村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

白地

2019-07-12 09:35:24 | 日記
昨晩、市主催のデエダラ祭りの委員会に出席したら、委員が白地の着物を単衣にしてきて来られました。
白といっても絹の地なりの色で実に見事な着こなし。
思わず、織物協同組合の者ですと言ってしまいました。

地が生成り薄いクリーム色ですと染色がムラになるとにじみが出てしまい、また、地糸が汚れなどがあると、そこだけにじんでしまいます。
織りで縦横が合っていないとずれが目立ってしまったり,柄が崩れて模様が出ません。




製造では、白地を造るときは細心の注意をしなければなりません。
したがって織元の技術がよくわかります。

梅雨時に白大島、実に生えます、また着物を着ると背筋が伸びて立ち姿がきれいになります。



いくら洋服の時代でも、日本人には着物があいますね。



衣装って着る人の気持ちが出るのがいいですよね。
浴衣を着ると、りらっくす、袴をつけると腰がビット腰の負担が減るし。
衣装というものは大事ですね。
心構えが変わるのでしょうか?

  (^^♪




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村山大島紬

2019-07-03 11:07:46 | 日記
村山大島紬には男物と女物があります。
それぞれ製造工程が違っています。

男物は縦糸が縦絣(乱縦)と地縦の2種類、緯糸は地横に、絣横は、ポチ、マキポチ、ヤハズの3種類を組み合わせて織りあげます。
女物は縦糸は地縦(だいたい黒が多い)縦絣、横は地横、横絣(1種類)を縦絣に合わせて横絣を織り込み模様を作ります。
まったく織り方が違います。男物の方が細かいです。
両方とも縦糸は細く撚りが強く、緯糸は太く撚りがあまいです、そうして風合いを作っています。

もともと江戸時代に木綿の着物を織っていたのが起源で、明治に木綿絣を織り大正から昭和初期に絹の絣を製造しました。
木綿の時は括りで絣を作っていましたが、群馬から板締めの技術を導入して絹織物に変わりました。

男物は緯糸を組み合わせて小さな柄を作る、女物は縦絣の模様に、横絣の模様を合わせて大きな柄を作ります。

特に女物の縦糸の作り方は、手品のような作り方をします、数学の幾何学の応用です。

以前は木で出来た織機が使われていましたが、縦方向が絣が崩れやすいので縦が短い織機が使われていました。

木の織機は多少のゆるみがあるので、風合いが若干ごそごそしています、鉄織機は力が均等に加わるために滑らかになります。
見分け方は原反のいちばん端に若干のゆるみがあります。

表裏は原則に無いですが、正確には原反の端を見て、織っている時に上側になる方が表になります。
端の糸が上に積みあがって織られてゆきますので。

男物は横絣を組み合わせるので表裏があります。
(ひと完全の柄の杼数が奇数ならば)



女性の着物姿は、とっても良いですね。

   (*^-^*)

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