はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

毛越寺~中尊寺~大谷翔平母校巡り~盛岡城

2024-06-09 22:31:47 | 東北城巡りの旅

毛越寺(もうつうじ)は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。

大泉が池

築山

開山堂

常行堂

つづいて中尊寺へ

天台宗東北大本山。850年、慈覚大師円仁の開山。
12世紀初め奥州藤原氏初代清衡公が前九年・後三年の合戦で亡くなった命を平等に供養し、
仏国土を建設するため大伽藍を造営しました。

中尊寺と言えば金色堂

金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。

拝観料1000円を払って内部に・・撮影禁止、木で葺いた屋根以外すべて金箔が張られている

1962年から1968年にかけて解体修理が実施され、建立当初の姿に復元されている。解体修理後、強度の点で再使用できなかった部材は別途保管され、一部は覆堂内に保管されている。1986年から1990年にかけて、覆堂の改修工事が行われ、ガラスの壁も更新された。金色堂は1897年(明治30年)、当時の古社寺保存法によって「特別保護建造物」(現行法の重要文化財に相当)に指定。1951年、文化財保護法による国宝に指定された。

なお、金色堂については、しばしば「国宝建造物第1号」として紹介されるが、金色堂と同じく1951年6月9日付けで国宝に指定された建造物は他に36件ある。同日付けで国宝に指定された建造物のうち、地理的にもっとも北に位置する金色堂の指定番号が「1」になったものである。

源義経が平泉に自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、松尾芭蕉は門人の曽良と2人、「奥の細道」の旅に出ます。芭蕉46才、曽良41才の春です。江戸を発ってから44日後の5月13日、細道のはて平泉を訪れた芭蕉は、まず義経公の居館があったと伝えられる高館の丘陵にのぼります。丘の頂きに忽然とあらわれるのは束稲山のふもとに悠然と横たわる北上川と、それに合する衣川。そこには往時の栄華はなく、旧跡は田野となってひろがっているばかりです。

夏草や 兵どもが 夢の跡

 「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という杜甫の句を思い起こしながら芭蕉はしばらく高館に笠を下ろします。続いて中尊寺を訪れた芭蕉は、かねてより伝え聞いていた金色堂に参詣します。鎌倉北条氏によって建てられたといわれる覆堂の中で、朽ち果てた金色堂はかろうじて光を投げかけます。

五月雨の 降り残してや 光堂

 金色堂を光堂と称したのも、仏と人との間に介在する光と、その光の彼方にある盛衰の歴史に、芭蕉のまなざしが向けられていたからに相違ありません。<ネット記事より>

 

平泉から盛岡城に向かう道の途中、奥州市、花巻市を通過する、奥州市と言えば大谷翔平の故郷だ。

世界のスーパースターの聖地巡礼?をしてみたくなってあちこち訪ねてみた。

田園地帯に「奥州市立姉体(あねたい)小学校」があった。車内から見ただけだが「頑張れ大谷先輩」の文字が・・

続いて「水沢南中学校」へ・・

大谷の名前こそないが、明らかに大谷の看板だ。

花巻市に入ると郊外に花巻東高校があった。

私立の大きな学校です。

学校の前に広い駐車場があり、そこに車を止め校内に入らず横道へ・・

訪ねてくる人も多い。京都からカーフェリーで東北に入り、南下しながら観光している夫婦もいました。

三重ナンバーも珍しいし・・

大きな手形です

外野にはスコアボードもあり専用グランドみたいです

今は授業中です

照明もある

ブロッコリーなどが植えてある。寮もあったから寮に入ってたのだろうか?

去年のホームラン王とMVPのモニュメント

野球だけでなく地元の学生が憧れる高校なんでしょうね。

 

盛岡城に向かう時、駐車場を探すとき二車線の一方通行に入ってしまいました。クラクションで知らせてくれましたが

わかり難い公園周り、結局地下駐車場しかなかった。入り口もわかりにくかったし・・

南部氏を祀る桜山神社

盛岡歴史文化館でチャグチャグ馬コやさんさ踊りのビデオをみた。東北地方の祭りはどこも見てみたい。

東北の城は震災で石垣修理をしているところが多い。

盛岡城は、三戸から不来方(こずかた)の地に居城の移転を決定した南部信直(なんぶのぶなお:盛岡藩初代藩主)が、慶長2(1597)年に嫡子利直(としなお:2代藩主)を総奉行(そうぶぎょう)として築城を始めたと伝えられています。

盛岡は石川啄木の出身地(不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心)

健康ランド「喜盛の湯」でカレーうどん、道の駅石神の丘で車中拍、5月21日から8日間の走行距離は1824キロ

 

 

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