2つのテデスコのギター協奏曲 - ミューズの日記
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<あれも聴きたい、これも聴きたい> 2つのテデスコのギター協奏曲

ジョン・ウィリアムスの弾くテデスコのギター協奏曲ニ長調作品99は、過去に2度の録音があって、一回目のユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィラ管弦楽団と共演した録音(写真左)が、その後私の知る限り1回も再発されないで、ジョンの弾くテデスコの協奏曲といえばチャールス・グローブスの指揮でイギリス室内管弦楽団と共演した1977年の2回目の録音(写真右)が繰り返し再発されていることは以前ここでも紹介した。もし皆さんがジョンのこの曲のCDをお持ちなら、それはほとんどがこの2回目の録音のものではないかと想像される。1回目の録音は1965年、ジョンがまだ24歳のころ、アメリカデビューを果たした時の録音であり、2回目のそれは1977年、ジョンが36歳の時のもので、最初の録音から12年後ということになる。

 では内容はどうかというと、今はどこにも出ていない1回目の録音の方が圧倒的に優れている。何が違うかと言うと、オーケストラの演奏がユージン・オーマンディの指揮するフィラデルフィア管弦楽団の方が終始高い緊張感をもって、理想的と言えるほどの素晴しい演奏を行っていることだ。私の趣味で言わせてもらえば、数あるこの曲の演奏の中でも圧倒的な名演と言えるのではないだろうか。

ユージン・オーマンディという指揮者は特に私の好みというわけではなく、ある種の管弦楽曲には聴くべきものも残してはいるが、ベートーベンやブラームスなどといった重厚さをもった作品となると何とも軽く、ただフィラデルフィアトーンと云われたきれいな音だけが売り物で、まったく中身が感じられないといった、むしろ印象の薄い指揮者だった。しかし、そのオーマンディも何故かソリストを招いてのコンチェルトにはいつも抜群の冴えを見せており、さぞかし共演したあらゆる楽器のソリスト達も気持ちよく乗って演奏できたのではないかと想像される。とにかく今回のテデスコの協奏曲にしてもオーマンディは抜群のサポートを見せている。いやいやサポートどころかこの曲の理想的な形を示しており、充分な感動をもって聴くものの心に迫ってくる。その表現力は、一度この演奏を聴いてしまうと他の奏者の演奏がどうしても物足らなくなってしまうほどだ。あまり意味は無いかも知れないが、2種類のレコードの演奏時間を比較してみると、1回目の録音が1楽章から3楽章までのトータルで19分と28秒。2回目が20分と38秒。2回目の方が1分と10秒も長い。勿論演奏が遅いからいけないなどといっているのではない。1回目のユージン・オーマンディの方は抜群のリズム感と歌いまわし、そして素晴しいアクセント、全ての楽章を比類ない豊かな表現力でもって演奏をしており、テデスコの魅力を充分に発揮しつくしている。従って24歳のジョンもこれ以上ないほどの素晴しい演奏を繰り広げており、結果、先ほどもいったように数あるテデスコのコンチェルトの中でも最高の名演となっている。それに比べて2回目の録音のときの指揮者、チャールス・グローブスの演奏のなんと覇気のないことか。めりはりのないこと夥しい。リズムは弾まず、ただ中途半端にだらだらと音を出しているだけ。途中で時々入る管楽器や打楽器も、なんだか突然入ってきたようで、とてもその音に必然性が感じられない。しかもそんな内容で1分以上も長い時間をかけているため、その緊張感のないことといったら聴いていて腹立たしいくらいだ。おかげでジョンの演奏もテクニックはいつもながら素晴しいのだが、なんとも覇気がなくて起伏も乏しい。そりゃあバックでこんなにだらだらとした演奏をされた日にゃあ、さすがのジョンも・・・、といったところだろう。特に3楽章の生気のなさといったら「おめぇら、ええかげんにせんかいや!」と言いたくなってしまうほど盛り上りに欠け、申し訳程度に一番最後だけ、「あっ!もう終わりだ、ここで少し盛り上げとかなくちゃ!」といった感じでなんともわざとらしく速度を落とし、あとは音量だけ上げておしまい。チャールス・グローブスという指揮者は百選練磨、大英帝国からサーの称号ももらっており、それなりに重要な実績も残している指揮者だ。にも関わらずなんとも歯がゆい、しかも恥ずかしい実績を残してしまったことだろう。おそらく想像するにチャールス・グローブスはテデスコの音楽世界を理解しないまま録音に臨んでしまったのではないだろうか。理解不能なまま録音の話がまとまり、仕方無しに楽譜に書いてあるまま棒を振ったのではないだろうか。なぜならチャールス・グローブスはそれまでにも幾度となくジョンと共演をしており、それなりに名演奏を残している。(勿論他の管弦楽曲でも多くの素晴しい演奏を残している)ドッジソンのギター協奏曲の1番とロドリーゴの「ある貴神のための幻想曲」、そして今回のテデスコの裏面に入れている同じくドッジソンのギター協奏曲第2番など、どれをとってもなかなか良い演奏をしている。なのにである。なんでこのテデスコのコンチェルトだけがこんなにも駄演なのか。私には明らかに「チャールス・グローブスという指揮者の性に合わなかった」としか思えない。そうでなければ、これほど緊張感のない駄演がそのままレコードとして世に出ることを彼が許すはずがない。きっとその演奏がテデスコの音楽世界をとても表現していないということにすら彼は気付いていないのではないだろうか。
それにしても皮肉なもので、グローブスにとっては生涯の駄演がいつまでも残って、何度もジョンのテデスコとして再発されている。おかげでジョンはその演奏の12年前、世紀の名演を残しているのにもかかわらず、凡庸な演奏のみが残り、いつまで経ってもジョンのテデスコは話題に上らないでいる。どうしてそんなおかしなことが起るのか。勝手に想像するに、マスターテープに何らかの事故があったか、あるいは政治的問題か、はたまたレコード会社の連中の見る目、いや聴く耳がなかったのか。24歳のジョン・ウィリアムスの名演、そしてユージン・オーマンディの名サポートによるテデスコのギター協奏曲の理想形を皆さんにぜひ聴いていただきたいと切に望むものである。


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