消された伝統の復権

京都大学 名誉教授 本山美彦のブログ

本山美彦 福井日記 41 蕎麦の花

2006-09-22 00:27:52 | 花(福井日記)
 福井にきて息を飲むような圧倒的に美しい光景に度々遭う。いまは蕎麦の花が、それこそ広大な畑、地平線まで続く畑に真っ白い花を咲かせている。文字通り息を飲む。写真は近くの丸岡の蕎麦畑の光景である。散歩中に撮影した。

 福井の蕎麦は、「越前おろし蕎麦」として食する。それは、そばに大根おろしを添えたシンプルな料理だが美味い。長寿食でもある。

 蕎麦は、8世紀頃、大陸から朝鮮半島を経て日本に渡来し、食用となったのは奈良時代である。当時の食べ方は現在のような麺状ではなく、そば粉をお湯で捏ねた「そばがき」や「そばだんご」にしていた。麺状は、「そばきり」と称されるが、これが、庶民に広まったのは、江戸時代になってからである。

 福井でのそばの歴史は、朝倉孝影が一乗谷に築城した頃(1473年~)から始まった。籠城用食糧としてそばが重宝されたのである。というのも、そばは播種から約75日間という短期間で収穫できたからである。ただその頃も、「そばがき」や「そばだんご」であった。

 福井で「そばきり」が登場するのは1601年。府中(旧武生市、現越前市)の城主となった本多富正が、そば師の金子権左衛門を伴って赴任したのを機に、そばの食べ方が変わった。麺状そばに加え、大根おろしを添える食べ方もこのときに始まった。

 麺状のそばに大根おろし。この組み合わせは庶民にも受け入れられ、その後、福井県と「福井県玄(くろ)そば振興協議会」の指導により、そば栽培と消費量が拡大、そして現在の「おろしそば」人気へとつながった。

 福井の「おろしそば」が「越前おろしそば」として全国に広まったのは、比較的最近のことである。昭和22年になってからである。この年の10月、昭和天皇が福井を訪れたとき、2杯ものおろしそばを食された。その後、皇居に戻られて、「越前のそばは大変おいしかった」と語られたことから、全国的な評判をとった。

 そういえば、「越前竹人形」も、水上勉の小説によって、全国区になったものである。
 「越前おろしそば」のおいしさは、玄そばの品質の高さや製粉技術にも深く関係している。その理由は、そばの良否が栽培地の緯度に関係するからである。

 北緯36度~38度線の地帯には、味や風味の高いそば粉が多い。福井の位置は北緯36度線上にあり、おいしい玄そばができる条件を満たしている。

 加えて製粉方法が素敵である。これも昔ながらの石臼挽きである。福井県下すべての製粉企業が行っている。丁寧に時間をかけて行われる石臼挽きにより、味はもちろん、そば独特の風味が損なわることがない。

 現在、福井県内でのおろしそばの食べ方はほぼ3通り(1)ダシと大根おろしを別々に入れる。(2)ダシに大根おろしを入れる。(3)ダシに大根おろしの汁を入れる。それぞれに味は微妙に違う。

 福井県内で栽培される玄そばは、小粒で皮が薄いのが特徴である。収穫された玄そばには「福井県産玄十八(そば)」と書かれた札が付けられ、温湿度管理の徹底された倉庫で保管される。「十八」というのは、農産品の収穫量などを国が公表する際、1番目の北海道から数えて福井県は18番目になるからである。しかも「十八」は「十」(そ)「八」(ば)とも読めるというこじつけもある。

 そばの実の部分を石臼挽き作業に回す。その時に甘皮も一緒に入れて摺るため、黒っぽいそばの色となる。昔ながらの低速の石臼挽きは、粉を摺ると同時に、練る作用も含まれている。そのため粒子も丸いまま製粉され、そば独特の風味も損なわれない。逆に高速のロール挽きは、機械で摺りつぶすため、玄そばの質が低減してしまう。

 石臼挽きにとって必要不可欠な作業が、石臼の目立てである。石臼は福井県美山町小和清水産のものが使用されている。ただし、現在は、昔ほど石臼を目立てできる職人はほとんどいない。

 福井県玄そば振興協議会は、昭和40年代より、転作政策として、そば栽培を推進している。そして、正しい栽培法や保管法などを指導している。今もその活動は続けられ、作付面積及び収穫量は年々増加中である。

 現在、福井県では県産そばの消費拡大と流通促進、越前おろしそばのブランド化促進のため、「おいしい福井県産そば使用店認証制度」を設定(現在76店舗)している。

 蕎麦は、旧盆の頃に播種、9月中~10月下旬頃には、畑一面、可憐なそばの白い花が咲き乱れる。その後、茎が赤くなり、白い花が黒い実になる11月初旬頃から収穫が始まる。その頃になって、風味の良い新そばが登場する。

 そば栽培は福井県内各地で行われ、作付面積は全国で9位である(平成15年度)。
 以上の叙述は、福井県玄そば振興協議会のホームページより。

 福井の蕎麦は、コメの転作奨励から盛んになってきたのであるが、同じ転作作物としての大豆よりも雑草対策で有利であった。大豆は、雑草との闘いが大変であるが、蕎麦は、密生させるので、田圃に雑草が生えないので、楽である。

 坂井市丸岡町の蕎麦畑は写真にあるように見事である。平成3~4年に丸岡町は、そばを作る農家に出荷奨励金を出すようになった。丸岡地区では、そばの栽培人口が次第に増えていった。そのうち、そば栽培は農業の枠を超え、町おこし的な動きへと発展した。そばの品種も種づくりから模索されるようになった。

 そばは大粒だと挽きやすいが、味が淡泊である。小粒ほど香りも風味もいい。丸岡ブランドは、小粒のそばである。

 丸岡は、九頭竜川と竹田川に挟まれた扇状の河川敷で、地面の下が砂利になっているので水はけが最高によい。蕎麦の実は、グリーン色である。 本当に越前のおろし蕎麦は美味い。幸せを感じる。読者諸氏も写真で雄大な光景を想像していただきたい。