いよいよ東北城巡りの旅も最終日になりました。一か月近くかかるかなと思ってたが、ちょっと急いでしまいました。山も岩木山しか登らなかったし、もっと登山するつもりだったが・・・やはり老人ホームにいる母を思うと長くは留守できないと思ってしまう。100歳までいくかもと思うくらい元気なんだが・・すぐに介護認定審査に立ち合いにいきました。
富山城は続、百名城です。 神保→上杉→佐々→前田と領主が交代
富山城は、天文12年(1543年)頃、越中西部を治める守護代・神保長職(じんぼう ながもと)が越中東部への進出をもくろみ、越中東部を治める同じく守護代・椎名氏の支配地である神通川東岸の安住郷に、家臣の水越勝重(みずこしかつしげ)に命じて築城させたお城と言われています。
富山藩第二代藩主 前田正甫(まさとし)は富山の売薬の下を築いた人物です。(反魂丹伝説)
福井県に入ると国道近くに丸岡城がある。二度目の丸岡城に寄ることにした。
現存天守なので再び城内へ・・
やっぱり鉄筋ではなく、本物はいい、石瓦もいい
長浜まで来ました。公園に車を止め、まず琵琶湖周辺を散策、長浜城に行ったが本日休館、月曜日のためか黒壁スクエアも休んでる店が多かった。
戦国時代、羽柴(豊臣)秀吉が初めて一国一城の主となった城
織田信長が浅井長政(あざいながまさ:信長の妹・お市の夫)の居城、小谷城(おだにじょう)を攻めたとき、横山城を守る木下藤吉郎(きのしたとうきちろう:後の豊臣秀吉)は大活躍しました。小谷城が落城する直前にお市と三人の娘を救出したエピソードは有名です。
天正元年(1573)9月、浅井氏が滅亡すると、藤吉郎は戦功により浅井氏の領地の大部分を与えられ、 羽柴秀吉(はしばひでよし)と名乗り、はじめて城持(しろもち)の大名に出世しました。
黒壁スクエア
鉄道スクエア
もう夕方だが、ここまで来ると我が家まで今日中に帰れる距離だ。急に早く帰りたくなった
最後に伊勢自動車道を利用してしまいました。 東北一周城巡りの旅、完結です。今度は九州一周城巡りの旅です。秋ぐらいに行けるかな?
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