金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

ちいさいおおきい

2012-10-29 22:40:20 | APH

小さい方が大きくなるのは少しさみしいですが、とてもうれしいですよ

ラトビアが元気になったという一般紙のニュースを読んでいきおいで。で、書いてからあちこち検索して情報の裏をとり始めた。先にするべきことなのだが、それでは勢いが消えて書けなくなる。で、気がついた。日本がIMFを通じて融資したのはラト君だったかなぁどうだったかな。あぁ、数時間たっても裏が取れない。というわけで違ったら消しに来ます。 外務省のラトビア情報で萌えました。それはまた今度に回します。



今回の世界会議はフランスで開催された。接待にはそつのないフランスは会議終了後みんなでゆっくりできるティーラウンジまで用意していた。当然、フランス自慢の華やかな菓子がテーブルに花開く。
この熱心さを会議に向けてくれればいいのにと思いながらも、ドイツは日本イタリアとともに菓子をつまんだ。
 この3人がそろうとなんとなくほこほこした空気が包む。周りの国々も3人の仲の良さは知っているから、比較的あったかく見守ってくれる。もちろん例外はある。たとえばメタボとか、味音痴とか。

 しかし、この日は意外な国が近づいてきた。バルト3国の1国。ラトビアである。
EU関係の話だろうとドイツは予測した。なんといってもドイツはヨーロッパのエンジンでEUの中核だ。会議後に相談を受けることは多い。それはいい。
 ただ、ここには日本がいる。日本はEUではない。イタリアとドイツはEUだ。
仲間はずれを見せつけるような感じになっては悪いなと思ったドイツは、ラトビアと話す間は少し席を離れようかと思った。
こんなときに兄がいてくれればうまくやってくれるのにとドイツはここにいない人のことを考えた。ドイツ国内で少し問題があったので兄はそちらに回ってくれている。
 
 ところが近寄ってきたラトビアは開口1番で、日本に話しかけた。
「ぼく少し大きくなりました。」
いつもびくびくとおびえているラトビアがまったく怯えを見せず、嬉しそうに笑っている。
「ラトビアさんががんばったからですよ。良かったですね」

あれ、とイタリアは思った。日本とラトビアは親しかったかな。経済でも文化でも歴史的にもそんなに交流は無いはずなのに。

ラトビアは少し話しただけですぐ行ってしまった。純粋に日本に自分が大きくなったことを報告したかっただけらしい。なんだか、前の学年で担任した先生に報告する小学生みたいだとイタリアは思った。

「日本はラトビアと親しかったのか?」
兄ならばもっとうまく聞くだろうと思いながらドイツは問う。いや、兄ならば今頃ラトビアも一緒にここでお茶を飲んでいるだろう。なにしろ兄は顔が広い。ヨーロッパ全域はもちろん新大陸の兄弟とも南米のまだ、御国様として公式には認められていない連中ともなんだかんだで遊んでいる。直接感謝を伝えたことは無いが、兄の「遊び」で助けられたことは多い。

「いいえ、ほんの少しですよ」
日本はいつものあいまいな笑いを浮かべている。これでは親しいのかどうかわからない。

そのドイツの表情を読んで、日本は一度置いた湯のみをまた持ち上げて、続けた。
「ほんの少し、IMFを通じて融資だけさせていただいたのです。」
あぁ、あの時かとドイツの額にしわが寄る。東側が瓦解し、バルト達も自由経済を導入した。しかし、2008年の世界金融危機で経済は混乱し景気は急降下し、国民は苦しんだ。失業率は20パーセントを超えた。
ラトビアは融資を求めた。しかし、当初融資する国は皆無だった。どの国もそんな余裕は無かった。
世界から見捨てられて、ラトビアは崩壊するかと思われ始めたころ、日本がIMFを通じて融資した。さらにEUの融資も入った。
その結果国民の我慢と頑張りが効果的に動き始め、ラトビアの景気は回復。同時に治安も回復した。今日ラトビア政府は国際社会の信頼を獲得している。

