村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

新年度

2016-04-14 17:54:00 | 日記
新年度が始まり、フレッシュスタート。
織物組合は役員改選になります。
任期は2年です。以前はだいぶもめたことがあるようです。
今は後継者育成とか産地の技術を伝えるとかいろいろあります。

この地には奈良時代に朝鮮半島から帰化人が織物の技術を伝えたようです。
埼玉の高麗川というところに神社がありその帰化人の集落があったようです。
というか、この武蔵野の開拓は帰化人がしたのではないかと思っています。

どっちにしろ、織物の歴史は千年以上はあるわけです。
この武蔵野というところは、原野であったようで、人が住めるような場所では
なかったような気がします。というのも、水がないのです。
したがって古い建物など中世のものがほとんどありません。
コメが取れないから、麦を作る。で、うどんを食べる。

前の横田基地ができる前には、キツネが住んでいてよく人を化かしたそうです。
キノコの山もありました。
玉川上水ができてから畑ができるようになった、大変苦労したことと思います。
その武蔵野を開拓したのが、武蔵村山の人が多かったそうです。

裏山の狭山丘陵にはこれからいろいろな花々が咲き出します。
桜の次はつつじ、かたくりはもう終わったか?
水たまりにはオタマジャクシでてきます。
以前はカエルの大合唱が聞こえたのですが、宅地開発で今は、ほとんど聞こえません。

狭山湖上流には小川が流れていたり、崖があったりします。
二輪草の群生地があったりします。
そこには大昔に多摩川が流れていました。
その辺の小川にもちゃんとした経歴があります。
トトロの住んでいる西側です。

縄文の遺跡もかなりあります。知人が土器の破片が落ちているというので、
足で探ったらいくつもありました。
古くから住んでいたんですね。
こういうところで、村山大島ができていました。



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1 コメント

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東京シルクの会 (内海康治)
2016-04-15 20:15:38
武蔵村山でできた絹糸を使って、村山大島を作ってもらうのは今でも可能でしょうか?現在代表をさせていただいておりますが、今年の春繭を使って「ものづくり」を計画しています。特にオリンピックに向けて色々試作をしていただいています。お茶で染めたお茶席用の色無地やお召しなどは可能でしょうか?ぜひご返事をお待ちしています。info@tokyosilk.jp
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