7日目、バレの男友人Mも加えて、僕らは4人、フィレンツェをまる一日観光した。
正直言って、街の様子で言えば、バレの「村」の中心街の方が好きだったのだが(そこはもっと時間をかけて歩きたかった)、それでもフィレンツェはきれいな街だった。
とにかくイタリアもまた炎天下で、歩くのがほとほとしんどい状態だったが、それでも僕らは色々な場所をなんとなく見て回った。
当初僕はフィレンツェで彼女へのプレゼントを買う予定だったのだが、結局、色々見て回ったあげく、何も見つからなかった。
ホテルに行く前、アペリティフと呼ばれるディナーの前の食事をとる。
カクテルと軽い食事がその内容だ。
カクテルはMがイタリア的なものを選んでくれた。
僕にはスプリッツァーというカクテル。調べたところでは「ブランデー、果実、炭酸水=スプリッツァー」とある。飲んでみると、とても口当たりがいい。
食事はバイキング形式で、量はそれほど多いわけではないのだが、種類はなかなか豊富で味も素晴らしかった。
アルコールの効用で僕らは少しずつ饒舌になっていった。
ホテルで一度シャワーを浴びてから、僕らはまた街に出た。
外はすっかり暮れていた。
夜はまた街の色合いが一変する。
石造りの町並みは青味がかかり、風も涼しくなる。
空気が変わり、路上の音楽家たちによる音もすっかり意味を異にする。
日差しのなかで見た様々な彫像は、陰影を深くして今にも動き出しそうな表情を見せる。
すっかり雰囲気が出来上がっている。
当然と言えば当然だが、Mとバレはとてもいい感じになっている。そう、ここがふたりのドラマのクライマックスになるはずなのだ。
彼らはイタリア系のバーよりは、むしろアメリカやイギリス系のバーの方が地元客が喜ぶであろうと主張し、そういったお店を探した。
ようやく見つかったお店で僕らはまたカクテルを頼む。
ところで、なぜイギリスではカクテルを飲まないのか?イギリス人は皆、基本的にビールを飲む。
エースはイギリス人だけあって、常に「ビール、ビール、ビール」とうるさい。
どこのフェスティバルでもビール、ビールうるさいので、バレも僕も辟易を通り越して面白くなってしまっていた。
とにかく、こいつにはビールを与えとけばいいや、ということになった。
マンマは言う。イタリア人はそんなにお酒を飲まないのだ、と。
確かにどこのお祭りでもイタリア人はイギリス人みたいに、がぶがぶビールを飲んでいなかった。
エースはしつこく主張する。
「ピザとビールは最高だろ?」「暑いんだから、ビールだよ。」
確かにこれは日本人も共感できる。
だが、逆になぜイギリスではカクテルを飲まないのか?と考えてみると面白い。
理由は寒いからだ。炎天下のイタリアに行ってわかるのは、真夏の日差しが去った直後の、まだ空気が熱い夜に飲むカクテルがなんとも風情があっていい、ということだ。
バレはモヒートをオーダーする。僕は何度聞いても名前が覚えられないイチゴのカクテルを頼む。エースはギネス。
Mは運転するからコーラ。
旅の疲れでMを除く僕ら3人はおかしなことになっていく。
僕は特に我慢して言っていなかった、道中での旅の不満を少しぶちまける。
「M、聞いてくれよ。バレとエースがケンカばっかりするんだ。それを僕がどれだけ仲裁してきたか!ずっとナーバスだったよ!」
そう言った瞬間、エースは少し気恥ずかしそうにした。
申し訳ないという空気が彼から出ていた。
前に書いたとおり、エースは何も自分で決められないイライラと、バレが構ってくれないイライラと、イタリア独特の話の長さ(時間の無駄遣い)で、いつもケンカ腰になってしまっていた。
僕は彼の不満をずっと聞いてきたが、いい加減、現実をよく観察して適応しろよと思っていた。
4日目の夜、明らかにエースとバレのふたりはケンカしていた。
あとからエースに聞いたところによると、フィレンツェのホテルの件で揉めたらしい。
けれど、ようやくその日を境にして、徐々にエースはイタリアの現実、イタリアのリズムに適応しはじめる。
Mは僕に、「そうか、日本人は秩序を重んじるからな」と言った。
彼は日本人と仕事をしているので、日本人というものを一応知っている。
2杯目のカクテルに入り、バレも僕も完全におかしくなった。
