村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

人間国宝

2018-04-26 12:13:32 | 日記
今から40年も前なんですが、その頃は東京で全国織物競技会というのかありました。
そこでは全国から選りすぐりの着物が出ます。
そこの実演に西陣織のお爺さん、塩沢のお婆さん、が来ていました。
両者重要無形文化財保持者、人間国宝で、お会いしたら、ものすごく落ち着いた重厚な雰囲気の人々でした。
今言うオーラが出ているという表現でしょうか?
技術の習得の上に人間性の完成ができているんだなと思いました。
その雰囲気に圧倒された覚えがあります。

問屋の人、審査員ですね、品物の説明をしてくれます。
我々製造の意図がわかってくれていてうれしく思いました。
どこにどういう技術が使われているか説明しています。

ズラーと並んだ着物の展示にミス着物準ミス着物のお嬢さんたちが着物を着て花を添えてくれます、特に襟足がきれいでした。
そのお嬢さんが電線を足に引っ掛けてしまい、大きなライトが大きな音を立てて倒れたのです。
「ガッシャーン」そのことをよく覚えています。

 

    (*‘ω‘ *)




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春を通り越して

2018-04-20 11:01:17 | 日記
暖かい日と、寒い日があり調子がいまいちです。
この頃は、狭山丘陵が一番美しい季節のように個人的に思います。
市民体育館の奥に小さい沼があり、新緑の木漏れ日にその沼地が写りとてもきれいです。
ただきれいではなくその上に縄文の遺跡があり、たぶん古代人もその湧水を使ったでしょう。
その風景を古代人も見ていたのかと思います。
狭山丘陵の小高い丘で、そばに水がある日当たりの良い場所を選んで縄文人は生活していたのでしょう。

この事務所がある旧横田村の北にカタクリの湯という温泉がありますが、その両側にも遺跡があります。
ここも田んぼで以前は東京サンショウウオが住んでいて、長いコンニャクのような卵を見ました。
オタマジャクシも。
たぶん稲作もしていたんでしょう。
まだ田んぼが少し残っています。
その奥の方に、カタクリの群生地があります。

50年前には、この辺は田舎で自然がいっぱいでした。
一気に人口増加になって。自然が少なくなって。

      (/・ω・)/







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横田

2018-04-13 14:39:03 | 日記
横田と言うと今は米軍の横田基地を指しますが、本当は武蔵村山市の地名なんです。
戦中の米軍の地図に横田の地名が入っていたために、横田基地になったそうです。
今は武蔵村山には横田の地名が無く本町に変わっています。
織物組合前にバス停がありまして、わずかに横田の地名が残っています。



この奥に織物組合があります。
先日、着物を洋服に仕立てられた人が組合に見えました。
大変よくお似合いでした。




武蔵村山は以前は村山と呼ばれていまして、村山大島紬はここからきています。
北側に多摩湖(村山貯水池)がある所として有名です。



今は水道局が周りをフェンスで囲ってしまい、歩いてでないと写真が
なかなか撮れないようになってしまいました。


   (^^♪

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