーストと出会ったのは14歳のとき、エドたちと会ってその後ゼランドールに行って少したったころだ。あの後の記憶をすべて、あの人と出会ったことも何もかも・・・でも必ずまた覚えるから)
「いいよ。教えてくれるんだろ。やり方を」
(ごめん、でも俺はあの人と一緒に生きたい)
それが誰への謝罪なのかはラッセル自身にも定かではない。

今まで出合った人の姿が浮かんで消えていく。マダムペール。ガイアー、幾十人もの貴婦人たち。白バラのような姫。いつも手を引いてくれたブロッシュの姿。そして、ルイ。
「そうだ、ラッセル。私が最初に見たころの君はまだオムツが取れていなかった」
不意に思い出したかのように、闇の瞳の男が言った。
(えっ。)
何もかも流れていく。弟の姿。2人で迷子になって小さな弟を一晩おぶって歩いたこと。その足元が白く崩れていく。
「いやだ!」
最後に叫んだ拒絶の言葉は闇の瞳の男には聞こえなかった。


「いやだ!」
アレックスは叫び声を聞いて眼を覚ました気がした。
だが、ベッドの中にラッセルはいない。
思い出す。夕べはラッセルと同じ部屋にいられなくて、客間で寝たのだ。ベッドが小さいせいか腰が痛い。夜中にあの子の具合を見に行こうとしたのだが、どうしたことか夕べはひどくだるくて動けなかった。
駅に行く前に声をかけようと寝室のドアを開く。
見えたものは赤と白の芸術品、その対比は5対3.
酸化して変色することの無い人工血液の明るい朱の色に飾られて彼は白銀の身をさらしていた。



失踪15   ココア

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