【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

銃口

2010-06-20 17:34:21 | Weblog
時に、銃弾ではなくて言葉を発射する銃を口に仕込んでいる人がいます。

【ただいま読書中】『機関銃の社会史』ジョン・エリス 著、 越智道雄 訳、 平凡社、1993年、1400円(税別)

銃が登場して以来、連発銃の試みはさまざまされました。実戦で役立つ機関銃が初めて登場したのは、南北戦争でした。この戦争は最初の「近代戦争」で、「過剰殺戮」という概念が戦場に導入されました。それまでの「一つの決戦に勝った方が勝利」ではなくて、兵士は消耗品として戦場に大量に投入され、連続する戦闘で少しでも多く殺した方が勝ち、となったのです。アメリカは若い国で“戦争の伝統”がありませんでした。だから使えるものは何でも使う態度で南北戦争は推移したのです。そして機関銃は、アメリカの産業革命の“成果”であり、戦争の概念を変える一助となりました。
1861年にミルズの機関銃が北軍に納入されますが、これは実用的ではありませんでした。1862年ガトリングがクランクで操作する機関銃を発明します。ガトリングは戦闘に一気に決着がつくことで結果として死傷者数は減少する、と楽観的に考えていました。つまり彼にとって機関銃は「平和のための武器」だったのです。(「核抑止力」のご先祖様ですな)
1884年にはマクシムが全自動の(ガトリングの、人力でクランクを廻し続けるタイプではなくて、一度引き金を引いたらずっと弾が出続ける)機関銃を発表します。技術は容赦なく進歩します。
しかしヨーロッパでは“伝統”が生きていました。士官団は貴族と郷士階級に牛耳られていましたが、彼らの持つ保守的な価値観では、戦争の主役は人間であり、個人の勇気を示す突撃(騎兵の突撃、歩兵の銃剣(=短い槍)突撃)が最高の攻撃でした。この価値観の保持は実に第一次世界大戦まで続きます(日本では第二次世界大戦まで、かな)。従って「新しくて高性能な武器」の導入は激しい抵抗に遭います。これは「殺人の機械化」「戦争の非人格化」に対する陸軍の最後の抵抗でした。
ロシアは機関銃の価値を早く認めた国の一つでした。それで散々な目に遭わされたのが日露戦争での日本軍です。日本は“教訓”を早く学び、即座に機関銃を導入し活用します。観戦武官の報告で、ドイツ、ついでフランスが機関銃に接近します。イギリスは立ち遅れました。
ただし機関銃は、植民地(特にアフリカ)では活用されました。武装に劣るが圧倒的な数を武器に抵抗する原住民を一気に殲滅するのに機関銃は最適の武器だったのです。戦いではなくて虐殺でした。パブリックスクールで尊重される「フェアプレイの精神」に反した行為です。ただ、このような「アンフェア」も、相手が対等の人間でないとすれば容認できるのでした。
第一次世界大戦は、南北戦争と同様、国のすべてを戦場に投入するタイプの全面戦争でした。イギリスは当初10万の兵力で十分と思っていましたが、1915年12月にはそれは350万に膨れあがっていました。当然大量殺戮兵器が必要となります。それは大砲・毒ガス、そして機関銃でした。(第二次世界大戦では、絨毯爆撃・核兵器となりますが、発想はほぼ同じです) しかしそういった「火力」は、将軍の戦略や戦術、指揮官や兵士の勇気に対する“侮辱”でもありました。
本書はそこで一端“戦後”にトミーガンがギャングに愛用されたことを述べますが、ここでは戦争の話を続けましょう。機関銃に威力があることが分かれば、対応は二つあります。まず自分たちも機関銃を使う。もう一つは機関銃の威力を無効化する。それが戦車(装甲車)でした(これの有効性が戦場で大きく証明されたのは、1940年、フランスのマジノ線に対するドイツの電撃作戦です)。
本書では、機関銃という一つの武器に「イデオロギー」の影を見ます。産業資本主義は大量生産大量消費が基本ですが、産業資本主義の申し子である機関銃も同様に大量生産大量殺戮だ、と。戦争に「人間性」を求める態度が正しいかどうかはわかりませんが、少なくとも19世紀まで残っていた「戦争に人間性を投影する態度」を機関銃が撃ち殺してしまったことは確かなようです。