村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

真福寺

2019-01-24 10:47:39 | 日記
織物組合から北の所沢方面に行くと、歴史民俗資料館があります。
そこに真福寺の解説書がおいてありました。
そこにはこの武蔵村山のだいたいの歴史が書かれております。

北側に広がる狭山丘陵は石器時代から人が住んでいました。
縄文の遺跡が多くあります。
この武蔵野という所は台地なので水が無く、人が生活すには適さない雑木林とススキの野原でした。

自分が60年近く前で覚えている事は、南の方の横田基地方面は畑ばかりでススキがぼうぼうとはえていました。
水が無くて人間が住めるような所ではなかったのです。
だから人々は狭山丘陵の周辺に住みました。

この辺には由緒ある寺院仏閣がほとんどなく、あずさみ神社、真福寺ぐらいしかありません。
したがいまして、古い資料、古文書もあまり残っておらず、江戸末期の物ならば残っています。

歴史に出てくるのは、武蔵七党の村山党です。
平安末期に保元平治の乱に活躍しました。鎌倉武士の御家人だったんでしょう。
狭山丘陵のどこかに住んでいたようですが詳しいことはわかりません。

この地はわずかに山の間に沼地がありそこで米を作っていたのです。
資源がない土地なので、畑を耕して機を織って暮らしていました、ということになります。
で、多摩川上水ができてここから小金井小平国分寺などに開拓農民で出て行きました。



↑ここは弥生時代の遺跡が眠っております。  

    (*‘ω‘ *)
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