飛行機で必ず締めろと言われるシートベルト。これの「効果」はどのくらいのものなのでしょう。
もちろんエアポケット(本当は“不適切な用語”だそうです)でどすんと飛行機が急降下したときの効果は絶大でしょう。天井に頭突きをせずにすむはずです。あとはハワイででしたっけ、飛行中に急に胴体がめくれて座席がむき出しになったような状況でも外に落ちずにすみそうです。ただ、その確率はどのくらいなんだろう、と思ったのです。
個人的にはベルトを締めることによって生じる“損害”はゼロ(あるいはほぼゼロ)なのでベルトの効果の確率がゼロに近くてもかまいませんが、もしも“損害”がある人がいたら、一応事象の確率の計算をしたくなるんじゃないかしら。
【ただいま読書中】『747 ──ジャンボをつくった男』ジョー・サッター+ジェイ・スペンサー 著、 堀千恵子 訳、 日経BP社、2008年、2200円(税別)
1921年に著者はワシントン州シアトルで生まれました。当時そこは“辺境”でした。豊かな自然の中で著者は「空を飛ぶもの」への憧れとともに育ちます。6歳のときにリンドバーグが大西洋横断をします。ビッグニュースでした。それは「冒険」であるとともに、両大陸が空路によって結合されるという「未来」の提示だったのです。自宅近くからボーイング社の滑走路が一望できる環境で、著者は長距離大量輸送の飛行機を設計する夢を見ます。
第二次世界大戦では著者は駆逐艦に乗り、ついで航空技師としての任務を与えられます。終戦後著者はダグラス社とボーイング社から誘われます。会社の規模や雇用条件はダグラスの方が上で著者はそちらで仕事をする気になりますが、運命の悪戯か、結局ボーイングで仕事をすることになります。
ボーイングは、B-17(フライング・フォートレス)やB-29をベースとして、民間機を開発しようとしていました。ただし時代の主流はすでにジェット。そこでプロペラ機の仕事は新人に回され、“ボーイング最後のプロペラ旅客機”377ストラトクルーザーの開発を著者は行ないますが、そこで身につけたさまざまな領域の専門知識が、後に役立ちます。
ジェット軍用機B-52を開発したボーイング社は、1952年に未来のジェット旅客機の開発で著者に空力チームの指揮をさせることにします。最初の707(長距離用)は大成功でした。ついで中距離の727の開発。著者は社内で昇進するだけではなくて、役所や顧客(航空会社)とのつきあいも広くなっていきます。そして短距離用の737。著者は「遊び」と表現していますが、本当に楽しそうに新しいコンセプトで設計を行なっています。ボーイングで一番小さなジェット機を作った後、こんどは一番大きな飛行機「ジャンボ」研究チームのリーダーです。著者はこき使われています。ただし当時世界の“主流”はSST(超音速旅客機)でした。コンコルドやツボレフTu-144です。ボーイングもエース級はほとんどSSTに投入していて、たまたま“手が空いて”いたのが著者だった、と本人は主張しています。
ただし“継子”扱いだからこそ、著者には設計上のフリーハンドが与えられていました。ただし無制限の自由ではありません。一番重要な顧客パンナムの意向、法令の制限、技術上の制約……それらをすべてクリアする必要があります。さらにチームの主要メンバーのほとんどは著者より年上で個性豊かな者ばかり。この調整も大変です。
当初747は二階建てで構想されていました。これまでの設計思想の延長上で大量輸送を実現するにはそれが一番“自然な発想”だったのです。しかし著者はそれを明確に否定します。「737から学んだ一番の教訓はといえば、当初の設計案を当たり前のこととしてはいけない、ということである。そうやってなんの疑問も持たず、既存の枠内で一気に仕事を進めようとするのは技術者の性。しかし、それでは偉大な飛行機はなかなか生まれない。」のだそうです。当然社内社外に“抵抗”は大きいのですが、著者は技術と理論と思想と規制のバランスから「ワイドボディの一階建て」が最適解と導き出します。飛行速度の設計も面白い。「どのくらい高速で飛べるか」だけではなくて「どのくらい低速で飛べるか」も重要なのです。失速のことがありますから、言われてみたら当然のことですけれど。
「政治」も重要です。社内での権力闘争は熾烈です。さらに、顧客とのタフな交渉、他のメーカーとの協力と競争、お役所との関係、政治家との(隠微な)関係、そして最後にはソ連との国際関係まで登場します。巨大なプロジェクトのリーダーは、単に技術とチームの人間関係だけ見ているだけでは務まらないようです。これは大変だ。
本書は、少年の日の夢(彼の場合は「空への憧れ」)を一生かけて実現し、その結果世界まで変えてしまった人の自伝です。大変だったとは思いますが、それでもちょっとうらやましくは思います。
本書の最後にちょっと面白い指摘があります。巨大機だと「ハブ空港」が必要となりますが、小型で長距離飛行可能な機体だと、地方空港同士の直行便が運用可能になるのです。そこで問題になるのは「需要の有無」。日本で問題になっている地方空港は、需要の見込みがインチキだったのが問題なのであって、今からでも需要について厳しく査定をして「空港圏」というものをきちんと設定できたら(そしてその需要を掘り起こせてそこに運用できる機体があれば)地方空港がいくつも“救える”かもしれません。
