消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

現代米国の黙示録 11 メガ・チャーチ(注と文献)

2006-09-05 00:58:10 | 現代宗教

 注 (一) LaHaye & Jenkins[1995]は、シリーズ物である。第一巻は、全米で六五〇万部、シリーズものすべての合計で全世界で六〇〇〇万部売った。ティム・ラヘイ(Tim LaHaye)は、二三歳で牧師資格を取り、二五年間、サンディエゴの「サドルマウンテン・バプティスト教会」(Suddle Mountain Baptist Chrch)というメガ・チャーチの牧師を務めている。クリスチアン・ヘリテージ大学(Christian Heritage University)も創設している。このラヘイのアイデアを基に、ジェンキンズが書き下ろしたのが、この小説である。 Warren[2002]も二三〇〇万部という超ベストセラーになった。ウォーレン(Rick Warren)も、カリフォルニア州レークフォレスト(Lake Forest)のメガ・チャーチ、「サドルバック・バレー・コミュニティ・チャーチ」(Suddleback Valley Community Chrch)の創設者であり、後述するが、ブッシュ大統領の名代として、ウォーレンは、しばしば韓国を訪れ、北朝鮮当局とも接触しようとしている。 Osteen[2004]も、二五〇万部を売っている。オスティーンは、おそらく、全米で最大のメガ・チャーチ「レイクウッド・チャーチ」(Lakewood Church)の司祭である。二〇〇五年七月、ヒューストンの「コンパック・センター」(Compaq Center)、つまり、全米プロバスケット・ボールチームのヒューストン・ロケッツ(Houston Rocket)の本拠であった施設をコンピュータ会社のコンパックが買収していたものを、今度は、オスティーンが買収し、その巨大施設をメガ・チャーチに改造した。週末の集会には一〇万人を集める自信があると、オースティンは『ビジネス・ウィーク』に語った(Symonds[2005], p. 46)。

(二) 注(一)で紹介したウォーレン(Rick Warren)は、自著の販売方法を「連続花火的マーケッティング」(pyro marketing)と呼ぶ。つまり、「もっとも乾いた火のつきやすい層」(driest tinder)にまず、売り込む。彼らが、それに夢中になってくれて、自らの感動を他人に伝えたく、世界中にそれを広げてくれる、というのである。これが急速にベストセラーを生む方法である。 ウォーレンが言うには、一二〇〇戸を超える福音主義教会が、この本の唱える四〇日間の魂の内省儀式を行う場所として、自分たちの教会を提供してくれた。そして、これら司祭たちが、集会参加者たちにこの本を配った。司祭たちが配るために購入した数は四〇万部であった。定価二〇ドルのものを七ドルで出版社は司祭たちに提供した。内省儀式に参加し、司祭から本を配られた教会参加者たちは、一人平均五冊を定価で買い、友人に配った。この連鎖で、この本は世界の一六二か国の二万戸の教会で説教用に使われた。売上部数は、世界全体で二三〇〇万部を超えた(Symonds[2005], p. 50)。 マーケットリサーチ会社のアービトロン(Arbitron)によれば、宗教関係書の売り上げは、一九九八年二六億ドルであったが、二〇〇四年には三三億ドルにまで増加した。こうした売上増加には、キリスト教伝道のラディオ局の激増も寄与した。ラディオ局数は、一九九八年には一〇八九であったが、二〇〇四年には二〇一四にまで増えた(ibid., p. 46)。


(三) クリスチャンの中には、将来イエス・キリストが再臨するが、再臨前に「大艱難時代」(Tribulation)がくる。そうした大艱難が始まる前にイエス・キリストを心から信じた信者たちがイエスの下に招き入れられる(この世から消える)。イエスの御子たちに苦しみを与えないためのイエスの心から出たのがこの「携挙」である。