日本の融資だけが回復の理由ではないとはいえ、わざわざ話しかけに来るのだからそのタイミングに感謝しているのは事実だろう。

「ラトビアさんは同じくらいの身長の誰かに言いたかっただけだと思いますよ」
そんなものだろうかとドイツは思う。国としての感謝ではなくて、ラトビア本人の嬉しい気持ちだけだと日本は言う。
「同じくらい小さい人が大きくなるのは少しくやしいけど、嬉しいですから」
日本は湯のみを置いた。この湯のみはフランスがわざわざ用意してくれたものだ。
ドイツの前にはコーヒーがある。

「ヴぇ~。日本がいっぱいしゃべってるよ。」
イタリアが口の周りを菓子のかけらだらけにして両手を広げた。

ドイツの原発廃止とはその2

2012-10-26 16:02:27 | Weblog
ドイツは敗戦国である。それも2回続けての敗戦国。日本も同じく敗戦国だが、その後の変遷は違う。
日本はアメリカの属国になり、刀を下ろしたままでいる。
ドイツは逆にアメリカの都合で剣を持たされた。東西冷戦の最前線である。

このドイツの再軍備に大反対したのがフランス。ドイツはアメリカの番犬になって再び軍をもてる国化する。このとき強すぎる番犬の鎖を握るのはフランスである。持て余すことが分かっていたから反対したがアメリカの都合で鎖を押し付けられた。

 (ドイツというよりゲルマンは番犬に縁がある民族なのだろうか。最初に歴史に登場したときにはローマの番犬。次はアメリカの番犬。今はヨーロッパの番犬である。)

 ドイツが原発を導入する時大反対したのもフランス。フランスはドイツの統一にも反対し、東西統一にも反対した。ドイツ(ゲルマン)が意思をまとめて力をふるう事に対して、フランスは常にアレルギーを持っている。
 だから、ドイツはフランスに言った。「原発は一緒にやろうよ」と。
もともとドイツの原発とフランスの原発は同じ仲間と言っていいのである。
ドイツは原発を減らし全廃に持っていこうとしているが、逆にフランスは原発大国でありさらに増やそうとしている。
さらにドイツは自国の原発を減らした分、フランスから電気を輸入する契約をしている。ドイツで減って、フランスで増える。実質的にはプラスマイナスゼロでぜんぜんエコでは無い。
 それどころか送電線で高圧電流を運ぶときの、磁力線問題を考えるとむしろマイナス面が大きい。

 

 

ドイツの原発廃止とは その1

2012-10-24 13:14:10 | Weblog
いまさら、言う必要も無いようなことと思っていたが、あえて言う。

この「ドイツは原発やめます」宣言をエコと思っている人がいると聞いたので驚いた。

もちろんエコの要素はある。しかし、それは表看板である。
では看板の裏には何が書いてあるのか
それはドイツの評価を良くすることである。

当たり前じゃないかと思うかもしれないが少し待ってほしい。
ドイツとはどういう国かを考えて見よう

ブラックエクレア(炭焼きコーヒーゼリー添え)

2012-10-18 12:35:30 | 飲食記録
ブラックエクレア(炭焼きコーヒーゼリー添え)
190円
炭火焼肉たむら監修

コンビニのファルマ販売品
ようするにコーヒー寒天がちょこっと付いた、チョコエクレアである。
甘みのバランスはいい。しかし、従来品との差が味では感じられない。
肌にくっついたクリームをこすると黒くなった。
この黒いのが炭ということだろう。
この金額でこの味なら従来品で十分である。

分類 洋生菓子。
原材料 植物油脂 砂糖 鶏卵 小麦粉 ココア カカオマス 乳製品 液糖 コーンスターチ 加糖練乳 コーヒー カカオエキス 水飴 デキストリン 寒天 脱脂粉乳 食塩 果糖 ブドウ糖 乳蛋白 加工澱粉着色料 (炭末 カラメル色素 フラボノイド カロチン) トレハロース グリシン 乳化剤 カゼインNa
 香料 pH調整剤 ゲル化剤(憎粘多糖類) 安定剤(加工澱粉) 膨張剤 リン酸塩(Na) 塩化Ca
酸化防止剤(ビタミンE) (原材料の一部に大豆を含む)

