村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

神風特別攻撃隊

2021-08-11 17:12:30 | 日記
今の時期になるとこの事を書かねばなりません。
叔父が特攻要員でした。
昭和19年7月海軍予科練に入り、半年の訓練後、20年1月、茨城の百里ガ原航空隊に入隊しました。
99式艦上爆撃機22型のパイロットでした。
もう飛び始めたころは制空権があまりなく高空を飛ばないように言われていたそうです。
計器を見れば機体の状態がよくわかるそうです。飛行機は立川飛行機製で故郷の工場製のものでうれしかったそうです。

特攻が始まると搭乗員が少しずつ減って行きました。それも優秀な性格の良い人から出撃していったそうです。とくに叔父に言われたことで胸に残ったことは、先輩の出撃の様子です。
仲の良い人で風呂で背中を流しあっていろんな話をしたようです。
突然出撃になり叔父さんは見送りに行きましたが間に合わなかったそうです。
宿舎に行くと壁一面に模造紙で敵艦轟沈、大きくいろんなことが書いてあったそうです。

搭乗員は死ぬのは怖いとは思わなかったそうです。ただ敵艦を沈める事だけだったそうです。
洗脳教育を受けたのでは?と終戦後、言われてかなりいやな思いをしたそうです。
叔父は特攻隊員もちゃんとした判断のできるまともな状態だったということをみんなに伝えてくれといってました。ほかの隊員の遺書が残されているのを見ても、ちゃんとした判断ができ優しい言葉が残されています。



      (-_-)

コメント
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