 『旧約聖書』に当たる「エゼキエル書」第三八、三九章には、北の果てから敵の大軍が、ペルシャ、リビア、エチオピアという敵側同盟軍を引き連れてイスラエルを攻めてくるが、神の御業によって、敵軍は壊滅し、その武器は燃料になり、敵側兵士は鳥の餌食になり、敵の死体は大きな墓に埋葬されると預言されている。
 「イザヤ書」第九章第一、二節で、メシアが主としてガリラヤで宣教するが、「彼はさげずまれ、のけ者にされ、悲しみの人である」とした。「詩編」では、メシアが裏切られ、ゼカリヤは、メシアが銀三〇枚で売られると預言した。
 新約聖書「コリント人への手紙」第一、第一五章五一~五七節には、いわゆる「携挙」のことが書かれている。これは、使徒パウロが、コリントという町の教会のクリスチャンに宛てた手紙である。そこでは、イエスが、「私はまた来て、あなた方を私の元に迎えます。私のいる所にあなた方を置くためです」とある。パウロも言う。「私はあなた方に奥義を告げましょう。私たちは皆が眠ってしまうのではなく、変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです」。


 さらに聖書では、「反キリスト」(the AntiChrist)の悪魔のペテン師が現れ、多くの人たちの心を掴み、世界的指導者と自称して地上に戦乱を巻き起こすと預言されている。イエスは言った。 「私は私の父の名によて来ましたが、あなた方は私を受け入れません。他の人がその人自身の名によって来れば、あなた方はその人を受け入れるのです」と。 ヨハネ「黙示録」では、携挙の日から七年間、残されたもの(レフトビハインド)の苦難が続く、その期間は、最初の一年九か月の「封印の審判」、その後に続く同じく一年九か月の「ラッパの審判」、そして残り三年半の「鉢の審判」となる。これは、「大艱難時代」(トリブーレイション)といって、もっとも過酷な時代である。艱難は、時を追って厳しくなる。この七年を生き延びたとき、イエスが救済にくる。そして平和な「先年王国」(ミレニアム)がイエスによってもたらされると言われている。  

「黙示録」第五章に、「七つの封印のある巻物」のことが書かれている。七つの封印のうち、最初の四つは、白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめる馬である。第一の封印の白い馬は、それに乗る反キリストを暗示する。「反キリスト」が平和を人類に約束しながら体制を整える一か月から三月間を指す第二の封印である赤い馬は戦争である戦争自体は三か月から半年で終息する。第三の封印は黒い馬で、飢饉を意味する。そして、第四の封印が、飢饉と疫病の結果、生み出される死を暗示する青いざめた馬である。
 「黙示録」第六章第八節「私は見た。見よ。青ざめた馬であった。これに乗っている者の名は死といい、その後にはハディスが付き従った。彼らに、地上の四分の一を、剣と飢饉と死病と地上の獣によって、殺す権威が与えられた」とある。
 五つめの封印は、回心したユダヤ人の布教者たちの殉教、第六の封印は聖者たちの虐殺そして、第七の封印は「黙示録」第一一章三節から一四節に記されている二人の証人の反キリストによる虐殺である。


(四) イスラエルのどのような非道をも米国のメガ・チャーチに拠点をもつ福音主義者たちは、米国政府とともに、イスラエルを即座に支持する。 レバノンのシーア派(Shi'a)民兵組織「ヒズボラ」(Hezbollah)とイスラエル軍の戦闘について、ブッシュ大統領とコンドリーザ・ライス国務長官は、イスラエルには自衛権があり、ヒズボラのゲリラ行為に対処せずに戦闘を停止することが永遠の平和には通じないと述べた。そして、二〇〇六年七月一八、一九の両日、福音派キリスト者三五〇〇人以上が、イスラエル支持のためにワシントンに集結した。「私たちはイスラエルのために主張するようイザヤに命令されている。イスラエルにあらゆる手段で応じる能力があって欲しい」と、テキサス州サン・アントニオ(San Antonio)で会員一万八〇〇〇人のメガ・チャーチ、「コーナーストーン・チャーチ」(Cornerstone Church)を主宰するジョン・ハギー(John Hagee)牧師は言った。 同年七月二〇日、米下院は、対ヒズボラ交戦でイスラエルを支持し、その敵を非難する決議を四一〇対八で採択した。下院の与党共和党指導者、ジョン・ベーナ(John Baner)議員が、イスラエルと米国の「独特な関係」によるものだと語った。このように、米政府と福音派キリスト者の双方が、中東論議や紛争の際には、即座にイスラエルとその行動を支持する傾向がある(「世界キリスト教情報」、第八一四信(週刊・総合版)、http://cjcskj.exblog.jp/m2006-08-01/)。

