2、戦時国家アメリカの実情 アメリカとの一体化は断固拒否
続いて2番目の論点に入ります。アメリカが世界で戦争をしています。先に結論から言います。アメリカと日本は志を同じくするのだから日米一体化しなければならないのだ、というのは断固拒否。具体的には、わが日本は戦争をしていない。アメリカは世界で戦争をしている戦時国家なのです。戦争している国と戦争していない国とは同じだというのは、ふざけるなと言いたくなります。戦争していない国は戦争している国とは握手してはいけないのだ、我々は一切の戦争に加担しないのだ、ということが一番大事なことなのです。
アメリカは所得格差最大の貧しい国
アメリカ兵についての問題から始めたいのですが、世界で戦争をしているアメリカと言うときに、ここにも私達が大きな誤解を持ちます。アメリカでは徴兵制をしているのだ、いやいやながら戦争に取られているのだろうと理解しがちです。そうではないのです。アメリカでは兵隊さんは自発的に応募してきているのです。これはすごいことなのです。アメリカという坩堝の中で典型的な誇り高きアメリカ人が生まれてきて、世界の平和のために我々は血を流すのだと言って、志に燃えて応募してきているのだろうか。そうではないと思うのです。ここが現在の戦争の悲惨なところです。
世界では、先進国の中ではですけれども、アメリカは最も貧しい国なのです。この貧しさの定義はというと、すべての所得、つまりビル・ゲイツからホームレスの一番貧しい人達までの所得をずらーと並べて平均値の所得を取ります。その平均値所得以下の人達が全人口のうち何%を占めるのかというのが貧しさの指標なのです。その中でダントツに1位はアメリカです。そして、わが日本がほぼ近い2位です。
つまり、今の所得格差が大きいということはそういうことなのです。ビル・ゲイツは全アメリカ人のサラリーマンの半分の所得をすべて独り占めしています。そのビル・ゲイツ1人がおり、他が貧しいという社会を豊かな社会というのか。それは貧しいということなのです。豊かな社会というのはみんなそこそこの平均値であること。家も小さい、みんな平均値だけれどもまあ飢え死にしなくて済むというのが豊かな社会なのです。1人の大金持ちを持ってきて、それがGDP(国内総生産)を上げても意味がない。人々の所得がそこそこに平均的で格差のない社会。これが豊かな社会なのです。アメリカが最も貧しいと言いました。最も貧しいがゆえに、アメリカではすべてがお金です。大学へ行くのもお金です。
社会的認知を得るために軍隊へ
そうなれば誰でも大学に行けないでしょう。大学に行くには奨学金が必要でしょう。アメリカではその奨学金というときに、果たして単なる書類審査だけで通るだろうか。少なくとも地区の顔役あるいは教会の牧師の推薦がいるであろう。少なくとも社会的に認知されなければ奨学金そのものが当たらない、となります。そうしますと、貧乏人が大学へ行くために得る一番大きな社会的認知といったら何かといえばイラクに戦争に行くことである。そうすることによって市民として認知されていく。ましてやただでさえ白い目で見られているメキシカンとか、日本人、中国人、朝鮮人といったアジア人にとって。アジア人は大体、受験勉強は得意なのです。そうすると東部の大学では、あまり表門の試験ばかりでやるとアジア人ばかり通ってしまう。だからアジア人排斥で逆差別しなければいけない、という議論が真剣に交わされている。少なくとも人種的な差別というのは依然としてある。そういった中で大学へ行こうと思えば、市民として認知されなければいけない。認知してもらうための最も手っ取り早い方法が軍隊に行くことである、と考えたらいかがでしょう。
軍隊で心に深い傷
しかし、軍隊へ行っても、自らが分裂します。認知されるために人をどんどん殺してくる。実はアメリカのちゃんとした陸軍士官学校のテキストにあるのですが、人は目が合うと殺せないのです。だから、ドンパチやっているのはみんな空へ向かって撃っているのです。それでは弾薬をいくらつぎ込んでも埒があかないというので、テレビゲームのようにミサイルを撃ち込む。相手が死ぬ場面はミサイルを撃った本人にはわからない。こういうことをどんどん技術化していくのです。しかし、少なくとも市街戦を演じたら分かる。殺戮です。自分で相手を殺すわけです。その心に非常に傷を受けた人間が国へ帰ってきて大学生になって、「今から勉強するぞー」と思っても果たしてやっていけるだろうか。要するに自分が認知されたいがために戦争に行く。しかし戦争に行ったがために自分の心はズタズタになって引き裂かれたようになる。その連中を誰が面倒を見るのだろうか。
