この前初めてCoCo壱番屋に入ってカレーを食べてみました。なんだか昔家庭で食べていた味を思い出させるような感じでしたが、もう一つ懐かしかったのが「よろしかったら、ソースをどうぞ」と中濃ソースのような感じのものを持ってきてくれたこと。私は子ども時代に、カレーにソース(当時家にあったのはウスターソース)をかけるのが大好きだったのです。お袋は「せめて味を見てからかけてくれ」と、いい顔をしませんでしたけれどね。
だけど当時の世相では、醤油は和風の万能調味料、ウスターソースは洋風の万能調味料だったのです。ご飯にだってかけてました。ただし、お茶碗によそったご飯にはウスターソースはかけません。お皿に平たく盛ってフォークで食べる「ライス」にだけです。ですから「カレーライス」にソースをかけるのは当然以前だったのですよ。
昭和30年代にちょっと戻ってみたい気がします。ずっとそこにいたいかどうかは疑問ですが。
【ただいま読書中】『図説 日本の妖怪』岩井宏實 監修、近藤雅樹 編、河出書房新社、1990年、1456円(税別)
「百鬼夜行絵巻」で本書は始まります。「大鏡」や「日本霊異記」などの文字情報よりも、やはり絵巻物は視覚的にインパクトがあります。視覚的と言えば、表紙(カバー)絵は、北斎のお岩さん(破れ提灯にお岩の顔が重ねられた大首絵)です。これって、妖怪ではなくて幽霊では?と思いますが、インパクトはばっちりです。
妖怪は本来は「もののけ」(形のない、気配だけのもの)でした。それに「天狗」「狐」などの“具象”を与えたのは人間でした。そういえば「蜻蛉日記」や「御堂関白日記」にも、女性の体調が悪いのを「物の怪による」とよく書いてありましたっけ。で、それを調伏するのは密教の僧(つまり男)でした。これも一種の男女原理の物語なんでしょうか。
記録に残る最初の「鬼」は、「出雲風土記」の「目一つの鬼」で、次は「日本書紀」の「斉明天皇の喪の儀を朝倉山の上から笠を着て眺めていた鬼」です。つまり昔から日本に「鬼」は存在していました。「節分」も「徒然草」では「亡き人のくる夜とて魂祭るわざ」で、つまり節分は今のお盆の「ご先祖様が帰ってくる」の大晦日版で、すると節分の鬼は祖霊と結びつきがあることになります。仏教での鬼は、四天王に踏まれたり地獄で番卒をやったり、あまり良い扱いを受けていません。(一応「夜叉神」や「邪鬼」という護法神なんですけどね)
妖怪の“物語”は怪談となります。怪談が舞台芸術となったのは江戸時代、歌舞伎が興隆して以後のことでした。本書には国周画の「東海道四谷怪談」堀(戸板の表裏にお岩と小仏小兵の死骸が打ちつけられているシーン)が載せられていますが……あまりこの絵は怖くありません。北斎の「百物語皿屋敷」では古井戸からまるでろくろ首のようなお菊が顔を覗かせていますが、よくよく見るとその長い首はお皿を重ねてつないだものです。シュールです。平安時代と違って、江戸時代の妖怪の扱いにエンターテインメント性が入っているようです。
昔の日本は、21世紀から見たら“異国”“異界”だったと言えるでしょう。ですから、今の私たちが妖怪を見て感じることと、昔の人びとが妖怪に感じるものとは、たぶん決定的に違うはず。
だけど当時の世相では、醤油は和風の万能調味料、ウスターソースは洋風の万能調味料だったのです。ご飯にだってかけてました。ただし、お茶碗によそったご飯にはウスターソースはかけません。お皿に平たく盛ってフォークで食べる「ライス」にだけです。ですから「カレーライス」にソースをかけるのは当然以前だったのですよ。
昭和30年代にちょっと戻ってみたい気がします。ずっとそこにいたいかどうかは疑問ですが。
【ただいま読書中】『図説 日本の妖怪』岩井宏實 監修、近藤雅樹 編、河出書房新社、1990年、1456円(税別)
「百鬼夜行絵巻」で本書は始まります。「大鏡」や「日本霊異記」などの文字情報よりも、やはり絵巻物は視覚的にインパクトがあります。視覚的と言えば、表紙(カバー)絵は、北斎のお岩さん(破れ提灯にお岩の顔が重ねられた大首絵)です。これって、妖怪ではなくて幽霊では?と思いますが、インパクトはばっちりです。
妖怪は本来は「もののけ」(形のない、気配だけのもの)でした。それに「天狗」「狐」などの“具象”を与えたのは人間でした。そういえば「蜻蛉日記」や「御堂関白日記」にも、女性の体調が悪いのを「物の怪による」とよく書いてありましたっけ。で、それを調伏するのは密教の僧(つまり男)でした。これも一種の男女原理の物語なんでしょうか。
記録に残る最初の「鬼」は、「出雲風土記」の「目一つの鬼」で、次は「日本書紀」の「斉明天皇の喪の儀を朝倉山の上から笠を着て眺めていた鬼」です。つまり昔から日本に「鬼」は存在していました。「節分」も「徒然草」では「亡き人のくる夜とて魂祭るわざ」で、つまり節分は今のお盆の「ご先祖様が帰ってくる」の大晦日版で、すると節分の鬼は祖霊と結びつきがあることになります。仏教での鬼は、四天王に踏まれたり地獄で番卒をやったり、あまり良い扱いを受けていません。(一応「夜叉神」や「邪鬼」という護法神なんですけどね)
妖怪の“物語”は怪談となります。怪談が舞台芸術となったのは江戸時代、歌舞伎が興隆して以後のことでした。本書には国周画の「東海道四谷怪談」堀(戸板の表裏にお岩と小仏小兵の死骸が打ちつけられているシーン)が載せられていますが……あまりこの絵は怖くありません。北斎の「百物語皿屋敷」では古井戸からまるでろくろ首のようなお菊が顔を覗かせていますが、よくよく見るとその長い首はお皿を重ねてつないだものです。シュールです。平安時代と違って、江戸時代の妖怪の扱いにエンターテインメント性が入っているようです。
昔の日本は、21世紀から見たら“異国”“異界”だったと言えるでしょう。ですから、今の私たちが妖怪を見て感じることと、昔の人びとが妖怪に感じるものとは、たぶん決定的に違うはず。