【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

素早葬

2011-08-03 18:57:49 | Weblog

 オサマ・ビン・ラディンを射殺して、さっさと水葬。
 事故の証拠の鉄道車両をさっさと破壊して畑に土葬。
 「再発予防」の観点からは、どちらにも大きな問題が……

【ただいま読書中】『病院の世紀の理論』猪飼周平 著、 有斐閣、2010年(11年3刷)、4000円(税別)

 19世紀までにも、西欧には「病院」はありました。しかしその機能は現代のものとは違います。それは、病院の財政を寄付で支えていた富裕層が、自分はそこに入院しなかったことに如実に表われています。そこは中世の修道院付属「ホスピス」の延長でしかなかったのです。
 19世紀後半、コッホやパスツールに代表される人々の努力によって、病気は「治療によって治るもの」になりました。感染症の原因解明とワクチンを中心とする治療の進歩によって、そういった「新しい概念」が社会のものとなったのです。古代~近代の「名医」は医師個人の能力と実績に対する評価でしたが、20世紀の「医者の権威」は、つまりは「治療医学の威力に対する敬服」でした。この医療に対する社会的期待は、医療システムも改変します。
 医療の進歩により、20世紀に先進諸国では高度で専門的な分野を担当する「セカンダリケア(=病院)」が確立しました。それに伴って(セカンダリケア以外の機能分野として)「プライマリケア」が成立します。「セカンダリケアの残余部分」としての性格から、実はプライマリケアにはセカンダリケアとは関連しない分野(疾病予防など)も含まれます。それによってプライマリケアを論じる場合にその定義の難しさをもたらすことになります。
 ここから日米英の医療システムの比較が始まります。たとえばイギリスは、中世からの「エリート医者(大学を卒業した内科医と一部の外科医)」「一般の医者」の階級構造が「病院」に持ち込まれました。日本だと、東洋医学と西洋医学の対立はありましたが、イギリスのような階級差はありません。日本の医者はまず病院の勤務医(セカンダリケア)としてその経歴を始め、やがて開業という形でプライマリケアに移動する、という特徴があります。これは世界的には珍しいやり方です。
 著者は、20世紀の終りは「病院の世紀の終焉」でもある、と考えています。「治療医学」に対する全幅の信頼は揺らぎ、「健康」とか「生活の質」を含む「新しいシステム」が求められるようになっているのです。「治療」を前提としない医療、そういった医療の中での「病院」。それはどんな形になるのでしょう。その社会システムの中で、私たちはこれからどのように生きていくことになるのでしょう?




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