金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

としよりのひやみず Housaku1030

2008-03-31 23:07:34 | 鋼の錬金術師
Housaku1030
としよりのひやみず
勝利 罪 法 責任 賠償 こども 小人 道化
 
完全に勝ったよ。
シャオガイにそう言われてもラッセルはまだ茫洋と立ちすくむだけだった。
ラッセルにはさっきの水の壁すら見えていなかった。彼はたったひとりのおとうとの幻覚だけを見ていた。
(肝心なときにほうけちゃってるよ。困った人だな)
ラッセルはまるっきり役に立ちそうにないので、シャオガイは彼をある老女に預けた。
老女は一晩ラッセルを預かり、その間に≪女の子≫として知るべき教育を施してくれた。別れ際に彼女は自分の勘違いに気付くが、教えてしまった事はどうしようもない。この教育の内容はセントラルに戻ってから軍の秘書課などの女性達に伝えられ、彼女たちのアメニティを向上させた。細かい事はいずれ後記するが、一例として生理の出血を自分の意思でコントロールする筋肉の使い方がある。[これは過去に実在した知識である。日本でも大正時代ぐらいまでは女から女へと口伝で伝わっていた。それにしても、そういう知識を男であるラッセルから教わるとは・・・。秘書課の女性達にもラッセルは男として認識されていなかったのだろうか(入力者・・・笑)]


「そうか、としよりのひやみずってこういう事を言うのか」
翌朝、昨日とは別人のように元気を取り戻したラッセルは白水を見たとたんに開口一発、納得したようにうんうんとうなずきながら言った。
この言葉を聞いた白水はもう二度とこの若造とかかわるものかと深く誓ったという。〈と言いつつ、この後あちこちで顔を合わすたびどうにもこうにもほっておけなくてつい面倒を見てしまうのだが〉
昨夜の洪水作戦で白水はぬれねずみになった。大量の水を結界で囲い込み、放すタイミングを計り間違えた。おかげで真冬の1月、しかも吹きさらしの沙漠で寒中水泳する羽目になった。〈アメストリス人はかなづちが多いが、白水は泳げる。〉
 幸い熱は出なかったが、鼻水はずるずるだしくしゃみは連発して出るし、おまけに冷えたのが悪かったのか腰まで痛む。
白水はすっかり不快になっていた。

「すぐ帰る。
おとうとが俺を呼んでいるから」
何の脈絡もなく、ラッセルは白水に告げる。それを聞く白水はこの上なく不機嫌だ。
白水の不機嫌の原因はさっきの『年寄りの冷や水』発言。そして、豹変とも言いたくなるほどのラッセルの変化だ。
そもそも≪年寄り≫に無理をさせたのはこの若造なのだ。それなのに責任の1グラムすらも感じていないかのようなこの態度。それはまぁ、そもそもこの1件は白水の依頼というよりお願いだったから、用事が済んだら帰るのは当たり前ではあるが。
(だが、何だ?昨日までと全然違うこの印象は?)
昨日までのラッセルは神経質で不安定な子供に見えた。それが今朝は自信たっぷりの青年に化けた。昨日までは白水の事を年長者にして専門家として尊敬の念を示していた。しかし今朝は同じ立場にある者として対等、いやむしろ強気を示している。
「白水、あなたはお疲れでしょうから3日ぐらい休んでから戻ってください。痛み止めと風邪薬を置いておきますから。それと街の人たちの薬は市長さんに預けてあります」
市長といってもこの街が寂れる前の市長の息子がその名を受け継いだだけだが、いちおうみんなの世話役とまとめやくになっている。白水に手紙を書いたのもこの男で、ついでに言うとシャオガイの父でもある。
いつの間にかラッセルの言葉は指示口調になっていた。

それでも白水は訊いてみようとした。帰り道はどうするつもりなのかと?
自信たっぷりの青年に化けたといっても、ラッセルの顔色の悪さとあまりにも細すぎる身体の線が改善したわけではない。
むしろ肉体の状態から精神が乖離したようで、改めて見直してみると昨日までよりも不安定にそして不自然に見えた。
だが、白水ののどからはかすれた音が出るばかりで、言葉にならなかった。
「のどが腫れてますね」
ラッセルは白水の側にひざを付いた。男の手とは思えないしなやかで華奢な指が白水ののどを撫ぜた。冷たい指先の触れる感覚。その感覚になぜか白水は亡くなった妻の唇の感触を連想した。
淡い紫の光が白水ののどを照らした。治癒練成をかけられたとすぐ分かった。
「大丈夫。少しお休みになっていればのどは治まります」
にっこりと特上の微笑を浮かべてラッセルは言った。

