村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

梅雨が

2020-07-29 10:49:06 | 日記
なかなか梅雨が上がりませんね。
毎日が雨で、今度は東北最上川、父が「さいじょうがわ」と読んだのがなつかしいです。
雄物川を「ゆうぶつがわ」、海女を「かいじょ」少し離れて歩きました。
家庭菜園がトマトが甘くなった?すぐに雨で水っぽい、成長が悪くもう終わりになりそうです。
キュウリの葉が黄緑、日照不足、玉ねぎが腐りだすし、毎年おかしいと思い、今年はさらにおかしい。
まあ、野菜は高くなるでしょうね。

昭和3年からこの地に建っている組合建物事務所、独特の雰囲気があります。
以前はこの地のシンボルでした。戦前に宮様が来てお手植えの木がありました。
トタン屋根が厚みがあり、痛みがないのです。ヤメ裏に以前鳥がバタバタ飛んでいましたが、今はいません。





この織機が一番古い形で村山の場合、縦に絣が入っているので縦の長さが短いのが特徴です。
機械の織機で織るスピードと木の織機で織るスピードは熟練者ならばあまり変わりません。
   
       (*^-^*)

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入梅後期

2020-07-09 09:14:14 | 日記
あちこちで川が氾濫して甚大な被害が出ています。
わが家は浸水の被害が出ない所、というのも立川断層で隆起したところなんで高く、同じ武蔵村山でも低い所があったりして危ない所があります。

大体、武蔵野は大地なので川がほとんどありません、ですから田んぼがほとんどなく畑ばかりです。だから、畑で麦を作りうどんを食べるのです。
旧北多摩郡、田無、東久留米、東村山、東大和などはうどんを食べます。
埼玉も多いです。飯能や生越など、これがまたおいしいのです。
昭島、八王子は蕎麦が主流になります。武蔵野はうどんばかり。
多摩川を境にして南、八王子は武蔵野ではありませんよ。

今でも晩飯はうどんと言う家がありますよ。それに茹でた野菜を入れてつけ麺で食べます。
以前地方にいたとき、にゅう麺を食べて驚きました、そうめんをかけうどんにして食べるのです。
それぞれ、その土地にあった食べ方があるのです。

畑ばかりなので、桑の木を植えて蚕を育てました。
村山大島はそういう土地の特性をいかしてできたものです。

幕末、蚕を飼って絹糸を作り農家が裕福になり、だんなさんがそのお金でばくちをした、という記録があります。
関東はばくち打ちの本場と言われ、こういう養蚕のお金が下地にあったのではないでしょうか?

うどんと織物と養蚕とばくち、つながっています。
幕末の日記(指田日記)にその辺のことが書かれています。



   ( ゚Д゚)


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織物協同組合

2020-07-02 10:38:18 | 日記
織物組合は昭和3年に建てられました。
戦前戦後90年以上もこの地にあります。
建てられた当時はそうとうモダンな建物だったでしょうね。
組合員も200以上もあり、村山の基幹産業でした。
戦後一時進駐軍に接収されダンスホールになりました、というのも2階には中間柱が一本もない作りだからです。



現在、2階に資料室があります。
製造工程はかなり複雑です、また男物女物は作り方が違います。
男物は縦絣は乱絣と言ってランダムに同じものが使われています。
女物は縦絣が模様が作られています、それに横絣を合わせて柄を織り出します。
したがって縦糸作りを巻き屋さんとして専業になっています。



製造工程、材料、歴史資料が展示されております。



なお2階の展示室は10:00から15:30までとなっています。

      (*^-^*)





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