バレはMの腕に抱きつきながら、「ね~、マルコ、歌ってよ~。一曲でいいからさあ。」とどういうわけか、その場で歌をねだってきた。
冷静に考えると、フィレンツェの街中のバーの、広場に隣接した屋外のテーブルで歌うなど、歌手でもない限り、というかおそらく歌手でも普通の状態なら不可能である。
しかし、旅の疲れ、炎天下での散策を経た後のカクテルで、もうどうかしている僕は、ふたつ返事で「いいよ!」と答える。
今年、一番お気に入りの歌は、「上を向いて歩こう」。
ギターを伴奏にしてもいいし、アカペラでもいい。
キーも自由に調整でき、何よりアメリカでかつてナンバーワンになっている。
高校の頃から歌を歌いはじめて、大学に入っても続けた。
基本的にブラックミュージックを歌っているが、特別にうまいわけではない。
しかし、5年に一度くらいの頻度で、奇跡的にうまく歌える瞬間がある。
その瞬間がイタリアの夜にやってきた、ような気がした。
フィレンツェの街中に、日本人の「上を向いて歩こう」が響き渡る。
「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら歩く ひとりぼっちの夜」
歌い終わると、クールだったMがものすごい笑顔で「うまい!」と言った。
僕は嬉しくて、Mと握手し、バレとハイタッチした。
宴はいよいよ興にのりだし、エースもおかしなことになっていた。
僕らは深い部分の話をする。
英語でここまで会話できるようになるのに、3年かかったわけだ。
バレンティーナは完全に出来上がってしまい、店員に絡みまくっている。
どういった経緯かは分からないが(イタリア語だから)、ピーチのお酒のショットグラスがひとりずつに無料で提供された・・・。
バレは天才的である。
あとから聞いたところでは、バーテンに「イチゴのカクテルが生の苺を使っていないけど、どういうことなんだ!」と絡んだ結果、ショットグラスをもらえたのだと言っていた。
ホテルに帰るまで、暴走した3人の面倒を見てくれたのはMだった。
本当に感謝している。
正直言って、街の様子で言えば、バレの「村」の中心街の方が好きだったのだが(そこはもっと時間をかけて歩きたかった)、それでもフィレンツェはきれいな街だった。
とにかくイタリアもまた炎天下で、歩くのがほとほとしんどい状態だったが、それでも僕らは色々な場所をなんとなく見て回った。
当初僕はフィレンツェで彼女へのプレゼントを買う予定だったのだが、結局、色々見て回ったあげく、何も見つからなかった。
ホテルに行く前、アペリティフと呼ばれるディナーの前の食事をとる。
カクテルと軽い食事がその内容だ。
カクテルはMがイタリア的なものを選んでくれた。
僕にはスプリッツァーというカクテル。調べたところでは「ブランデー、果実、炭酸水=スプリッツァー」とある。飲んでみると、とても口当たりがいい。
食事はバイキング形式で、量はそれほど多いわけではないのだが、種類はなかなか豊富で味も素晴らしかった。
アルコールの効用で僕らは少しずつ饒舌になっていった。
ホテルで一度シャワーを浴びてから、僕らはまた街に出た。
外はすっかり暮れていた。
夜はまた街の色合いが一変する。
石造りの町並みは青味がかかり、風も涼しくなる。
空気が変わり、路上の音楽家たちによる音もすっかり意味を異にする。
日差しのなかで見た様々な彫像は、陰影を深くして今にも動き出しそうな表情を見せる。
すっかり雰囲気が出来上がっている。
当然と言えば当然だが、Mとバレはとてもいい感じになっている。そう、ここがふたりのドラマのクライマックスになるはずなのだ。
彼らはイタリア系のバーよりは、むしろアメリカやイギリス系のバーの方が地元客が喜ぶであろうと主張し、そういったお店を探した。
ようやく見つかったお店で僕らはまたカクテルを頼む。
ところで、なぜイギリスではカクテルを飲まないのか?イギリス人は皆、基本的にビールを飲む。
エースはイギリス人だけあって、常に「ビール、ビール、ビール」とうるさい。
どこのフェスティバルでもビール、ビールうるさいので、バレも僕も辟易を通り越して面白くなってしまっていた。
とにかく、こいつにはビールを与えとけばいいや、ということになった。
