【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ヒゲ禁止令

2014-03-20 06:36:14 | Weblog

 プロ野球球団などでときどき「ヒゲ禁止」が選手に強制されることがあります。ヒゲが「男性性」のシンボルなのだったら何が問題なんだろう、と思えますが、ヒゲが「権威」「権力者」の象徴なのだとしたら「たかが選手」がヒゲなんぞを蓄えていることが気に入らない人がどこかにいる、ということなのかもしれません。

【ただいま読書中】『ヒゲの日本近現代史』阿部恒久 著、 講談社現代新書2217、2013年、760円(税別)

 「ヒゲ」といっても「髯(ゼン、頬ヒゲ)」「髭(シ、鼻ヒゲ・口ヒゲ)」「鬚(シュ、頤ヒゲ)」の三種類があります。またヒゲの有無については「有る」「剃る」に分かれますが、最近は「脱毛」という手も登場しました。「有る」「剃る」「つるん」です。
 日本では古代には「ヒゲはあるのが当たり前」でした。そもそも剃刀などは“貴重品”でしたから。それが時代が進むにつれて、すこしずつ「ヒゲを剃る」習慣が日本に広まります。それでも戦国時代までは(特に武士では)ヒゲは尚武の象徴として機能していました。それが江戸時代(寛文十年(1670))の「大ヒゲ禁令」によって「ヒゲがないのが当たり前」となります。平和と文化の成熟はヒゲを嫌うのでしょうか?
 開国の頃は、外国人のヒゲは「野蛮」「野卑」のシンボルでした。しかしやがて「断髪」と合わせてヒゲは「文明の象徴」となり、さらには「権威・権力の象徴」になり、官吏はこぞってヒゲを生やすようになります。その習慣はすぐに一般に広まり、特に社会的地位の高い人はヒゲがないと軽く見られるという風潮まで生み出しました。ただし、徴兵された兵士や下層階級の労働者はヒゲを生やしていませんでした。やはり「権威・権力の象徴」だったようです。
 さらにヒゲは「男性性」とも密着します。すると面白いのは、上流階級、たとえば貴族院議員でヒゲのない人たちがある一定割合存在することです。著者はそういった人たちの共通点として(マッチョな世界での)異質性を挙げます。
 アメリカでは、第一次世界大戦後「ひげ剃り」の習慣が一挙に広がりました。これは、政府がジレットが発売した安全剃刀を大量に買い付けて前線に送ったため、ひげ剃りの習慣を兵士が戦地で身につけてから復員したことが大きかったのだそうです。日本では、昭和モダニズムの「モボ」「モガ」が、ヒゲ無しの主演男優ばかりのアメリカ映画に影響されてか、ヒゲを嫌ったそうです。そこでウケたのは、優しさが見える「コールマンひげ」でした。
 しかし、軍国主義の台頭と呼応するように、ヒゲが復権します。しかし戦地には「フェザーの安全剃刀」が送られ、兵士は、戦闘が激しいときには無精ヒゲだらけになりましたが、一段落したらひげ剃りをせっせと行いました。
 戦後はヒゲに関してはやや混乱期ですが、高度成長期に「ヒゲ無し」が促進された、と著者は考えています。そう言えばあの時期、サラリーマンはみな「ヒゲ無し」でした。社長とか重役はヒゲがあっても許されましたが。それに対して「反体制のシンボル」としての「若者のヒゲ」が登場します。また「おしゃれとしてのヒゲ(女性にウケるヒゲ)」もまた登場しました。たかがヒゲですが、なかなか状況は複雑です。
 女性は服飾によって何らかの主張を世界に向かって行います。それと同様、男もヒゲによって何らかの主張を行っている、のかもしれません。



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