村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

本年度最後の日

2016-03-31 21:21:10 | 日記
あと数時間で新年度になります。
日がたつのは早い。

というところで、今週は武蔵村山市民会館で織りと大島展示会がありました。
地元ですから来訪者も知り合いが多く見えました。

小学生がコースターの手織りをしましたが、どの小学生も見事に織れました。
なかなか器用なんでおじさんたちびっくりポン。こうは行きません。

製造工程のDVDも熱心に皆さん見ていました。これがきれいな画像で。
とても落ち着いた雰囲気で、充実した時間を持つことができました。
いろんな展示会に行きますが、なかなか雰囲気の良い展示会でした。


4月2,3日には織物組合事務所近くのカタクリの湯入口付近で桜祭りのイベントがあり
当組合でも着物を皆さんに着てもらうために参加します。

でえだらまつりにも若い女性に着てもらいましたが、これがなかなか良いのです。
個人的な感想で高校生ぐらいが、わりと地味系を着ると似合います。

会場では出店もあるようで、先ほど見ましたら五分咲きぐらいでした。

以前は仕事を早じまいにして村山貯水池で宴会をするのが恒例でした。
あのころは、たき火をしながらの花見でした。

(^.^)
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あれから

2016-03-11 14:33:33 | 日記
村山大島紬は昭和の40年代50年代に誘致工場として東北で多く生産されていました。
というわけで、若い時から各地の工場に行っていました。

もう30年前の事ですが、宮城の工場長が南三陸町志津川のホヤを食べに行こうというので行きました。
堤防の所では魚を釣っていました。足元には霧が流れていました。
近くの食堂でホヤとイカを食べた記憶があります。

八戸から三陸を通って女川、大船渡を経て仙台まで車で走りました。
直接東京へ戻ったほうが早かったです。
陸前高田の駅を探しましたが、そのはるか上まで津波が上がりました。
大船渡では海面より4~5M高いところに道があり、お祭りの曲が流れていました。

リアス式海岸は海から直接山が出ている感じで、山の海よりに土地が少しあって
そこに人々がへばりついて住んでいる感じです。
現地で明治三陸津波の放送を聞き、ここに津波が来たら大変と思っていました。
おおきな大変立派な防波堤があり、真ん中に赤い色をした鉄の扉があったのをよく覚えています。

震災後、八戸の知り合いと何日も連絡が取れず他から津波で全滅という間違った情報がありました。
後で八戸市で液状化対策がしてありなんともなかったことがわかりました。

自分は病院で定期健診中、すぐに館内放送で検診中止が流れ、医者は非常呼集でいなくなり、
待合で待機、なぜかテレビで海の放送がずーと流れています。
医者が戻って来ないので、予約をして家に戻りました。
自治会長だったので、自治会館に行き被害がないのを確認して家に戻りました。
その後、寄付金あつめ、あっという間にあつまり赤十字に。

自分が行ったところが被災し、あの堤防が形がなくなり、ホヤを食べた食堂が消えてなくなり、
うーんなんとも言えない。
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