村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

麒麟が

2020-01-20 14:00:55 | 日記
NHKでドラマが始まりました。
麒麟が来る、お中元が始まったような題名。

初放送を見ましたが、衣装が派手目。
この頃は、当然化学染料がないから植物天然染料で染めたのです。

草木染を研究していた時に、特に茜を使ったときになかなか赤くなりません。
茶色になってしまいます。
茜の根っこを何度も何度も水に浸して茶色の成分を取り去ってもう茶が出ないようになったものを
煮出して、それも一回目、二回目、三回目を使って炭酸カリウムで媒染すると赤色が出ます。
染める時に使う水質により色が違ってきます。
狭山丘陵では鉄分が多いので鉄に反応して鮮やかな色が出ません。
昭島の水は、鉄分が少ないので鮮やかな色が出ません。
そうやって、植物から余分な成分を取ると鮮やかな色が出ます。

染色をしながら、かつては鮮やかな色を着ていたのでないかと思っていました。
草木染というと渋い色のような感じを受けますが、かなり鮮やかな色も出たでしょう。
何度も何度も染めて色を定着したことでしょう。
  (*^-^*)
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令和2年1月14日

2020-01-14 10:38:25 | 日記
今年も、もう14日になりました。
昨日、成人式も終わり新しい年の本番になりました。
なんか、今年は暖かいですね、いつもなら寒い寒い寒稽古のはずなのですが。

年末に狭山丘陵を散歩してみたのですが、大勢の人が歩いています。
自転車で通ったり犬を連れて散歩したり、夫婦で仲良く手を繋いでいたり。
ほのぼのとした雰囲気がただよっています。

かつてこの道は武蔵国分寺を作る時に、屋根瓦を運んだであろう道、新田義貞が
鎌倉を攻めた時に通ったであろう道なんですが。
誰も見た人がいないんで、あろうですが古道であることには間違いありません。

江戸時代にはイノシシが出て作物を食い荒らされて、瑞穂、村山、大和一緒になって
駆除したという記録があります。
曽我兄弟が植えた大きな松の木が子供の頃ありまして、五郎松と呼ばれていました。
狭山丘陵の中に古道が通っていた証拠?でしょう。



この辺が太田道灌が陣を張った所という伝承がありましたが、どうみてもこんな狭い所には
陣をおけません。西の眺めがいいので見張りでも置いたんでしょうが、大将山といいます。
今は南側がミカン山になっています。



前方が横田基地です。

  (/・ω・)/


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