【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

保護者遺棄

2011-08-02 18:59:01 | Weblog

 この季節になると必ず「パチンコ屋の駐車場での、子供蒸し焼き殺人事件」が起きます。これだけ報道されて分かっていて、それでも同じことが繰り返されるということは、「周知徹底がまだ不十分」なのかあるいは「わかってやっている」かどちらか、ということなのでしょうか。もし後者だったら未必の故意による殺人(あるいは傷害致死)?
 予防のためになにができるでしょう。たとえば警察官とかあるいは(駐車違反取締の人間のような)民間の人間がパチンコ屋の駐車場を不定期にパトロールして、車内に子供が放置されていたら、殺人未遂……は殺人の意図の証明が面倒だから、保護者遺棄とか児童虐待の現行犯、ということで親を逮捕して回れば、少しはそういった犯罪が減りませんかねえ。「パチンコに行きたいのにこいつのせいで行けない」と、家庭内での虐待が増えるだけかもしれませんが。

【ただいま読書中】『シベリヤの旅 他三篇』チェーホフ 著、 川西清 訳、 岩波文庫、1934年(70年8刷)、★(初版時の定価50銭)

 表紙は「旅のヤリベシ」と右から書いてあります。昭和45年にもまだ戦前の版を使っていたということなのでしょうか。

目次:「グーセフ」「追放されて」「女房ども」「シベリヤの旅」

 極東に兵士として派遣され病気になった者たちを乗せてインド洋回りで本国を目指す船が舞台の「グーセフ」。まるでかつての日本の防人の物語のような感じです。何の望みもなくハンモックで揺られ、自分に死が忍び寄ってくるのをじっと見つめ、そして死んでいく兵士たち。暗い暗い物語です。
 「追放されて」もまた暗い暗い物語です。無実の罪で故郷を追われた韃靼人の数分間の物語です。これが丸々一日分に伸ばされたら、そのまま『イワン・デニーソヴィチの一日』(ソルジェニーツィン)になりそうな気がします。
 「女房ども」は、暗いというより怖い物語。兵士の出征中に浮気をした女房が、そちらに本気になってしまって、そこに亭主が帰ってきて……がメインにあるのですが、そのそばに立っている他の女房たちの思惑がまた怖い。

 そして最後の「シベリヤの旅」。「私」は無蓋の馬車で凸凹道を旅行中です。馬車はシベリヤを徒歩で目指す人々を次々追い越します。食い詰めた移住民、そして徒刑囚。すれ違うのは郵便馬車。向こう岸が見えないくらいの大河は渡し船で渡りますが、それを漕ぐのもまた徒刑囚です(「追放されて」で「韃靼人」が従事していたのもこの仕事でした)。交通マナーは最低ですが、住む人々は善良で、「私」が馬車に荷物を置きっぱなしにしていても盗むものはいません。善良なのではなくてたとえ盗んでも逃げ出すことが困難だからやらない、かもしれませんが。天の底が抜けたような大雨が降ると牧草地は湖と化します。いつ渡れるかは神様のおぼし召ししだい。
 エニセイ川、密林帯(タイガ)……「ロシア」からやって来た旅人は、風景の新規さに目を瞠ります。景色のスケールからは「おくのほそ道」の巨大平面版、といった感じです。ただ、俳句はありません。あるのは、たとえば「死刑のかわりに採用されたシベリヤへの終身追放刑は、はたして人道的なものか?」といった思索です。この旅が著者の肉体と魂をどのくらい揺すぶったのかは、この旅の前後の作品を読み比べたらわかるのでしょうね。私はチェーホフは読んだことがほとんどないので、そこまで詳しくはわかりませんが、何の影響もなかったとは思えません。たぶん、過酷な旅には、それだけで文学的な価値があるのではないでしょうか。




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