帰国後の仕事は軍事請負企業で
つまり、私達がいわゆる広域暴力団とかに「暴力団帰れ!帰れ!」と言いますけれども、よく見たら彼らは日本国内において差別されている連中ではないか。彼らがまっとうな就職先がなければアウトローの世界に行くのを認めるわけじゃないけれども、私は同情します。
同じようにアメリカで戦争に行って帰ってきた若者達がきちんとした大学に行き、きちんとした企業へ就職することができるのだろうか。まあ多くの人はそうするかもわかりませんが、かなりの人達はそこに何らかの精神的な負い目、異常をきたすでしょう。そうすると逆に人殺しの技術をもったそういう人達を雇うとんでもない会社が出てくる。これが民営化された戦争の意味なのです。
つまり、戦争に明け暮れる国で若者の心が傷つくがゆえに若者の就職斡旋機関として企業が戦争請負業をしていくのです。あっちこっちでたくさんの紛争が起こっている時に、果たして企業が丸腰で行くでしょうか。この広島市内で、この平和な社会では企業はほんとに丸腰で生産と販売をしています。これが紛争地区のコンゴで、イラクで、アフガニスタンで企業活動をしなければならない時に、果たして丸腰で行くだろうか。その時には当然警備専門家を携えて行くであろう。そして、石油を掘ったり、パイプラインを作ったりする仕事を受注する会社は、必ずそういった武器の携行を許された警備会社も連れて行くであろう。
過去にこのような例はどこの国でもあったのです。わが日本も満州を平和裏に取ったのではないのです。武力で奪い取ったのです。武力で奪い取って関東軍がずっと目を光らせてくれるわけではないのです。民間人が入植しても、いつ中国人に襲われるかわからない。だから満州開拓団というのは小銃を携えていたのです。村ごとに大砲を置いていたのです。要するにそういう軍事的な保障の下で侵略していったのです。
続いて2番目の論点に入ります。アメリカが世界で戦争をしています。先に結論から言います。アメリカと日本は志を同じくするのだから日米一体化しなければならないのだ、というのは断固拒否。具体的には、わが日本は戦争をしていない。アメリカは世界で戦争をしている戦時国家なのです。戦争している国と戦争していない国とは同じだというのは、ふざけるなと言いたくなります。戦争していない国は戦争している国とは握手してはいけないのだ、我々は一切の戦争に加担しないのだ、ということが一番大事なことなのです。
アメリカは所得格差最大の貧しい国
アメリカ兵についての問題から始めたいのですが、世界で戦争をしているアメリカと言うときに、ここにも私達が大きな誤解を持ちます。アメリカでは徴兵制をしているのだ、いやいやながら戦争に取られているのだろうと理解しがちです。そうではないのです。アメリカでは兵隊さんは自発的に応募してきているのです。これはすごいことなのです。アメリカという坩堝の中で典型的な誇り高きアメリカ人が生まれてきて、世界の平和のために我々は血を流すのだと言って、志に燃えて応募してきているのだろうか。そうではないと思うのです。ここが現在の戦争の悲惨なところです。
世界では、先進国の中ではですけれども、アメリカは最も貧しい国なのです。この貧しさの定義はというと、すべての所得、つまりビル・ゲイツからホームレスの一番貧しい人達までの所得をずらーと並べて平均値の所得を取ります。その平均値所得以下の人達が全人口のうち何%を占めるのかというのが貧しさの指標なのです。その中でダントツに1位はアメリカです。そして、わが日本がほぼ近い2位です。
つまり、今の所得格差が大きいということはそういうことなのです。ビル・ゲイツは全アメリカ人のサラリーマンの半分の所得をすべて独り占めしています。そのビル・ゲイツ1人がおり、他が貧しいという社会を豊かな社会というのか。それは貧しいということなのです。豊かな社会というのはみんなそこそこの平均値であること。家も小さい、みんな平均値だけれどもまあ飢え死にしなくて済むというのが豊かな社会なのです。1人の大金持ちを持ってきて、それがGDP(国内総生産)を上げても意味がない。人々の所得がそこそこに平均的で格差のない社会。これが豊かな社会なのです。アメリカが最も貧しいと言いました。最も貧しいがゆえに、アメリカではすべてがお金です。大学へ行くのもお金です。
