村山織物協同組合のブログ

武蔵野と狭山丘陵

村山党

2019-06-11 10:43:31 | 日記
武蔵村山周辺、狭山丘陵西南部が日本の歴史に出て、華やかだったのは平安末期から鎌倉時代でしょうか。
瑞穂町周辺に村山党という武士の集団がありまして、源平の戦い、奥州藤原攻め、承久の変、鎌倉幕府滅亡、などに関係していて多くの戦に参戦しています。
(特に提示物語絵巻の六波羅行幸の場面で、女装した二条天皇が車に乗って逃げる所を、鞭ですだれを払いのけて中を改めている武士が描かれていて、その人が村山党の金子十郎という人です。)
後は源氏に従っていますが。

手柄を立て日本各地に主に西日本に恩賞として領地をもらいそのまま地頭として居ついています。
承久の変の時、後鳥羽上皇方の領地が没収され鎌倉幕府の御家人が多く西日本に行きました。
村山党の属する武蔵7党からも全国に行きました。



武蔵村山には村山党を再現して、紙で見事な鎧兜を作って町おこしをしています。
なんせその頃の鎧兜は全国に数領しか残っていませんので、再現もたいへんです。
いいところに目を付けたなと思っています。



村山党ロックバンドというのがあり、頑張っています。



お姫様も村山大島着ていますよ。

   (^^♪

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