金属中毒

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102の8 宝石箱型警備

2007-12-17 22:35:34 | 鋼の錬金術師
Housaku1023

102の8 宝石箱型警備 たからもののまもりかた

地方で革命が起きる朝は、中央で反乱が起きる。
これはアメストリスの故事成語である。似た意味のシンの言葉に雨が降る前には山で雲が生まれるというのもある。要するに地方でことが起きるとき、その原因は中央にありそこでも何かが起きているということである。
国家錬金術師の『遠足』に向かう前にマスタングは緑陰荘の警備を倍に増やした。自分が不在の間大切なエドを安全に守れるようにとの思いを込めて。だがそれが気休めに過ぎないことはマスタングが一番良く知っていた。彼らの敵は人外のモノだったから。

『緑陰荘の警備は完璧だ』。
マスタングは軍の士官専用クラブで知り合いの佐官に自分が住んでいる屋敷の警備体制を自慢したことがある。そういう方面の専門家である憲兵隊の隊長さえもマスタング邸の警備体制を賞賛している。しかし、他人の前でいくら自慢して見せてもロイ自身は知っている。自邸の警備は所詮相手が『人間』である場合にしか通用しない。例えばあのホムンクルスのエンヴィーはやすやすと紅陽荘に侵入している。同じ日に合成獣も厳重な警備陣の隙間をぬって病床のエドを襲おうとした。結果的にはロイが撃退したが、優秀な警備兵達はロイの炎が天を焦がすまで侵入者に気がつかなかった。
 どんな厳重な警備も優秀な兵士もしょせんは相手が人間であるならばという限定付きである。化け物のあいてをできる者、それは同じように化け物と呼ばれる存在 人間兵器だけである。

真珠のピアスを携えたシン国の使者はすぐに本国に帰ったとマスタングたちは思っていた。しかし使者はセントラルにこっそりとどまり、ある目的のためチャンスをうかがっていた。使者が受けていたもう一つの指令、それは『エドワード・エルリックを誘拐してシン国に連れて来い』であった。
鋼鉄の賢者、アルフォンス・エルリックが使えなくなった以上、残る可能性は真理の扉を開いた錬金術師エドワード・エルリックしかいない。彼をシン国にむりやりにでも連れてきて皇帝に献上する。それがリン皇子様のご命令。
「あぶなくなったらにげてくださいね。あなたのいのちよりだいじなものはないのですから」
黒い髪黒い瞳泣きぼくろの異国の女の言葉が、真珠を握り締めた使者の胸で何かをささやいた。
(一度会っただけの女にすぎないのに)
使者は真珠を持つ手に力を込める。華奢なピアスは真珠をつなぐ金属部分がゆがみ壊れた。それでも使者の手はさらに力を加える。真珠とともに泣きぼくろの女の言葉をも砕こうとするかのように。


緑陰荘の警備にはある欠陥がある。それは欠陥というより警備システムの型というべきだが。
緑陰荘を訪れる客人はまず門の前で警備に捕まる。招かれざる客はここで足止めである。そこをうまく潜り抜けても庭には100を超える動線を複雑に描いて警備兵が巡回している。警備兵は数ヶ月の間に強盗・スパイなど300人を超える不審者を捕らえている。この警備網を突破したのは『人間』ではハボックだけである。
庭の警備網を越えると後は館の中まで何の防御も無い。これは館に住むもっとも大切なお姫様、エドの精神安定のためである。たとえ好意的な人物であっても、常時見張られる生活は自由な魂を持つエドには耐えられない。
 緑陰荘に入れば今度はラッセルの結界が何重にもかけられている。ただこれは防衛システムではなく空気の浄化システムなので事実上警備や防衛は庭の警備だけが担っていることになる。
なおこのタイプの警備・防衛システムは宝石箱型警備と言う。傷つきやすい宝石にはいっさい手を触れずに宝石箱ごと守るシステムだからこの呼び名が付いた。このシステムは東方司令部時代のロイの考案であり、そのときの現場指揮官がハボックだった。
 ラッセルはこのタイプの警備体制の弱点を気にしていた。もしなんらかの方法でいきなり館の中に敵が現れたらどう対応すべきか?その点はマスタングも気にしていた。しかし、つきつめて言ってしまえば『対応のしようが無い』というのが本音だった。あの防衛ラインを超えてくる敵ならおそらくは人外のもの。いくら警備を増やしても・・・気休めにしかならない。