社会的認知を得るために軍隊へ
そうなれば誰でも大学に行けないでしょう。大学に行くには奨学金が必要でしょう。アメリカではその奨学金というときに、果たして単なる書類審査だけで通るだろうか。少なくとも地区の顔役あるいは教会の牧師の推薦がいるであろう。少なくとも社会的に認知されなければ奨学金そのものが当たらない、となります。そうしますと、貧乏人が大学へ行くために得る一番大きな社会的認知といったら何かといえばイラクに戦争に行くことである。そうすることによって市民として認知されていく。ましてやただでさえ白い目で見られているメキシカンとか、日本人、中国人、朝鮮人といったアジア人にとって。アジア人は大体、受験勉強は得意なのです。そうすると東部の大学では、あまり表門の試験ばかりでやるとアジア人ばかり通ってしまう。だからアジア人排斥で逆差別しなければいけない、という議論が真剣に交わされている。少なくとも人種的な差別というのは依然としてある。そういった中で大学へ行こうと思えば、市民として認知されなければいけない。認知してもらうための最も手っ取り早い方法が軍隊に行くことである、と考えたらいかがでしょう。
軍隊で心に深い傷
しかし、軍隊へ行っても、自らが分裂します。認知されるために人をどんどん殺してくる。実はアメリカのちゃんとした陸軍士官学校のテキストにあるのですが、人は目が合うと殺せないのです。だから、ドンパチやっているのはみんな空へ向かって撃っているのです。それでは弾薬をいくらつぎ込んでも埒があかないというので、テレビゲームのようにミサイルを撃ち込む。相手が死ぬ場面はミサイルを撃った本人にはわからない。こういうことをどんどん技術化していくのです。しかし、少なくとも市街戦を演じたら分かる。殺戮です。自分で相手を殺すわけです。その心に非常に傷を受けた人間が国へ帰ってきて大学生になって、「今から勉強するぞー」と思っても果たしてやっていけるだろうか。要するに自分が認知されたいがために戦争に行く。しかし戦争に行ったがために自分の心はズタズタになって引き裂かれたようになる。その連中を誰が面倒を見るのだろうか。
帰国後の仕事は軍事請負企業で
つまり、私達がいわゆる広域暴力団とかに「暴力団帰れ!帰れ!」と言いますけれども、よく見たら彼らは日本国内において差別されている連中ではないか。彼らがまっとうな就職先がなければアウトローの世界に行くのを認めるわけじゃないけれども、私は同情します。
同じようにアメリカで戦争に行って帰ってきた若者達がきちんとした大学に行き、きちんとした企業へ就職することができるのだろうか。まあ多くの人はそうするかもわかりませんが、かなりの人達はそこに何らかの精神的な負い目、異常をきたすでしょう。そうすると逆に人殺しの技術をもったそういう人達を雇うとんでもない会社が出てくる。これが民営化された戦争の意味なのです。
つまり、戦争に明け暮れる国で若者の心が傷つくがゆえに若者の就職斡旋機関として企業が戦争請負業をしていくのです。あっちこっちでたくさんの紛争が起こっている時に、果たして企業が丸腰で行くでしょうか。この広島市内で、この平和な社会では企業はほんとに丸腰で生産と販売をしています。これが紛争地区のコンゴで、イラクで、アフガニスタンで企業活動をしなければならない時に、果たして丸腰で行くだろうか。その時には当然警備専門家を携えて行くであろう。そして、石油を掘ったり、パイプラインを作ったりする仕事を受注する会社は、必ずそういった武器の携行を許された警備会社も連れて行くであろう。
過去にこのような例はどこの国でもあったのです。わが日本も満州を平和裏に取ったのではないのです。武力で奪い取ったのです。武力で奪い取って関東軍がずっと目を光らせてくれるわけではないのです。民間人が入植しても、いつ中国人に襲われるかわからない。だから満州開拓団というのは小銃を携えていたのです。村ごとに大砲を置いていたのです。要するにそういう軍事的な保障の下で侵略していったのです。