村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

花火大会

2018-08-25 22:16:42 | 日記
今晩19時30分から1時間、織物組合の北側にある野山北公園で第40回武蔵村山市観光納涼花火大会が開かれました。
織物組合の2階からは良く見えました。
動画と写真を撮りましたが、今のカメラは自動でピントが合うので花火を映すとなかなかうまくゆきません。
昔は自分で操作をしたんでまあまだったんですが。マニュアルでも難しい。

花火はカメラで見ると真っすぐに上がっていません。あちこち曲がっています。
ずいぶん写しましたが、風向きによったり、映ってはいけないものがあったり、(心霊写真ではなく)もう
電柱、テレビのアンテナ、電線、街路灯、じゃまっす。



今回は動画も撮ったんですがアップできず。
外では車が渋滞、バス待ちの人の行列、なぜかパトカーがいてそのうち前の駐車場で休憩モード。

そんな中、安全協会の人たちが走り回って交通整理。偉いね。



もう40年もやっている、近隣の市でも結構以前はやりましたが今は僅かです。
以前は会場警備をしたり、通行止めしたり、知り合いが宴会していたりして。
狸が目の前を通ったんで、配られた弁当のてんぷらを「食べろ」とやったり。
でも会場は無線連絡して不発の監視をしたり天気の心配をしたりして大忙しなんです!
以前はかなり事故があり、係員緊張していました。
(きんちょうの夏)ホント。
ほとんど係員をすると花火を見ている暇がないです。(10年しました)

次の日は早く起きて球クズ拾い、まえに不発が破裂してやけどしたりして。

打ち上げ現場に近いと燃えた火薬がばらばらかなり落ちてきますし、煙が流れてきます。
打ち上げ現場はもう戦場。

   もう一度 きんちょうの夏  ( 一一)  






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秋田犬

2018-08-17 19:53:16 | 日記
近くに巨大ホームセンターがあります。
そこにちょくちょく行きますが、そこには犬も売っています。
ポメラニアンが好きなんでよく見に行きます。
今回、犬を見ていたら、そういえば、突然に昔の事を思い出しました。

もう40年以上も前なんですが、染色工場に大きな秋田犬が紛れ込んできました。
「お前の来ると所じゃないよ」とよく言い聞かせたんですがまた来てしまいました。
迷子の犬だから隣が交番だし犬の落とし物を届けに行こう、ということで届けに行きました。

交番の中においてきました、しばらくすると交番から電話がかかってきてすぐに来てくれとのことでした。
交番の中に閉じ込めてきたのですが、おまわりさんが犬に弱い感じ?。
結構な迫力です。チワワやポメラニアンとは違います。
交番の中の部屋からドアを少し開けておまわりさんが犬の様子を見ました。

落ち着いて考えるとわかるのですが、ドアと言うものは上を開けると下も空きます。
一枚戸なんで、そのことをすっかり忘れたおまわりさんは様子を見にドアを少し開けました。
そしたらその大きな秋田犬がそのおまわりさんの股の間に首を突っ込んでしまいました。

おまわりさんあまりの事に身動きできなくなってしまいました。
面白いからしばらく見ていて、おまわりさんなんだから犬なんか大した事でないだろうと言うことで
そのまま工場に帰りました。
しばらくするとまた電話があり「どうにかしてくれ」というのでまた交番に行くと
「落とし主いましたか?」「該当者なし」犬と遊んでいると保健所が檻を持ってきました。

ひとまず保健所が預かるということで、檻にどうやって入れるか?保管所職員も怖がってそばに来ません。
入り口の引き戸を少し開けてその前に檻を置き、檻の向こうに食べ物をちらつかせ、
こんな簡単な事に引っかかるわけがないと思いつつ「こっち来い」と言うと、のこのこ簡単に檻の中に入りました。

それで、保健所が保護と言うことになりまして、後はどうなったかわかりませんが、おまわりさんに
後からお礼を言われました。
40年もたつのによく覚えていること。
めでたしめでたし。

  (^^♪



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神風特別攻撃隊

2018-08-04 10:48:59 | 日記
叔父が海軍予科練に入隊したのは知っていましたが、搭乗員だったのは数年前まで知りませんでした。
自分に話したいことがあるというので、数年前にその話を聞くことになりました。

昭和19年7月予科練に入隊して訓練を受け、20年1月に茨木の海軍百里が原航空隊に配属されました。
今の航空自衛隊百里基地です。
19年10月から特攻が始まり、各基地から大勢飛び立ちました。
叔父たちは飛行機やガソリンが少なくなったのでろくな訓練を受けることなく、爆弾を抱えて飛び込むことを教わったのでした。
昼は制空権を握られていたので林に隠れていて夜活動していたようです。

米戦闘機がかなり低空で侵入してきたので、パイロットが見えたそうです。
叔父たちは林の中に隠れてじーっと見ていたそうです。向こうも見ていたそうです。

特攻に行った搭乗員は優秀で性格もよかった人が多かったそうです。
先輩と風呂で背中を流しあったりして、その人が特攻に行くときの話を聞いていましたが、
出撃命令を受けたら出て行くだけで、何も怖いとは思わないそうです。
段々と隊員が減ってきて、事務的に事が進んで行くそうです。

隊員は特攻兵器ではなくちゃんと意思を待った人間であった。
特攻の作戦を聞いたときは、俺たちはこれでは機械の部品ではないかと思ったそうです。
ちゃんと血の通った人間であった事を後世の人に伝えてくれと叔父は話していました。

搭乗機は99式艦上爆撃機22型機体番号は リ-22だったような?
たまたま立川で製造された機体だったそうです。
特攻の話を聞いてくれる人がいなくて、また理解しようという人もいないので叔父はそのことを話さなかった。
一般に戦争体験者はほとんど口をつぐんでしまい話そうとしません。

二十歳前の健康で優秀な若者が半年の訓練で下士官搭乗員になり特攻戦死。
あっと言う間にいなくなります。
大勢の方が亡くなり。


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