マンマは言う。イタリア人はそんなにお酒を飲まないのだ、と。
確かにどこのお祭りでもイタリア人はイギリス人みたいに、がぶがぶビールを飲んでいなかった。
エースはしつこく主張する。
「ピザとビールは最高だろ?」「暑いんだから、ビールだよ。」
確かにこれは日本人も共感できる。
だが、逆になぜイギリスではカクテルを飲まないのか?と考えてみると面白い。
理由は寒いからだ。炎天下のイタリアに行ってわかるのは、真夏の日差しが去った直後の、まだ空気が熱い夜に飲むカクテルがなんとも風情があっていい、ということだ。
バレはモヒートをオーダーする。僕は何度聞いても名前が覚えられないイチゴのカクテルを頼む。エースはギネス。
Mは運転するからコーラ。
旅の疲れでMを除く僕ら3人はおかしなことになっていく。
僕は特に我慢して言っていなかった、道中での旅の不満を少しぶちまける。
「M、聞いてくれよ。バレとエースがケンカばっかりするんだ。それを僕がどれだけ仲裁してきたか!ずっとナーバスだったよ!」
そう言った瞬間、エースは少し気恥ずかしそうにした。
申し訳ないという空気が彼から出ていた。
前に書いたとおり、エースは何も自分で決められないイライラと、バレが構ってくれないイライラと、イタリア独特の話の長さ(時間の無駄遣い)で、いつもケンカ腰になってしまっていた。
僕は彼の不満をずっと聞いてきたが、いい加減、現実をよく観察して適応しろよと思っていた。
4日目の夜、明らかにエースとバレのふたりはケンカしていた。
あとからエースに聞いたところによると、フィレンツェのホテルの件で揉めたらしい。
けれど、ようやくその日を境にして、徐々にエースはイタリアの現実、イタリアのリズムに適応しはじめる。
Mは僕に、「そうか、日本人は秩序を重んじるからな」と言った。
彼は日本人と仕事をしているので、日本人というものを一応知っている。
2杯目のカクテルに入り、バレも僕も完全におかしくなった。
バレはMの腕に抱きつきながら、「ね~、マルコ、歌ってよ~。一曲でいいからさあ。」とどういうわけか、その場で歌をねだってきた。
冷静に考えると、フィレンツェの街中のバーの、広場に隣接した屋外のテーブルで歌うなど、歌手でもない限り、というかおそらく歌手でも普通の状態なら不可能である。
しかし、旅の疲れ、炎天下での散策を経た後のカクテルで、もうどうかしている僕は、ふたつ返事で「いいよ!」と答える。
今年、一番お気に入りの歌は、「上を向いて歩こう」。
ギターを伴奏にしてもいいし、アカペラでもいい。
キーも自由に調整でき、何よりアメリカでかつてナンバーワンになっている。
高校の頃から歌を歌いはじめて、大学に入っても続けた。
基本的にブラックミュージックを歌っているが、特別にうまいわけではない。
しかし、5年に一度くらいの頻度で、奇跡的にうまく歌える瞬間がある。
その瞬間がイタリアの夜にやってきた、ような気がした。
フィレンツェの街中に、日本人の「上を向いて歩こう」が響き渡る。
「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように
泣きながら歩く ひとりぼっちの夜」
歌い終わると、クールだったMがものすごい笑顔で「うまい!」と言った。
僕は嬉しくて、Mと握手し、バレとハイタッチした。
宴はいよいよ興にのりだし、エースもおかしなことになっていた。
僕らは深い部分の話をする。
英語でここまで会話できるようになるのに、3年かかったわけだ。
バレンティーナは完全に出来上がってしまい、店員に絡みまくっている。
どういった経緯かは分からないが(イタリア語だから)、ピーチのお酒のショットグラスがひとりずつに無料で提供された・・・。
バレは天才的である。
あとから聞いたところでは、バーテンに「イチゴのカクテルが生の苺を使っていないけど、どういうことなんだ!」と絡んだ結果、ショットグラスをもらえたのだと言っていた。
ホテルに帰るまで、暴走した3人の面倒を見てくれたのはMだった。
本当に感謝している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます