村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

学生等に対する伝統的工芸品教育事業

2023-09-21 10:17:14 | 日記
秋になりますと武蔵村山付近の小学校に村山大島の教育授業を行います。
授業内容は機織り体験と村山大島の生地を使ったしおり制作を行います。
基本的な織物の構造の理解と村山大島の生地に触れ合いです。



我々は先生として小学校などにでかけます。
子供たちのほとんどは、糸を結ぶことができません。
しおり作りでは、これまたハサミで布が切れません。
ハサミが使えない子供がほとんどです。
布を切ると独創的な形にする子供もいます。

戦前は、この年齢の女の子から機織りを始めたそうです。
背が小さいから織機の開口部の棒に足が届かなかったと聞いております。
うどん作りと機織りができないとお嫁には行けなかったそうです。
冬は毎晩、野菜がいっぱい入った煮込みうどんでした。
一年中、夕食はうどんという家が今でもあります。

    (^_-)-☆
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なかなか涼しくは

2023-09-07 10:48:16 | 日記
もう9月なのになかなか、畑は乾ききって種まきができません。
ポットで苗を育てて気温の下がるのを待ちます。
武蔵野は水がないので田んぼがほとんどありませんから、畑で野菜を作ります。
麦を作りうどんを食べます、武蔵野はうどんです。八王子に行くとそばになります。
古文書によると江戸時代年貢は野菜を売った代金で納めたそうです。
天保の飢饉の時、野菜ができず年貢を負けてくれと代官に願い出た庄屋がいたことが出ています。



       ↑里山民家

養蚕、蚕を取るようになってから農家に金があるようになって、旦那さんたちは博打(丁半)コマそろいましたというやつが広がりだしました。
飢饉になると地方から逃げてきて、裏山の狭山丘陵に住み着いたことが伝わっています。
指田日記には幕末にあったことが書かれていて、かなり大変であったことがわかります。

   (^_-)-☆
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