「エド」
いとしげにつぶやく声はラッセルのものか、マスタングのものか、いやその声は緑陰荘に住まう男達の共通する、でも共有はできない思い。
マスタングが西の収容所で昇る朝日につぶやく。いつからあの子はこんなに大事な存在になったのか。「何があっても私が君を守ろう」それは約束だから?それとも、自分にはできない奇跡を見せてくれるかもしれない子供へのあこがれゆえになのか。マスタングは自分の感情に答えをだそうとはしなかった。


 国家錬金術師達が遠足に出た翌日、ジャン・ハボックは軍の事務課に呼ばれた。子供達を置いていくのは気が進まなかったがマスタングの家に居候している身では軍の呼び出しを無視するわけにはいかない。警備主任にくれぐれも注意するように頼んでそれでも不安を抱えながら車椅子を動かした。ハボックの不安は的中した。彼が緑陰荘に帰ったとき子供たちはいなくなっていた。
 幸運にも異常に気が付いたのはハボックが最初だった。現場指揮官としての経験豊かな彼はこの事態をどうすべきかの判断を誤らなかった。
(まず、軍に知られてはならない)
もし軍に知られたらエドが緑陰荘でどういう生活をしていたのか、そこから始まって人体練成のことまで表ざたにされかねない。そうなるとすべてを知っての上でエドを保護下に置き、今も大切に守っているマスタングの名に傷が付く。また軍が騒げば誘拐犯はエドを害するかもしれない。
(表向きは何もなかったことにするしかねぇな)
薬でぐっすりと眠らされた警備主任や警備兵をたたき起こし、通常の警備体制をとり一切騒がないことを厳命する。本来ならいそうろうにすぎないハボックの命令など聞くはずはないが、緑陰荘を守る警備兵は全員元東方軍のメンバーである。彼らは退役した今もハボックをマスタングの幕僚のひとり≪ナイト≫と見ている。イエス・サーの一言で警備兵は不安や混乱を押し殺し何事もなかったように、宝物はいつもどおり館の中にいるかのように警備の任を再開した。
 (まずはここまで、次の手は)
ハボックは咥えたタバコに火をつけようとライターを探した。そして苦笑する。
あれはもうとっくに無いのだと。
最高にいい女。名のとおり最後の女ラストとともにあのライターは燃え尽きた。


 真珠の使者は2人の銀時計保持者が館を離れたのを軍の通信で確認した。念のため元軍人の大男も軍の中に潜ませた協力者を使って呼び出しをかけさせ館には子供たちのみを残すだけにした。誘拐の準備は整った。
 その日、風は心地よく吹き朝からエドが「外に行きたい」と駄々をこねた。いつもと代わらない1日。いつまで続くか分からない、たぶんもうそんなに長くは続かない、いつもの一日が始まる。そのはずだった。この日は1915年12月28日月曜日。月齢は20.4、欠け始めた月が夜更けに昇る宵月の夜。


(いちばんたいせつなひとだから。だからこそ兄さんはぼくにエドさんを託したのに。それなのに、こんなことに)。昇りつつある月が兄の瞳に重なる。
『エドを頼む』
あの兄が一番大切な人を託してくれたのに。それなのに「ぼくは何も出来なかった」
フレッチャーは唇を噛みしめた。エドが起きているときには決して見せない表情。不安、あせり、後悔、恐れ。そういうマイナスの感情がフレッチャー・トリンガムの瞳を陰らす。
「にいさん」
つぶやく声は誰の耳にも届かない。
エドワードとフレッチャーは誘拐された。