詩集「プラテーロと私」はいかがですか? - ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> お勧め本

今回はCDというよりもこの3冊の本、そう、有名なファン・ラモン・ヒメネス作の詩集「プラテーロと私」の現在日本で手に入る唯一の訳本です。
この他に山下和仁さんがギターを弾き、朗読をあの世界的メゾ・ソプラノのテレサ・ベルガンサさんが行ったCDに訳が掲載されていますが、それは上の写真の一番右、岩波少年文庫の訳をそのまま採用されているので、結局はこの3冊に尽きると思われます。(もしこの他に出版されているようでしたら、ご存知の方はお知らせ下さい)

その他でいうと、過去に朗読を俳優の木村功さんでしたか、ギターを松田晃演さん(当時は松田二郎さんと言われていたと記憶しています)のLPが出ていたはずですが、私はどうしても手に入れることはできませんでしたので、その時の訳がどなたの訳なのかはわかりません。(これもお知りの方はぜひとも教えて下さい)
ともかくこの詩集、延々138編もの散文詩が続きます。

どうもどの詩集の訳を読んでもこれといったものは見つからず、完全な日本語訳になり切っていないのが残念です。言おうとしていることは判る気がするのですが、どうも表現が硬いというか、直訳調というか、もっと何とかならないものかという気がします。ある部分などは花の名前を「あやめ」と言ったり、別な本では「かきつばた」と言ったりしており、「いったいどっちなんじゃあ!」と言いたくなってしまいます。
しかしそれにしてもこの詩集、やっぱり素晴しい詩集で、読んでいくと最後に泣かされます。主人公の「私」はスペインの南西部、ポルトガルとの国境に近いモゲールという町に住んでいますが、ずっとかわいがっているロバのプラテーロと一緒に日常見たもの、一緒に経験したことなどが詩情豊かに語られていきます。繰り返しくりかえしプラテーロと自分との幸せな毎日が淡々と語られていきます。それが132編まできて突然愛するプラテーロが死んでしまいます。

それからはプラテーロの追憶に浸るのですが、最後から2編目、137編目の「ボール紙のプラテーロ」という段になって突然読者の胸に迫ってくる言葉が語られます。友人が私を慰めてくれるために、ボール紙でプラテーロを形作ったものを贈ってくれた。自分はプラテーロのことを今でも愛していて、思い出すたびにこの友達の作ってくれたボール紙のプラテーロを見る。誰かが自分の家に来て「これはなに?」ってたずねられると「プラテーロだよ」と答えている。
そして最後に彼は語ります。
「人間の記憶なんて、なんて頼りないんだろうね!このボール紙のプラテーロが、今では本物のおまえよりも、ずっとプラテーロらしく見えてくるんだよ。プラテーロ・・・・」

どうですか。なんだか東洋の思想に通じるものを感じませんか。諸行無常というかなんというか。時が人間の悲しみを忘れさせてくれる、というか。
しかし肝心なこの部分に関しては、テデスコは音楽を付けていません。なぜでしょうか。ギター伴奏で行う詩の朗読という作品の表現力では、テーマが重過ぎるのかも知れませんね。ファン・ラモン・ヒメネスは1956年10月25日、ノーベル文学賞を受賞しています。 内生蔵 幹


コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (Unknown)
2006-01-24 23:20:04
山下CDの朗読はベルガンサ本人ではなく妹さんです。スペイン語での朗読は味があって良かったですよね。音として。

 それと録音では福田進一さんと江守徹さんのCDもありましたね。日本語訳は濱田滋郎氏。山下さんも寺田農さんとやったライブでは濱田訳を使用していました。しかし、日本語訳はどうしても、その性格から?、長くなってしまい、時には早口言葉のようになっていました。
 
 
 
さあ大変 (内生蔵)
2006-01-25 06:51:54
さあ大変。ご指摘があったので、よくよく山下和仁さんのCDの解説を見直してみたら、有名なテレサ・ベルガンサは朗読をしている彼女の伯母にあたると書いてありました。なんという早合点。これからはもっとちゃんと調べてから発表するようにしますね。

福田進一さんのCDは挿絵は上の写真の真ん中、石井崇さんのもので、この本の訳詩は石井洋子さんですが、CDに採用された訳詩は浜田滋郎さんとなっていますね。
 
 
 
Unknown (Unknown)
2006-01-25 16:54:40
姪でしたか…

私も記憶だけで書いているので間違えてしまいました。すみません。でも、こうやっていろいろな人がコメントすると盛り上がっていいですよね。

これからも楽しい話題を楽しみにしています。
 
 
 
プラテーロとわたし (高岡誠)
2006-01-26 16:05:51
木村功さんと松田晃演さんのLP、日本語訳は浜田滋郎さんでした。このヒメネスの詩にふさわしく虚飾を避けた表現でとても印象的でしたね。
 
 
 
なんと若手の高岡さんから (内生蔵)
2006-01-26 18:51:28
ありがとうございます。長年の疑問がやっととけました。それにつけてもこのような古いレコードの情報を若手代表の高岡さんがご存知だったとは以外でした。LPを持っておられるんですか?だとしたらうらやましいですね。私も過去に一回だけ、ジャケットを見たことがあるだけで、一度も聴いたことがありません。でも想像するに演奏と朗読は最もプラテーロにふさわしいような気がするんですが、いかがでしたか?ぜひとも聴いてみたいです。
 
 
 
木村さんと松田さんのLP (高岡誠)
2006-01-28 08:27:15
内生蔵さん、こんにちは。私ももう決して若手ではありませんよ(笑)。木村さんと松田さんのLPは私がギターを始めたころにはもう手に入らず、やむなく恩師のをカセットテープにダビングさせて頂きました。それでよろしければミューズの山下さんにお願いして預かってもらいますから、いつでもお店に立ち寄られた時にお受け取りくださいね。とても素敵なアルバムだと思います。
 
 
 
Unknown (内生蔵)
2006-01-28 08:57:46
ありがとうございます。こんな嬉しいことはありません。この次ミューズへお邪魔するのが楽しみにです。宜しくお願いします。私も何かお土産を持っていくようにしますので、高岡さんも楽しみにしていてくださいね。それにしても高岡さんが若手でないとしたら、私なんかどうなっちゃうんかなあ。まああちこちでアスベストよりひどい「老害」をまきちらしておりますから、はたしてちゃんと畳の上で死ねるかどうか、最近ちょっと心配になってきておりまする。
 
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