読書歴 プロイセン史研究序説

2012-10-14 14:08:52 | 読書暦 音聴歴
プロイセン史研究序説
山田作男
昭和57年
8800円
風間書房

この年代発行でこの値段。恐るべき高価だ。専門書扱いゆえの金額だろう。

サラディンがサラヂン表記なのに時代を感じてしまった。


ドイツ騎士団の発端
ドイツ騎士団の始原を辿ると、12世紀初めあるドイツ人夫妻によって聖地に設けられた病院まで遡る。このドイツ人病院はヨハネ騎士団の支配下に入れられていた。(1143年のケレンスティン2世の教書によるとヨハネ騎士団の支配下にあった)
病院の傍には簡素な教会もつくられ、もっぱらドイツ人巡礼の看護に当たった。本にはこう書いてあります。ここで疑問に思った人は賢いです。すでにヨハネ病院やヨハネ騎士団があるのにどうして小さなドイツ人病院をつくる必要があるのかな。それは当時のラテン勢力がドイツ人を区別、差別していたからです。ラテン勢力はドイツ人を助けなかった。マムルークという単語聞いたことありますか。奴隷軍人ぐらいの意味ですが、ドイツはそういう扱いを受けてました。そもそもローマ現役の頃から、ゲルマンは軍事力として利用するものでした。この辺りは歴史の本を見てください。すぐわかります。テルマエ・ロマエ2巻の第7話がわかりやすいです。
 もちろんすべてのラテンがゲルマンを差別していたわけではないでしょうけど、そもそも言葉が通じないし、でかいし、怖いし。で、しかたなくドイツ語民はドイツ語民だけでかたまったんですね。
 
大きな嵐は白い花も青い花も散らす。1187年にサラディンによって聖地が奪われた時、この病院も付属物も全く失われた。ちなみにエルサレムは90年間ほどキリスト勢力下にあった。90年と言えば平均寿命の短い当時では4から5世代交代している。王様はともかく庶民達は完全にこの土地の人です。
 参考までにベルリンの壁があったのが約30年間、ドイツが分かれていたのが約40年間、ドイツではむしろドイツは分かれているのが普通じゃないかという意見も強かった。だってプロイセンが無理やりまとめるまでずーっとばらばらでしたから。で、統一して22年。いまだに格差は消えない。むしろ、固定している。人は自分の育った時代の空気を簡単には変えれない。世代が代わるまで本当の変化は無い。そう思えます。

壁が壊された時分けられていた家族の再会に涙した人は多いです。これぎりぎりのタイミングだったとも聞きます。だってあと10年20年の時が過ぎれば分けられていた家族の当事者世代は鬼籍に入ってしまいますから。
 さて、90年間。聖地という名のわが町で庶民はそれなりに暮らしていました。

聖地エルサレムが失われたと聞いてヨーロッパ(キリスト教社会)大ショック。聖地を取り戻せ運動が起きて、前の十字軍は諸侯が中心だったけど、今度はもっと強い人に行ってもらうべということになってできたのが第3回十字軍。イギリス王、フランス王、ドイツ皇帝という豪華メンバー。特にドイツ軍は数が多くて、サラディンもドイツには大変警戒していました。どうもこの時代神様はいぼ痔だったのか、大変不幸な事故のためドイツ軍は途中帰国してしましました。ドイツ皇帝は途中の道沿いの川でおぼれ死んだのです。  青池先生のサラディンの日がわかりやすいです。
 一部のドイツ軍は皇帝の息子や親せき筋のオーストリア公に連れられて、聖地に来ましたが数がむちゃくちゃへってる。大笑いしたのはサラディン。APHネタなら迷子ネタがでそうですね。(迷子になったからますます数が減った)
 第3回十字軍はイギリス王やフランス王ががんばって1191年アッコンを取り戻した。フランス王は帰国しイギリス王はサラディンと休戦協定を結ぶ。一応、アッコンがあるから巡礼もエルサレムに行けるし、それなりの成果はあった。ただ、この時事故とは言え途中で帰ってしまったドイツ勢力をラテンはどうおもったか。
歴史にもしもが入れるなら、この時事故が無くヨーロッパ勢力みんなでエルサレムを取り戻せてたら、その後のヨーロッパ史はどうなったのか。
 

