城巡りの旅2日目は山城、八王子城址へ
登山靴とリュックに変え、9時スタート・・八王子の街の向こうには新宿ビル街、スカイツリーもかすかに見える。
小田原に本拠をおいた小田原北条氏の三代目、氏康の三男、北条氏照(?から1590年)が築いた山城です。
築城の時期ははっきりしませんが、天正年間に築城が開始され、氏照が滝山城から移ったのは天正12年(1584年)から天正15年(1587年)の間とする説が有力です。天正18年(1590年)6月23日、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。この、八王子城落城が決め手となって籠城を続けていた小田原城は開城、北条氏は滅亡しました。氏照はこの時、小田原に籠城中で、開城後、兄の氏政とともに城下で切腹しました。<HPより>
(出先での更新でのんびりできないのでコピー記事が多くなります。)
御主殿地区の石垣と虎口
標高445 m(比高約240 m)の登山は夏の気温でしんどかった。
次に川越城へ・・
東日本で唯一残る本丸御殿です。
川越城は、長禄元年(1457年)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせています。<ネットより>
次に鉢形城へ・・
鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年に国指定史跡となりました。城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。
鉢形城は、文明8年(1476)関東管領(かんとうかんれい)であった山内(やまのうち)上杉氏の家臣長尾景春(ながおかげはる)が築城したと伝えられています。後に、この地域の豪族藤田泰邦(ふじたやすくに)に入婿した、小田原の北条氏康(ほうじょううじやす)の四男氏邦(うじくに)が整備拡充し、現在の大きさとなりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐(かい)・信濃(しなの)からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、攻防戦を展開しました。1ヶ月余りにおよぶ籠城(ろうじょう)の後に、北条氏邦は6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。<ネットより>
この日は藤岡市の道の駅で車中泊でした。
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