 もっと衝撃的なことがある。インド洋沿岸諸国を襲った大津波は、イスラム教徒に対するイエス・キリストの怒りであると受け取る人は、米国南部の福音主義者たちの半数を超え、カトリックでは一割あったという調査結果が出た(GMI, January 19, 2006)。

(五) この集会で、グラハムは、次期民主党大統領候補と目されるヒラリーを持ち上げたし、集会の前日に、NBCテレビのケイティー・カーリック(Katie Curlick)とのインタビューで、自らを生涯の民主党員だと明らかにした。これに、福音派指導者のロブ・シャンク(Rob Shank)が不快感を表明した。

 シャンクは、グラハムの伝道学校に出席したり、巡回伝道者会議に参加したこともある。シャンクは言った。「私の二五年間にわたる手本とも言うべき人が、妊娠中絶と同性間結婚の拡大を認める党の党員資格を保持していたことには失望した。グラハム氏の後任者は、この最高の道徳的な問題で明確な基準をもつべきだ」と言った。 それでもシャンクはクルセード(伝道)にワシントンから参加したが、その第三夜、グラハムがマイクをビル・クリントン(Bill Clinton)前大統領に手渡したことに、シャンクは衝撃を受けたという。グラハムの行為は、講壇近くに座っていたヒラリー(Hillary Rodham )・クリントン上院議員を支持していることを示唆したものと受け取られた。クリントン一家が「老グラハム」を利用するのを見て、シャンクは説教を聴くのに堪えられず、一家をグラハム氏が称賛している中、会場から出たという。

 「これは二〇〇八年の大統領選で福音派の票を分割し、ヒラリー勝利を確実にするクリントン一家の慎重で狡猾、全く政治的な動きだ」とシェンクは言う(「世界キリスト教情報」、第七五六信(週刊・総合版)、二〇〇五年六月二七日(月)、http://cjcskj.exblog.jp/m2005-06-01/

 おそらく、シャンクは正しいだろう。保守的な福音主義者を敵に回してしまったことから、二〇〇四年の大統領選に敗れた民主党は、福音主義者の切り取りに大きなエネルギーを割くはずだからである。その際、福音主義教会が民主党に近づくのではなく、民主党が復員教会に近づくようになるであろう。結局は、民主党は共和党との差異を示すことができなく、二〇〇八年も共和党に破れるものと思われる。


 引用文献 Carnes, Ann[1995],"Neighbors Pray for Containment," Atlanta Business Chronicle, September. Chandler, Russel[1989], "Customer Poll Shaped a Church," Los Angeles Times, December  一一 Finke, Roger & Rodney Stark[1992], The Churching of America, 1776-2005: Winners and Losers in Our Religious Economy, Rutgers University Press. LaHaye, Tim & Jerry B. Jenkins[1995], Left Behind: A Novel of the Earth's Last Days , 16vols. Tyndale House Publishers.; 邦訳は、いのちのことば社から出されてい る。上野五男訳『レフトビハインド』(第一巻)二〇〇二年、松本和子訳『ト リビュレーション・フォース』(第二巻)二〇〇二年、松本和子訳『ニコライ』 (第三巻)二〇〇三年、松本和子『ソウルハーベスト』(第四巻)二〇〇三年、 伊藤肇訳『アポリュオン』(第五巻)二〇〇四年、伊藤肇訳『アサシンズ』(第 六巻)二〇〇五年、伊藤肇訳『インドウェリング』(第七巻)二〇〇六年。 Niebuhr, Gustav[1995a],"Where Shopping-mall Culture Gets a Big Dose of Religion?," The New York Times, April 16. Niebuhr, Gustuf[1995b],"Religion Goes to market to Expand Congregations?" The New York Times, April 18. Osteen, Joel[2004], Your Best Life Now: 7 Steps to Living at Your Full Potential, Warner Faith. Sammonds, Mary Beth[1994], "Full-service Church," Chicago Tribune.


