村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

武士

2016-07-23 11:32:40 | 日記
武蔵村山市は昔は武蔵国で武士がたくさん住んでいました。
源平の戦い、最初は平家につき後で源氏になりました。
有名な侍が出ています。
出陣と言っても実際は家来郎党わずかの人数で戦いに向かったそうです。

そして鎌倉に幕府が開かれ御家人となりました。
その後、日本各地に領地をもらい各地に散ってゆきました。
侍のルーツはこの関東地方、武蔵国に多くあります。
西に関東山地の山並み、東は武蔵野の原野、そこを馬で走っていたでしょう。

戦国時代には北条氏の領地で、家臣がこの地に土着しました。
織物組合の隣には、その子孫がおり屋根瓦には北条の家紋、ミツウロコが乗っています。
その後、武田が滅びてかなりこの地に残党が移り住んできました。
その人たちが、織物の技術を伝えたそうです。

自分の先祖も武田の落人がいます。
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板締め染色

2016-07-22 10:42:35 | 日記
村山大島の最大の特色の板絞め染色は、大正時代に群馬県の伊勢崎から技術導入されました。
それより以前は、木綿の括りで絣を作っていました。
絹織物に変わった時に板締めが導入されて、板屋さん、(縦糸つくりの)巻屋さんたちは群馬から移住してきました。

板締めで縦絣、横絣、2種類を作ります。
縦絣は絣板に絹糸を巻き付けて染めます。緯糸は板に挟み込んで階段状にします。
縦横で作り方が違います。
男物は、縦乱絣、横はポチ、ヤハズ、マキポチの3種類の絣を組み合わせて柄を作ります。

写真は女物の横絣の染色始まりの状態です。
温度を上げるのが大事です。
板に積み方で染めむらができます。ボルトで絞めていますが、このしめ具合で染料が浸透しすぎたり、足りなかったりします。
板に溝が掘ってありますが、そこに染料や媒染剤を注ぎ込みます。
そこで白い糸に黒の模様を付けます。
出来上がったものは、白い糸の束に黒の縞模様ができます。





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梅雨時

2016-07-19 11:24:40 | 日記
梅雨なんですが、今年はなんか変です。
お盆が、この辺ではいろいろな日にちに分かれていまして、間違えると
終わっていたり、まだだったりします。
人間の都合でお盆が決まっています。

昭和の20年代までが藁ぶき屋根の農家が多かったんですが、この事務所周辺に
大火があり、屋根に火が入って多く燃えてしまいました。

昔なこんな風景でした。

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藁ぶき屋根

2016-07-11 10:55:17 | 日記
裏山の里山民家は東京都が新しく再生したもので、
東大和市の民家の図面から作ったものです。
中は土間があってとても涼しく、どこの家でも昔の農家は
土間で機織りをしていた事でしょう。

縁側から屋根裏を見ると藁ぶきがとても美しく見えます。

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梅雨の中休み

2016-07-01 11:30:37 | 日記
蒸し暑いですね。
こういう時は、糸をいじる時は手に汗があると張り付いてしまいます。
逆に湿度がない時は、静電気が起きて糸が膨らんでしまいます。

織機が調子悪くなるのは、梅雨時が多いです。

どっち道糸が乾かないので糸仕事を避けるようにします。

この頃は武蔵村山周辺では夏祭りのしーずんです。
三ツ木地区では神輿が練り歩きます。
隣の瑞穂町では山車や神輿が出て町全体が祭り一色に染まります。

これが終わるとお盆になり夏本番となるのが、この狭山丘陵周辺の風物詩です。

(^◇^)
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