治癒練成をかけられた後白水は5時間も眠った。白水が目を覚ましたときいろいろな事が終わっていた。
まずラッセルはいなくなっていた。車で戻ったと旧友にして市長と呼ばれる男が教えてくれた。そして旧友はさらに続けて言った。「この街からは子供が完全にいなくなった。この街は今日死んだ」
市長と呼ばれている男は泣いた。ぼろぼろと大粒の涙を落として。白水は慌てた。この旧友は子供のころから若年寄とあだ名されるほど落ち着いていた。激しい感情を見せる事は一度もなかった。最愛の妻を亡くしたときも旧友は落ち着いて、弔問客の挨拶を受けていた。その彼がなぜこんなふうに世界は死んだとでも言いたいような嘆きを見せるのか?
答えはすぐに旧友の口から出てきた。
「あいつは、人を殺した」


罪 法 責任 賠償 こども 小人 道化
 昨夜、起きた事だ。
馬賊達を見事にひっかけたラッセルは、すっかり惚けていた。しかたないなと、シャオガイは3歳の子でも扱うかのように彼を扱い、博物館で元の服に着替えさせた。
(赤ん坊より手がかかるよ)内心ぐちりながらシャオガイは手際よくいくつもの用事を済ませた。
 そのとき予測しなかった事が起きた。ラッセルを襲い、シャオガイの作戦に倒れた馬賊の青年が不意に起き上がった。
馬賊の青年はすぐさま戦闘態勢に入った。しかし、それを真正面から受けるラッセルはいまだに惚けたままだ。のどに巨大な手をかけられて、ラッセルはようやく現状に気が付いた。ラッセルは慌てなかった。そういう点、彼はけんか慣れしていた。驚きを0,1秒で消すとすぐさま攻撃に転じた。手刀を鋭く打ち込んだ。数年前のゼノタイムで、エドワードはラッセルの蹴りの攻撃に悩まされた。そして拳の攻撃も蹴りに劣るものではなかった。
 そう、奇妙な練成陣の暴走発作がおこる前のラッセルなら、体格差を問題にせず5分以内に勝利していただろう。
しかし、いま、馬賊の青年はラッセルの攻撃をせせら笑った。
スピードも打ち込むポイントも優れた拳だが、(しょせんは女、力が無い)。
馬賊の青年はラッセルの両手首を片手で引っ掴んだ。きりり、ガラスがこすれあうような音がした。
 シャオガイはこの戦い、というより一方的な暴力行為を少し離れた位置から隠れ見ていた。苦痛を示すラッセルの表情と、暴力に酔ったような馬賊の顔を見た。空いているほうの手で馬賊はラッセルを叩いた。平手であっても力が並ではない。重ねて握られていた手首が音をたてる。骨が折れてはいないかとシャオガイは隠れ場所から一歩乗り出す。この時シャオガイはロープを見つけた。それは耳欠け達が生きていたころ作った遊びの仕掛け。このロープを引くと2階の中空にぶら下げて展示してある50キロもある青銅の大鍋が落ちてくるのだ。仕掛けはまだ生きていた。
 このときラッセルが反撃した。自分を捕らえている馬賊の手をおもいっきり引っかいた。馬賊はラッセルの顔を見て哂った。ねずみに威嚇されたライオンの表情を浮かべる。そのまま片手でラッセルを投げた。ラッセルは5メートルも投げ飛ばされ動かなくなった。
(まさか!)
死んだのか?とシャオガイは身を乗り出した。かすかに呻き声が聞こえた。ラッセルは生きている。だが、もう戦うのは無理だ。馬賊が展示コーナーのガラスをこぶしで叩き割った。そして割れたガラスの大きなかけらをナイフのように持ってラッセルの方へ行こうとした。
(耳欠け!)シャオガイはもう悩まなかった。子供は目の前の太いロープに思いっきりぶらさがった。機械が大好きだった耳欠けの作った仕掛けは正確に動いた。
3秒だった。ドーンンと床が揺れた。シャオガイは舞い上がる埃の中、青銅の大鍋が馬賊の後頭部をかすめるのを見た。馬賊はばったり倒れた。
シャオガイはリスのようにロープから降りた。馬賊が完全に気絶しているのを確かめ、ロープで手首と足首をしばった。ラッセルはどうやら気を失ってはいなかったらしく自力で立ち上がった。ラッセルはまず両手の埃をはらい、髪をもてあそんだ。それからようやく敵である馬賊が気絶して縛られているのを見た。その目がシャオガイをかすめて、もう一度床でのびている敵を見た。
「ざまあみろ」
透けるように白い肌の中で、そこだけ感情のある生き物に見える唇がいささか品格を欠くスラングを吐き捨てた。