本山美彦 福井日記 37 花の木

2006-09-04 01:50:27 | 花(福井日記)

 福井県立大学の兼定島キャンパスで珍しい木を見つけた。「花の木」である。まだ秋の到来がないのに、すでに、葉が赤く色づいている。変だなと近づいて見ると、アメリカフウを小振りにした葉である。やはり、楓の一種であった。


 木曽山中の湿地にしか自生しないものである。雌雄異株の落葉高木である。4 月ころ,葉が出る前に目立たない真紅色の花が咲く。特に雄花は美しい。別名「花楓(はなかえで)」、愛知県の県花。   

               

   花の木と無関係だが、いい本を見つけたので紹介しておきます。

 辻川達雄本願寺と一向一揆』(誠文堂新光社刊)著者は福井県武生市の方。著者はもともと宗教指導者が武力沙汰を認めたり、それを行使すること自体に、大きな矛盾を感じている一人である。たとえどのような時代であっても、宗教指導者たるものは、宗教本来の倫理である「博愛」と「平和」に徹するべきであった。事実、そのことを貫いた宗教指導者も少なくなかった。当時の真宗王国=砺波地方のことが詳しく書かれている。


 わが意を得たりの思いである。この福井日記に「花コーナー」を置くのは、花こそが宗教心だと信じるからである。


見えざる占領 01[序説] 「安全な貿易」という怖いテーマ――米国に併合される日本経済

2006-09-03 18:24:19 | 時事

 日本と米国は経済的に統合されるべきであり、その中心に「安全な貿易」が位置すると、衝撃的な発言をしたのは、在日米国大使館経済担当公使・ジェームス. P. ズムワルトである。2006年6月23日、「日本経団連アメリカ委員会」において、同氏は、「日米経済統合」というタイトルで講演した。それは、同氏が、4年間の日本勤務を終えて帰国する直前の講演であった。


 講演では、進められるべき日米間の経済統合を阻害している最大の問題として、同氏は、日本の農業保護政策のあり方を挙げた。 「私は、国内価格をつり上げる貿易障壁の保護ではなく、直接補助金による農業従事者支援へと重点を移行する政策議論が日本で行われていることに勇気づけられています」、(そうした政策を)「導入すれば、(日米間の)包括的FTA(自由貿易協定)についての交渉を始める用意ができるようになるでしょう」。

 この点は重要である。同氏は、農業保護そのものを否定しているのではない。実際、EUにしろ、米国にしろ、農業保護の程度は、日本より高い。米国は、自国の事情もあって、農業保護そのものを批判しているのではない。輸入関税を高くして輸入農産物の国内価格をつり上げ、高い国内の農産物価格を維持するというシステムを、米国は、批判しているのである。関税ではなく、政府補助金を使って農民に直接補助するということなら許されるというのである。


 同氏の講演は次第に核心に入っていく。「安全な貿易」(secure trade)と、同氏が呼ぶ、安全保障と結びついた貿易体制の構築がそれである。日米両国は、ともに国際テロリズムに対して脆弱である。 「今こそ国境警備を強化しながら、貿易コストを削減できるような方法を検討する時が来たと確信しています。ひとつの例としては、コンテナを追跡し、その中身をモニターするために、ICタグを利用することです。このようなシステムがあれば、両国の取り締まり当局はリスク評価に必要な情報を入手することができるでしょうし、国境での検査の必要性を軽減できます」。


 ICタグとは、米国防省とウォールマート、MITが連携して開発している進化したバーコードである。ICの書き込み、読み込み面で国際標準になれるかどうかが、これからの国際競争力に決定的に重要なことである。日本の坂村健方式とMIT方式がぶつかっている分野がこのICタグである。同氏は怖い内容をさりげなく語った。


 「日米は大いなる友人であり同盟国です。非常に機密度の高い軍事技術や情報を共有しています。両国が協力すれば、セキュリティーを強化しつつもコストを削減する、さらに安全かつ効率的な貿易システムを作り出すことができると私は確信しています」。 今後の企業の死命を制するICタグは、米国式のものでなくてはならないことを、同氏は、日米安全保障体制とのからみで説明したのである。


  さらに、金融サービスが統合されるべき分野とされる。日本は世界の金融ハブになるべきである。ただし、そのためには、日本は多国籍金融会社を東京に地域拠点として誘致しなければならない。日本の金融機関がハブになるのではない。明らかに、米国の金融機関との統合が主張されているのである。


 そして、国境を越えたM&Aに論点が移された。 「現状では、日本の買い主が日本の売り主から現金の代わりに株式を受け取った場合、その株式を売却するまで課税繰り延べを受けることができます。しかし日本の買い主が外国の売り主から株式を受け取った場合には、これと同様のルールは適用されません。われわれは、国境を越えた合併についても、国内合併にすでに与えられているものと同様の扱いがされるよう求めています」。


 ここには、日本勢が主体のような表現がなされている。実際には、米国勢が日本企業を買収するのであって、日本勢が米国企業を買収する例は少ない。日本人の恐怖感を逸らす意図がここには見受けられる。


 日米の民間航空関係も、規制を撤廃しろと言う。航空に関する1998年の「日米覚書」によれば、2年以内に両国の民間航空関係を「完全に自由化」することが約束されていた。 「しかしながら、ここ8年間、この約束の達成に何の進展もありません。たとえわずかな自由化でも、米国および日本の航空会社に貿易に関する政府の規制を受けずにもっと自由に運行させることで、二国間の観光および貿易はさらに促進されるでしょう」。 講演は、「食品安全性と食糧安全保障」問題に触れ、日本には糧生産の自給ができないのだから、安全基準・供給保証は米国との緊密な連携の下で進められるべきであると、日本の厳しい安全基準を暗に批判した。


 見られるように、「経済統合」とは、米国のイニシアティブの下、米国の対日要求をそのまま受け入れ、日本経済を米国経済に併合されることを意味しているのである。

(以下、「時事」カテゴリーにて続く。なお、年内に発行される次著『姿なき占領』をもとにしています


現代米国の黙示録 10 メガ・チャーチ(1)

2006-09-02 23:58:01 | 現代宗教
 メガ・チャーチとは、日曜日の礼拝に参加する人数が2000人を超える教会を指す。メガ・チャーチの特徴は、牧師がケーブル・テレビで専用の番組をもち、ベストセラーとなる宗教本を作り出し、教会内をロック・コンサートのような雰囲気に作り変える点にある。メガ・チャーチは,1955年前後に誕生したが、急成長したのは、レーガン大統領が福音派教会を利用し始めた1980年代に入ってからである。以後、年率5%の水準でメガ・チャーチは増えてきた。 とにかく、メガ・チャーチは、巨大になるのに、長期間を要しなかった。例えば、著名なメガ・チャーチの1つ、「アナハイム・ビネヤード・チャーチ」などは、信者ゼロから3000人にするのに、5年しかかからなかったと創設者のジョン・ウィンバーは自慢している


 巨大化することで、社会の関心を集め、信者を集め、それがさらに巨大化に拍車をかける。アトランタの「ワールド・チェンジャーズ・ミニストリー」の牧師、クレフロ.A.ダラーは、信者席を8000席設けた。その工事だけで、近隣の人々の関心を呼び、そのことが、新聞、ラディオ、テレビで報道され、さらに多くの人々が見に来るという相乗作用を、巨大化は生み出す。


 規模と並んで、メガ・チャーチの地理的位置も共通点がある。メガ・チャーチの75%は、サンンベルト州に立地している。中でも、カリフォルニア州がもっともメガ・チャーチの教会数が多く、後、テキサス、フロリダ、ジョージアの各州が続く。


 つまり、米国で人口の増加率の大きい州の州都にメガ・チャーチが集中しているのである。不規則に急拡大する町を米国ではスプロール・シティというが、ヒューストン、オーランド、ダラス、ロサンゼルス、アトランタ、フェニックス、オクラホマ・シティなどがそうした町である。そして、これらメガ・チャーチは、郊外に位置し、高速道路を使うと容易に行ける場所にある。


 メガ・チャーチの集会はとにかく楽しい。元々教会に行きたがらない人々を獲得することにメガ・チャーチが腐心してきたからである。教会を敬して遠ざける人は、内気で人付き合いが苦手なタイプが多い。したがって、メガ・チャーチは、とにかく楽しく、すぐに周囲の雰囲気に適合できるような工夫が凝らされている。まるで、劇場の中にいるように物事が進行させられている。演出は凝ったものになり、教壇の振り付けもプロによるきらびやかで楽しいものが目指される。牧師は、難しい言葉は一切使わないことを原則にしている。


 メガ・チャーチは、ブームに乗ってフル操業をしている企業そのものである。食堂から喫茶店、日用雑貨店に薬局、運動クラブに各種文化的催し、等々、イベントが目白押しである。まったく休日なしに教会は営業している(Scaller[1990], pp. 20-24)。  メガ・チャーチの特徴は、カリスマ的な人気のある司祭たちが、抜群の経営センスをもっていることである。宗教上の教理への理解よりも、経営センスの方が重視されているとも思える。その証左が、メガ・チャーチの運営者の3分の1は、伝統的な教会で訓練を受けたことのない人たちであるという点にある。


 イリノイ州(Illinois)サウス・バリングトン(South Barrington)にある同州最大の「ウィロー・クリーク・コミュニティ・チャーチ」(Willow Creek Community Church)の運営責任者のハイベルズ(Bill Hybels)は、一度も牧師としての訓練を受けたことのない人である(Niebuhr[1995a])。


 教会を建てる時には厳密なマーケッティング調査をするが、教義上では専門家でもなんでもない経営者のハイベルズが、聖書に書かれたものこそが、真実であるという「レフトビハインド現象」そのものの言葉で語るのである。


 この教会のウェブ・サイトで、ハイベルズは言う。 「私たちは、もっとも今風の言葉、音楽、劇を使って、今日の文化に合う神の御言葉を伝えます。しかし、私たちのメッセージは、聖書と同じ程度に旧いものです。私たちは、すべての教義に関する、歴史的なキリスト教の教えを重視します。イエス・キリストが死で贖って下さったこと、悔い改めることによる救済、神の恵み、受難時の神の御言葉が書かれた聖書を重視します」。


 「聖書と同じ程度に旧い」メッセージとは、携挙やトリビュレーションの到来を信じ、ハルマゲドンとの戦いに立ち上がれというものである。ハイベルズは豪語する。

 「私たちは、王国の歴史を作りつつある。完全に新しい世代に向けての新しい方法で事に当たっている」。


 フル操業のメガ・チャーチは、多様で豊富な業務を遂行するために、非常に多くのスタッフを抱えなければならない。ハイベルズの教会は、1995年時点ですでにフルタイムの司祭助手を20人前後抱えていた。さらに、フルタイムの事務員260人、ボランティアも2000人はいた。年間予算も、1235万ドルもあった。予算の63%が従業員の給料に、残りが施設維持費と活動費に使われた。建物を含む施設の総資産は、3430万ドルであった。


 『ビジネス・ウィーク』誌の最新の推計によれば、同教会の2004年の年間予算は4800万ドル、純資産1億4300万ドル、日曜集会の参加者数は2万1000名を超えるようになった。雇員は、427名にまで増加した。ボランティアも1万人になった。教会の事業は、100を超えている。


 ビル・ハイベルズは、1975年にこの教会を創設した後、グレグ・ホーキンズを雇い入れた。ホーキンズは、スタンフォード大学でMBAを取得し、マッキンゼーの元コンサルタントであった。彼が日々の教会運営に携わっている。


 この教会のコンサルティング部門は強力である。「ウィロー・クリーク協会」がそれである。このコンサルタント業務は、ハーバード・ビジネス・スクールのMBA、ジム・メラドが責任者になっている。主たる顧客は、他のキリスト教会である。固定的顧客の教会数は、90の宗派を横断する1万500にも及ぶ。「ウィロー・クリーク・メソド」という効率的な教会の運営方法の伝授を行っている。固定的顧客ではなく、1回だけのコンサルティングを含めると、料金を払って、その方法を学んだ教会数は、2004年の1年間だけで11万件を超えている。


 年間収入の内訳は、献金が2600万ドル、コンサルティング収入が1700万ドル、書籍販売320万ドル、コーヒー・ショップとレストランの売上250万ドル、自動車修理100万ドル、サマー・キャンプ収入30万ドルであった。


 これでは、もはや教会ではない。れっきとした企業であると決め付けられても仕方のない態様である。

現代米国の黙示録 09 ジェリー・フォルウェルとビリー・グラハム

2006-09-01 21:57:53 | 現代宗教

 ロバートソンと同じく『タイム』の選に漏れたジェリー・フォルウェルも、これまたロバートソン同様、米国の著名なテレビ説教者である。フォルウェルは、1979に「モラル・マジョリティ」を創設した。これが、保守的な道徳観念を米国民に与えた影響も、共和党が躍進する大きな原動力であった。そのフォルウェルが、「21世紀のモラル・マジョリティの復活」と銘打って、新組織「モラル・マジョリティ連合」を2004年11月に打ち上げた。新組織は、中絶反対の判事を任命し、同性間結婚禁止への連邦レベルでの法修正を実現させ、2008年の保守派大統領選出に取り組むなどの政治活動を展開すると言う。当時、71歳であったフォルウェルは、2008年までの4年間は新組織の全国委員長としての役目を果たすと語っている。


 ロバートソンやフォルウェルよりもはるかに目立つ福音主義者がビリー・グラハムである。2006年8月14日号の『ニューズウィーク』が、グラハム特集を組んだ。キリスト教徒の多くが、イスラム教やヒンズー教などの異教徒でも神によって救済されるという考え方を「万人救済論」であるとして警戒している。グラハムにはつねにそうした危惧がつきまとうという非難が存在するが、グラハムは最大のカリスマになっている(神学的意味におけるカリスマではなく、通俗的表現としてのカリスマ)。彼は、「ビリー・グラハム伝道教会」の創設者である。2006年3月12日、その前年にハリケーンの大被害を受けたニューオーリンズで伝道集会を開いた際には、会場に1万6300人、会場に入ることができなかった人数は1500人いた。この時き、彼は、これが最後の伝道になるだろうと言った。87歳であった。



  2005年6月24日から3日間、グラハムは、ニューヨークで大勢の前で伝道を行った。会場となったクイーンズ地区の「フラッシング・メドウズ・コロナ公園」には、約6万人が参加し、3日間で延べ23万人が彼の説教を最後のものとして聴いた。世界の10数か国から700を超えるメディアが集まった。


 グラハムは高齢のうえ、前立腺がんやパーキンソン病を患っている。この集会が彼が行った大衆伝道の417回目であった。伝道前の6月22日に行った記者会見では「健康と体力の衰えで私のできることは限られてきた。伝道の日々はまもなく終わる」と述べた。


 グラハムは世界185か国を訪問、約2億人に伝道した。1992年と94四年には北朝鮮を訪れ、当時の金日成主席とも会談した。またトルーマン以来、ブッシュ父子を含め米歴代大統領とも親密な関係を築いた。ブッシュ大統領はグラハムとの出会いが信仰を深める転機になったと言った。ただ、グラハムは、政治的な問題に関しては、歴代大統領と一定の距離を置いてきた。


 米国の出版社、パトナムは、グラハムのこの6月24日から26日にかけてニューヨークで行った最後のクルセードのメッセージ(説教)集『神の愛に生きる=ニューヨーク・クルセード』(仮題)を出版すると発表した。グラハム自身が序文とあとがきを執筆する。著者名は息子である。編集はペンギン・グループのジョエル・フォティノス宗教書部長が担当する。パトナムは「アライブ・コミュニケーションズ」のリック・クリスチャン)から版権を獲得した。


 2004年11月18日から21日までの4日間、グラハムはロサンゼルスで「カリフォルニア・クルセード」を開いた。この伝道集会には延べ31万人が参加し、1万1000人を超える人々が洗礼の決意を示した。


 
以上に見られるように、グラハムを除いて、著名な福音派の指導的牧師たちは、非常に積極的に共和党の党勢拡大の活動を行ってきたのである。