<あれも聴きたい、これも聴きたい> ミューズ編
村治佳織さんのコンサートを聴きに行った。それも神奈川県の平塚まで。
大阪から延々500キロ、朝早く車で出て行きました。
何故かというと、以前より私のSR(PA)システムを実際のホールで試してもらうことになっていて、かなりの機材を持参していく必要があったからです。
今回の公演では、事情によりこのシステムは使用できませんでしたが、効果に関しては良い評価をいただきましたので、近々乞うご期待といったところでしようか。
まずプログラムを紹介しておきます。
1.M.テオドラキス/エピタフィオスより
①不死の水 ②わが星は消えて ③五月の日 ④君は窓辺にたたずんでいた
2.F.タレガ/ヴェニスの謝肉祭による変奏曲
3.J.ロドリーゴ/小麦畑にて
4.武満 徹/ギターのための12の歌より
①ロンドンデリーの歌 ②ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア ③ヘイ・ジュード
5.A.バリオス/森に夢見る
休憩
6.C.ドヴュッシー/月の光(E.サインス・デ・ラ・マーサ編曲)
7.E.サティ/ジムノペディ 第3番(C.パークニング編曲)
8.吉松 隆/水色スカラー
①前奏曲 ②間奏曲A ③ダンス ④間奏曲B ⑤ロンド
9.C.ドヴュッシー/亜麻色の髪の乙女(J.マーシャル編曲)
10.F.クレンジャンス/2つの舟歌
11.M.ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ
12.ディアンス/サウダージ第3番
これにアンコールとしてアルハンブラの想い出とS.マイヤーズのカバティーナの2曲。村治佳織さんがイギリスのデッカに移籍して作った2枚のCDの曲目をもとに組まれたプログラムですね。
さて肝心の演奏はどうだったかということですが、それはまさにミューズが舞台に出現したと表現したいほど。私の経験したギターのコンサートの中でも最上級と言えるほどの内容でした。全てに無駄がなく、そして音楽の表現には疑問をはさむ余地がまったく無い。恐らく演奏された作品の最高度の名演と言えるのではないかとさえ思われました。音色とその変化、音の強弱、抜群のテンポ感、そして素晴しいスピード感。作意など微塵も感じさせないながらも、従来のギター演奏の常識を次から次へと覆していき、まったく新しい音楽を聴かされているような新鮮さが本当にうれしい。これ以上は何を望むことがあるだろうかといった思いすら感じさせます。
目を閉じて聴いていると、今音楽を奏でているのが若い女性であるということが信じられないほど大家の風格があり、かといって大家に有り勝ちな「年輪」とか、場合によっては「個性」という名の独りよがりなどまったく無い、音楽そのものを聴くことができたコンサートでした。
タレガの変奏曲は華やかな表現のテクニックをまったく感じさせない、落ち着き払った余裕充分な名演。
武満 徹の3曲は、今まで聴いた中でも感動を初めて味わうことのできた演奏。
バリオスの曲にいたっては不覚にも目頭が熱くなってしまった。
ドヴュッシーの2曲は印象派の作品で、しかもオリジナルが当然ピアノ。ギターでは、しかも生の舞台ではどうか?と不安視していたのですが、それがまったくの杞憂であったことが実際の演奏に接してみて知らされたほどの卓越した表現力で驚嘆。
最後のディアンスでは、はつらつとした音と抜群のリズム感、そして余裕たっぷりの間。
いずれをとっても音楽としての最上級の内容です。
しかもアンコールにあのアルハンブラをもってくるとは。なんという大胆さ。そしてなんというサービス精神。これも舞台で聴いたこの曲の中では最高のもの。
これほど美しく弾かれたギターのトレモロを、私は今まで聴いたことがありません。
そして参ってしまうのは、舞台上での彼女の立ち振る舞いの見事さ。一幅の美人画か名人の舞を見るよう。
お別れに楽屋前で思わず握手をしてもらいましたが、その時はいつもの私たちが知っている「かおりちゃん」でした。
尚、演奏しているところの写真を、せめてリハーサルの時にでも撮りたかったのですが、どうしても言い出せず、今回は村治さんが舞台に現れる前の写真のみになってしまいました。 内生蔵 幹
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