もちろんエアポケット(本当は“不適切な用語”だそうです)でどすんと飛行機が急降下したときの効果は絶大でしょう。天井に頭突きをせずにすむはずです。あとはハワイででしたっけ、飛行中に急に胴体がめくれて座席がむき出しになったような状況でも外に落ちずにすみそうです。ただ、その確率はどのくらいなんだろう、と思ったのです。
個人的にはベルトを締めることによって生じる“損害”はゼロ(あるいはほぼゼロ)なのでベルトの効果の確率がゼロに近くてもかまいませんが、もしも“損害”がある人がいたら、一応事象の確率の計算をしたくなるんじゃないかしら。
【ただいま読書中】『747 ──ジャンボをつくった男』ジョー・サッター+ジェイ・スペンサー 著、 堀千恵子 訳、 日経BP社、2008年、2200円(税別)
1921年に著者はワシントン州シアトルで生まれました。当時そこは“辺境”でした。豊かな自然の中で著者は「空を飛ぶもの」への憧れとともに育ちます。6歳のときにリンドバーグが大西洋横断をします。ビッグニュースでした。それは「冒険」であるとともに、両大陸が空路によって結合されるという「未来」の提示だったのです。自宅近くからボーイング社の滑走路が一望できる環境で、著者は長距離大量輸送の飛行機を設計する夢を見ます。
第二次世界大戦では著者は駆逐艦に乗り、ついで航空技師としての任務を与えられます。終戦後著者はダグラス社とボーイング社から誘われます。会社の規模や雇用条件はダグラスの方が上で著者はそちらで仕事をする気になりますが、運命の悪戯か、結局ボーイングで仕事をすることになります。
ボーイングは、B-17(フライング・フォートレス)やB-29をベースとして、民間機を開発しようとしていました。ただし時代の主流はすでにジェット。そこでプロペラ機の仕事は新人に回され、“ボーイング最後のプロペラ旅客機”377ストラトクルーザーの開発を著者は行ないますが、そこで身につけたさまざまな領域の専門知識が、後に役立ちます。
ジェット軍用機B-52を開発したボーイング社は、1952年に未来のジェット旅客機の開発で著者に空力チームの指揮をさせることにします。最初の707(長距離用)は大成功でした。ついで中距離の727の開発。著者は社内で昇進するだけではなくて、役所や顧客(航空会社)とのつきあいも広くなっていきます。そして短距離用の737。著者は「遊び」と表現していますが、本当に楽しそうに新しいコンセプトで設計を行なっています。ボーイングで一番小さなジェット機を作った後、こんどは一番大きな飛行機「ジャンボ」研究チームのリーダーです。著者はこき使われています。ただし当時世界の“主流”はSST(超音速旅客機)でした。コンコルドやツボレフTu-144です。ボーイングもエース級はほとんどSSTに投入していて、たまたま“手が空いて”いたのが著者だった、と本人は主張しています。
ただし“継子”扱いだからこそ、著者には設計上のフリーハンドが与えられていました。ただし無制限の自由ではありません。一番重要な顧客パンナムの意向、法令の制限、技術上の制約……それらをすべてクリアする必要があります。さらにチームの主要メンバーのほとんどは著者より年上で個性豊かな者ばかり。この調整も大変です。
当初747は二階建てで構想されていました。これまでの設計思想の延長上で大量輸送を実現するにはそれが一番“自然な発想”だったのです。しかし著者はそれを明確に否定します。「737から学んだ一番の教訓はといえば、当初の設計案を当たり前のこととしてはいけない、ということである。そうやってなんの疑問も持たず、既存の枠内で一気に仕事を進めようとするのは技術者の性。しかし、それでは偉大な飛行機はなかなか生まれない。」のだそうです。当然社内社外に“抵抗”は大きいのですが、著者は技術と理論と思想と規制のバランスから「ワイドボディの一階建て」が最適解と導き出します。飛行速度の設計も面白い。「どのくらい高速で飛べるか」だけではなくて「どのくらい低速で飛べるか」も重要なのです。失速のことがありますから、言われてみたら当然のことですけれど。
「政治」も重要です。社内での権力闘争は熾烈です。さらに、顧客とのタフな交渉、他のメーカーとの協力と競争、お役所との関係、政治家との(隠微な)関係、そして最後にはソ連との国際関係まで登場します。巨大なプロジェクトのリーダーは、単に技術とチームの人間関係だけ見ているだけでは務まらないようです。これは大変だ。
本書は、少年の日の夢(彼の場合は「空への憧れ」)を一生かけて実現し、その結果世界まで変えてしまった人の自伝です。大変だったとは思いますが、それでもちょっとうらやましくは思います。
本書の最後にちょっと面白い指摘があります。巨大機だと「ハブ空港」が必要となりますが、小型で長距離飛行可能な機体だと、地方空港同士の直行便が運用可能になるのです。そこで問題になるのは「需要の有無」。日本で問題になっている地方空港は、需要の見込みがインチキだったのが問題なのであって、今からでも需要について厳しく査定をして「空港圏」というものをきちんと設定できたら(そしてその需要を掘り起こせてそこに運用できる機体があれば)地方空港がいくつも“救える”かもしれません。