【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

世論調査

2010-06-30 18:42:19 | Weblog
選挙が近づき、マスコミがさかんに世論調査を発表しています。「選挙に行きますか」「どの党に勝って欲しいですか」とかの質問を並べてその回答の%をずらずら並べて「はい、記事が一本できあがり」と言った風情ですが、なんでこんな下らないことをやっているんですかねえ。そもそもそのアンケート、どこまで信頼性があるのでしょう?(たとえば「選挙に行く」と答えた人の%と実際の投票率とがきわめて近い数字だった世論調査はどれくらい?) 信頼性がないのだったら無意味なページふさぎだし、信頼性があるのだったらそれを発表することにどんな意味を付加しているのでしょう。なんだか「自分の意見を言う」かわりに「誰かの意見を代理として発表している」だけの態度に見えるのですが、それは言論の府の人間としてはずいぶん無責任な態度に思えます。

【ただいま読書中】『シンメトリーの地図帳』マーカス・デュ・ソートイ 著、 冨永星 訳、 新潮社、2010年、2500円(税別)

著者の前作『素数の音楽』は数論でしたが、こんどは群論(シンメトリー)です。自然界にはシンメトリーが溢れているが、それには意味があることから話がゆったりと始められます。また、著者が12歳の時にシンメトリーに夢中になり、それで一生が決まったことも。オックスフォードを卒業した著者は数学(群論の研究)で身を立てようとケンブリッジを訪問します。そこで会った数学者のコンウェイは群論の䧺でした。そこで一転、場面転換です。
古代ギリシア時代、完璧にシンメトリーな正多面体は5つしか存在しないことがすでにわかっており、それ以外が存在しないことも証明されていました。中世イスラムでは、床や壁のモザイク模様のシンメトリーが17種類しかないことがわかっていました。ただし、それ以外がないことが証明されたのは19世紀になってからです。で、その17種類を見たければ、たとえばアルハンブラ宮殿に行けばよいそうです。というか、著者は実際に行ってしまいます。「シンメトリーの巡礼者」として。
著者はシンメトリーの研究に(リーマンの)ゼータ関数を使っていました。なんでまた素数の研究に有用なツールがシンメトリーに、と思いますが、たとえば辺の数が素数である正多角形のシンメトリーの群で構成されたシンメトリーの総数にゼータ関数が深く関与しているのだそうです(私は意味がわからずに書いています)。
著者の半生(シンメトリーの追究)とあちこちへの世界旅行(と各地での数学者との出会い)と重ねて、数学の歴史がゆったりと語られます。19世紀の五次方程式に解の公式が存在しない、という証明の過程で、方程式の一つ一つに何らかのシンメトリーな図形が付随しているらしい、とノルウェーの不遇の天才アーベルが気づきます。アーベルは早世しますがその跡を継いだのがガロアでした。これまた“不遇の天才”ですが、ガロアの“遺産”からシンメトリーを動的に眺めその全体を一つの集まり「群」として理解する考え方が育ちました。そこで素数が登場します。正15角形のコインの回転は正三角形と正五角形の回転を組み合わせてつくることができますが(シンメトリー群をさらに小さなシンメトリー群に分けられる)、正17角形の回転はそれ以上分割できません。「素数」ならぬ「素なシンメトリー群」です。
本書はその内容だけではなくて、構成がシンメトリーを意識しているようです。第9章で話は数学の抽象世界からまた現実世界に戻ってきます。こんどは音楽です。音楽のシンメトリーを解き明かす著者の手つきを見ていると、前作『素数の音楽』のルーツを感じます。あるいはウイルスの構造解析をするとそこに浮かび上がるのもシンメトリーです。さらに「ミラー・ニューロン(目の前の動作を真似するニューロン)」。メッセージのエラー訂正。著者はいろんな場所のシンメトリーを紹介してくれます。
そして「数学の旅」で最後に登場する数学者は(最初の章に登場した)コンウェイ。415京7771兆8065億4363万個のシンメトリーがある群を見つけますが、それは出発点にすぎませんでした。後日みつかった「モンスター」と呼ばれる群は、10進法で54桁の数(太陽に含まれる原子の数の1000分の1)のシンメトリーからなるのです。ちなみにモンスターの“姿”をちらりとでも“見る”ためには、最低19万6883次元に飛ぶ必要があるそうです。そんなものを追究して何が楽しいのか、と私は思いますが、数学者たちは、苦しみながら楽しんでいます。きわめて人間的に。さらにそういったシンメトリーと数論のモジュラー関数が結びつくだけではなくて、理論物理学の「ひも理論」までそこに繋がって登場します。この宇宙には魅力的なシンメトリーがあちこちに存在しているのです。人類がそれに気づくかどうかは気にしないままで。