 仮定の話はともかくとして、ドイツ騎士団ですが、産まれたのはどこでいつなのか。
第3回の十字軍がアッコンを包囲していた際にドイツ人の傷病者を看護するため、ブレーメンやリューベックの商人が城壁の前に船の帆で野戦病院をつくった。
この話聞いたことがある人もいるかもしれません。ドイツ騎士団の公式プロフィールではこれがドイツ騎士団の誕生です。つまり公式のギル君は第3回十字軍の生まれになってます。1191年生まれです。産まれたのはアッコンです。しかし、APHではそこまで細かいプロフィールは出てません。
 ブレーメンやリューベックの商人が野戦病院をつくったのは1190年中ごろである。これは公式史実です。ちょっと不思議に思う人。あなたは正しい。それなのにどうして1143年にギルの記録が残っているのか。

 中国が自称4000年やら5000年やら言ってるし、カンコクは起源を主張。国や民族にとって古いのは価値があるはず。どうして、ドイツ騎士団はわざわざ古い始まりを無視しているのか。
これは養育権争いと親権争いのせいです。
APHファンなら養育権争いやら親権争いの語でそく思い出すのは7週間戦争。ドイツ坊やの親権をプロイセンとオーストリアさんが争った。
 さて、こっからはねたがらみです。なぜ、プロイセンは共同親権や後見人の形でオーストリアさんとともにドイツを後見しなかったのか。歴史的な話はうっちゃいまして、これプロイセンの経験がそうさせたのではないか。
自分(ギルベルト)も戦って親権をとられて、ドイツ皇帝の保護下に入った。親になるには戦って勝ち取るのだとごく自然にそう思っていた。
 ギル君のときには1241年3月に教皇グレゴリウス9世と神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が争い、ギルは兄ヨハネ騎士団から引き離され、皇帝の命令で北に送られます。
この1241年から北の十字軍まで誰か書いてないですか。甘えたのお兄ちゃん子だったギルが、自分の民を自覚し国を目指すまで。


ギルがどの時点で産まれたかは諸説あるのですがうちでは、公式には1191年生まれ。でも実際は12世紀の初め生まれ(ヨハネ騎士団のドイツ館に空から降りてきた。受け止めたのはヨハネさん。)産まれたのはエルサレム。これを知っているのはヨハネさんとあと数人のみ。60年間ほどヨハネさんに溺愛される。
聖マリア病院ができてからは修道士として、ヨハネさんのところから通っていた。(ドイツ騎士団の会則はヨハネ騎士団、ソロモン騎士団のコピペです。)
 1241年の争いでヨハネさんから完全に引き離された。(ギル君の涙時代)




捨てメモ

2012-10-05 05:56:16 | Weblog
しばらく外国にいると感覚が変わる。
うっかりすると帰国して靴を履いたまま部屋に入り、後で掃除が手間だったりする。
この現象は現地(外国)で買った靴を履いている場合、日本産の靴よりも高確率で起こる。
ほぼ、一日中履いていることが前提の国の靴と、しばしば脱ぐのが当然の日本の靴の構造の違い。

ここ2年ほど前から、運動靴なのにかかとの部分が無い靴をよく見る。構造的にはつっかけレベルだが、前から
見ていると運動靴に見える。日本人の魔改造もここまで来たかという気になった。