村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

秋日和

2019-09-27 21:35:04 | 日記
畑にようやく白菜の苗を植えて定着したかどうかを見に行くと、隣の家の庭が騒がしい。
よく見るとウッドデッキの修理をしていました。
だいぶ木が痛んでいます。大工さんが来て、いたんだ部分を切ったりしています。

午後になるとお母さんが額に汗をいっぱいかいて材木にペンキを塗っています。
そのうちにかわいい小学年生の息子が手に刷毛をもってお手伝い、なかなか見事です。

あらっ今度は、お姉ちゃんがお手伝いでペンキ塗り、「アリが出てきた」と言って大騒ぎ。
そのうち弟とバトンタッチ、少しづつデッキが出来てきました。

「このデッキでバーベキューするの」「おじさんも来ない?」
「じゃ、この畑の大根を取って食べよう!」「野菜はいっぱいあるし」
「ところでお母さんのお父さんはいくつ?」「65です、昭和29年生まれ」
「えーそれじゃ自分と同級生」

隣の奥さんは一般的には自分の娘のような年齢で、息子は孫のような年齢。
そもそも、自分が若い頃に奥さんの出身地の近くの北陸の町に住んでいたので、なんとなく懐かしく親しみがあります。

この家庭菜園で耕運機をかけたり、ビニールハウスの風の音がするので、時々お詫びにナスやトマトなどをあげます。

今年は天候がいまいちなので出来が良くありません。
はたして白菜を持って行けるか?
大体大丈夫でしょう。大根もあるし。

いろんな所から当地に移り住んできています。
元から住んでいる人は、三分の一ぐらいの少数になっています。
元は畑だった所に家が建っています。
隣の家は以前は狭山茶の畑でした。

そこに家がいっぱい立ち、子供がいっぱい大声を出して遊んで、「ここは子供の声が聞こえて羨ましい」と言われていました。
  
       (^^♪



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敬老祝賀会

2019-09-16 14:24:45 | 日記
特別養護老人ホームの役員を20年以上しています。
毎年祝賀会に出席しています。

今年も出ました。
100床なんですが、利用者さんたちを見ると「どんな生活をしてたんだろう?」と思ってしまいます。
現在特養に入りたくても入れない人がたくさんいます。

今年は全国で100歳以上が71,000人ぐらい、うち男が8000人ぐらい。
この年齢の男性は、戦死が多いです。

以前、手押し車で小さな人形を乗せビニール袋に入った佃煮をぶら下げて、廊下をぐるぐる徘徊しているお婆さんがいました。
またしきりに煙草をせがむおばあさんがいましたが、職員があげません、健康に気遣っているのかと思いましたが、生活保護のため煙草を買うお金が無かったのでした。

「子供たちを一生懸命育てたのにこんな所におしこめて」という人と「食事から身の回りの世話までしてくれて天国だ」という人もいます。

以前、ホームから脱走する人がいて大騒ぎしていました、行く先は自分の生まれた家の方に向かうのが多いです。なぜでしょうか?

ほとんどが会話ができずに、やっと車いすに乗っているのです。数人は自分の足で歩くことができるようです。何もわからないように見えますが、先日我々役員が会場から退場していると、一人の品のいいおばあさんが我々を両手を合わせて拝んでいてくれました。

特養は経営が大変で、特に給料が安いので人が集まりません。人集めが大変です。
戦闘機1機でどれほどの人が助かるでしょうか?
金儲け一筋の人もいつかはこうなりかねません、少しは介護のことを考えてみませんか?



       (-_-メ)



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武蔵野

2019-09-11 10:14:03 | 日記
国木田独歩の随筆に「武蔵野」というのがあります。
ずいぶん前から知っていましたが、武蔵野に住んでいるので読むのは「まあいいか」と思っていましたが、
読んでみると、実に見事な文章でした。

以前にも書きましたが60年前にはまだススキの生えている所が多くありました。

この明治中期に書かれた頃は、ススキの野原だったようです。
刀の鍔に武蔵野図というのがありますが、だいたいしずくの付いたススキと月が書かれています。
日本画にもススキやキツネ、月が書かれています。
月見の名所、武蔵野。
この文を読んで昔はいいところだったんだと言う事を思い、爺さん婆さん以前はずーっとそれが普通だったんだと言う事に気が付きました。
こういう中で村山大島が生まれたんですね。

東京遷都になってから変わりだし、昭和の40年代から宅地開発がされ武蔵野がなくなってきました。

今わずかに狭山丘陵にその面影が残っています。



  野山北公園、里山

       (/・ω・)/

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関東大震災

2019-09-01 11:16:16 | 日記
大正12年9月1日 関東大震災がありました。
直接体験した人にいろんな事を聞いております。

ここ武蔵村山では建物倒壊という被害はなかったそうです。
父はまだ生まれていませんでしたが、みんなで竹藪の中で数日過ごしたそうです。

昼だったので、子供の時茶碗を持っていて揺れてご飯が食べられなかったそうです。

余震は一週間ぐらいあったそうです。

ほとんど地震による直接の危害は、この辺ではなかったようです。
ところが、朝鮮人暴動のデマが飛んできて、地区会館にみんなが集まっていました。
立川の方に様子を見に行って、暴徒が近くまで来ているとの事(デマ)でみんなで息を潜めていると
突然「バン」という大きな音がして「鉄砲だ」と思ったら、壁にかけていた自転車のチューブが破裂していただけでした。その頃のチューブは弱かった。
地震よりこのデマ騒動のほうが怖かったと話してくれました。

岩手県に行ったら、この震災を見に行こうとカメラを持って行った人がいまして、その写真を見せてもらったら、まる焦げの死体が大勢写っていました。

鎌倉もかなりの被害で、崖が大きく崩れている写真を見せてもらいました。

杉並にお寺に行ったら、関東大震災と東京大空襲で一家全滅が結構あるそうです。



     (-_-メ)
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