村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

指田日記(さしだ)

2019-02-21 10:05:30 | 日記
武蔵村山市には天保5年から明治4年まで、激動の幕末の風習、祭礼、政情などを指田摂津正藤詮が日記として残しています。
武蔵村山市の指定文化財になっています。
中藤村の陰陽師でしたから、かなり天変地異などが詳しく記録されています。
また、今は貯水池となって消えてしまった村の事などがわかります。

天保の飢饉、強盗、追剥、桜田門の変の回状、など。
弘化4年3月24日、夜5ッ時地震、信州善光寺近郷、山崩れ地裂け人馬の死、数知れず。(善光寺地震)

嘉永5年2月2日四ッ時地震、小田原大地震。

安政2年10月2日夜四ッ時大地震、倉庫破裂す、明け方まで7,8度に及ぶ、江戸所々焼け、吉原近辺別して大地震・火事、存命の者十にして二、三に過ぎず、江戸中にて20万余の死人と沙汰あり。(安政地震)
3日今朝も地震。昨夜、十王堂の石碑十にして九たおる。予が家の碑一つも倒れず。
と書かれてますが、4日知人が来て終日酒宴。安政の地震の2日後に一日中宴会していたとあります。

全体に気候が寒かったような記述があります。
彗星が見えたり、地鳴りがしたり。

強盗を捕まえて、処刑したので生き胆(肝臓)があるので、欲しければやるぞ、犯人を知っているので断ったとか。
かなり治安が悪かったようです。

かなり興味あることが出ていますので、おりおり書いてゆきます。



  (/・ω・)/

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