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マタイ受難曲(BWV 244)

2020-04-08 | つぶやき

マタイ受難曲はイエスの最後の日の物語だそうだ。歌詞はピカンダー(本名は Christian Friedrich Henrici)が編集したもので、おそらくバッハと綿密に協議したという。テーマとして、伝道者聖マタイが語った物語を取り入れたという。歌手はキリスト、ユダ、ペテロ、奴隷の少女、生徒、大司祭、人々、兵士など異なる役割を持ち、バッハとピカンダーは物語の重要な瞬間に合唱とアリアを加えたそうだ。コラールの歌詞とメロディーはルター派の讃美歌の本に由来し、ライプツィヒの会衆に良く知られていたが、オープニングとクロージングの合唱とアリアの歌詞は全く新しいもので、しばしば福音の言葉とシームレスに繋がっているそうだ。歌詞の中で、ピカンダーは2つのグループの人々(シオン(エルサレム))の娘たちと忠実な魂)を区別し、2つのグループをしばしば対話させ、バッハは歌手と器楽奏者の2つの別々のアンサンブルを持つことで、この対話効果を強化しているそうだ。2つのアンサンブルは独自の機能を持ち、第1の合唱は物語の一部であり、最も重要な感情的な反応を提供し、第2の合唱は質問し、論評し、結論を導くそうだ。●1736年のバッハの写本が受け継がれており、1729年に確かに公演されたが、おそらく1725~28年の間にも公演されたであろうという。また、1729年3月にバッハが元雇用主のLeopold von Anhalt-Köthen(アンハルト=ケーテン侯)の葬儀のために書いた10の楽章はマタイ受難曲に由来しているか、あるいはそのモデルとなったそうだ。
●オランダ人はクラシック音楽の愛好家であってもなくても、誰もがマタイ受難曲を知っているそうだ。毎年、イースターの前月に本当の「Matthew madness」があり、各町には独自の催しがあり、適度に大きなコンサートホールでは少なくとも2、3つ行われるそうだ。オランダでのマタイ受難曲の最初の公演は1870年にロッテルダムで行われ、1874年にアムステルダムが続いたそうだ。コンセルトヘボウ管弦楽団とともにウィレム・メンゲルベルク(同楽団の首席指揮者)はアムステルダムでの受難曲の伝統を制定し、今日まで続いているそうだ。メンゲルベルクの公演に反応して、1921年にオランダ・バッハ協会が設立され、同協会によるナールデンでの毎年の公演がオランダのマタイ受難曲になったそうだ。 ⇒ https://www.bachvereniging.nl/en/bwv/bwv-244/

Bach - St Matthew Passion BWV 244 - Van Veldhoven | Netherlands Bach Society