シャオガイは次の反応を待った。当然、礼の言葉の一言ぐらいあるべきなのだ。だがラッセルは動かない。
近寄ってみると、・・・ラッセルの瞳はまた焦点を失っていた。こうしてラッセルは老女のところに届けられた。


子供たちが動いていたころ大人たちもじっとしてはいなかった。いや、子供たちが戦いという非生産的な行為を行なっていたころ、大人たちはこれからどうすべきかを決めていた。まず、このエリスの街と馬賊改め弱小部族の間で、協定が結ばれた。もともと戦う理由は馬鹿皇孫の命令だけ。その皇孫がいなくなったので戦う意味がない。さらに両族は300年前まで同族だった事が分かった。祈りに使う聖なる紐の結び目が同じであったのが決め手であった。そんな大昔に同族だったからといって、どうだというんだ?そう疑問に思われるだろう。しかし両族には言い伝えがあった。兄弟の血を流す者は永遠に呪われる。つまり同族間の戦いをするなということだ。ところで、禁止されているというのは過去それがあった証拠でもある。
 今回の場合、弱小部族側にもエリスの街にもそれぞれの事情や弱みがあった。どちらも戦いもトラブルも避けたかった。そしてどちらもこのままではジリ貧になって一族が滅ぶという危機意識を持っていた。さらに幸運な事にどちらにも死者がいなかった。市長と部族の長は話し合い、今後自分の意思では相手を攻撃しないという約束を交わした。
 そのうちに部族側が一人足りない事に気が付いた。今回初めて戦いに参加した若者がいなかった。探してみると博物館の建物で気絶していた。目を覚ました後、どこかおぼつかない表情の若者が言った。ものすごい美女を見つけた。捕まえようとしたら、小猿に邪魔された。頭が痛い。
 もともと語彙に乏しい若者だったが、頭に出来た大きなたんこぶのせいか今夜は特に言葉がうまく出ないようだ。まぁ和平も決めた事だし、明日の朝にはここを出ようと部族の長は思った。そしてその夜若者は死んだ。原因は脳内出血。すなわち殺したのは市長の息子、シャオガイであった。
シンの法では人を殺したものは死刑である。アメストリスの法では未成年の場合、まして事故の要素もあるので、少年院あるいは強制労働である。そのいずれにしても生きて帰ったものは1パーセントに満たない。市長はただ嘆くのみだった。馬賊の長も状況が状況だけに死刑は避けたかった。そこで長は沙漠の掟を適用した。誰かに損害を与えた者は、その損害を賠償できるまでその者のところで労働するという法を。この場合、シャオガイが死んだ若者に代わって遺族のために働く事になる。父は息子を手放したく無かった。だが、手放さなければ息子は殺される。すべてを聞いた息子はむしろすっきりした表情で自分の運命を受けた。
 こうしてシャオガイは翌日の早朝、ラッセルよりも早くエリスの街を出た。自分の罪を知り、自分で償いを決めた。シャオガイはもうこどもでは無かった。
 シャオガイのこの後の人生だが、遺族に引き渡された後、死んだ若者の祖父の医療費のため旅芸人の一座に売られた。当初はコビトとして見世物にされていたが、どういうわけかシンに来てからシャオガイは身長が伸び始めた。身長が150センチになったころには軽業師として、特に代表作『黄金のちいさい猿エドワードの世直し物語』の主役として活躍した。
 シャオガイ、シンでの名をエドワード・ヘルリックが、ほんもののエドワードに出会うのにはまだたくさんの時間が必要だった。