村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

こんなことって!!

2018-09-22 18:28:36 | 日記
隣町の歯医者さんに出かけて、まだ30分早いからスーパーにでも行って時間合わせしよう。

と言うことでスーパーでざっと買い物して、あと20分あるから大丈夫。
どうせなら、あのきれいなレジの店員さんの所へ行って、待っている人も一人しかいないので並ぼう!
所がいつになっても前の人のレジが終わらない、別に遅いわけではないようだが?
なんかうろうろしているな、後10分しかない!まだか!向こうのレジは3人以上終わった!
まだ終わらない、レジで待つのはつらい、まだ終わらない、いつまでやってるんだ。

じっとレジおばさんをにらむ、プレッシャーがかかったか?
「まだ」いったいどうするとこんなに時間がかかるんだ。
ようやく自分の番が来て、一人にこんなに時間がかかるのは奇跡に近いとして注視。
ジー、なるほど実に無駄な行動が多い!!遅いわけだ。

おばさんをじーっとにらむ、そこは美人の特権で「ニコッと,(^^)/」
それで許される、急がないと歯医者に遅刻、生ハム2個とピーナツクリームとせんべい一袋。
うーん手際が悪すぎる!
広島まで新幹線で4時間に行けるのに10分近くかかったら新横浜まで行けると思ったりして。

いつもの癖でレジ打つ人の名札を見る。
この前は「真」さん、「まことさん」と言う苗字でした。
かなり変わった苗字があります。平均して地元の苗字は少ないのです。
あっちこっちから出てきた人たちがこの辺に東京近郊に住んでいるわけです。

武蔵村山市では2万人強ぐらいが地元の人で残りの4万数千が移住してきた人です。

  ('◇')ゞ



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どっちがどっち?

2018-09-15 17:57:13 | 日記
生まれも育ちも関東の人は中国地方の事がわからない人が多い?
だいたい中国地方と言うのがピンとこない。中心地は北京か?ぐらい。
兵庫県と岡山県の区別がつかない。広島県と岡山県も。
さらに島根県と鳥取県の区別がつかない。
島根県は鳥取県の左側、出雲大社は中間付近。
和菓子がおいしいのは島根県の松江、牛乳のおいしいのは鳥取県産。

家の奥さんは広島出身なんで群馬県と栃木県と茨城県の区別が付きません。
ふたことめには、「東京は地方の人が集まってできているのよ。」
こっちは戦国時代からずーとこの地に住んでいるんだ。(たぶん)

安芸の宮島は宮島の秋はきれいだから、日本三景に秋の季節だけ選ばれていると思っていました。
秋の宮島→安芸の宮島、あきは広島の古い呼び名でした。

伝統工芸展へ行くと全国から品物が集まってきますから、あの茶碗は福岡、あのタンスは岩手、
と身近に感じます。
若い時からあちこちに行ったので、距離感がありません。
武蔵村山の隣が岩手県ぐらいの感じです。普通の人は違いますよ。

島根県の包丁。


博多の袋物。


京蒔絵。


長崎の三川内焼


  (^^♪


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おやまあ!!

2018-09-10 14:46:22 | 日記
日本中で災害の連続で大変ですね。
台風で大阪がやられ、あれっ地震じゃないの?今度は水害。
北海道は恩師がいて、先生どうなった?教え子がラインで安否の確認。
広島豪雨の時は、うちの奥さんに実家どうなった?
関東地方は無事ですが、暑いのと少雨て畑の出来が悪いです。

農家のおばさんが、ネギどう?腐りが出てるそうで、白菜種蒔いたら枯れてしまった、とか。
で、広島や北海道よりはましだと肩を落としています。
家庭菜園でダイコンの種まきしていると、虫の声がしません。
塩からトンボが飛んでいるだけで。今年は蝉の声がほとんど聞こえませんでした。
おかしい!!

平安後期の鴨長明の方丈記に天災の事が記されていますが、過去にもいろんなことがあったようです。
裏の狭山丘陵は浸食で崖などが見えますが、火山灰が厚く積もっている関東ローム層が見えます。
いつだったか浅間山の火山灰が屋根瓦に積もったことがありました。

他人事でなくいつこの辺もどうなるかわかりません。

 (*‘ω‘ *)

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震災

2018-09-01 09:45:35 | 日記
関東大震災が90年以上前におきました。
東京西部の武蔵村山では大きな被害は出なかったようです。
古老からよく聞きましたが、子供の時だったので茶碗持って食べようとしたら揺れだしてご飯が食べれなかった。
とか一週間ぐらい余震があったとか言っていました。
この辺は多摩川が作った武蔵野台地なので振動が吸収されて建物が倒壊と言うことにはならなかったですが。
父の実家では竹藪があったのでそこにしばらく非難したそうです。

それよりデマが飛び交いそちらの方が怖かったようです。
それは朝鮮人暴動が起きこちらに暴徒が向かっているというデマでした。
自転車で立川の砂川に様子を見に行って今どこまで来ているというデマを持ち帰り
みんなで公会堂に集まって息をひそめて居たところ「パン」と言う大きな音が聞こえ
鉄砲を誰かが打ったと思いパニック。よく調べたら自転車のチューブか壁にかけてあり昔のは弱かったので自然に破裂しただけでした。
暴動と言うのもなかったし、地震よりデマが怖かったそうです。
またその近くの山で薪拾いをしていた人が強風が吹いて東の空を見たら真っ赤だったということです。

以前、東北の旅館で震災の写真があると言うので見せてもらいました。
たまたまカメラを持っていたので東京で地震があったので記録しておこうというので岩手から撮りに行ったのでした。
浅草周辺らしいのですが、炭になった人間が大勢映っていました。

3.11の地震の時はたまたま定期検診の日で医者に血圧を測ってもらった直後、医者が地震にすぐに気づきました。
すぐに非常呼集が医者にかかり待合で待つことになりました。
大きなテレビが海をずーと映しており、海で地震が起きたことがわかりました。
いつになっても医者が戻ってこないので、救急に備えているのだろうと思ってました。
何度も余震の大きいのが来ましたが、大きなテレビの取り付けが良く全くブレませんでした。
30分ぐらいしても戻って来ないので、当然全部の部署で診療中止でしたが、予約を取って帰りました。
後で聞いたら、集中治療室に行って患者を診ていました。

自治会長だったので自治会館が古いので大丈夫かと思って確認しに行きました。
なんともなく万が一のために備え付けられている緊急工具を確認しました。

それから交通機関が止まり帰宅騒動が始まりました。
   (>_<)


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